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ちょっとびっくりしました。

地元のフルサービスのガソリンスタンドでは、

軽油1㍑160円なのに、122円とは。

その差なんと38円也。

5日前の25日に50.57㍑の給油で6170円のお支払い。

場所は、京都八幡のコストコガスステーションでした。


一方、

「軽油、欧州で下げ圧力」(2023.11.25日経)では、

欧州で軽油の価格に下落圧力が強まっている。

ロシアの輸出制限撤廃で需給が緩むとの観測がある。

ロシアは10月上旬時点で一部解除に踏み切っていたが、完全な撤廃で軽油の供給量が増えることは確実な情勢だ。

「安い軽油」が定着すれば、欧州の粘り強いインフレを緩和する一因になる公算が大きい。

などとありました。


つまり、

欧州は安い軽油をロシアから調達しようとするということ。

それにより、欧州のインフレを緩和し、

安い原油をロシアから調達していた以前のように競争力を戻そうとする。

そんな印象を受けました。


生活者として、

同じものなら安いほうがいいに決まっている。

先のガスステーションでは、会費で利潤を得て、商品でもうけを出そうとしないことから、そのような値段で供給している。

欧州では、安ければ何でもいいのか。

ウクライナ侵攻によるここ何年かの対立は何処へ行ったのか。


でもまてよ。

日本国内の軽油は何処からきているのだろうか。

知らずに、ロシア産を給油してしまっていたりして。


多くの方の関心が高い、ガソリン価格は表示されていたのかな。

憶えておりません。

申し訳ありませんです。

あそこでも補助金による値を引き下げる効果があるのでしょう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


分かりやすい話だと思うけどなあ。

日本の現実はその反面教師になる歴史を刻み世界に呆れられるのだろう。


「財源なき財政拡大 お金は神か ただの紙か」(2023.11.25朝日)で、

日本銀行の貨幣博物館では江戸時代に200超の藩が出したお札に注目した。

刷り過ぎて財政を悪化させた赤字藩の存在を知り、

いつの世も権力者は紙幣増発の誘惑に流されやすいのだと納得した。

安倍晋三元首相は晩年こう語っていた。

「(国債増発で)子供たちの世代にツケを回すな、という批判がずっと安倍政権にあったが、正しくない。

国債は日銀がほぼ全部買い取ってくれる。

その日銀は紙とインクでお札を刷る。

20円で1万円札ができるんです。」

関連:1枚20円ほど(おもしー487)

英中央銀行が昨年、国民向けに金融入門書を出した。

「どうしてお金をどんどん刷ってはいけないの?」

「紙幣の増発にはおのずと限界がある。

中央銀行が際限なく紙幣を印刷したら、

経済のなかにお金が増えすぎてインフレ率が急上昇するだろう。

モノの値段はおそろしい勢いで上がり、

新しく印刷された紙幣の価値はあっという間に下がってしまう。」

などとあります。


江戸時代に何度も行われた金貨改鋳(金の量を減らす)や

(時代劇であった小判の硬さを歯で確認するさまは、柔らかい金の含有量を確認していたこと。)

幕末の各藩の藩札増発で明治政府が苦しんだこと。

日本の歴史の中で当たり前のことです。

金だろうが紙だろうが、

モノで価値を表そうとしても、

その経済が変わらなければ、

そのモノの量の多い少ないで、

そのモノが表すことができる価値は増減する。

日本だけではなく、

世界中で当たり前のことで、何度も経験しているから、

入門書にも書かれている。


死者の代わりに連載者はどう語る?

まあ、賢い方ですので語られるのでしょうけれども、歴史の厳しき断罪はお覚悟なされませ。


「「円安無策」の時代に幕を」(2023.11.25日経)のなかに、

「ほかの国とそう変わらないインフレ率なのに、

世界で唯一のマイナス金利をやめない不思議の国ニッポン」

とありました。


ニッポンって、不思議。

世界の当たり前が通用しない。

自分達の経験も通用させない。

では、

何を通用させているのか。

身近な空気感?

聖徳太子様の、和をもって貴し とする誤った解釈?


そんなところに住んでいる者が、

どうすれば生き残る可能性が高くなるか、

できる術は何かを

日々考えている。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


地球上の土地に住み続けることができず、

宇宙に居住地を求める映画があったなあ。

そんなことを考えると、

地球上での移住は現実味を帯びつつあるような。


「気候変動後の人類大移動」

ガイア・ヴィンス著

が、(2023.11.19読売)で紹介されています。

世界人口が100億人へ向けて増大する中で食糧危機も発生する。

その結果、今後10億人単位の人口が移住を余儀なくされる可能性

著者は移住こそが問題解決の決め手であり、

権限を持った国際機関の監視の下、「計画的かつ慎重に大移動を進めなければならない」と説く。

気温上昇により移住適地となった極地や寒冷地域で都市建設レベルの開発が行われヶ海経済の一層の発展が見込め、世界の貧困問題の解決にも資する

地球温暖化で水没危機の島国ツバルからオーストラリアへの移住協定に両国が署名した

などとされています。


アルバイトの移動風景の中で、

既存道路が沿岸部に在るものの、

その海側に、高規格道路が建設されている。

立派だった松の樹林が大きく伐採され、広い道路幅が確保されていく。

海浜のすぐそば。

砂浜の浸食が進んで、その対策が毎年繰り返され、笊に水を入れるようなことをやっているのに、

素人目にも、今後数十年間、若しくは100年間、この建設される道路は大丈夫なのかと思う。

動き始めている建設などの事象は当然の如く変更されない。

目に見える建設のようなことだけではない。

そんなことが日本国中や世界中で行われているように思う。


そんなことで、

受け入れざるを得ない、飲み込まざるを得ない手段のひとつが、

著者の言う、人類大移動だと、勝手に納得している。

昨日も、NHKさんが、アフリカ大陸の干ばつ・農業継続困難、降雨量の減少による大量移動が放送されていた。

たぶんに、避けがたいのではないか。


個別生命体の子孫がいるかどうかは置いといて、

人類は生き残っているであろう。

いつまで?

