「山田洋次 夢をつくる 9」(2022.10.29朝日)では、
みんなが仲良く暮らすことを意志的に努力する。つまり「家族をする」という努力
そもそも「家族はいいもの」というのは幻想ではないか。
家族をつくりあげるのは理性と努力を要する面倒なものです。
ある日、母から父と「離婚をする」という手紙が突然来て、僕は驚き、うろたえた。
そこには「好きな人ができた」と母が追われるように家を出たいきさつが書かれていた。
学生寮でその手紙を読みながら涙をこらえていると、 略
涙を流しながら「光」というたばこを吸った
などとありました。
実のところ、映画監督山田洋次さんの「寅さん」シリーズはあまり観ていません。
家族の付き合いでみた程度で、
何度か観たあとも、なにか、積極的に観ようと思わずに来ています。
その理由が、なんとなくわかった気がしました。
監督も、辛いことがあったんだ。
その辛さが、形を変えて、どこかに出てくるような。
渥美清さん演じる寅さんと親戚のおいちゃん、おばちゃん、異母妹のさくらさん、その夫の博さん、裏の印刷屋さんのタコ社長さんたちが集う、だんご屋さん「とらや」の茶の間は、いつもにぎやか。
つくっていた。(そんなふうに監督していた?)
努力していた。(そんなふうに演技指導していた?)
だから、なんとなく、肩に力が入るような。肩がこるような。
(そんなふうに観るのは、あんただけ。と、いう声も聞こえてきそうですが。)
(観客も登場人物も)みんな笑っている。
お茶の間の仲良い楽しい家族をつくる。
山田洋次さんも辛かった。
悲しみが押し寄せて、流した涙の分だけ、人の悲しみを理解できるのだろうか。
監督という職業も、辛いものがある。
どうしても、作品には、自分が出てきてしまう。
映画でなくても、芸術全般、自が出る。
というか、
ぎりぎりのところを出そうとすると、製作者は、全力で立ち向かう。
自らをさらけ出さねば、立ち向かえない。
飾りや立場も全部捨てて、裸一貫の気持ちで。
その度合いが高ければ高いほど、芸術性も高くなる。
人も惹きつけられる。
人が惹きつけられるのは、
その人の辛さや弱さと同じようなところを感じ、そこを見つめながらも、
もがいている、そんな人だからなのかなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」