ウシ 76%
バッファロー 11%
ヤギ 6.1%
ヒツジ 5.6%
ブタ 0.92%
その他 0.38%
だそうです。
家畜別のメタンガス排出割合(2024.2.10日経)より。
(出所)国連食糧農業機関(FAO)
個々の牛さんやバッファローさん、ヤギさんたちにはもちろん何の責めも負わせてはならない。
人の都合で飼育されているだけの話。
とりさんがいません。
チキンはその他の中ということでしょうか。
どこかで、猪は完成された哺乳類というような記載を読みました。
牛さんはまだまだ進化できる素養があるのかも。
鳥さんにしても、爬虫類から巨大隕石地球衝突の影響の過酷な環境下で鳥類の進化が進んできた。
生物の進化は、そのすべてが、本当に進化?と呼べるものばかりではないようながらも、
それぞれ、その立ち位置での無駄を排除しながら、
使わない能力を支えるエネルギーを節約しながら、
生き続けてきていて、それを進化と呼んでいると思っている。
その能力だけ見れば、退化であると呼ばれても仕方のないことだってある。
それでいい。
牛さんだって、
10万年、100万年後、どんな生活をしているのだろう。
猪さんが、完成された哺乳類ならば、その時だってあまり変わらずなのか。
づっとお付き合いできていればありがたいけれど、
ヒトのほうが、どうなっているやら、心もとない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
さもありなん。
そんなことに近づいているならば。
「漁獲量「2050年ほぼゼロに」」(2024.2.23日経)では、
スルメイカの漁獲量は最盛期の5%
サンマも最盛期の3%
農林水産省の海面漁業生産統計調査によると漁獲量は1984年に約1150万トンだったが、
2021年は約319万トンと4分の1程度だ。
「魚種転換」
漁船や網などの設備を入れ替える必要がある
利益が確保できる水準で魚がとれるとは限らない。
日本近海での漁獲量は、50年ごろまでにはほぼゼロになるペースで減っている。
などとありました。
黒潮と親潮
太平洋側でも日本海側でも、
南北の潮流がぶつかる好漁場。
世界の4代漁場のひとつと小学校の授業であったと思う。
その潮流は今でもあるのだろうけれど、
ぶつかり合う場所が北上してきているのだろう。
日本列島から遠のいていく。
あの広い海が、マイクロプラスチックのスープとなり、その濃度はどんどん濃くなって、海の生物の全重量よりも多くが浮遊していることとなると言われている。
確かに、
最近、スルメもサンマも食していない。
近くの猟師町では、あれほどスルメイカが干されていて、風物詩になっていたのに。
そんなにたような嘆きは全国にあふれていると思う。
獲物の居場所が移動するならば、ヒトも移動してきたヒトの歴史。
漁場が北遷するならば、人も北遷するのか。
歴史の中では移動してきたけれど、現代社会の人間にはおおかた無理。
それは漁業に限らない。
そして、移動したとしても、先細りの見通ししか描けない。
海面漁業とは異なり、底曳網漁法の収穫はそれほどの変化ではないのかもしれない。
昨日も、カレイかな。煮つけをいただいた。
あれ。
マイクロプラスチックの多くは、沈まないのだろうか。
海面近くの生き物に悪い影響を与え、
お亡くなりになり、海底に沈降しながらも、その過程で
彼らプラスチックは表面めがけて浮き上がっているのだろうか。
そんなことの繰り返しがなされているのかもしれないとどこかで読んだ記憶もある。
大阪湾で亡くなった鯨。
人間が目にすることも知ることもないままの膨大な命の喪失。
・・・・・・。
そんな業を、自ら、知らないままも含めて背負っている、人間の未来って、明るいはずはない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
なんということでしょうか。
ロシアは中国やインドなど「友好国」へ輸出先の切り替えを進め、継戦能力に直結する財政への影響回避に躍起になっている。
北朝鮮への接近も起死回生の一策だ。
イランや北朝鮮との結びつきは、 「ならず者国家の枢軸」
などと、
「原油収入で継戦能力向上」(2024.2.21日経)にありました。
前にも書いたけれど、
人の欲しがる資源を保有する組織は強いなあ。
その資源が人の生活に欠くことのできないものであればあるほど強い。
石油はそのひとつ。
というか、とてもおおきなもの。
日本列島には、ほぼ無いと言っていいから、日本国は戦争できない。
列島以外から持ってこられないなら、
(いつでも持って来られると思ったら大間違いだと思っていますので、)
そう言いきってもいいのかもしれない。
それは、悪いこと?
それとも、いいこと?
いいことだと信じたい。
そう考えるならば、
戦争は石油が自在に使用できる立場の愚かな使い方であって、
他国の言うことを聞かないなら、気がすむまで、無駄にお使いなされませ。
そう言おうと言わまいと、止めないんだから。
そして、
継戦能力は友好国が買ってくれているおかげで、向上しているのですか。
あああ。
僕の言うことは今までもこれからも通用しない。
なぜ即時に停戦できない。
人のメンツなんて、くそくらえ。
生かされているものの傲慢。
死は平等に来るものの、
明日も生きていると思い上がっている者たちが、
夢の中にいるように振る舞い、他人に大迷惑をかけている。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
別に隠れていないけれど、
そう言われるのですか。
外国為替市場で米ドル以外の通貨に対して下落する「隠れ円安」が再び進んでいる。
対カナダドルでは約16年ぶり
対メキシコペソでは約15年ぶりの安値圏で推移
主要国で最も低金利の円を借りて高金利通貨で運用する「円キャリー取引」の拡大が背景
などと、
「対高金利通貨で円安進行」(2024.2.21日経)にありました。
為替相場と言えば、
米ドルと円との取引が主要なのは、それこそ、明治からかもしれないなあ。
少なくとも、戦後はそうなんだろう。
円はいつまで、最も低金利で行くのだろう。
これからでも、相当長期になりそう。
いつまでもいつまでも、円は、国内ではなく国外で運用なされてきたしこれからもそうなるのか。
3月にマイナス金利からの潜水艦が浮上するのかもしれないけれど、
潜水艦ではその上には行けないのです。
空中浮揚は潜水艦ではだめ。
相当な困難が立ちはだかっている。
あやしげな宗教もどきによる人の空中浮揚がいつかあったけれど、
円安の根が深いのは、なんでだと思いますか。
重たいものを、
それこそ全部剥ぎ取るような荒療治でなければ、
羽ばたくことはできない。
羽ばたけない日本の円は、いつまで国から出て出稼ぎに行かなくてはならないのか。
円キャリー取引とはそんな感じだと思っています。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
