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そうか、そういうことか。

(2023.7.29朝日の連載小説「暦のしずく」)のなかで、

釣り鐘の子に半鐘と名付け、半鐘の子に風鈴と名付けるようなもの

ありました。

そうですか、そういうことですか。作者の沢木耕太郎さん、ありがとうございます。


どこそこのお寺に在る釣り鐘。

いいですよねえ。

僕は、大山寺の釣り鐘の音がとても好きです。大山の北側の元谷に静かに響き渡る。

在所のお寺様では、戦時下に供出されたとか。

鐘楼堂の石垣が残り、別の施設として使われている。

釣り鐘の音が渡る集落を羨ましく想う。


半鐘は、

その昔、役場であって、現在は、公民館として使用されている建物の東側の2階の軒先に吊り下げられていた。

そこまで至るには、高くて怖い。

幸いなことに、その半鐘の、おそらく甲高い音が打ち鳴らされたことを、聞いたことはない。

本日現在も、吊り下げられているのかどうかは不明。

今度、見てみます。


昨日も、暑すぎて、大汗かいて、グロッキー気味で、しばらく休んでいた。

申し訳ないけれど、風鈴の雅に親しむ余裕はない。


縄文海進があった当時は、

海進があるのだから、当然に現在よりも気温が高い。

昨日暑いとは言っても、

現在よりも平均気温が3度から5度くらいも高かったといわれる縄文の時とは比べ物にならないくらい現在は穏やかなのか。

列島に住まうヒトは、紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって、銅鐸を製作し使用してきた。

弥生時代と呼ばれている。

縄文では、暑すぎて作る気にもならなかったか。

弥生の銅鐸の音は、人々に、心の安らぎを与えていたから、多く作成されたのだろう。


やっぱり、釣り鐘の音が、日常に有ると、豊かな気持ちになれるような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


半世紀の間、飲酒してきた者として、

あまり認めたくはないけれど。


「「酒は百薬の長」今は昔」(2023.7.29日経)では、

「がん予防の観点から言えば、一滴のお酒でもリスクになるというのが国際的な評価だ」

がんの部位別でも

大腸や肝臓、食道は「確実」

閉経前の女性の乳がんと男性の胃がんも「ほぼ確実」

「少しのお酒は体に良い」という説は過去のものになりつつある。

吉田兼好は徒然草で「百薬の長とはいえど、万の病は酒よりこそ起れ」と鋭く記している

少量の飲酒であっても、がんをはじめ病気のリスクを高めるという研究報告が増えてきている。

などとありました。


いわく、

人類は穀物を食してきた歴史よりも、果実由来のアルコールを口にしてきた類人猿時代からの歴史のほうが長く、ヒトの体はアルコール摂取に適応してきている。

フレンチパラドックスは、現実として存在している。

醸造酒を遠ざけて、蒸留酒に親しめば、糖質による血管損傷はそれほどにはならない。

縄文人度が高ければ、アセトアルデヒドの解毒能力が高い。

縄文人の解毒能力が高いのも、それまでアルコール摂取が何百万年もあり進化してきた証拠。

などなど。

僕の屁理屈を並べながらの飲酒習慣の半世紀でした。

この屁理屈がまったくの誤りであるとは思っていないけれども、

引き続いて止めているんですねえ。お酒は。

関連:「停酒、一ヶ月」没原稿


しかし、どうも、エタノール摂取に対して旗色が悪い。

しかも、説得力があるような。

その説得力の源泉は、専門家の意見もさることながら、

やはり、僕の日々の日常における感覚によるものが大きい。

今、以前のような日々の飲酒を行っていれば、確実に、ぶっ倒れている。

そう思う。

以前では考えられないような、飲酒に対する、怖れのようなものまで芽生え始めている。


それだけ、

今日も行かせていただきますが、

体を動かす習い事で、

全身ずぶ濡れの汗で、袖から、汗がたくさん滴り落ちる練習は、

僕にとって、

この盛夏、猛暑の中、

相当苛烈。

とてもではありませんが、

たとえ少量であっても、アルコール分解に分ける体力の余裕はありません。


満65歳を前にして、年寄りのたわ言でした。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


骨盤の奥にあり、

術前に腫瘍が良性か悪性かを確定するのは難しく、

術中に腫瘍ができた側の卵巣と卵管を切除し、

腫瘍の組織から判断する。

良性の場合、手術は終了だが、

中間的な境界悪性なら、

両方の卵巣と卵管、子宮を全て摘出し、大腸や小腸を覆う大網(たいもう)を取る。

悪性(がん)なら、骨盤内と腹部大動脈周辺のリンパ節、転移したがんも切除する。

「悪性なら広範囲で切除」(2023.7.21読売)にありました。


大手術だ。

長時間に及ぶとされ、

4時間でも ほど で 終わった と 表現されていた。


しかも、

術前に、良性・中間的・悪性の判断が難しいとされ、

いわゆる、

開けてみなければわからない。

ということのよう。


そして、

開けてみて、

良性であったとしても、

手術を要し、そのうえ、切除も行うという。


中間的な境界悪性との表現が、どれほどのものなのかわからないが、

多く切除する。

なにか、予防的な措置のようにも感じる。

たぶん、

何度も開腹することになってしまうのは躊躇われるのだろう。


5年生存率は60%。


近しい者にも いわゆる 婦人科(この表現に何か違和感がありますが、)の病に罹患した者があり、

そのような記事があると読んでしまう。


そのような病でなくとも、

悪性腫瘍のできる原因は、たぶん、日常的に存在する。

どういった日常を過ごすかで、

その、病と認識されるまでの広がりになるかどうかに大きく影響を与える。

そうとも思っているけれど、


将来は体に負担の少ない治療も望めるかもしれない

との記載に、

救われる気持ちもある。

どうか、近しい将来でありますように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そんなこと。

絶句。と多くの方は表現して許されると思います。


(2023.7.20産経の産経抄)では、

耳を疑うような噂を聞いた

路上で女性の物乞いが抱いているのは、マフィアに金を払って借りた赤ん坊

より哀れを誘って稼げるように、目をつぶし、手や足を切断する。

本当にそんなことが行われているのか。

『レンタルチャイルド 神に弄ばれる貧しき子供たち』を読んだ時の衝撃は大きかった

あくまで20年以上前に異国で見聞きした出来事

などとありました。


20年前なんて、ほんのこの前。

ヒトは、自らの飢餓をほんの少しでも緩めるためには、ほぼ、何でもする。

そう思っています。

飢餓でない時と、飢餓である時の、ヒトの精神状態が同じわけはない。

大型哺乳類であり、脳が大きなヒトの体は、エネルギー消費が大きい。

何百万年も、それとの闘いであったと思っている。


だから、なに?


いや。なにも。


紹介された書籍は、

ノンフィクション作家の石井光太さん著作だそうです。


近所の方のご協力で、産経新聞を読ませていただいておりましたが、

その新聞の購読をお止めになるとか。

新聞を取られる世帯が、減ってきているなあ。

同紙からの話題提供はストップとなります。

残念。

情報の供給元が、先細りする感じです。


大きなことも、小さなことも、

神が弄ぶ(もてあそぶ)、そんな掌(たなごころ)の上に、

僕も住まっている。

そうなのか?