100年後?1000年後?1万年後?

わからないなあ。

でも、とても危うい橋を渡り続けなければならないような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


なんで勉強しなければいけないの。

小学生低学年の子供はそう口にする。

低学年でなくても、子どもの多くはそう思っている。

大人と呼ばれる年齢であってもそう思う人は確実に居る。


例えば、

算数なんて大嫌い。

足し算、

引き算、

掛け算、

割り算(このあたりから苦手意識を持つ方もあるような。)


自分で確認できなければ人の言葉を鵜呑みにするしかない。

鵜呑みにする。

信頼しているから。

と 自らを納得させる。

だから人生のうちの何回かのうち何回かは騙される。

騙されるといっては語弊があるけれども、

利益をかすめ取られる。


一次方程式、複数次の方程式、因数分解。

人間の社会は、順次複雑化しているし、その進行を止めることはできない。

微分・積分・ベクトル・確率。

その昔、50年ほど前の高校での数学はこのあたりまでだったような。

今は、難しいことは、AIにお任せする時代になりつつある。


でも、

考え方の基本や、ある程度の仕組みをそれなりに踏まえたうえで、

足し算、引き算、掛け算、割り算を自分でやってみるだけでずいぶん違う。

そうか、それならこうやってみようかと判断する。

だから、自主性のために、算数は大事。


では、国語はどうなの?

日常使う語学

(日本国という国のなかでの語る主な言葉は、いわゆるところの日本語)を

理解できなければ、

それこそ、足し算、引き算、掛け算、割り算の段にならない。

状況の把握のためには、

人が何を表そうとしているのかを理解しなければならない。

自分も表明したいので使いたいし。


いわば、

国語や社会(理科もかな)を学ぶことは、耳や目のような情報収集能力を高めること。

算数や外国語などを学ぶことは、収集した情報を使って手段のように使える能力を高めること。


今の時期の書類として、

年末調整における扶養や保険の提出書類がある。

生命保険の営業の方に記入してもらっているのを見る機会がよくある。

これって、どうかなといつも思ってしまう。

そんな方がいる組織に結局は利用されているように見えて仕方ない。

こんなことは些細なことなのだろうけれど。

社会全体では、さまざまに、広く薄くも含めて利益を得ようとしている。


タイトルにした、「騙されるよ」は、

近所の学習塾の先生の受け売りです。

そうだよなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


日本において高齢者と呼ばれる年齢に達しております。

以前にも書きましたが、

一律に年齢で制限をすることに反発感があります。


「高齢化ピークを見据えたい」(2023.11.22日本海の社説)では、

高齢者人口は43年にピークの3953万人まで増える予想だ。

支える側の15~64歳の生産年齢人口は43年に6千万人を割り込む見通しだ。

世話をする家族も65歳以上という「老々介護」が22年に63.5%を占める

などとありました。


例えば、

健康保険。

お元気で雇用されていても、74歳までの加入制限で、75歳からは後期高齢者保険として市町村が賦課する。

なんで、せっかく労使折半の負担とされている健康保険をそのような年齢となられても現役で働かれている方から奪わなければならないのか。理解できない。


厚生年金もそう。

70歳までの加入が最終。

それ以上労働なされていても、これも労使折半の負担を捨て去り、掛け金を受け付けない。

労働環境を継続なされたい方であるならば、いいじゃないですか、その終わりにしようとなされる時まで、加入をしていただいておけば。年金基金の増額にも寄与すると思う。

しかも、年金受け取りの繰り下げは75歳以上はできない。

これもおかしいなあ。

いいじゃないですか。

その方が、受け取りを希望なされるご年齢までいつまでも置いて置かせていただいておけば。

76歳でも、80歳でも、希望する繰り下げ受給年齢で。


介護保険もそう。

64歳までは健康保険と同様に報酬からその支給額に応じて天引き。

65歳からは、市町村が賦課。

健康保険と同じく、雇用が継続なされているのならば、そのまま天引きでいいと思う。


このような一律年齢制限が、

高齢者と呼ばれていながらも、実質に支える側に回って立っている高齢者を、その支えている立場から引きずり下ろそうとしている制度。

そう思います。


沢山おられますよ。

65歳を超えて働かれている方々は。


「外国人やシニア頼み、近づく限界」(2023.10.30日経)では、

日本の総人口は2008年以降減少に転じたが、その後も働く人は増え続けた。

定年の引き上げや育児休業の充実など企業に促す法整備を通じて、シニアや女性の労働参加の拡大に成功したためだ。

だが、19年には雇用者や自営業者を合わせた就業者数もピークアウトした。

働き方のルールを変えるだけで労働力を増やす従来の手法は限界に達した感がある。

などとありましたが、

疑問符がいっぱい。


シニアに対する従来の手法が限界に達した?