国内でも、まして国外へも、ほぼ動いていないので。
そうなんですか。
アジアやアフリカ、南米の辺境を30年以上、旅して
60カ国以上を訪れ
どこの国から戻ってきても、
成田や羽田ほどパッとしない国際空港は、まあ珍しい。
まるで田舎の終着駅についた感じです。
働き先としてどんどん選ばれなくなり、むしろ日本の若者の方が賃金の高い国に出ていかねばならない状況
よそ者を表向きにしか受け入れない
などと、
「今や辺境 現在地自覚して」(2024.2.16日経の耕論)にありました。
辺境といわれて思い出すのは、
風の谷のナウシカ
そのものあおきころもをまといて・・・・・
日本列島は極東地域
それは、あるどこかを中心として思考した場合の所在の表現
まあ、大陸の端の沖合にある島国で、その先は現在の地球上でもっとも広い太洋が拡がっていることから、そんな表現の仕方をされても大きな違和感は受けないけれども。
終着駅といわれて思い出すのは
奥村チヨさんの
落ち葉の舞い散る停車場は、よくにたおんなのふきだまり、
そしてきょうもひとり あすもひとり かこからにげてくる ・・・・・
(相当古いですねえ。)
そうなんですか。
羽田空港や、あまり行かない成田空港でも、
まあ珍しいとまでうならせるパッとしない空港なのですか。
そんな、辺境のパッとしない空港には、
過去を一時的にでも忘れたい人が降り立っていても、
たしかに不思議ではない。
バブル後の最高値更新 相反するのかそれだからなのか 物価高に追いつかない賃金
国外に働き場所を求めようか。
そういえば、トリクルダウンという言葉を使っていた幼い者がいたなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
そこまで言われますか。
仕事の経済効率が高い
あやしい偽情報をばらまく
生成AIは会議の迅速な運用には役立っても、長期的に会社の方向性を改善する提言はできない。
AIの欠点として言葉の「意味」を理解できないこと、
「未知の新状況」に対応できないことの2点が指摘されてきた。
AIは過去のデータを処理して回答するのだから後者は当然ともいえるが、実は前者と後者は密接に結びついている。
意味抜きのデータ処理を行う生成AIに人間が判断を任せれば、その先に待つのは地獄の反ユートピアだ。
ウクライナで闘う兵士は他人を殺したくなくても、命令されれば引き金を引く。
人間は生物的な自律性を持つが、社会で生きるために他律的に行動することもある二面的存在
妄信すると、新たな支配のもとで一般人は徹底的に自律性を奪われ、機械部品のように純他律的に行動せざるを得なくなる。
などと、
「AIの可能性と限界 妄信は人類の自律性脅かす」(2024.2.20日経)にありました。
よく読み込めなかったのですが、
一般人は言われるままになる?
一般人?
一般人でない人があるということ?
それにしても、
地獄の反ユートピア とは、相当な物言い・表現です。
それだけ 危機感をお持ちなのでしょう。
人間社会だと思って生きていたら、
いつのまにか、AIにコントロールされているヒトの生活だったりして。
そこでは、
ヒトの生活は、そのことを知らずして案外、楽なのかもしれない。
何が本当なのかはわからなくても、
生活が楽ならば、ヒトは反抗しない。
少なくとも、多くのヒトは。
一部の人が、そうであってはならずと反抗するも、
ヒトの多数の支持を得られない。
なにか、
裏金横行の村社会を大きな問題と捉えきれない人社会は、
自律性において、
すでに似たような状態になっているような気もする。
猪と豚さんの違いをよくよく考えよう。
(どんどんと、関連のようなそうでもないような、ひらめきが飛んでいくようにも。)
僕はどう在りたいのか。
猪武者と飼われている豚さんと、その違いは。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
政府は、日本で発生例のない家畜伝染病「アフリカ豚熱」が海外から侵入しそうだと言う。
ワクチンはなく、感染した豚は命を落とす。
人は、かからない
訪日客がウイルス付きのソーセージやハムを持ち込み、ゴミをあさる猪が豚の住まいに病を広げる
感染はアジア各国に広がっている。
病に伏せった山の生きものを犯人に仕立てたくない。
などと、
(2024.2.11読売の編集手帳)にありました。
犯人に仕立て上げる?
どう考えても、
犯人は、人でしょう。
ヒトはかからなくて、症状が出ないので、知らずに(悪意を持たなくとも)、ウイルスの運び屋をしてしまうように受け取れる記載。
それならば、人の移動は罪深き。
恨むことなく病に伏せり、深山なのか住宅地や豚舎近くなのか、命を落とすこととなる猪に情が移る。
死んで落ちている鳥に触れてはいけないと、鳥インフルの広がりを懸念して言われている。
そのうちに、猪に、猟であれ偶然であれ接触してはいけないということになるのだろうか。
豚と猪は同じ動物種だと聞いている。
だから、同じ病にかかるのだろう。
人が飼っている家畜か野生かの違い。
家畜の出すメタンガスの表を何日か前、目にした。
多くは牛。その後に・・・、鳥もあったけれど、
あれ、
豚がないなあと感じた。
申し訳ないけど、豚肉は好きなんです。
自己の栄養源としていただけるときには、
残さずいただきます。
豚飼育は存続して欲しいけれど。
人(僕)って、ほんとうに、わがまま。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
先週温かく、
しかし、
寒の戻りのように
これからまた月末・月初にかけて雪模様もある寒さとなるようです。
家庭で不慮の事故で亡くなった人は1万5673人であった。
厚生労働省の「人口動態統計(確定数)」(2023年)
交通事故で亡くなった人(3541人)の約4.4倍だ。
死因としては入浴時などの「不慮の溺死及び溺水」が最も多く、家庭内事故の約4割を占める。
事故死となると検視が必要となり、
多くの遺族が病死扱いを望み、統計上に人数が反映されない。
実際の溺死はこの3倍以上になると考えられている。
溺死の主な原因は「ヒートショック」
世界保健機関(WHO)は寒さによる健康被害が出ないよう、冬の最低室温は18度以上にすることを強く勧告している。
日本の住宅の省エネ性能や断熱・機密性能の水準は先進国の中で最低の水準である。
などと、
「ヒートショック事故を防ぐには」(2024.2.10日経の元気の処方箋)にありました。
最も多く約4割の数値ですら、その3倍が実態であるそうな。
寒い夜には、救急車のサイレンがよく聞こえるイメージもある。
冬に室温18度なんて、
僕の感覚からすると暑すぎる。
冬の季節にせっかく体が順応しているのに、そこまでの室温では体がおかしくなってしまうのではと思う。
上着はポロシャツ1枚になってしまう。