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「突然の精巣がん、幸せ一転」(2023.7.22日経の向きあう)では、

つい2ケ月前までは順調だった。

米国留学 やりがいのある仕事 2人の子どもに恵まれ 100㌔マラソン

毎日が本当に幸せだった。

厳しい抗がん剤治療のため入院は3~6カ月になるという。

どんどん本来の人生から離れていく。

などとありました。


けがなどで断念なされたことも含めて、

順風満帆の時ばかりではなかったろうとも、拝察しつつ、

それでも、

疑問に思う 本来の人生 という言葉。


本来の人生って、何だろう。

僕にとって、何が、どういうことが、本来の人生と呼べるのだろうか。

そんなものは無い。

そう思う。


有るとするならば、

やりたいことをやれて、本人にとって、その時に意義が有り、仮に、苦しくとも、楽しい時を過ごすことができる人生。

そんなところか。

そういう意味でお使いになられているのかもしれません。


今日、明日のことは、

何となく、スケジュールに記載しているようなことを、たぶん、するのだろうけれど、

明後日以降のことは、ぼんやりのなか。


摘出手術から3日後、検査の結果、がんが腹部、肺、首に転移

感じたことがない本当の恐怖が降りかかった。

とも 記載されておられます。


死を実感するとき、それまでの、自分の歩みが、吹き飛んでいく。

そんな感覚になることは、確実にあるだろう。


本日現在で、僕には、そのような宣告がされたことはない。

でも、明後日には、有るかもね。

無いよ。

そんなことは、ただの慰め。

それも含めて、包含しつつの、今日を過ごすこととなる。

(本日を全うするかどうかはわかりませんが。)

さあ。バイトにバイクで行きますよ。暑いけどね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


(2023.7.23日経の春秋)では、

作家の立原白秋は魚を好んだ。

アジなら釣ったものと、網でとったものの風味の差までかぎわけた

カツオは切って30分たてばもう「まずい」。

魚屋で売っている片身は「あれなど味がないといってよいだろう」と散々だ。

などとありました。


相当に、

違いが分かる男

 ダバダー ダーダバダー♬

(古いなー。)

とでもいうところでしょうか。

それに比べれば、

当方、何段ものレベルの格下。


ただ、まあ、

例えば、ゴーヤーであれば、柔らかくなったものはどうもね。

参考:ゴーヤーまるかじり(おもしー8)

今年も、いただいています。

昨日のお昼も、丸ごとのまるかじりで、種を口から出しながら。

来ていた子供さんが、「苦くない?」

まあ、まあ。

少しぐらいの苦みは、食べ合わせる物との間で、心地いい。

これとあっちの、個々のゴーヤーの風味の違いも、

色合いなども含めて、だいたい判る。

けっこう食べてきたものんなあ。

立原さんも、魚が好きで、相当食べておられたから、違いに敏感だったのだろうなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


7月23日(日)に放映されたNHKの「どうする家康」のなかの、

家康のセリフに

「情けないが、・・・ 決断できぬ。

これまで精一杯準備してきたが、今の儂には到底成し遂げられん。

無謀なことをして皆を危険にさらすわけにもいかん。

全ては・・・全ては、我が未熟さ。 すまぬ。」


おもわず、記録してしまいましたので、ここに記しました。


人生そんなことばかり。

手が届きそうながらも、

果たして、手を出していいのか。

立ち向かっていいのか。

自らのほぼ全てを懸けることとなる。

関係者に、多大な迷惑をかけてしまう。

神君と、呼ばれることとなっている家康。

市井の民も、決断をするときはある。

その、ほとんどは、あの時こうしておけばよかった。

そんなことは、後のお祭り。

どうする? 僕。どうする?あなた様。

今がその時ですら気づかずに、時を虚しく過ごす。

気付くかどうかは、どれだけ準備がなされているかどうかで、決まる。

その深さ、皆の納得。

その上で、決断を見送る。


家臣たちは、口々に

「いずれ、必ず。」と意を同じくする。


史の実かどうかは関係ない。

そこを通して自分(僕)の生きざまを見る。


改めて、徳川家康の生涯を見ると、

元和2年(1616年)4月17日巳の刻(現在の午前10時ごろ)、

満73歳4か月でお亡くなりだそうで、胃癌説が主流だそうです。

その前年、

慶長20年(1615年)5月8日、秀頼と淀殿、側近らを自害せしめ、豊臣宗家の滅亡で、後顧の憂いを排した。


どの時点が、本人にとって、(必ずを)成し遂げたと感じられたかは知らず。


『東照宮御実記』では、2首が辞世の句。

「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」

「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」


辞世の句を詠む学はないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


先日、自宅のはす向かいあたりで、建前されていました。

図書館の帰りに、歩車道の縁石に足を置いて、自転車にまたがったまま、少し見学。

パインと呼んだ方がいいような松の強い香り。

控えめな杉材の香り。

それ以外の材もあるのかもしれませんが、

木造軸組工法です。

杉材は柱で、松は梁。

クレーンで頭上高く上げられた、たくましそうな梁材が、

す、すー、と、半分ぐらいまで、吸い込まれ、その後に、掛矢 (カケヤ)で叩かれて、沈み込んでいく。

乾燥されている材で、正確にプレカットされているのでしょう。

最初の辺りの、す、すー、が、印象的でした。

掛矢の叩きも数回で済んでいる。

大工さんの技術も高いのでしょう。

その後は、ボルトナットで固定されていた模様。

木組みで嵌めることは、あまりないような。

そんな感じの、今どきの木造建築。

でも、たぶん、耐震性能も、相当高いのでしょう。


町内会はお隣となりますが、

ご近所ということになりますので、

施主の方には、よろしくお付き合いお願いいたします。


有難いことなのでしょう。

長いこと空き地であった場所に、

(使われていた記憶がないので、半世紀以上は、だいたい空き地で、

柿の実を取ったり、ボール遊びをしたり、ヤギが繋がれていたり、

酒蔵の大きな木桶が並んでいたり、していた土地に、)

新築される方があるなんて。


ありのままでいられる家を持っている人は、心が安定していると言われています。

どうか、

施主の方が、「心のパンツ」を脱げる家でくつろいでいいただけますよう、

よく知らないお方のようですけれども、

そう願っています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


日常的に多く食するものを主食と呼ぶならば、

最近の、僕の、主食のひとつは、ヨーグルト。

牛乳から、自分で作っている。

砂糖など、添加するものは入れない。

この暑い季節、バイトからの帰宅時に、お風呂上りに、冷たいヨーグルト。

ほっとする。

食後の食事量の調整のためにも丁度いい。

(子供の頃とは違って、牛乳のままでは、腹を下すようになってしまっております。)


さて、

そのヨーグルトの原料とする牛乳の記事がありました。

「牛乳、アジア輸出に活路」(2023.7.18日経)では、

乳業大手が牛乳の輸出拡大に動いている。

雪印メグミルクは賞味期限が91日間(通常は15日程度)のロングライフと呼ぶ製法で作った「北海道牛乳」をシンガポールや台湾、香港、パラオの4カ国・地域に輸出している。タイにも新たに販路を広げる計画だ。

常温保存できるため冷蔵で輸送する必要ががない。

シンガポールでは、1㍑で1本500~600円ほど。

200~300円という現地メーカーの牛乳より価格が高いが消費者に支持されている。

よつ葉乳業はシンガポール向けの輸出額を年2割ずつ増やす計画

などとありました。


ん!よつ葉乳業さん。

なんと。


僕のヨーグルトの原料の牛乳は、地元スーパーでの購入でしたが、

コストコに行った時に、それほど高くないようだし(1本当たり250円ぐらいだったかな?)、高品質でおいしいと思っているし、冷蔵庫に入れなくてもいいので、箱買いさせていただいているのが、

よつ葉さんの特選北海道牛乳です。

ちかじか、友人と行くことになってしまっていますけれど、

そろそろ自宅在庫も尽きるので、2箱ぐらい購入させていただこうかなあ。


それにしても、

1㍑1本500円は、ちょっと手が出ません。

シンガポールの皆さんの購買力はすごいですなあ。

それを求めて、乳業大手が動いておられることも、当然のことなのでしょう。

でも、

どうか、

日本国内では、現在の相場での推移でありますように。

週に3・4本を食べさせていただいております、小さな消費者より。

(21日に6月の消費者物価指数が発表され、

前年同月比で3.3%上昇。伸び率は2カ月ぶりに拡大した。

とありました。

物価は上がっていくなあ。

そして日銀さんの政策金利も。)