女性に対する従来の手法が限界に達した?

成功した?

単に使用者が使いやすい臨時雇用を増加させた感が強い。

まったくお話にならない。

限界に達したと言われるなら、

当のシニアや女性にお聞きなされればいい。

満足いく労働環境なのかと。

家庭で育児が思うようにできているかと。

仕事と育児・介護などのダブル・トリプルの負担で首が回らない方がどれほど多いことか。


そんなことを思うので、

タイトルにした、

一律な年齢制限が僕の気持ちを逆撫でる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


そうですか。

そうですか。

そうですか。

お疲れ様でございました。

適切な言葉とも思えませんが、

そのように言わせていただく程度のことが、今の僕の限界付近。


「ひとり暮らしの親を看取るまで 家で死ぬということ」(石川結貴さん)を

読ませていただいたところです。


タイトルにした「インセン」。

初めて聞く略された単語です。

略さないのは、「インブセンジョウ」。

なんとなく感じる。

漢字にすると、「陰部洗浄」。

そうですそういうことです。

そりゃあ必要でしょう。

自分で当たり前にできる人なら、日常的に行っている。

生きているうちに自分ででき無くなれば、

日常の大小が排出される付近を誰かにしてもらうか、垂れ流しにするか。

誰だって、そういうことになります。


「異性の親の「インセン」」という項のところでは、

ヘルパーは持参した空のペットボトルに50度のお湯を入れた。

キャップにはキリで開けたような数個の穴があり、ボトルを逆さにすると簡易シャワーのように使える。 略 

お湯をかけながらボディーソープを泡立てる。介護用手袋をはめた両手で陰茎や陰嚢、肛門周辺などを丁寧に洗い、再びお湯をかけてタオルで拭く。 略 

父親という存在は全く別物だ。その陰部を洗うことなど想定になく、人生初のインセンに恐怖すら覚える。 略 

娘が父親の、息子が母親の、要は異性の親のインセンをする際、抵抗はないのだろうか。 略 

年寄りはお尻にシワも寄ってるし、ウンチがシワの隙間に入ってもう大変。チンチンだってびろーんと垂れ下がってるでしょ。だからチンチンをつまんで持ち上げて、タマタマの裏側もよく洗って、下手したら肛門に指まで入れて残っているウンチを掻き出すとかさ。

などなど。

(どうか、直接、全体をお読みくださりませ。)


そう書かれると、

自分で風呂場に入って、入浴する前に、似たようなことを行っている。

それは、自分でする「インセン」。

インブに限らず、全身を自分でセンジョウできる幸せが身に沁みるように思える。

ありがたいことだ。

しかし、有難し、有ることが難くなるときが訪れることは、

どうも、それも自然の成り行きであるように思える。

受け入れるしかないけれど、

どなたかにしていただくなら、

今の僕は、やはり、家族ではないほうがいい。

つまり、家で死ぬという選択は、しないと思っている。

でも、自分の体が動かせれる程度の時の判断と、

不自由になった時の判断とは、別のものになるとも思う。

元気な時の考えは、そうではない時や、そうではない人の考えと同じではない。


そして、書かれているように、

施設入所の困難さ。

介護費用等の圧縮のための国の政策の方針は、できるだけ在宅で。

介護度の認定などの理不尽さ。

なるべく出さないようにしていることがよくわかる。

それもこれも、高齢化社会の進捗に対応するためと言われればそれもある。


一番最初の項の題は、

「「ピンピンコロリ」と言う人ほど、「コロリ」のほうを考えない」です。

終末が来るのは、年齢の順ではないけれど、

そういう現実があることは、認識しておかないといけない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


それを意図して始めたわけではありませんが、

昨年の七夕から今日で、図らずも丁度のような数字の500回となりました。

(それとの関連は、プライバシーなので。)


さて、

「円売り急ブレーキ」(2023.11.22日経)に、

円売りにブレーキがかかっている。

約1週間で4円70銭ほどの急激な円高が進んだ。

市場が急変動の「犯人」とみているのは、

休暇入りを控えた投機筋による円売りポジション(持ち高)の解消だ。

23日に日本が「勤労感謝の日」、米国も「感謝祭」と

日米の祝日が重なる。

米国では感謝祭から12月のクリスマスまで長期休暇シーズンとなり、

売買が減少する。

十分に稼いだ投資家は利益を確定し、新年まで市場に戻らないケースもある。

休暇前にこれまで大量に積み上がった円売りポジションを手じまう動きが進んだ

ポジションの解消はドル売り・円買いを伴うため、円高につながる。

市場関係者が休暇から戻れば円売りが再び優勢となり「円安が進む可能性がある」

(なぜなら)

金利差だけをみれば、キャリー取引をしやすい環境は不変だ。

(からです。)