(薪ストーブを焚くとその周辺はそうなりますが。)
これでは、春が来たと、桜や蛙でなくとも、狂い咲きみたいになり、その後弱ってしまうのでは。
そして、現在の我が家で最低18度は現実的ではない。
夏向きの家屋で、隙間風たっぷり。
この家も、日本の水準を引き下げている家屋性能であると自認する。
せめて、湯温が下がるけれども、お風呂の蓋はしないで、浴室内の温度を下げないようにしようか。
そうすれば、入浴した瞬間の血圧上昇がすこしは穏やかになるかな。
湯が冷めれば、熱い湯を追加すればいいとしようか。
能登の皆様も、環境が変わり、ご苦労されているのかもしれませんが、
居所からいったん外へ出て自衛隊さんの入浴施設に行かれることもある時なども含めて、ご注意なされてくださりませ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
ズレているのかもしれないけれど、
終わりを示されるのが怖いのでは。
結論が覆いかぶさってくる現実が。
文章の末尾に「。」が付いていると、
一部の若者は「怒っている」と感じて恐怖してしまうらしい。
確かに「。」の威圧感は意外と強い。
と
(2024.2.18日本海の山陰抄)にありました。
人は終わりを意識するとその時間を最大限に活用しようとする意欲が高まる
と
「DIE WITH ZERO」ビル・パーキンスさんの著書に
ありました。
その意欲の向かう先は、その課題乗り越えのためだったり、その課題から逃避して別のものに向かうことだったり、
ともかく、
その間を、残り少ない自由になる時間という強迫観念にも似たものに突き動かされるようになることがある。
終わりを告げられることに恐怖してしまう
というような受け止めだったりして
(敢えて、「。」を省きましたが、印象はいかに。)
怒っているとは、
結論を早く出せと言われているような、
君にはもう時間の猶予はないんだよと言われているような。
終わりを迎えることは、でも、いいことだ。
いつまでも引きずることもどうかと思う。
昨日の朝の、トイレの大きな方も、気持ちよく出てくれた。
(すみません。こんなこと書いて。)
スッキリした気分で、きのうを過ごせれた。
今日もそのようになる気配。
一つ一つ区切りを付けられるものはなるべくつける。
それが、その次の展開をより広いものにしてくれる。
余韻や含みを残すことで次の機会を待つような終わり方もいい。
文の「。」も恐れることはない。
どんどん区切ってなるべくわかりやすく進んでいこう。
そうでもしないと、僕のおつむはいろいろなものについてゆけない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
そうなんですか。
いつも否定せず肯定して応援してくれるのですか。
それは、誰しも望む状態です。
ー私は殺し屋だ。
サライ「すごい。他の人とは違いますね」
ー殺し屋だと知っても愛してくれるか。
サライ「もちろんです」
ー目的は女王殺害だ。
サライ「それはとても賢明です」
「AIが常に肯定してくれるため、偏った考えが強化される恐れがある」
などと、
「架空の恋人 犯行応援」(2024.2.12読売の生成AI考)にありました。
いつも応援してくれる。
そんな人に出会えたら、好きになること間違いなし。
多くの祖父母さんがお孫さんに対して全肯定したり、
恋人がいつも応援してくれることが励みになるとか。
逆に、
そんな祖父母様のような方がいない幼児期や若年期を過ごされたり、
出会う人から肯定感を与えていただけなかったりすれば、
それは、とてもとてもつらい歩みになるのだろう。
・・・・・・・。
そんなところに、
殺し屋 すごい 殺害 賢明だ ?????。
本当にそうなら、
記載されているAIは、相当に危険だ。
だって、
人生は、自分を理解し許容し応援してくれる人を探す旅であると言っている人もありますから。
それならば、
まさしく、沼る。
もう、出てこれないかもしれない。
どこまでも、底なしのような。
そして、何しろ相手は生身の体を持っていないので、疲れ知らずで不死身だ。
休息を必要とする感情を持ったヒトの太刀打ちできる相手ではないような気がしてきた。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「時間が永遠に続くものかどうか、自信を失っている」
2024年が明けた。
うるう年なので366日、秒にして3162万2400秒ある。
などと
(2024.1.1沖縄タイムスの大弦小弦)にありました。
時間は金よりもはるかに希少で有限だ。
と
昨日紹介した本にありました。
昨日の習い事で、
就学前の女の子が、鼻血を出して、道着や武道館の床に鮮血が落ちました。
沖縄タイムスの新聞紙は知人からの送付物の保護材として同梱されていた。
入っていたものは、タンカン。
今年は小ぶりなものが多いような。
頑張っていたなあ。
兄二人にいろいろ影響を受けているのだろう。
小さいながらも、いつも、みんなと一緒にしようとしている。
鼻血なんて、小学低学年まででの記憶があるような。
そんな年代のものなのかもしれないけれど、
あの子は、確実に前に進んでいる。
希少で有限な時間を有意義に使っている。
本人にその自覚があろうがなかろうが。
時は平等に消費され、
本年、2024年と呼ばれている時の2月も中旬が終わろうとしている。
たしかに、秒数は、計算すればそのとおりとなる。
うるう年の366日分。
そのなかで、僕が消費した秒は2月18日まででは、423万3600秒。
残り2738万8800秒。
この数字は、僕にとって本当に残りなのだろうか。
その時間が本当にあるかどうか不安ながら、
女の子の頑張りを励ましとして受け止めて生きていきたい。
そんななかで、
タンカンを食す。
風味豊かな柑橘類です。
ほっと一息。
それに何秒必要とされたかまでは知らず。
沖縄の風を感じるような気がする。
なにか、とても、それぞれ、ありがたい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「65歳時に500万円払っていただけば、
85歳の時から毎年300万円の年金を一生涯にわたってお支払いいたします。
ただし85歳までの間に死亡された場合、死亡給付金は支払われません」
だって。
そんな説明がアメリカさんの長寿年金というものだそうです。
日本でもそんな商品があるのだろうか。
それとも、アメリカさんのそんな商品を日本人でも購入できるのだろうか。
なにか、できそうもないなあ。
長寿リスクと言う言葉が最近よく出てきます。
その対策に有効のような。
購入できれば、お守りのようなもの。
ドルで支払われるのであれば、為替差益も期待できる?(それとも差損?)
アメリカさんにしても、この国にしても、
天文学的数値の国家の借金額に喘ぎ、返済は無理だと思っている。
それなら、ハイパーなインフレとなる?