モノは高く売れるところを求めてさまよいゆく。

そのひとつが、牛乳輸出。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


うーん。

やっぱりそうだよなあ。


子どもが高校までの養育費や学費は、日常の支出と何とかとらえて、

その後の学費・生活費は、準備しようとして、なんとか造った。

その額は、1人千万。

(期末手当もほぼ貯蓄に廻していたなあ。勿論のように。

それ以外に奨学金も借りてもらいましたが。)

2人の子どもに準備したけれども、それ以上の貯えをできる自信も無く、

子どもは二人まで。


そんなふうに考えられているご家庭も相当あると思っています。

それだから、次の記事に、冒頭のように感じた次第。


「第3子以降 一時金1000万円に」(2023.7.9産経)に、

さらに一人でも多く産んでもらう「有配偶出生数」を引き上げることに資源を集中すべき

第3子以降は1人当たり1千万円を出すくらいの覚悟は持つべき

1人1千万円の一時金を出す場合、第3子以降が40万人増えると新たに約40兆円が必要

などとありました。


それぐらいのインパクトがなければ、人の心は動かない。

関連:3兆円台半ば(おもしー329)


勿論、お金だけじゃあないけどね。

ただ、

ヒトとは、今日を噛み締めて生きるだけで精一杯の生き物である部分もとても大きい。

今の政府にも期待はできませんねえ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


何しているのか気にも留めていませんでしたが、

「カードでいっぱいだ。」

「レシートばっかり。」

「大したことない。」

などと言われて、

こちらを見て「えへへ。」

長財布のジッパーを閉めていた。


唖然として、声が出ませんでした。

あーあ。

僕は、何が起こっているのか即座に理解できず、即断即決できないことを思い知らされた。

いつも、

何故そんなことをするのだろうから、思考を開始するので、何らかの反応をするまでに、とても時間がかかる。


なにって、

置いてある他人の財布のジッパーを開けて、中身を確認されていた。

(確認にとどまっていると思うけれど、当初、何をしているのか見てもいなかったので自信はない。)

そこにいたのは、僕とその人だけ。

(その時、僕は、何か読んでいたような。)

財布の所有者は、屋外で知人と懇談中。


日時と場所は、 ですので、昔話ではなくこの前のこと。


たぶん、何方様も、

家族の財布でさえ、開けるなんて、憚られる。

なにかの必要があった時に、本人の要請などに基づいて開ける。

まして、他人様の財布なんて、なるべく近づきたくもない。

かつて、なにかの忘れ物で、お財布があった時に、

どなたかと一緒に開けて、所有者確認をしようとしたけれど、

何が入っているかよりも、

ともかく所有者の確認できそうなものの所在を、

しかたなく、探った。

とても、嫌な思いだったことを、憶えている。

一般的にはそんなところでは。


だから、

どうしてそんなことをされたのだろう。

たぶん、

御自分が社会的にあまり認められていない自覚があり、

年齢が下の方で、自分よりも下に見たい人がいたときに、

その証明として、その人の財産などを端的に示すものとして、

財布(長財布には、結構いろいろ入りますから)の中身を見てみたい、

(そんなもの見たって、限られたその時だけの情報しかないのに、)

そして、(紙幣などがあまり入っていないことで)

「大したことない。」

クレジットカード(信用力)に特別なものも無いようなことで、

安心?する。

それにしても。


どうも、そんな感じを受けますですけれど、

そんなことしてはいけません。

(とても、遅きに失していますが。)

やめなさい。

(今度、遭ったら、そう言います。)


僕にも、

何方様よりも、優位な立場でありたい。

そんな気持ちは当然にある。

しかし、

どんな立場なのかは、社会は勝手に決める。

そんなことに、振り回されたくないので、

最近は、それで?といった受け止めをしている。


しかし、

世の中には、いろんな方がおられるなあ。

他人の財布を、第3者の前で、勝手に開けて中身を確認する。

書籍やTVの犯罪の場面じゃないけれど、

そんなこと、生まれて初めて遭遇した。

(僕も、甘い甘い、おめでたい人生を歩んでいるなあ。)

もしかして、

僕の財布も、置いていたことも無きにしも非ず、もう既に開けられている?

(みたいなら、見られても特段のことはないので、見ればいいけれど、)

それこそ、

「大したことない。」

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


(2023.7.19日経の春秋)では、

熱中症による死者は2022年までの5年間の平均で1295人。

平成の初めまでは100人に満たぬ年が多かったから、

なにやらタガが外れた格好なのだ。

ありました。


かつて、戦争の戦死者数を上回る勢いの死者数増から交通戦争と呼ばれていて、

1988年(昭和63年)には1万人を超える死者(第二次交通戦争)があった。

昭和は1989年(昭和64年)1月7日までなので、

春秋記載の平成の初めあたりのようなもの。

その当時は、交通事故死者数が1万人、

熱中症死者数は、その100分の1の100人ほど。

ということのよう。


一昨年、2021年の交通事故死者数は3536人

その前の年、令和2年中(2020年)は2839人。

(警察庁が1948年(昭和23年)に統計を開始して以降、最小の交通事故死者数。初めて3000人を下まわった。)そうです。


なにか、不穏な感じ。

交通事故の死亡者は、勿論、減少させたいし、衝突軽減などのサポート技術も進展し、かつ、普及している。

最小の交通事故死亡者数の毎年更新を願う。

一方で、

地表面を覆う暑い空気は、

人間の、対策を行おうとする力よりも、従来の延長で行こうとする力のほうが強く、

いわゆるところの温暖化対策は深まれないでいる。

僕(64歳)の個体の生命存続中にその効果が表れるかは期待薄。

もっとも、

熱中症発症の原因は、空気の温度だけではないと思っている。

生活習慣病を中心とした、慢性疾患の常態化。

それが、本当の意味での、主原因ではないのかなと、僕は思う。

関連:熱中症・血栓症と血圧(おもしー359)

関連:霍乱(かくらん)(おもしー371)


ともあれ、

大気の温度が、人の死亡に直接つながっている。

熱中症戦争、熱空気戦争などなのか知らないけれど、

タガが外れようが、

ともかく、

なになに戦争などと呼ばざるを得ないようなことに至ってほしくない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「育たぬ起業家、在留資格も壁」(2023.7.17日経)のなかで、

ユニコーン(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)は

米国638社、中国173社に対し、日本は6社にとどまる。

米国のユニコーン企業のうち移民が創業したのは54.8%を占める。

創業者や重要なリーダー職で移民が1人以上いる企業は約8割に上る

などとありました。


記事にあるとおり、

日本の国内制度が壁になっていることは事実なのでしょうけれども、

それ以上に、

移民受け入れは、その国の活力を造成・維持しているなあと感じました。


移民を希望なされるのは、

元のお国よりも魅力的に見ているから。

その差が大きいと思われているのであれば、

その力はさらに強くなる。

勿論、そういった差の実感だけではないことは承知の上で、そういった面はとても大きい と 思います。


かつて、日本国も、

棄民政策とまで呼ばれることにもなった部分も含めて

他国への移民が奨励されていた時期があった。

近年、働きやすさや待遇の倍増などに魅力を感じられて、海外に職を求められる方もある。

関連:3人に2人は女性(おもしー334)