などとありました。

()書きは僕の追加したものです。


1週間で5円近くの急変動。

どうしたんですか日本の為替当局さん。

急激な変動は好ましくないと言い続けていたのじゃないんですか。

これは急変動ですよ。どうして円売り介入しないのですか。

当局の言い分はいつも表面的で、本当の願いを表さない。

信用されていないのだから、まあ、致し方ないけどなあ。


どうやら、

値洗いして含み益が大きな投資家さんたちが利益確定のドル売り円買いをされたということのよう。

1カ月の休暇中に、値の変動で心休まることが無いようならば、

そもそも、休暇になりません。

そんなお気持ちはよく理解できます。


そうであるならば、

つまり、投機筋と言われる皆さんが手薄、

しかも、十分に稼ぐ力がある方であればあるほど、休暇中と考えれば、

閑散期とも呼べる市場に残る人々はどんな方なのか。

それほどの稼ぎができていない人、

そんな長期な休暇がそもそも取得できない人、

どちらにも当てはまりそうな人はどんな人なのかと考えると、

なにか、イメージとしては、日本人的な感じが僕には濃厚になってしまう。

そんな市場参加者の中で、もろもろの市場の値動きはどうなるのだろう。

日本人的に考えると、

あまり大きな変動は起こさなくて、

右顧左眄、周りに影響されつつ、右往左往。

つまりは、

上下の動きがありながらも元に戻るを繰り返す

そんな1か月余りのことになるのだろうか。

(休暇シーズンは毎年のことなのでしょうけれど、昨年のことも記憶になし。)


そんななかで、

どんな波を見込み、どこに立てば、少しなのか掠りなのか、余禄に出会えないかなあ。

(我ながら、浅ましき考えだなあ。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


僕の涙もろいのは昔から。


流行作家といっていいと思いますが、

新川帆立さんの、日本海新聞の連載小説「ひまわり」を読ませていただいています。

昨日(2023.11.22)の掲載の抜き書きで、

ふいに頭上から、洟をすする音がした。

振り返ると、ヘルパーのヒカルが号泣していた。

うち、ジーンときちゃって。

ここまで頑張ってきたひまりさんをずっと横で見ていたから、

いろいろ思い出しちゃって。

こらえていたんですけど、我慢しきれず

ひっくひっくとしゃくりを上げながら、(続く)

との一節がありました。

(原文をお読みいただきたく。

ただ、新川さんの小説は、最初のとりつきで少し我慢することもありますが、だんだん面白くなりますので。)


人というものは、

身近な人の頑張りに、誘われ、吸引されて、共に為そうとしようとする。

なんとか手伝いたいとの想いがこみ上げてくる。

それが、後から考えて、少し、どうかとされることであっても。

一生懸命さが伝われば伝わるほど、どうにかしてと思ってしまう。

身近でなければ、

その想いは、直接に行動に移せない分、行き場を失って自らの感情を高ぶらせる。

だから、涙を誘う。

そういうことも有ると思っています。

それは、人として、とてもいいところだと思っています。

まさに、集団生活で厳しい自然環境を生き延びてきた、人類の美点。


どうかそれらが、人類の未来に暗い影をさすようなことに寄与しませんように。


今の生活に戻りますが、

小説とは言え、

頑張っている「ひまりさん」を感じて、

落涙したのは、「ヒカル」さんだけではありません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


逆は真なり。

そういう確率は高いとも思いますので、そんな感じでタイトルにしました。


「高収入ほど早く歩く傾向が」(2023.11.18朝日の知っ得なっ得)に、

自分の歩く姿を一番見ないのは自分。

周りの人には見られている

厚生労働省の調査では1日の平均歩数は20歳以上の女性が5832歩、男性が6793歩。

ドコモ・ヘルスケア社が2016年に公表した調査によると、

年収が高ければ高くなるほど歩行速度が速くなって、

年収1千万円以上の人は平均の人より約1.2倍も速かった

歩くのが脳の血流を良くさせ、体力の向上につながるのは確かなこと

などとありました。


自分の歩く様を、ウインドウに映して見ます。

鳥取駅前勤務の時には、そんな機会が多くあるもので。

はたして、

人様から見られているのか。

他人の目は置いといても、

背骨をまっすぐにしてみたり、

胸を張り気味にしてみたり、

歩幅を広めにするために両腕の動きも大きめにしてみたり、

腰の位置の上下動を少なくしてみたり、

なんとか気持ちよいように歩こうとする。

そんなことしていて、

あの人、変。

などと思われているのかもしれません。

(が、歩く姿が(年の割には)カッコいいと、

お世辞を言われたことが最近もあったので、少し気にしており。)


まあ。

体全体の6割の筋肉量が、足腰にあると言われているので、

歩けば、血流量が増加することはそのとおりでしょう。

脳の血流量も増加して、

あらぬことも含めて、色々考えが巡る。

だいたいは失敗ながらも、数打てば当たるの如く、どれかでクリーンヒットになったりして。

その先に、年収1000万円も人々にとって夢ではない?


この おもし の連載も、

運動した血流量の上に、

記載にできない個人的なことも含めての積み重ねを行うことで、

人間社会の流れ、小波、大波に少しでも乗っかろうとしている現れのひとつ。

現実になされたこともあり、

この流れに乗っかろうとする姿勢は当面の間は続けていきたいと思っている。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