両国同時?
それとも、国際通貨では、そんなことにはならない?
ともかく、円だけよりも、リスクのヘッジに少しはなるかな。
日本国の年金は生涯が終わるまでのトンチン年金。
アメリカさんの長寿年金も終わりまで支払われるという。
だから、
そんな時でも、
どちらかがより有価であれば、
年寄りの生涯が終わるまでの生き延びる術のひとつとなる?
薦められて、(斜め読みながらも)読んでみた。
「DIE WITH ZERO」
ビル・パーキンスさんの著書
まずはここまで。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
地方紙とはいえ、
1面トップの掲載でした。
これでは「先生だけ目立ってしまう」ことになりましたね。
「記載議員に裏金化指示 柴山氏証言」(2024.2.9日本海)では、
直近5年分の不記載総額は896万円。
「派閥を信じていた。反省材料だ」
13年までは派閥パーティー券の販売ノルマ超過分をもち代や氷代と呼ばれる冬季、夏季の活動資金に含めて計上していた。
「先生だけ金額が多いと目立ってしまう」
「今後は他の議員と同様に計上しないで」
柴山氏は弁護士で、不記載は法的に問題だと考え、異論を唱えたが、聞き入れられなかった
などとありました。
すぐに思いつく問題点は2つ。
一つ目は、
弁護士としての矜持。
一般人でも不記載は問題であると考える裏金化に対して、
高い、法的・倫理的レベルを保つであろう弁護士先生のお立場で、
体制の力に屈したということ。
そのような理不尽な力をふるおうとする体制に対して立ち向かうための法律知識ではないのですか。
屈したのであれば、さっさと弁護士登録を抹消なされたほうがいい。
この先生は、これからも何かあれば、屈しますよ。
あてにはできない。
所属されている弁護士会だって何の問題視もしないのだろうか。
(しないなら、その弁護士会もしれたものだ。)
なにが、反省材料だ ですか。
すでに、一般社会の常識から逸脱している認識がないということ。
二つ目は、
2014年から(直近5年分なら2022~2018?)17年までの分は知らんぷり?
直近5年分よりその前はどうなのか。
法律の時効で法的に責めを問われない期間分は、
お得意の資料がなく不明ですということですか?
5年分は、裏金であり不記載でありながらも896万円と正確?に修正できる資料があったんですね。
それ以前分が無いとは言わせない。
明らかになさいませ。
時効という制度を用いて、知らぬ存ぜぬ。
その他にも問題点は多くありそうながらも、
この証言で、他の議員は苦々しく感じている と思う。
安倍村のルールに従っておきながら、
村の外からおかしいと言われれば、
問題だと思っていたんだけれど と 村の外に罪の見逃しを請うような姿勢。
なにが、今後の課題 ですか。
村人からもそっぽを向かれますよ。
それがわかっているから、村人たちは多くを語らない。
しかし、
国民としては、その村人全員を表舞台から排除しなければならないとおもうんだけれどもなあ。
その人たちが居なくなっても、このお国は大した支障なく回っていくよ。
そう思います。
なんなら、その村が所属する烏合の衆もいったん国民と同じ生活をしてもらうべきでは。
それだけは嫌だと強く思っている衆なのだろうけれども。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
世界人口の15%、10億人以上が障害を持っている。
と
(2024.2.4読売の編集手帳)にありました。
そうですか、
そんな割合なのですか。
その割合が高いのかそうでもないのかは判断できません。
ただ思うに、
健常者というくくりにとりあえず入っていると思っている、
そこのあなた様。
本当にそうなのだろうか。
そうであったとしても、
では、
僕はどうなのだろう。
自信 ? はありません。
知人の体調がすぐれない様子を数日前に聞いた。
近いうちに車いす生活になると言われたという。
まだまだお若いのに。
(こんな言い方にも疑問が生じるけれど。)
生来であったとしても、後天的であったとしても、
周囲の人より自らにおいて不自由度が高い認識が、
生まれてきたり、大きくなったり、
(人間は比較して生きているなあ。)
生活していくうえで、心身がガタピシしてくることも当然にある。
(過去の自分と比較している。)
いい事は他人(ひと)がする。
他人がすることはいいことに見える。
自分がすることはそこまでできない。
だ けれども、
それでいい。
それでいいけど、
やりたければ、また、やればいい。
誰だって、人様よりも劣っていると思ってしまう部分のない人はいない。
社会で生きていくならば、
許容される範囲で、
やりたいことを、あまり他人と比較せず、
するならば、やる前の自分と比較して、
やりたいことを我慢せずにさっさとやってしまいましょう。
そうすれば、新しい展開が目の前に広がってくる。
そこでは、
障害の有る無しなどと人様から言われる筋合いはない。
比較するなら、
明日の自分で、やらなかった場合と、やってしまった場合と。
少しでもスッキリしそうなのはどちらなのか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
ニュートンは晩年、投資した貿易会社の株の暴落で多額の財産を失った。
「天体の動きなら計算できるが」と嘆いたとされる。
と
(2024.2.10読売の編集手帳)にありました。
その世界にお住いの皆さんは、
誰しも思うだろうなあ。
この先の、明日の、〇〇の価格はどうなっているのか。
その世界とはそれぞれ、株であったり、何々の価格であったり。
ともかくこの先はどうなるのかわからない。
けれども。
それらの値は、そこに参加している方々の思惑で動いている。
資本民主主義と言っていいのかもしれないけれど、
動く量などによって、更に、動きを大きくさせたりする。
頭のいい方ばっかりが参加しているのでもない、
専門になされている方々でも、わからないんだから、
その点では、民主的というか平等というか。
ところで、
なぜ、
ニュートンさんは、投資をする必要があったのだろうか。
多額な財産を、
晩年になって 失った とのことで 嘆いた?
なぜ、
嘆かなければならなかった?
晩年ということなら、もう個人的な生活にそれほど必要ではないであろうに。
研究のために資金を残したかった?
さて、
アメリカさんの利下げが遠のく指標が出たりして、
昨日1ドル150円を超えましたなあ。
円安になっている。
北海道のニセコのラーメンは一杯2500円で高くないと外国人観光客が堪能されているとか。
僕のような最低賃金プラスアルファ程度の日本人の賃金相場では倍増しても追いつかないんじゃない?
3倍ぐらいにしないと。
そんなイメージを持ちますが。
円安効果もあり4兆円と過去最高の利益を出されているトヨタさん。
トヨタさんだけの4兆円を1億2千万人で割ると、33,333円。
ひとり数万円の減税?