いろいろな労働環境にお立ちの皆様にも、

できるだけ、好きなこと、熱中できることに励んでいただきたい。

そのなかの100分の1でも、万分の1でも、企業することが出来ていけばとてもいい。

関連:半官半X (おもしー367)


起業し経営が軌道に乗るということは、

その企てが、その時の世の中に求められていて受け入れられていくということで、

企てる側も、求める側も、共により良くなる。

そう思っています。

より多様な観点や目線を大事にしたい。


日本国内の制度改善は、たぶん、遅々として進まない。

下っているエレベーターに後ろ前に立ち、

登っているエレベーターに乗っている人の背中を、他人事のように横目で見ているようなイメージ。

正面からもっと現実を直視し自分ごととして認めていかなければ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうか。

いままで、あまり、すっきりしていなかったけれど、

そういうことなら、すとんと腑に落ちる。

鬼の霍乱 という言葉です。


(2023.7.13産経のコラム「産経抄」)では、

幕末の江戸の住民も猛暑を経験

当時、すでに熱中症の存在は知られており、

中暑や霍乱という言葉が当てられていた。

シーボルトが「日本のアリストテレス」と評した貝原益軒が、

健康指南の書『養生訓』で警告している。

「夏月、もっとも保養すべし」

などとありました。


鬼の霍乱は、ふだん非常に丈夫な人が、めずらしく病気にかかることのたとえで、

日射病や暑気あたり、つまり、熱中症のときにも使われてきたということなら、

丈夫な時とオーバーヒートの時との落差が激しくて、鬼の と いいたくなる気持ちにもなる。

それだけ、猛暑は過酷で、暑気あたり(熱中症)にもなる。

だから、鬼の霍乱 ですね。

関連:熱中症・血栓症と血圧(おもしー359)


一昨日の稽古。

何かが足の甲に落ちてきた。

道着の袖からぽたりぽたり。

汗でした。

道着の上は、透明感が出るほど、ぐっしょぐしょ。

突きを出すたびに、汗が向こうに飛んでいく。

下も、後から着替えるときは、パンツが丸見えの感じで、ぐっしょぐしょ。

素足の稽古中、足を伝って、汗が体育館の床を濡らす。

滑るので、何回も、モップで拭き取る。

何度も、何度も行う水分補給。

少し潤ったと思ったら、びっくりするほどの流れが目の前や頬を伝う。

屋内ですらそうなので、

屋外での作業をなされておられる方々のご苦労や心労、心身の疲弊はいかばかりか。

このあたりでは、まだ、35度以上までにはなっていないような。

これから、夏本番。

何方様も、

「夏月、もっとも保養すべし」

鬼様でなくても、

霍乱、中暑の予防のためにも、血液の流れに特に配慮すべきかと。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


相も変わらず、

日本国内への金塊の密輸事件が後を絶ちません。

海外から原価で購入し、日本国内に密輸入したうえで、消費税分のプラスを得ようとして売却する。

その量は、日本の輸出入のいびつな総量の差から推察できる。

彼らの目的は、僕たちが納税している消費税を奪うことです。

こんなことこそ、早急といっていいと思いますが、税制改正を急ぐべきなのに、政府の怠慢です。


「8億円の金塊密輸未遂」(2023.7.12日経)では、

タイから金塊105個(計105㌔、時価8億円相当)を密輸しようとして 逮捕した。

コンゴ民主共和国の名誉領事と称した事実とは違う旅券を所持

この旅券を示して税関の手荷物検査を免れていた

これまでに複数回日本に密輸していた疑い

などとありました。


氷山の一角。

摘発していただけた関係者の皆様には感謝しつつも、

それは、ほんの一部。

だと思っています。

犯罪者たちは、ダメ元で、繰り返している。

コスパがいいからです。

以前にもどこかで書いたけれど、

全て没収、いや、何倍もの賠償金を課したり、

とても重い量刑にしたり そんなこともするべき。

いくらかの改善は行っているようだけれども、

後を絶たないことが、うまみの存在を証明している。


どうして、気持ちよく納税させないようにさせないように、

逆なでしようとばかりするのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


暑いです。

昨日、バイト先の20代の女性が、

海につかりたいです と 言っていました。

僕も、勿論、同意見。

小中学校の夏休みは、ずっと行っていました。


でも、

「海水浴場 開設できない」(2023.7.7日本海)では、

県内11カ所ある海水浴場のうち、開設するのは昨年より少ない7カ所にとどまる。

浸食の進んだ砂浜を回復させる県の事業が今春の統一地方選挙の影響でずれ込んだため、やむなく今年は海水浴場の開設を見送った。

ありました。


記事によれば、開設できない理由には、

利用者の減少、監視員の確保、サメよけの網の更新、水難事故発生時の責任問題などあるようですので、

何もなくとも開設は難しい。

それに加えて、県事業のずれ込みとは。

呆れてモノが言えない。

統一地方選挙の影響を理由にできるのですか、鳥取県さん?


ただでさえ、海水浴場開設にはハードルが高くなっている。

その足をさらに引っ張る県事業の遅れ?

そんなことあっていいのですか。

まるで、

盆の時期の離岸流により足が引っ張られて沖合に流される海難事故の人災バージョンみたい。


たぶん、どの県議会議員さんも問題にしないでしょう。

お支払いしている税金の、納税意欲は、ますます落ちていく。


県事業の遅れでやむなく見送った

そんなフレーズは、聞きたくない。

勿論、県でなくとも、市町村でも、国でも同じ事。

議会さん、行政さん。

少なくとも、民の足を引っ張らないようにしてください。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


一昨日の大雨。

朝、バイト通勤のために早く出発したものの、

いつもの地域高規格道路は、通行止め。

在来の元の一桁国道の峠道は、至るところで、山側からの側溝を溢れた濁流が大きく横断。

雪ではないけれども、

こんな時は、駆動輪を4輪として、水深を伺いつつ、慎重に通過。

峠道から下を見ると、通行止めになっている地域高規格道路の一部が水没していて、その中に車両が止まっており、そこに行こうとしているのか、峠道の途中に、救急車両が停車していて、隊員さんが2名、どうしたら至れるのか、どうして近づこうか、徒歩なのか、でも、ストレッチャーを降ろされているので、至れる道があるのやら、

などと、思いながら、申し訳なくも、通り過ぎさせていただきました。

なんとか、就業時刻には間に合いました。


「塩分こす膜 飲める「海水」へ」(2023.7.2読売)では、

地球の水のうち97.5%は海水

2.5%は淡水だが、多くは北極・南極の氷だったり地中深くにあったりして、

実際に使えるのは0.01%にすぎない。

海水から塩分を取り除き、淡水に変える技術

「蒸発法」と「逆浸透法」の二つに大別

逆浸透法は、水分子が通過できる、直径1ナノ・メートル(ナノは10億分の1)より小さい微細な穴が開いた「逆浸透膜(RO膜)」を使う。

水分子はRO膜を通るが、塩分は通ることができない。

昨年はアラブ首長国連邦(UAE)の大型の海水淡水化プラントで同社(東レ)のRO膜が採用された

などとありましたが、


海を水源とする雨。

地球の自然は、「蒸発法」で海水から淡水を当たり前のように作る。

周囲を海で囲まれた島国は、季節により、風向きが変わっても、

風上に、暖かい表面温度を持つ海があれば、水分が風下の地上に落ちてくる。

窒素と酸素が、その構成をほぼ占める空気と呼ばれる気体の動きはとても気まぐれ。

水蒸気と呼ぶ水分を取り込み、右に左に、遠くまで、運び、落としていく。


あの峠道の道路横断をしていた濁流の水量は、

地球の淡水が0.01%のなかで、

さらにナノが使えるほど 分の1 なのだろうなあ。

自然の普通の前で、ヒトの個体はとても小さいもの。


梅雨の末期は、停滞前線に、西からの湿った空気の流入が大きく、

豪雨災害が起こりやすい。

上下動を繰り返しながら、停滞しているような前線も、しだいに、北上していく。

このあたりの実質的な梅雨明けは近い。

さあ、明日の日曜日は、晴れの予報。何しようかなあ。

(本日も、曇りのち晴れの予報ですが、バイトなので。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうだろ。