国立科学博物館のクラウドファンディング(CF)が目標を大きく上回ったようです。


「5.7万人の支援 つなげたい」(2023.11.24朝日の耕論)に

館長さんが、

CFに踏み切ったのは、他に手段がなかったからです。

不測の事態に企業は内部留保で備えますが、

独法は「貯金」ができません。

収入を増やしても、5年の中期目標期間の終了時に積立金があると国に返さなければならない。

前期(16~20年度)は1.3億円を返納しました。

常に「自転車操業」とも言われる仕組みです。

CFはなんどもできるわけではない。

などと、

苦しい胸の内を綴られていました。


コンビニエンスストアとデパートメントストアの違い。

略して、

コンビニとデパート

まあ言えば、便利な店舗と百貨店

目の前の生活にすぐ必要となるものは置いていないけれども、

あんなそんな、諸々のものを目にすることができる。

科博のいいところは、

自分の興味有る無しに関わらず、

現物に近いものが、近くで見ることができる、立派な博物館であること。

目の当たりにできる近くで、物語る、現実のものや過去に在った生きとし生けるものたち。


上京し、

奥州藤原氏の清衡、基衡、秀衡さんの顔が、レプリカかどうかは覚えておりませんが、

(ミイラ(木乃伊)のような展示でした。)

たいへんにびっくりしたことは、よく覚えています。

そんな何かの体験を覚えている人々は、相当大きな数といえると思う。


5年の期間で評価を下すべき存在ではないなあ。

館長さんも、

主にはそう主張なされているように感じます。

つまり、独法(独立行政法人)やその制度の在り方。


科博は、上野にある国立科学博物館は、そういう類の皆様の心のよりどころでもある。

確かにCFは、科博が本来取るべき手段ではない。

目標を大きく上回れたことで、それこそ、ひとまずの安心ができることは重畳。

ただ、

背に腹は替えられなく取られた手段であり、

専門は分子人類学の館長さんが悩まれる分野ではないと強く感じる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


なにか、かっこいい響き。

目を瞑って、少し目線を上向きにするようにすると、

大洋の上空にいるかのような空想をさせていただける。

タイトルにしたアルバトロス。

そんな印象を相当前から持っています。


「激減したアホウドリ」(2023.11.18日本海の歳々元気)では、

良質な羽毛を求めた人間

採取開始からたった50年で激減、絶滅の危機にひんした。

翼を広げると2メートルを超え、体重は4~5㌔もある。

警戒心が非常に薄く、人間が接近しても逃げずにすぐ捕まってしまう

英語名はアルバトロス

などとありました。


地上を歩行することは、

大きな翼やその体重から苦手であろうし、

そもそも、鳥の中では、より大きく強い敵がほぼいないのでは。

だから、他の動物に対しても、

警戒心を強く持たずに生き延びてきたのだろうか。

それが、

地上移動では、二足歩行の動物に捕まってしまう。


かつては冬になると日本近海で見られたとも記されていますが、

個体数の増加があり、その雄姿を身近に見えたらいいなあ。


僕にできることは、

有名国内メーカーのシュラフ(寝袋)を冬になると使用していますが、

(年に2回ほどあったセールで購入したもの)

時折、中の羽毛が出てこようとする。

そんな時は、シュラフ生地の中の方から、

出てこようとしている羽毛を掴み、

内部に引っぱり戻すこと。

たいがい、簡単にはできず、何度もトライして、戻す。

すーと、引っ張り込まれたときは、とてもうれしい。

そんな小さなことで、

どんな鳥の羽毛なのか知りませんが、

僕のところまで来てくれた鳥の羽毛を大事にしたい。

(出てこようとしている羽毛を、外側に引っ張っては台無しだあ。ゴミになってしまう。)


羽ばたかずに何時間も海上を飛ぶ とも書かれていますが、

いったいそれをどんな方がどのように確認なされたのか?

でもまあ、そうなんでしょう。


人間が、バタバタせず、両手を広げるような気持ちで、

例えば、長い長いゆるやかでとても幅広い下り道を、

ロードバイク(自転車)で重力により滑走する。

そんなことができたら、

少しは、アルバトロスの気持ちになれるかも。


そういえば、

最近、自転車に乗っていない。

春の声を聞く季節になれば、

(少し、気が早いけれど、)

お気に入りのルート、雨滝集落から鳥取市内方向への快適な下り道で、

ギアをトップまで上げて、空気の壁を切る。

そんなことをまたやってみよう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


あ~あ。

あんまり書きたくないけれども、

親切じゃないなあ。

一生に一度なのになあ。


なにって、

年金請求書のことです。


ついに来ました。

今月満65歳になりますので、

(全国で何万人様が居られるのかな?)

日本年金機構さんから小ぶりな封書が届いたのです。

入っていたものは、

年金請求書

その記入の仕方のチラシ

それと、繰り下げできることのチラシ

の 3つ。(のみ)

(目隠しシールもありましたが、それは付加物のようなもの)


親切じゃないなあと感じたのは、

それじゃあ、

この年金請求書を提出するならば、

いったい、いくらぐらいの年金額が裁定されるのかの、見込み額などが同封されていないこと。

また、繰り下げできるとするチラシを同封するならば、

貴方様の場合、繰り下げするならばどれくらいになるなどとの、

毎年の見込み額などの表を付けるべきではないのだろうか。

そこまで、紙の情報はつけれないというならば、

どこどこのHPに行ってもらえば、

そのような情報も閲覧できます。

そんな個人のことが知らせて欲しいのであって、

なんぼなのか不明な額の請求ができますか?