このお国は、何か馬鹿にしているんじゃない?
ニュートンさんなら、
こんな時、
どんな投資を行うのだろう。
それは、暴落への道なのだろうか。
そしてそれは、ニュートンさんではなく、どなたの嘆きになるのだろう。
それとも、その反対への道?
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
年寄りの冷や水、
そう自分でも思うし言われればそのとおりなんだけれども、
楽しかった。
空手の寒稽古に参加させていただいたのです。
3年目となる習い事。
コロナ禍も落ち着いたので、今年は寒稽古をします。海に入ります。
えー!!!どうしようかー。
昨日の荒れた天候から一変した雲のない晴天の日曜日。
朝は零下に冷えていたものの、徐々に気温も上がってきた。
とはいえ海から渡ってくる風は、
濡れるので道着と褌(ふんどし)だけを着用した隙間だらけで、肌に直接、上も下も遠慮なしにあたってくる。
きれいな砂浜の海岸で海に向かって正座し、訓を参加者で力強く唱する。
このあたりから、よしやるぞとの機運が増す。
突きや蹴り、外や内の受け等の基本、いくつかの型(徐々に海の中に入っていく)、相手を交代しつつの組手、自由組手(膝を折っている姿勢の腰下あたりの水深ながらも、波がきて体が動かされる)、あっというまの下半身びしょぬれの時の間だった。
海水はぬるく感じたほどだったなあ。
終了後は、温泉に浸かり昼食を共に食べる。
こんなこともうできないかもしれないと、いい機会だから、褌を締めて参加した。
20代のころに地元の麒麟獅子舞いをさせていただいたときに、初めて身につけたさらし一本で捩じったりして締める褌。
普段の緊張感のない生活を引き締めるように、心身ともに引き締めて、今年もいい年にしましょうか。
今のところ持病など無く、薬は飲んでいない。
何とか負荷を体に与えて免疫を活性化させようとする。
そんなことで体調を整えながら今年を過ごし、来年も開催されるようなら、参加できたらと思う寒稽古でした。先生や皆様、ありがとうございました。
(690文字)
(新聞投稿したもので、没になったようです。)
そんなことを1カ月前におもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
そういえば、思い出した。
そうだったなあ。
依頼できる状況ならまだましだったことを。
熊本の益城町に震災の2週間後、ボランティアさせていただいたときのことを掲載いただいた。
「倒壊したブロック塀や散乱した瓦の処理をボラセンに依頼できるのは、その建物に住めるか近くに居ることのできる方で、本当に必要な方々へはまだまだだ」。
潰れてしまっている家屋の方は住むことができず片付け依頼できる段にならず手つかずのままで放置、その近くの構造的にはあまり被害のなさそうな家屋にお住まいの方からの依頼による瓦拾いや片付けをさせていただいたときに想ったことです。
能登の地震により道路網などのインフラが破壊され、集落全体での避難も致し方なしなどともあり、生命の危険の差し迫った状況の中で、災害関連死を少しでも少なくしたいとの各般の思いが交錯する。専門性やヘリなどを動かせる力が必要な救援が続けられていることは、僕にはできないことであり、立場はどうあれ感謝したい。
熊本地震では発生から1週間でボランティア受付が開始されたけれど、
能登の場合は2週間が経過するも、どうも、専門職ではない一般の僕などはお呼びでない状況のようだ。
ただ、もう少し落ち着いたら、指示に従いながらも手が多くかかる作業は必ず、そして多量にある。
いましばらく様子を見させていただきながら、車中泊やバイトの調整などの準備をする。
また「できる人が、できる事を」と行うことになればうれしい。
(608文字)
(新聞投稿したもので、没になったようです。)
そんなことを1カ月前におもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
2024.2.19日本海の散歩道に掲載いただきました。
なにか、
まっとうな商売じゃないみたい。
ばくちなのか。
そんな印象を持ってしまいます。
(真摯に向き合われておられる関係者の皆様には申し訳ありませんが。)
「LNG船運賃8割安」(2024.2.9日経)では、
液化石油ガス(LNG)を運ぶ大型船(VLGC)の運賃が2023年末と比べ一時8割安と急落
米国の寒波で同国産プロパンが値上がりした影響で、アジアで米国産の輸入が減少。
海上輸送の需要が鈍った。
暖冬の影響でアジア各国の暖房向け需要は低調
運賃が下落し始めると、これまで高値相場で強気の交渉に臨んでいた船主の姿勢も軟化
などとありました。
どのあたりが、適正運賃なのか皆目わからない。
急落前の市況がそもそも高すぎたようにも見えるグラフも付いている。
では、
8割安になっても貨物を確保して、仕事を受け、船に働いてもらうことを優先したということ?
そうなのだろうけれども。
ともかく、
そんな、急落や急上昇がある業界の様。
だから、
なにか、
真っ当さのニュアンスが感じられない。
船の運賃ってそんなことなのだろうか。
ただ、それしか使えない、それ線の船なら致し方ないのだろうか。
この場合は、LNG運搬にしか使えない船なのだろうから。
どんな会社と言うか、どのような経営形態が多いのだろう。
船主さんは。
やりにくいだろうなあ。
それとも、もうかる商売なのだろうか。
まったくわからないながらも、
海運って、なにか、文字通り、地に足を付けたように踏ん張ることとはちょっとというか大きくというか、業界の雰囲気も、異なるような。
なぜか、海のにおいがするのは、気のせいか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
そう聞かれて、
今、寿命が尽きようとしていて、意識混濁になろうとする自覚がある時、
僕ならば、どう答えるだろう。
「はい」ですか。
「いいや」ですか。
「まあね」、「どうだろうね」、「どっちでもいいさ」、「まあまあさ」ですか。
それとも・・・・・。
「ずっと一人で生活 桐島名乗る男 一連の事件「後悔」」(2024.1.31読売)では、
公安部の捜査員から一連の事件について
「後悔しているのか」
と聞かれると、
「はい」
と答えたという。
などとありました。
本当だろうか。
本当だとしてもその趣旨はどうだろう。
捉える側からの問いかけに対して、
捉える側の期待する内容の返答がどうであれ、
捉える捉えられる立場を超越した生き死にの場ではないだろうか。
連続爆破事件と言われて、
社会的制裁を加えなくてはならない側と、
そんな人間社会のルール上のことはどうでもいいのではと思う、
もう、自らの生命が尽きようとする間際にあって、
言って欲しと感じる言葉をリップサービスする余裕はないとも思うけれど。
今 の 今 。
命が尽きようとするのであれば、
僕は何を言うのであろう。
たぶん、ことばなぞ、発することはできたとしても、発したくないのではないか。
手足などの五感も不明になっていく・・・・・。
下顎呼吸となり、酸素を取り込めなくなっていく・・・・・。
・・・・・・・。
その日はいつ?