そうこなくっちゃー。


「町職員 地元産業担い手に」(2023.7.1産経)では、

島根県の隠岐諸島に位置する海士町は令和3年から「半官半X」というユニークな働き方を導入している。

職員が公務の傍ら、イカ釣り漁やホテルの事務といった「X」の仕事を手がける。

「それでは今までの働き方と変わらない」。もやもやを抱えていた時、

地域の役に立つなら仕事は何でもよい

島の診療所や福祉施設で週2、3日働き、残りは畜産のほか工場で岩ガキやナマコの出荷などに従事

などとありました。


イベント嫌いです。

ひと時の臨時の盛り上がりにあまり期待をしません。

時々、どこかの組織に、外部から来ていただいて、数年、目新しいことを行い、カンフル注射のように業績を上げて、去って行かれる方があります。

これも、全く信用できません。

続かないんです。

続けられないんです。

いっとき力の継続は無理で、その後は、その前よりも、たいがい、落ち込んでしまう。

それが解かっているから、(見計らって、)去って行かれる。


でも、町職員はそうしない。

少なくとも20年30年はその職場にいるつもりの方が大半(だと思っています。)

町職員志望者もそのように考える方が多い。


町の職員を希望なされる方は、跡取りさんが多い。

長男さんや長女さん。

真面目なんです。

仕事として町職員を希望するというよりは、自宅近くの安定収入確保の比率のほうが高いと思っています。

だから、与えられた仕事には、真面目に、取り組もうとする。


でも、

仕事への努力はもちろんするけれども、同様なことを好きで熱中されている方にはかなわないんですねえ。

だから、

お役所仕事などと言われることもある。


そんな、長男さんや長女さんだって、好きなことはあるはずです。

安定的な収入で生活の確保を行いつつも、

好きなことへも注力できる。

好きなことをやっていれば、今どきですから、自然と、SNSやらHPやら、自発的に発信してしまう。

それが、地域のためになり、

本人が希望するのであれば、

「半官半X」

なんの問題があるのでしょう。

しかも、職員さんですから、少なくとも、数十年間は関わることとなる。

無責任ではありません。

やっているうちに、好きなことが変わってくることもあるでしょう。

それでも、長い期間関わり続ける。

腰掛的に、去って行く方は少ない。そう思います。


冒頭の記事では、

町外からの移住による職員採用のことが中心に記載されていましたが、

本質は、そこに住む職員全員に関係することであり、

全員野球のような。

田舎の暮らしとは、そもそもそんな感じ。

何でもしてみよう。

そのなかに、生活収入の確保手段を用意していますよ。

そんな具合にできればもっといい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


なんとも。

大きな名前をタイトルにしましたが、

そう書いてあったのだから、流用させていただきました。


「「海賊」出光、次は空に懸け」(2023.7.12日経)のなかで、

生き残りを懸けて、会社を作り替えようとしている。

乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負で、荒波を乗り越えられるか。

1月、出光で次世代燃料を担当する 課長はチリの最南端まで出向き、世界初の合成燃料の生産プラントを持つHIFグローバルの幹部と向き合った。

(関連:送電網(おもしー319)

航空業界が2050年にCO2の排出量実質ゼロを達成するためには、世界のジェット燃料の9割の4.5億キロリットルを再生航空燃料(SAF)にする必要がある。

出光の燃料油の販売量は年約3500万キロリットル。

北海道製油所で20年代後半までに自前で合成燃料の生産を目指す。

出光のガソリン販売のシェアは3割と、5割を持つENEOSとの差が大きい。

創業者の出光佐三氏は業界のしがらみを無視して事業を拡大する姿から「海賊」と呼ばれた。

などとありました。


「海賊」(の流れを受け継ぐ方も含めて)さんが、

脱炭素時代への荒波を乗り越えるため、

日経新聞が書く、乾坤一擲の大勝負で生き残りを懸ける。


NHKさんの大河ドラマ「どうする家康」ではないけれど、

「どうする出光」である場合、打って出る処方、いや、飛躍への足がかりが、

記載にあった、1兆円の巨額投資。


勿論、同社の先行きは、誰にもわかりません。

市場はどう見ているのか。

出光興産㈱の株価を10年チャートで見ると、

2016年1600円ほど、2018年6000円あたり、2023年のこのごろは3000円前後で、特段の上下動とまでは言えないような。様子見のような。


しかし、

「海賊」、しがらみを無視、生き残りを懸ける

なにか、血が騒ぐ。

挑戦して、成し遂げるところまで至れることはとても少ない。

こんな、会社、事業体も、あるんだ。

かっこいい。

出光さんのことをあまり知りませんでしたが、応援したい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


一昨日だったか、

市内の金融機関に徒歩で向かっているところ、

歩道上に、紙片が落ちていて、近づくと短冊でありました。


なにか書かれています。

「彼氏を作る。」


「七夕の楽しみ」(2023.7.6産経の朝晴れエッセー)に、

笹に短冊を飾る風習は江戸時代以降に庶民に広まったらしい。

とありました。


先に書いた、

「彼氏を作る。」は、

そう書いてあるけれども、正確ではありません。

正確には「彼氏を作る。」の

 を作る。に二重線が引かれ、その下に、ができますように。と 少しつたないような字で訂正されていました。


何歳ぐらいの女の子が書かれたのか。

牽牛と織姫様、彦星と織り姫様と言ったほうがいいのかもしれませんが、

お二人は、年に1度しかお会いできないとのことですが、

どうか、地上にいるこの女の子の願いをかなえていただきたく。

漢字も書ける年齢のようですが、

書き直して、少し、しおらしくなされてもおりますので、

この、爺からも、お願いいたします。

それとも、

笹から短冊が離れたということは、もう既に、

ちゃんと聞いたよ。少し待ってね。

そう解釈してよろしいでしょうか。

そう思いたいなあ。

僕も、遅まきながら、心の短冊に書くか。

でも、今年の、七夕も終わりました。

いやいや、

仙台に行けば、8月6~8日の間されているようですが、

この文月も、半分近くが終わろうとしている。


落ちていた短冊を見て、

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


3月生まれの生徒が入学した高校の偏差値は、同じ学年の4月生まれより4.5低い。

30~34歳の所得を比較した先行研究によると、早生まれのほうが約4%低い

どの学年、どの教科でも、先に生まれた子ほど成績が良い傾向

学力差そのものは学年が上がるごとに縮まっていた。

「感情をコントロールする力」や「他人と良い関係を築く力」といった非認知能力の差が、学年が上がっても縮まらないこともポイント

保護者が自分の子どもに何らかの遅れを感じて塾が優先され、非認知能力を伸ばすとされるスポーツや芸術系の習い事はしなくなる

中学3年生の早生まれの生徒は、学習や読書の時間、通塾率がいずれも高い

一方、スポーツや外遊び、美術や音楽に費やす時間は少なかった。

非認知能力を伸ばす活動の不足が、大人になってからの所得差につながっている可能性

などと、

「早生まれは損?」(2023.7.2朝日)にありました。


勿論、

記載中にあるとおり、

早生まれでも優秀な方もおられる といった 個別事例の話ではなく

統計学的事実 に 基づいての記載 ということだそうです。


そりゃあ、どう考えても、

同学年で、4月生まれと3月生まれでは、

体も、体の中にある神経細胞の塊である脳と呼ばれるところも、ある時を輪切りにしたときに、同じであるはずがない。

その差を、面白くないけれども、偏差値というものを用いて数値化すると4.5%の差と言われている。

これは相当ですよ。

僕にとって、遥か昔、受験生の頃、勝手に、偏差値5%の壁と言っていて、それだけ学力が向上してくれれば、希望の進路に行けるのに、などと、思い悩むも、大した努力を行わないままでありました。