年金定期便を今までいただいていたのだから、

見込額は出せるはず。

受け取る支払うは逆だけど、まるで、お寿司屋さんの時価みたい。

恐ろしくて、

一生に一度となるであろうに、

今後の人生の中心的な支えになるであろうに、

簡単に踏み込めない。


おかげさまで、

数年前から標準報酬月額17万円のアルバイトをさせていただいているので、

生活は当面それを中心に賄いたいとは考えているものの、

しかたないなあ。

お休みの日に、年金事務所などに情報収集に行くかなあ。

それとも、

「老齢年金請求者専用フリーダイヤル」0120-08-6001(通話料無料)を利用するかなあ。

それなりの年寄りとしては、やっぱり紙で情報が欲しいしなあ。

加給年金・振替加算、配偶者死亡となった場合の遺族年金受給権発生時のこと、など。

僕の場合のことをよく知ったうえで、判断したいもの。です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


年齢がいっていてもいっていなくても、

人を感動させることは、

前向きに歩もうとする姿勢だ

はからずもあらためて感じさせていただきました。

ありがとうございます。


「「私が歩む夢への道」少年の主張全国大会 内閣総理大臣賞」(2023.11.15日本海)のなかで、

自分を知るということは、つらいことなのかもしれない。

小さい頃から頑固

とありました。

受賞なされた作文の全文が掲載されていましたので、

読んでいただければと思います。


人というか、

ヒトといったほうがいいのか、

ともかく、僕は、

あらためて 感じることがよくある。

それは、

そうだよなあ、大事なことだ、と思うことを、普段は忘れているから。

自分が見えていないし、

見えているようでも、自分の脳を介して都合のよいように解釈・受け止め・偽りの納得をしている。

それが、著しい不完全さで生かされざるを得ない者の、生きる術のひとつであるとも思うけれども、

たまには、しっかりと現実を受け止めなければ。

だから、

中学3年生の主張に

自らを投影させていただいた。

主張にあるように、

思い出したように、目の前の自分にできることを積み上げていきたい。

今日、これといって、人様に言えることは無いけれども、

それで、それが、いい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


何か面白くないなあ。

なんで、

原材料である丸太そのものを日本が輸出を増やさなければならないのですか。

これも円安によるもの。

(戦後の棄民政策に近い棄円政策だと思っています。)


「丸太輸出量、82%増 中国向け、円安で945増」(2023.11.15日経)では、

中国はニュージーランド(NZ)や日本などから丸太を輸入し、工事現場の資材などに加工する。

円安傾向が続いているため、NZ産より安く調達できる日本産の輸入を増やしている

ありました。


原材料を輸出する国になっているのか。

日本は。


日本と言えば、加工して、付加価値を付けて、そこに利益を見出してきた国だと思っている。

いかに森林面積の割合が大きな国とはいえ、

丸太そのものを直接輸出し、それが増加していて、それは円安であるからだとされる。

だから、面白くない。


アルバイトの移動過程の在る所に、

丸太の集積場所があり、

相当高く積まれている。

何処からか運ばれてきて、仕訳されて、またどこかへ運ばれている。


国内消費が芳しくないのだろうか。

生産量が一時的に需要を上回ったのだろうか。

いっときの需給バランスの調整なら致し方ないけれど、

丸太そのものという原材料を輸出するということにとても違和感があります。

なにか、資源大国のロシアが原油を輸出して国家収入を支えていることを連想しました。

なんとか、加工し使用される製品にしたうえで輸出できないかなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


結局、

昨日の続きということになりますが。

関連:ヤマトの外注先が日本郵便(おもしー491)