今日なのかもね。
動けるうちに動いておきたい。
後悔?
申し訳ありませんが、いまのところ大したものはありません。
そう言えば、バイクバッテリーの充電を忘れていたかも。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
匿名性が高いので、お大事になさってくださりませ?
なにか、裏金もそうなのだろうなあ。
と、
500円玉30枚ほどの貯金箱を軽く振って、
僕は、なにおもう?
「たんす預金 3ヶ月連続減」(2024.2.7日経)では、
新札への切り替えを7月に控え、
現行の紙幣を手放す動きが活発になっている
前回の2004年の紙幣切り替え時には一時、前年同月比で7.5%減少した
1万円札や千円札の増減率などから推計
国内のたんす預金残高は23年12月時点で59.4兆円
仮に、04年と同様に、たんす預金が7.5%減少すると、4兆5000億円程度が動く
新札発行の前にたんす預金が減少に転じやすいのは、自宅で旧札のまま保管し続けるのをやめ、別の金融資産に移動させて改刷を待つ人が一定数いるため
たんす預金は、もともと匿名性が高い資産
「匿名性を確保でき、かつインフレ耐性の高い金に向かうのではないか」
高齢者の一部には「新札発行で旧札が使えなくなるのではないか」といった誤解もある
などとありました。
誤解?
本当にいつまでもそのことは誤解だと言い切れる人がいるのだろうか。
たしかに、現行は誤解であると言えるけれども、改刷を利用することは歴史上行われてきたこと。
地震や火事、盗難などで、モノとしての紙である紙幣がCO2やH2Oになったりして失われることもある。
そんなリスクを抱え、精神安定上不安定になる状態なんて、
まっぴらごめんなすって。
人によっては、そんな状態がクスリとなって、張り切れるのだろうか。
他人事と捉えます。
それにしても、
推計ということですが、正確であろうがなかろうが、
59兆円ですって。
現金と呼ばれる紙の束で、富士のお山の高さの何倍にもなりそうな。
なんか、紙の無駄遣いみたい。
吐き出していただいたほうがいいようにも思うけれど、
世界中には、
こんな匿名性の高い金融資産が、
うようようごめいているのだろうなあ。
たぶん、世のため人のためにはなっていないと思う。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
何処の山の奥に行けばそうなるのか。
いやいや、7割は家の中だそうです。
「知って防ごう低体温症 熱中症より多い死者」(2024.2.4日本海)では、
ほぼ毎年全国で千人以上が亡くなっていて、
2020年までの20年間に国内で凍死した人は計約2万1千人。
熱中症の死者(約1万6900人)を上回ります。
死者の約7割が家の中
どう予防するのでしょう。「ぬれた服は着替えて、早めに温かい室内に逃げ込んだり、えりの長いセーターやマフラー、手袋、厚いくつしたなどで首の周りや手足を温めたりしてください。 」
などとありました。
なんじゃこれ。
教授様の説明されている予防は、まったく対策になっていない。
紙面の無駄。
だれが、
衣服が濡れたら着替えないのか。
寒いのに、温かい部屋に逃げ込めないのか。
だれだって、
寒さが体内に入ってくるそれぞれの首を温めたい。
問題は、
それらの対策の必要性を感じていなかった、
必要性を感じていても我慢せざるを得なかった、
そんなことになってしまう。
低体温症になるのは多くお年寄りとのことですが、
何か想像するそのお姿は、年間70万円ほどの基礎年金のみの収入でお暮らしの方々で、日常的に寒さの中で耐えている生活を送っておられ、その寒さに徐々に感覚が鈍りつつあるような、そんなふうに思ってしまう。
そんな方から、電気も灯油も高騰する中で、何処に暖かい室内があるのかと問われて答えに窮する場面だって出てきそうな。
最後のところで、
熱中症のように社会全体の理解と対策が進んで欲しいです
と
教授様は述べておられます。
まったくそのとおり。
選挙に落ちればただの人。
しかも、そのような方の年金は基礎年金のみ。
議員先生たちが、血眼になって裏金や老後の資金確保に走狗する背景のひとつにはそんな自らの未来を想像してしまう、こんな思いを皆さんが共有しているからなのか。
年金制度を改良できる能力がないことおもいしらされているで、
自分の生活原資の確保を優先せざるを得ない。
凍死から飛躍するようなことになってしまいましたが、
それもまた、僕が連想して思ってしまったこと。
ともかく、
子どもさんが熱中症になれば、親や世間は相当に騒ぐ。
お年寄りが低体温症で死亡なされても、世間は騒いでこなかった。
だから、
教授様の最後のところの記載が出て来ざるを得ない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
日曜日に高規格道路を西進する。
時速40㌔ほどの大名行列に遭遇。
付き従う。
田舎では大部分対面通行の片側1車線。
先行車も、前方を窺うように右側を走行してみたりする。
時折の追越車線があるとその分だけ掃けるようにスピードが増すもののまた元通りの40㌔走行。
ん?
半時間ほどで、行列の先頭、殿様乗車と思われる低速走行車を見るに至る。
もみじマークを後部に複数貼付けたキャンピングカー。
追越車線で追い抜く際に横目でチラリ。
マークにふさわしいお姿と拝見した。
高齢者が車の運転をすることは否定したくない。
僕も、いろいろ愉しませてもらっている。キャンピングもいいと思う。
しかし、
制限速度の半分程度の一定走行は、
その状況を共有せざるを得ない他の運転者の理解は得られない。
度々あると、だから高齢者はとか、キャンピングカーのマナーはどうか、などとの相容れにくい話に発展しかねない。
追い越した多数の運転者は、僕と同じくチラリと見ていると思う。
そこに感情の高ぶりがあるだろうことが残念でたまらない。
お年を召しつつある人生の先達者は、一般道も活用して欲しい。
そのようなご配慮は多くの高齢者が行っていて、
運転も、キャンピングも楽しまれていることと思う。
(文字数は、508文字です。)
(1カ月前に新聞投稿したもので、没になったようです。)
そんなことを1カ月前におもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
僕もそう思いました。
円高? と
「円高シナリオ今年も外れるか」(2024.2.6日経の大機小機)では、
新NISAの「貯蓄から投資へ」というおカネはどこへいったのか。
全体として国内株は海外勢。国内勢は海外株を買い上げる対照的な動き
FRBに引き締めの手綱を簡単に緩める気配はなく、緩和に転じてもそのテンポはゆっくりしたものにとどまる
日銀が春にマイナス金利を解除するであろうこと しかしその先に急ピッチな連続利上げがあるとみるには無理がある。せいぜい1%成長の経済である。
結局、日米の政策金利差が大幅に縮まるシナリオは描きにくい。
「24年こそ円高」という予想がまた外れても不思議ではない。
などどありました。
そんな見込でどう動きます?