学年が上がるごとに縮まる と書かれていますが、頑張られているのでしょう。

その頑張りの代償が、クラブ活動などの退部につながることもある

そして、その結果が、

成人してからの、所得に 統計学的事実として 表れている。

なにか、悲しいなあ。


どこかで線を引かねばならぬ。

集団的に何かをするためには、学年なり、年齢なり、体重なり。

線を引けば、その間際の辺りは、有利不利が、どうしてもできる。

すべて、個別で行うことは、この人間社会では無理。

学習だって、すべて、ヘレン・ケラーさんのサリバン先生のようにはできない。


僕が懸念するのは、

その子自身にとって、

学力などの差を、早生まれを理由にしたくない気持ちがあって、

そのことを、自身の努力の不足だと、あまり、自分を追い詰めることがあるのであれば、

それは、悲しいことだと思う。

仕方のない部分だってあるんだと、なんとか思ってもらえないか。

難しいなあ。


統計に基づき「不利と配慮」論じよう と 東京大学大学院の教授様は論じておられるけれど、

論じたって仕方ないから 得を感じた4月生まれに 妊娠時期を調整した とする 保護者の皆様。


僕は、11月後半生まれなので、早生まれではないながらも、

今考えると、体も、知能も、他者との関係も、いつも遅れ気味のような感覚を持っていたかもしれない。

早生まれの方は、もっと感じておられるのかも。


学生の時期を過ぎたとしても、そのような、負い目ではなくとも、

遅れ気味であった感覚があるならば、それは、大人になっても、続くことも多いのでは。

そんな、呪縛のようなことは、

何方様も、少しずつ、ときほどいておられるのでしょう。

そう思うようにしたい。心の呪縛は様々ある。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


背後には乱世が。眼前には泰平が。


3日ぐらいで527頁の「幸村を討て」(今村翔吾さん、2022、3月初版)を、地元の図書館からお借りして、読ませていただきました。


最初の辺りはどうなるのかと感じつつも、読み熟(こな)せないままに、終わってしまいました。

少し時間を置いて、再読したい。

(古本屋さんで、探してみます。)


今村さんに興味を持ったのは、

現在進行形の朝日新聞の連載小説「人よ、花よ」からです。

そこには、

「命運を大きく左右するような気がしてならない。何もせずに悔いることとなるならば、動いて悔いたほうが余程いい。」

ともありました。


昨日、空手の練習中に、

よく近寄ってきてくれる少年が、

「汗が飛んできた。」と言っていました。

胴着の透明感が出るほど、こちとら、ずぶ濡れのような汗。

どうも、動きを早くしていたところ、どこかの端から近くの彼に飛んで行った模様。

「杉村さんも、水分取ってください。」と

それを聞いた、身近な、お母さんに心配をおかけした始末。

我に返って、コストコで購入したアミノバイタルの飲料を、ごくり。

ぬるくなっているけれど、そして、ごくり。


動けば何かが変わってくる。

それが、どのような動きであろうとも。

動けることをしていけば、どこかで何かが変わってくる。


個々の命においては、

いつだって、乱世のような。そんなところもあると思っている現世。

その個体において、眼前の泰平は、その時の夢幻しかもしれないけれど、

ひと時の安寧を求める。


そのためには、

やはり、

動くこと。

どうせ、いつだって悔いてしまうのだから。

阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」


下手でいい。

下手がいい。

自分でするところに意味がある。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


アイコンタクトは結構大事だと思っています。


僕が、日常的に行っているアイコンタクトは、

バイクにおいて、

特に、ファスナー合流(ジッパー合流)する際、

本線に合流するときなどのことですね、

ウインカーは、当然、事前に、右側を点灯させ、バックミラーで後方車両を確認したうえで、首をひねり、直接、右後ろを直視する。

(直視する時と同時の)

その時、

(たいていは、本線走行中の後方車両の運転手さんは、近寄ってくる邪魔なモノ(バイク)が来たなと思って、その瞬時はこちらを見ている。)

まさにその時に、

僕は、その人の目を見て、少し頭を下げる。

ほんのコクと。

(コクンとまですると、時間がかかりすぎる。)

実際には、当方、ヘルメットのサングラスをしていたりするので、こちらの目はみていただけていないと思うけれども、

それなりのアイコンタクトができていると思っている。

気持ち、アクセルを少し戻されて減速(というほどではなくとも)して、合流しやすくしてくれるような車両もある。

入らせまいとして、車間距離を詰めようとする車両もあるので、

後方車両との距離が大きくなくて、安全でないときは、こちらが減速して、先に行ってもらう。


この一連の流れは、

本線に合流し、車線が無くなる方側の車線は、直線よりもカーブのことのほうが多い。

だから、

バイクの場合、左カーブなので、目線は、カーブの先であるより左側を向いていて、車体も体も左側に倒している。

そんな時での、右側後方への振り返りなので、

体がよじれる。

(これが少し気持ちいい。ストレッチみたい。)


合流しようとする本線の車間距離を確認したうえで、本線の先行車両後方に合流し、ハザードを点けて、合流させてくれて後方車両となってしまった運転手さんに謝意を表したのちに、合流後の走行車線に移動し、後方車両となった方が、先を急がれるならば追い越し車線で追い越していただく。ようにしている。


このアイコンタクトのようなことは、4輪どうしでは難しい。

合流のような場合、互いに直視しにくいから、ミラーを介してすることもあるけれど、ほんのわずか。

ミラーを介すると、なにか、のぞき見している、されているようで、互いに気持ち悪いし。

だから、4輪どうしの場合は車両の確認に留まることがだいたい。

バイクとのアイコンタクトのような行為を、好ましいと感じていただける方もあるのではと、少し思ってみたりして。


さて、

こんなことを書き連ねたのは、

「あいさつしないと注意された アイコンタクトが重要」(2023.7.8日経のマナーのツボ)に、

ポイントは相手のほうを向いて、一瞬でいいので目を合わせ「今日もよろしくお願いします」と軽く頭を下げること。

一歩足を踏み出してみると目が合うはずです。こうして自分の気持ちを伝えてみてください。

などとありましたので、

場面も違うし、ケースも異なるのだろうけれど、

記載にあるあいさつと道路上での互いの意思疎通にも、当然に共通事項はある。

規則正しく1台ずつ交互に合流していくファスナー合流、

あいさつをして職場という人の流れや動きの中に入っていくこと、

そう書くと、よく似ているような。


ファスナー合流が苦手で、信号機のある交差点を利用するという方もある。

あいさつが苦手で、誤解を生じさせてしまう方もあると思う。

時には、身をよじり、流れに合わせようとすることも大事なこと。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


新たな環境に慣れるのに通常、約3か月必要とされる。

「環境適応には息継ぎが大切」(2023.6.17日経の元気の処方箋)にありました。

続いて、

1カ月目は新たな環境に身を置き情報過多になる時期。

2カ月目に入ると情報の濃淡が分かるようになってくる。

1カ月目には多くの情報が同じように見えていたのが、注力すべきことやそうでないものの優先順位を付けられるようになっていく。力の入れ具合を調整できるため、過ごしやすくなる。