「ヤマト契約打ち切り配達員 ワタミ、最大2000人受け入れ」(2023.11.15日経)では、

ヤマト運輸はメール便やポストサイズの小型荷物の配達業務を日本郵便に委託する

ヤマトは小型荷物やメール便の配達を委託する個人事業主約2万5000人との契約を2024年1月末までに打ち切ることを表明していた。

ワタミは14日、ヤマト運輸の配達業務に携わる個人事業主を、ワタミの宅食事業の配達パートナーとして最大2000人受け入れる。

などとありました。

小さな記事でした。


関連に書いたとおり、協業と言われているけれど、

分かりやすく言えば、

ヤマト運輸は、メール便やポストサイズの小型荷物の配達業務を止めて

日本郵便の、全国約8万2000台の二輪車を常に決まった配達ルートに乗せ換える

ということで、人員整理を狙い、配達体制を縮小させ固定費圧縮をしようとすること。

つまり、

ヤマトさんの配達を行っていた契約配達員の方は仕事を失い、

日本郵便のメイルマンさんたちは、それ以前より配達量が多くなる。

ただ、日本郵便の取扱量は減少しているので、

いくらか増えたところで日本郵便の配達に大きな支障は生じない。

本当にそうかどうかはわかりませんが、

外から見れば、そんなシナリオ。

現場の声をお聞きしたい。


2万5000人のうち2000人はワタミさんにお世話になるとしても、

残りの2万3000人さんは、

物流の2024問題で不足すると言われている人材としてご活躍頂けるのか。

なかなかに難しい。

と思う。

ご年齢のことや、大型車などの車両の違いや、労働時間帯の違いなど。



2024年1月末までに契約を打ち切りにするのだから、

物流の人材不足を担っていただければ、

これも、現場の声から遠いところで、

時期的にも丁度いいじゃないかとの声が出てくるような気がする。

できるなら、あなたがやりなさいよ。

自ら行わない人はいつでもそんなことを語ろうとする。


勿論、

僕も含めて、

雇われ人は、雇用を求めて右往左往する。

確かに、

求職があり、そこを希望するならば、それを担える人材になりたいのだけれども。


うー。

今朝の最低気温は6度程、切り込む寒さではないけれど、社会縮小が身に染みるようです。

なにか、世知辛いなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


クロネコヤマトの宅急便事業創設時(どうも1976年(S52年)のようです。)の

事業参入のご苦労を少しばかり見知っている者として隔世の感があります。

半世紀近くが経過していますね。


ヤマト運輸が集荷し、日本郵便が届ける。

呉越同舟といわれた2社の協業

「ポスト投函(とうかん)型商品の配達を全てお願いしたい」

日本郵便は日々の荷物量にかかわらず、全国約8万2000台の二輪車を常に決まった配達ルートで走らせている。

「ヤマトの強みは『(段ボール)箱領域』のラストワンマイルだ」

原点である段ボール箱の荷物に集中し、宅急便のビジネスモデルを再構築しようとしている。

「物流網「もう守れない」」(2023.11.14日経)にありました。


呉越同舟の言葉もあるとおり、

ユニバーサルサービスの十字架は重い。

いいとこ取りされたくない気持ちもよくわかる。

しかし、小口荷物に対する需要の伸びの見込みは確かだった。


その下の記事、

「日本郵政、純利益4割減」には、

日本郵政の中核事業である郵便・物流事業の不振が止まらない。

郵便・物流事業を担う日本郵便の経常損益は229億円の赤字

取扱量は前年同期比4.7%減

金融事業の稼ぎを郵便・物流の赤字が食い潰している。

などとあります。


厳しさのますます増す現実です。

記事を読み、

二輪車配達の運転者に向かう風の冷たさが、指先や体全体に堪える。

そんなふうに拝察いたします。

日々ご苦労様です。

お体に充分配慮されて、安全な走行をお祈りいたします。


日本社会が縮小している。

そう実感します。

物事の体制が過剰気味になる。


円安は日本国内だけ見れば利点もあるけれど、

関連:何故に小さな扱いなのか。(おもしー489)

世界の中の日本と位置付ければ、概して悪手政策であると思う。

世界のやる気を日本国内に向けていただくためには、やはり円高が必要。

それをしてこなかったことで日本社会の縮小が促進されてきた。

そう感じています。

そのひとつが、

呉越同舟のヤマトと郵便の協業。

確かに、物流の2024問題もあるけれど、

そんなことは根本的な問題ではない。

単に、内包していた問題が、覆い隠せなくなっただけのこと。


日本人では、円安への流れを止め、方向転換できることはできないのだろうかとも、

他人事のように思ったりもする。

いやいや、

僕ひとりで、その反対の金融投資を少しどこかでなにかやりましょう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


生命を受けてしまった個体が、

その最後を迎える時はたった一度。

事前に経験できないので、

そのことを考える時、仮想の思い巡りをする。

加えて、どなたかの現実を見聞きする。

身近な方の時であれば、自らに与えられる想いはより大きくなる。

そして、世界には、人の死が満ちている。


「父が望んだこと」(2023.11.10朝日のひととき)に

死は、親からの最後の教育だ。

自分らしくかっこよく生きた父

ありました。

詳細はお読みくださりませ。


また、丁度、今、

「家で死ぬということ」(石川結貴さん)を、

近くの図書館でお借りして読み始めたところです。

第1章の最初の項目が、

「ピンピンコロリ」と言う人ほど、「コロリ」のほうを考えない

思わず苦笑しましたが、

何か他人事でないような。

教えを請いたいです。


最後の教育。

子どもという立場からすれば、

その親である方の死に直面する、

矛盾するような言い方ですが、

そのときの生き様に影響を受けることは大きい。

それを最後の教育と表現なされている。

ご立派だったのでしょう。


あ~あ。

僕の最後あたりの生き様は、反面教師になりそうだなあ。

先の図書を噛み締めながら読ませていただきます。


最後の

というタイトルにしたのは、

やはり、最後という人の言葉には、人の死が最も適しているように思う。

投稿者は最後の教育と言われている。

教育というからには、相手があるということ。

人の死にはいろいろあり、

どれにも、相手があるというわけでもないし、

相手がなければならないというわけでもないと思っている。

だから、

最後の の後に 付ける単語は様々。無数にある。


自分らしくかっこよく生きた

そんなことを言ってもらいたくもないような。

言ってもらいたいような。

あ~あ。

やはり、死に対して、達観は全くできていないなあ。

生に対する未練たらたら。

(個人年金の繰り下げ手続き書類が郵送されてきました。)