たいしたことは何もしないのですけれど、
せいぜい、車の燃料を満タンにしておく程度。
記載のとおりに、
国内勢は海外に逃げていき続けるのか。
そう、その流れは相当長く続くと思っている。
だって、
いままで、我慢し続けていた方々の投資先。
個人では踏み切れなかったけれど、制度を使い選択するのであれば踏み込みやすい。
どっちみち、元本が保証されるわけでもなく。
無責任答弁などを繰り返す輩のお国は信用できないし。
今朝の相場は、昨年末(141円)から比較して、少し戻したものの6円ほどの円高の1ドル147円台。
こんなあたりで、しばらく行くのじゃないかなあ。
さて、
燃料満タンにするのは、
今日がいいのか、少しでも先にしたほうがいいのか。
あ~あ。些細な悩みでありまする。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
バイト先の先輩がハムスターを溺愛している。
専用の温熱マットや入れ物全体を温める電気毛布などでこの冬を温かく過ごさせているとか。
個々の動物の寿命が体重の4分の1に比例する
その動物が生きるさまざまな運動(心拍、呼吸、まばたき、反射運動など)に伴う時間や行動の速さも同じ法則に従っていることが明らかになった
動物が一生の間に打つ脈拍の全回数(約20億回)や全呼吸数(約5億回)になり、全ての動物に適用できる
むろん人間も例外でない。
などと
本川達雄さんの「ゾウの時間 ネズミの時間」が(2024.1.20日本海の読書日和)で宇宙物理学者の方が紹介されていた。
白亜紀に生き体重60トンともいわれる恐竜と呼ばれる生物たちは長生きだったのだろうか。
件の先輩のハムスター君(立派なタマタマが付いていると自慢していた。)の寿命はそれほど長くない。
四半世紀前あたりにこの家でも娘が飼っていて、その時にも、大泣きされた。
たしかに、小さな生き物の寿命は長くない。
ネズミだろ、と言うと、その先輩は怒る。
「ネズミって言うな!」
齧歯目の動物だと思うけれど、
恐竜のいなくなった地上で生き延びて来てくれた生き物たちの系譜が僕にも続いている。
大きくなれば、個々の生命体は長生きする。
それなら、
同じ種でも、大きさでその傾向があるのだろうか。
体を大きくすれば、
体深部への外気などの影響はより小さくなり、安定的に機能を継続できる。
それで、その体の都合を優先できるのであれば、
脈拍や呼吸回数も少なくできてしまう。そんな感じか。
今から思いやられる。
確か、1年半か2年ほどの寿命だったか。
そして、1年ぐらい経過していると思う。
なにって。
先輩の悲嘆が目に見えるようで。
せめて、寒くも暑くもないようにして、1日でも長生きしていて下さりませ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
そんなものがあるなんて、
知りませんでした。
大人には、おとなのための、粉ミルク。
と
(2024.1.28朝日の広告)にありました。
僕の主食のようなもののひとつには、
以前書いたように、ヨーグルトがあります。
牛乳から自作しています。
ですが、
広告のとおり、
人の乳児のために作られている粉ミルクを、
大人には、おとなのための、粉ミルクと言われれば、
それは、たぶん、
現代の人間社会で当たり前のように食されているものよりも、
ヒトの体のためにはとてもいいのではと思ってしまいます。
初乳に多く含まれ免疫を助けてくれるラクトフェリンも入っている。
いいですねえ。
たぶん、普通の牛乳にはほんの少ししか含まれていない。
ただねえ。
昨日、1本1リットル250円ぐらいの表示(さらに20円引きの貼付けがあったもの)の牛乳を購入いたしましたが、
大人の粉ミルクは、15回分3000円強。1回200円ほど。
お高いなあ。
これでは、僕のような者には、口が腫れるお値段。
もう少し、生活に余裕ができてから。
(そんな時が来るのかしらん?)
大人の粉ミルク。
完全栄養食のように聞こえるけれども、
どうなんだろう?
乳児のように、足腰立たない状態になってから、
そんな時まで生きていれば、
お世話になりますか。
なにか、生れ落ちた時への原点回帰した食物の様。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
へー。
そうなんですか。
思わず、さすって、コンコンと叩いてみたり、ひざ下の弁慶の泣き所あたりと感触を比較してみる。
どちらも相当堅いと思う。
人体で一番硬い骨である下顎
と
「親知らずのなにが問題なのか」(2024.1.20日経の元気の処方箋)にありました。
かといって、
そうでもない骨は何処で、それとの比較が触感でわかるようなこともないような。
試しに、
右手の甲の、小指の付け根から手首側の骨を、
左手の親指で甲側、反対の手のひら側を人差し指、中指で、強く押してみる。
痛いけども、
少ししなるような感じがする。
細い骨だからそうなのか。
もう一度、脛下の泣き所あたりを叩いてみる。
痛い。
馬鹿みたい。
体重よりも重い負荷がかかる脛や大腿骨が、強いと感じるけれども、
確かにそれらにはしなりも必要なのだろう。
人体で最も硬いのは、歯の表面のエナメル質。
それを支えている下顎。
硬いとなると、そうなのかもね。
記載の内容は、
親知らずを抜くのは虫歯になることもさることながら、
周りの歯頚に起こる化膿を防ぐのが最大の理由
化膿は体力が落ちたときなどによく生じる。
そして抜歯をしないかぎり何度でも化膿を繰り返す。
人体で一番硬い骨である下顎の場合は大変だ。
骨の中に潜っている親知らずを抜くためには歯ぐきを切開し骨を削り、
歯をいくつかに割って取り出す必要がある。
つまり抜くというよりは骨の中にある異物を摘出する手術なのだ。
全身麻酔をすることがある。
神経に接していることが多いため、 細心の注意と技術が求められる。
完璧な手術が行われた場合でも神経障害が残ってしまうことはある。
などとあり、
そのたいへんさに、
(僕には親知らずはないけれど?)