3カ月目は「少し先」を見通せる感覚も備わる時期。

本当は先のことは分からないのだが、今を安全・安心に過ごせている感覚があると、この先も大丈夫そうだと感じる。「適応」が完了した状態

などとありました。


いろんなことが、よくわからない状態のまま目の前にある就職など。

自分が、具体的に、何を行えばいいのか。

それが、全体の中で、どのような位置づけになり、どうゆう役割を果たしていくのか。

少しずつ、慣れて言って欲しい。


何歳になっても、新たな環境では、同様なことを繰り返す。

経験が補助してくれる部分もあるけれど、当然なことだと思っている。


最後のところで、

慌てず「数カ月かけて慣れよう」

とあるとおり、

通常は3カ月などということは、少し横において、

人は、仮に、2か月で慣れているように横目で見えても、

人は人、自分は自分。

4カ月だろうが、それ以上だろうが、1年だって、2年だって、

これも、当然にあり得ること。

続けていくことができれば、アレ、少しできたかな そんな時が来るよ。

そう思う。


昨日、小暑で、23日は大暑。ますます暑くなってくる。

自然環境の変化は、日々のこと。

雨も降る。・・・・。

前線だって、停滞前線という名前で、動かないような名付けもありますれば。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


語(かた)ることは、所詮(しょせん)、騙(かた)ること。

(2023.7.1朝日の連載小説「暦のしずく」)の中にありました。


僕のアンテナが低いためなのでしょうけれども、

最近、新聞を読んでも、

へー、そうなのか、といった記載になかなか出会えない。

だいたいは、

それでどうなの?

なんでそうなの?

だからなに?

(理解力・洞察力・知識の無さを笑ってくださいませ。)


そんな時でも、

小説には、

自分にできない言い回しや自由に使い廻せない語彙があり、

作者の日本語能力にも敬服するところ大。

件の小説は沢木耕太郎さんの作であります。


さて、

「騙る」とは、もっともらしく、巧みに話しかけるというような意味であり、

僕の、この「おもし」だって、騙っていることと大差ない。

自分としては、もっともなことだと思っているけれども、

そう思っている僕は、あらゆる面で、底が知れている。

(どちら様も、信用なさらないように。)

ただ、

そのように思っている、そのように解釈している、

そんな人間は確実に居て、

(少なくとも一人は、)

それが多いか少ないかで、世間様の流れが造られている。

そんな部分が大きいのではないかと感じています。

何方様も、申し訳ありませんが、大概は、底が知れているのです。

だから、誰も先のことが解からないで、右往左往してしまう。

真(まこと)の実(みのり)には、なかなかたどり着けないなあ。


本日、七夕。

1年前の7月7日に、この「おもし」を始めさせていただいて、

自分の言葉で、自分の思ってしまったことを、自分の解釈で、自分の頭で整理して

(整理できていないとのご批判もおありでしょうけれど、)

ともかく、

ここに、公にしてきました。

今日が、360で、昨日が359ですので、

始めて少しばかりは、毎日ではなかったなあ。

この間、書いていないことで、紆余曲折も有り、

内職も、プラス、マイナスそれなりにあり、

総じて、実利も含めて、自分のためにはなっている と 思っています。

自分の頭で考え、頭の中で時間を置いでも整理したりすることは、とても大事だと実感します。

そのために一部現わしているものが、この「おもし」でもあり、

当面も続けたい。

ここは、あくまでも、僕の「騙り」でありますが、

これが、僕にとっての、真実に向かおうとしている段取りの一部のようなもの。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「「熱中症?」それ、ひょっとして「血栓症」かも!」(2023.7.4日経の全面広告)に、

夏の血栓症の主な原因は熱中症と同じく脱水

冬に多いイメージの血栓症ですが、実は発症数は夏のほうが多く

めまいや頭痛、吐き気、冷や汗、倦怠感など血栓症の初期症状は熱中症と酷似

血栓症とは。血栓が血管に詰まり酸素や栄養が送られなくなくなること

血栓のできる場所によって脳梗塞、心筋梗塞、肺血栓塞栓症、エコノミークラス症候群などと呼ばれ、

特に重篤な病態を引き起こすこともある脳梗塞、心筋梗塞

血栓症予防においてはナットウキナーゼが有効

全身の血管のうち、90%以上を占めるのが「毛細血管」です。

太さは髪の毛の10分の1ほど

納豆よりもナットウキナーゼ

などとありまして、

広告主さんは、日本ナットウキナーゼ協会さんでした。


空手の練習で、胴着や帯が汗まみれで、重い。

先生は 水分を取りながら と 皆さんに呼びかけていただいている。

僕の体は、ヘロヘロ。

参加者の中での最年長ではないけれど、言われるとおりに、水分補給で、

少年少女達と、熱中症予防。


日本ナットウキナーゼ協会さんの広告内容は、たぶん正しい と 思っている。

サプリメントの摂取はしていないけれど、

朝の食には、薬だと思って、必ず、納豆を加えている。

その効果はよく解からないながらも、頭痛となった記憶が遠い昔のようなので、

その食を止める気はないし、

逆に、欠かすことは、少し怖いような気もしている。

納豆という、安価で、手軽で、その効果があるとされる食品を、日常食すことができていることに感謝いたします。


そして、その結果として、僕が勝手にバロメーターだと思っているものは、血圧。

だいたい 110前後あたりをキープしている。

これぐらいを維持してきているし、これからもそうあれば、

それなりなに、血液サラサラではないのかな?


それと、血液内にべたつくものをなるべく入れない。

べたつくものと言えば、飴玉のようなもの。

血管内にべたっとなれば、息ができなくなって、動脈内部だって傷んで硬くなる。

その生活習慣が多ければ多いほど動脈硬化は進行する。

と 思っています。


梅雨入りが早かったので、早めの梅雨明けなのかなと思っていたけれど、

スーパーが付くエルニーニョ?

関連:スーパーエルニーニョ(おもしー341)

でも、7月20前後には明けるのでしょう。


今年の夏は、基礎体力をつける季節にしようと思っています。

もう少し、蹴りがうまいいかないかなあ。

先輩たちは、かっこいい回し蹴りなどをされています。

あまり糖分の無い水分の補給をしながら行います。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


夏至から半月ほど経っていますが、

朝夕の明るさが、有難いような、体に強いる部分があるような。

太陽が眩しい。

年配になってきた証左なのかなあ。


「近代の根幹 文明の進歩を刻む 時計と時間」(2023.6.24産経)のなかで、

時計によって規律された ライフスタイルは、人類の歴史の中では最近始まったもの

天体のリズムに基づいていた時間を、人工的な時間に変える大転換

朝日が昇ったら起きるのではなく、時計の針が7時を示したら起きる。

そもそも遅刻という概念すらなかった

などとありました。


朝日が昇ろうが、朝日の昇りを拝めようが拝めまいが、

人の作った時計の時刻で、起床しなければならない日々が多い人間の社会。

そう考えただけで、相当に、うんざり。

そこには、太陽も、月も、天候も、気圧も、こちとらの体調も、全く関係なく、

時計の秒針が、冷酷なのか、頼もしくなのか、刻んでくれている。


目覚まし時計を作動させなくなってから、どれほど経つのだろう。

時計に起こされるなんてことはとても嫌。

おそらく、30年ほどは使っていないのかもしれない。

使いたくないから、

(起こされたくないから、)

相当に早寝 で たぶん 30年間?経過?

