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山田洋次さんの涙(おもしー116)

「山田洋次 夢をつくる 9」(2022.10.29朝日)では、

みんなが仲良く暮らすことを意志的に努力する。つまり「家族をする」という努力

そもそも「家族はいいもの」というのは幻想ではないか。

家族をつくりあげるのは理性と努力を要する面倒なものです。

ある日、母から父と「離婚をする」という手紙が突然来て、僕は驚き、うろたえた。

そこには「好きな人ができた」と母が追われるように家を出たいきさつが書かれていた。

学生寮でその手紙を読みながら涙をこらえていると、 略

涙を流しながら「光」というたばこを吸った

などとありました。


実のところ、映画監督山田洋次さんの「寅さん」シリーズはあまり観ていません。

家族の付き合いでみた程度で、

何度か観たあとも、なにか、積極的に観ようと思わずに来ています。

その理由が、なんとなくわかった気がしました。

監督も、辛いことがあったんだ。

その辛さが、形を変えて、どこかに出てくるような。


渥美清さん演じる寅さんと親戚のおいちゃん、おばちゃん、異母妹のさくらさん、その夫の博さん、裏の印刷屋さんのタコ社長さんたちが集う、だんご屋さん「とらや」の茶の間は、いつもにぎやか。


つくっていた。(そんなふうに監督していた?)

努力していた。(そんなふうに演技指導していた?)

だから、なんとなく、肩に力が入るような。肩がこるような。

(そんなふうに観るのは、あんただけ。と、いう声も聞こえてきそうですが。)


(観客も登場人物も)みんな笑っている。

お茶の間の仲良い楽しい家族をつくる。


山田洋次さんも辛かった。

悲しみが押し寄せて、流した涙の分だけ、人の悲しみを理解できるのだろうか。


監督という職業も、辛いものがある。

どうしても、作品には、自分が出てきてしまう。

映画でなくても、芸術全般、自が出る。

というか、

ぎりぎりのところを出そうとすると、製作者は、全力で立ち向かう。

自らをさらけ出さねば、立ち向かえない。

飾りや立場も全部捨てて、裸一貫の気持ちで。

その度合いが高ければ高いほど、芸術性も高くなる。

人も惹きつけられる。

人が惹きつけられるのは、

その人の辛さや弱さと同じようなところを感じ、そこを見つめながらも、

もがいている、そんな人だからなのかなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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