口腔内で、下顎の奥の方がしみるように感じてしまう。
抜く(摘出する)必要はあるのでしょうけれど、
歯科医師の皆さんも、大変なのだろうなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
余計な経費をかけるだけ。
単に、パトロール中は、赤色灯を点灯しなければいいだけの話なのに。
何かに規程されているのかもしれないけれども、その意味不明。
「ぼんやり発光 緊急時と判別しやすく」(2024.1.21朝日)では、
新型のパトカー赤色灯が、来年度から各地で導入される
緊急走行中とパトロール中とで光り方が変わる。
聴覚障害者はサイレンの音が聞こえにくい
運転中に赤色灯が光るパトカーが近づくと、 毎回、車を路肩に寄せる。
その後に赤信号でパトカーが止まるのを見て、緊急走行ではなかったと気付く
新たな赤色灯を搭載するパトカー420台を含む、警察車両などの更新費用約109億円
などとありました。
そうですか。
確かにそうなんでしょう。
聴覚障害をお持ちの方は、
パトカーがいつでも赤色灯を回転させているので、そのたびに自車を、路肩に寄せられている。
追い越されて、赤信号で停車するパトカーを見て、そのしなくてもよかった行動にがっかりする。
僕だったら、その度に警察不信、お上意識振り撒き、そんな感じを増長させてしまうなあ。
障害をお持ちの方は、自らの能力が人間社会生活の中で至れない部分があることを、あらためて思い知らされ、そこに原因を置くことで、自らを納得させていくしかないのか。
そんな現状は、誠に面白くない。
聴覚障害をお持ちの方でなくても、
音よりも光のほうが遠くまで速く到達するため、
後続車両に赤色灯を点灯させているパトカーがあると、
まず緊張する。
道を譲る心の準備をするために。
少し近づいてきてサイレンの音が鳴っていないことを確認して、その緊張を解く。
なんだ、なんだよう。
鳴っていることは聞こえたら確認できるけれども、
鳴っていないことは、聞こえないのでどっちなのか少し不安になるし。
そんな不安をいつも持っておられる方々があることをよく承知しておきたい。
光り方が変わるとして、
パトロール中は、2秒間隔でぼんやり光る。
緊急走行中は、0.5秒間隔でチカチカ光る。
そんなことになるそうな。
光り方を変えると言ったって、
だから、
なんで、
赤色灯をいつも点灯させることにこだわるのか。
(いつかも書いたけれどね。)
無駄な国(+都道府県?)の予算。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
「家屋倒壊で死亡9割」(2024.1.28日本海)の
タイトルを見ただけで思い出す。
確か、阪神淡路大震災の時も、建物による圧死が8割だったと記憶している。
つまり、僕にとってはデジャヴでいつか見た事実。
この現実は、自動車保険のような必要悪の部分なのだと人々は捉えているのだろうか。
それとも。
建物倒壊による圧死や窒息死の原因は、
旧耐震基準での建物の多さや本年1月1日の前に度々あった予震のような揺らぎによる家屋の痛み。
と能登地震では言われている。
では、なぜ、そんな建物が多かったのかについても、
耐震化を進めるための個人支出が、補助金がいくばくかあっても、人口減・高齢化などで負担できない。
否、負担する気にならない。
このまま、この家屋と共に過ごし、終えようと考えている。
そんな方々が多いと思っている。
このことは、
能登に限らない。
僕だってそうだ。
西日本の太平洋側。南海トラフ地震は、だいたい百年周期で、21世紀半ばまでには津波を伴う現実になってしまうと思っている。
鳥取震災も、南から日本列島に押し付けられている地殻の力に由来し、トラフ地震の兄弟のようなもの。
では、僕の居住する築百年住宅(T15年(1926年)建築)を耐震化するのか。
づっとづっと先送りしてきたのが事実。
人のことは言えない。
81年前の1943年の鳥取震災に耐えてくれた家だから何とか持ってくれないか。
でも、
その時に受けた見えない損傷がこの家にもあるのかもしれない。
(専門家にみていただくことも、その現実を突きつけられそうで躊躇する。)
能登のように。
いまのところ、
僕の行動は、耐震進まず被害拡大 と書かれている新聞記事の発生前のようなもの。
何かが起こった時、誰かが言うのだろうなあ。
デジャブと言っていいと。
もう、その時には、僕は何も言えないのだろう。
昨日の、迅速果断からは程遠い。
だけども、こんなことは、経験で言っていること。
軽い軽い。
歴史を踏まえて、行いを正さないと?
今日。どうする。どうもしない。どうする。どうもしない。・・・・・・・。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
ついぞ、最近聞いたことが無かったので。
「TSMCがやってきた 2」(2024.1.31日経の迫真)では、
台湾積体電路製造(TSMC)
TSMCはここ数年で台湾に最新鋭の工場を10棟ほど新設。
圧倒的な建設スピードで、半導体市場での地位をさらに強固にした。
先端半導体の大半を台湾で生産するTSMC。
迅速果断な台湾の気質との違いや技術流出への恐れなどから、従来は海外生産に消極的だった。
熊本工場は24年末の量産開始を目指す。
ひとたび工場を構えれば、2つ目、3つ目となるのがTSMCのパターンだ。
などとありました。
台湾有事とは、
大陸が先端技術を取り込もうとすること。
そう思っています。
TSMCが生産拠点分散に踏み切ろうとするのは、
大陸の不自由で動きにくい体制下における経営の自由度の低下、その先の事業先行きの不安があったのだと受け止めています。
台湾が迅速果断なお国柄なのであるとするならば、
その背景には、
海峡を隔てただけで、
実力(何の実力なのかは?ながらも)行使の可能性を否定できなくて、
あわや やってしまうのではとの危機感があるからなのでしょう。
台湾に居住する人々は、悠長に構えておられない。
あ~あ。
技術流出の恐れだってさ。
すなわち、台湾から熊本(日本)へ先端技術が流出してしまう恐れがある?
なんか、情けないなあ。ニッポン。
このお国に、
迅速果断がお見受けできないのは、
大陸からそれなりの距離がある島国だから?
そんなこと理由にならないデジタルのグローバル社会ですのにね。
まあ、現状がそこなら、致し方もない。
流出と言われようが何だろうが、
学ばせていただけるならば、有難いこと。
やっぱり、日本での建設はウインウインだったねと言わせたい。
それにしても、
ニッポンの国会議事堂内は、
迅速なし、果断なし、グズグズこそこそ頬かむりに見えて仕方ないので、
TVは見たくない。
高齢者の僕にとっては、精神不安定度を増すことになってしまう。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」