暗くなったら眠くなる。

なにか、暗くなるような前から、眠たくなってくるような。

だから、

暗いうちに起きてしまう。


でも、

暗いうちが短い季節は調子がちょっと変。

やっぱり、

晩方に、明るさが残っていれば、寝にくいし、

(外の明かりが入って来ないよう、なるべく真っ暗にして寝ています。)

朝方に、早い日差しが入って来れば、どうしても、起きてしまう。

だから、

年配度が昂進しているわが身において、暗いうちが短い季節は、体に強いる部分があるような。


そんな僕でも、目覚ましを使わない生活も含めて、組織に勤めていた時期もありましたが、

おそらく、遅刻は無かったと思っている。

現在のバイトでもそう。

就業前のそれなりの時刻にその就業場所に到達して置く。これは、ほぼ絶対譲れないなあ。

遅刻という概念すらなかった?

譲れないなんて言う僕も、相当に、人間社会のライフスタイルに毒されているのか。


まあ、それは、時刻というよりも、それを使っている人同士の信頼を大事にしようとしている現れかな。


昨夜の就寝時刻は、20時ぐらいだったか?

今朝の起床時刻は、4時ごろでした。

時計なるものを見てみると、そんな時刻という表示をしていました。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


(2023.7.4日経の春秋)に、

脳は使わなくなれば、しだいに機能が低下する。

狩猟採集時代が終わって農耕社会に移った後、ヒトの平均的な脳のサイズは小さくなった。約3000年前のことだ。

大勢がひとところに住み、分業の仕組みを整えることで、私たちは一人一人が高度な知識や技能を持つ必要がなくなった。

狩りのようなマルチタスクをこなしていた頃に発達した脳の機能はやがて失われ、縮んでいった

ありました。


へー。

3000年ほど前でも、そのようなことがあったのですか。

理由を読むと、理解できますが、

他人ごととはあまり思えず、身につまされるような。


この社会、この世の中、自分にできないことばっかり。

できないけれど、

流通している、価値を示しているようなモノである貨幣を使って、

その、自分にできないことのいいとこどりをさせてもらっている。

ますます、僕の脳は、縮小している部分があるのかもしれない。


例えば、

バイク(自分で製造できない。)で、楽しみながら通勤する。

空手(自分で創設できない。)の練習を先生に教えていただきながら、体を動かす。

目前の紙・新聞紙(こんなに均等で薄い紙自体をつくれないし、そこに記されている旬の情報を提供できない。)を見て、ここに、思ってしまったことを記している。

自分のレベルから考えると、ブラックボックス的な、膨大過ぎ、高度過ぎる、人々の分業のうえに日々の生活というものを送らせていただいている。


そんなことから、少しでも、先祖返りと言うか、自分でする部分の復活と言うか、

そんな抗いの具体的な行動のひとつが車中泊であったり山歩きのような気もする。

関連:車中泊(おもしー356)


昨日の昼食に、玉ねぎの茶色の皮を剝き、上と下を小型ナイフで切り落とし、剥いて食べていたところ、

近くのお姉さんが、サバイバルみたいと言っていた。


申し訳ない気持ちもありますが、

この社会のなかの、いいとこどりをさせていただきながらも、

自分で何でもしたいという気持ちも大事にしていきたい。

だから、たぶん、今日も、玉ねぎを剥いたり、ピーマンを齧ると思います。

そして、山歩きも、車中泊も、バイクも、したい時にしていく。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


車中泊を時々してきたし、

(中部地方への山歩きなどで。)

その自由な感じが好きな者として、

(出発・到着の時刻が受け入れ先のご都合に左右されることなく、全く自由なことなど)

そうなのだろうなあと思いました。

世の中には様々な人がいる。


車中泊の団体の方が出しておられたネット記事の中に、

男性は女性にとって、ゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。

「キモいし、得体が知れないし、変に行動力あるし、餓えてるし、力が強いし、距離取りたくても向こうから来るし。」

いうことを示しておられました。


車中泊の移動などで、自由な時間を過ごしていると、

自由度を満喫する分、普段の日常生活から離れていく。

勿論、そんな雰囲気を味わいたいのも、車中泊の魅力の一部なのでしょうけれど、

同様なことをしている人々が、何方様も、同じようなお考えで、その時を過ごされているなんてことは、考えないほうがいい。

そういうこともある と いった程度。


僕は、向うから、話し掛けられない限り、

こちらからは、話し掛けない。

例えば、早朝や朝方の、トイレでの、顔洗いや歯磨きでの少しの間の同じ空間にいるときなど。

また、ベンチがあった時に、夜風に当たっているときなど。


まして、

性別が異なる場合は、

(なるべく見ないようにしているので、わからないこともありますが、)

向う様も単独なのか複数なのかよくわからないし、

ほぼ、全くといっていいほど、すれ違っても声をかけない。

何か落とされたことがあったけれど、その時、落とされましたよ と言ったことだけだったかなあと思っている。


そんな僕でも、どうしても目に入ってくることもある。

なにか、人はそれぞれ。

愉しまれている方ばっかりではない。

奥村チヨさんの「終着駅」ではないけれど、

落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹き溜まり 

だから 今日も一人 明日も一人 涙を捨てに来る

過去から逃げてくる

(相当古いでしょう。1971年12月。半世紀前ですねえ。)

のような感じなのか と 勝手に 思ってみたくなるような方もあるような。

そんなふうに感じてしまうときは、僕が、過去に捕らわれている時だったりして。


そこまでいかなくとも、

少し、過去や、束縛から、一時的にでも逃げたい気持ちをお持ちの方は確実に居られる。

そんな時は、そっとしておいてほしいし、そっとしてさせあげたい。

自分の頭を、ボーとさせて、休息させる時間はとても大事。

それには、いつもの風景ではない時間・空間・場所が、いい時だってあるんです。


車中泊では、周囲にあまり干渉したくないし干渉されたくない。

(これは、そのまま、自分の人生観に繋がったりして?)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


人生の三大支出

「住まい」「教育」「老後」について計画したい。

「住宅・教育・老後を軸に 結婚後のライフプラン」(2023.6.24日経)にあり、

以下、

住まいは賃貸か持ち家か。

ためて備えるのは大学費用とし、高校までは毎月の収入などから捻出したい。

老後資金は個人型確定搬出年金(iDeCo)や少額投資非課税制度(NISA)といった非課税制度を利用し、運用により増やしながら積み立てる方法がベスト。

などともありました。


なにか、当たり前すぎる部分もあり、わざわざ紙面で紹介されるほどのことはない、誰でもやっている、おもしろくない説明だなあ。

どなたも、それで?と その先の意見が知りたいのに。

(一部は、とても懐疑的だけれども。)


何々は、こうです。

そう。だから?

え!(言葉が無い。)

だから、なに?

・・・。


これでは、会話が繋がらない。

昨日もあったなあ。

この車両は、〇〇レンタです。

そう。だから?

え!

だから、なに?

・・・。


この場合。

この車両は、〇〇レンタからの借り入れなので、何々をしておいたほうがいい。

ああそう。じゃあそうする。

僕は言いたいので、

事実のみ言われても、それを受けて、自分の対応する内容が解からない時は、困ってしまう。

その先を言わないのであれば、その事実を発言する意味がない。

いや、何かしなければいけないのだろうかと惑わすだけだから、言わないほうがいい。


だいぶ横道にそれたような。

本日の1面トップ。

「児童手当増 高所得に偏重 少子化対策」(2023.7.2日本海)では、

政府が少子化対策の柱と据える児童手当拡充と、

検討中の税制見直しを併せて行った場合、

家計の増収は高所得世帯に偏る見込みであることが 分かった。

と 最初に書かれていました。


そりゃあそうでしょう。

そんな見込は最初からどなたでも立てることができる。

だから、僕は、一貫してこの政府の児童手当拡充に反対している。

関連:児童手当はおかしい。②(おもしー228)


最初に戻り、

人生の三大支出のうちの「教育」においても、

言わないけれども、この国のこの政府の一貫した方針は「高所得世帯に偏る」こと。

この政府のやり方は、人を惑わしている。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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