何歳までの寿命を想定しようかなあ。

いやいや。

そんなことは考えないほうがいい。

今日が来てくれたのだから、良しであります。

予報は、雨のち晴れ。

バイク通勤は諦めますが、今日もいい日になります。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


それ自体は、喜ばしきことなのですが。


トヨタ自動車とホンダ、スズキ、マツダの純利益が過去最高となった。

「自動車大手、最高益相次ぐ」(2023.11.10朝日)にありました。

しかも、

7面の下のほうで、下の広告の上、

紙面を占めている面積も何か小さいなあ。

利益トップの会社の24年3月期の純利益見通しは、なんと、4兆円近く(3兆9500億円)であります。

しかも、

各社が為替の想定を従来の1ドル=125~130円から

1ドル=140円前後に見直し

ともありますので、

もっと円安が進んでいる151円台の今日この頃の相場を反映し、

そして、

解決不能に思える巨大すぎる負の遺産にがんじがらめの円安政策で更なる下落が見込まれる(僕の予想)なかで、

もっともっと大きな純利益が各社に与えられることとなるのでしょう。

勿論、それぞれの会社の自助努力には敬意を持っていますけれど。


円安。

物価高。

一般人は買い物に困る。

そんな中での、過去最高益を手放しで喜べる人がどれほどあるのか。

そんな会社の今年の年末あたりに支給されることとなるボーナスさんは大きな桁になるのでしょう。

それだけで、僕のアルバイトの年収以上なのだろうなあと拗ねた気持ちになる。

たしかに、それらの会社における来年の春闘と呼ばれる賃上げ・ベースアップはそれなりの数字が躍るのかもしれない。

それをもって、円安政策の微の修正のようなことも行われるのかもしれない。


なにか、根本的ではないなあ。

匙加減が難しい?

難しくした張本人様は人前で語っておられますよ。


ともかく、

記事の扱いが小さすぎる。

何故に、こんなに小さな扱いなのか。

事実は事実として、国民に大きく示すべきだ。

それが新聞の果たすべき役割です。

1面トップでいいと僕は思っています。

だって、過去最高益ですよ。

ひとつの会社で4兆円ですよ。

なにを影響力の小さな政権に慮(おもんばか)っているのか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


そう考えると、

心が軽くなり、浮き上がるようです。


人間は神ではないので物事の全体を見ることなどできません。

そのためおのおのの部分だけを見て、

あたかも違うものであるかのように思っているだけなのです。

選択も同じでしょう。

だから何かを選択したら、もうそれしかなかったと思えばいいのです。

人生は一本道です。

分かれ道があったかのように見えますが、

本当は自分が歩いてきた道しかないのです。

完璧ではない私たちが、失敗だらけの人生を後悔せず、肯定し続けるためには、そんな発想が求められるような気がしてなりません。

などと

「すぐ後悔 そして引きずる」(2023.11.4読売の人生案内)にありました。

そこでは、中国の思想家、荘子の万物斉同が紹介されています。


くよくよしたって仕方ないけれども。

ああしておけばよかった。

終わったことなのに。

いやいや、

終わったことではなく、そのことはこれからも続いていく。


大きなことだと思えば想うほど、

致し方なかったと観念したほうがいいのだろうか。


例えば、

日本人の誰もが知っている豊臣秀吉さん。

彼が生まれたときの日本列島には2000万人ほどが生きていたとして、

(生国が畿内に近いとの地理的な有利さは置いといても)

(一人だけの力で成し遂げたわけではないことは前提でありながらも)

ともかくも、

長い戦乱の世であった日ノ本に、一応の安寧をもたらした。

それを2000万人が望んでいたとして、

一人だけがその功績の栄誉を受け、

1999万9999人は

あの時こうしておけばよかったと、どこかで思っている。


「どうする家康」とおなじく、

どなたにも「どうするあんた」と

心の中で、自分が自分に問いかける。

そのことがすでに神の領域に入りつつあるということなのか。

人が歴史ものを好む理由のひとつには、

結果を知っている、

つまり、神の立場に立っていながら、

そのときの、

(いつだって先が読めない人の)

判断を、

おろかなと感じる部分があったりする中で、

自らの優位を感じてしまうことにあるのかもしれない。


全体像なんて見えない。

見えないから、用間(スパイ)や忍びのもの草のものさんを用いたり、

高いところから鳥瞰したり、

全体からすれば自らの乏しい知識で思考を巡らせたり。


そして、

人生は一本道。

しかし、

この考え方は、一方で、とても危険で麻薬のような臭いがする。

今は、そんな考え方もある、

精神が病むような追い詰められるような時には、

処方していただこうかと思うに留めようと、

回答者の哲学者先生に、僕だったら申し述べたい。

勿論、このことこそが、

先生の言われていることの全体像を知悉して申し上げているわけではないという前提です。

外は、冷たそうな雨が降っていて、雨音が響きます。

このことだけは、今、確実だと言えますけれど。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


デジタル通貨の管理費用と比較するとどうなのだろう。

そう感じました。


1枚の紙片を1万円の価値があるとして流通させている経済。

デジタルの表示を1万円の価値があるとして運用するシステム。

実態が乏しく発行体の信用に依拠するところは、根本的には、何が違うのだろう。

同じようなものだな。


「新紙幣、製造費13%高く」(2023.11.9日経)では、

23年度の「銀行券製造費」は619億円を見込んでいる。

計30億3000万枚の紙幣を製造する予定で、原価は約20.4円になる。

繊維が長く耐久性に優れるミツマタが、1879年以降使われている。

国産の割合は22年度で9.9%にとどまる。実に9割(84トン)が海外産だ。

22年度の国産ミツマタの調達価格は1キログラム当たり3820円。

輸入品は同1980円と、48%安い。ネパールや中国から流入している。

などとありました。


ミツマタは徳島県や岡山県で栽培されてきたようですが、

農家の減少とともに、生産量も減少なされている様子。

温暖化で、

ミツマタの同じ産地での栽培も難しくなってきているのではとも思う。

栽培や苗作りが難しい植物ともありました。

ネパールにも生えていたのであれば、

例えば、長野県とか、福島県あたりの気候がミツマタにはどうなのだろう。


僕の財布を見てみると、

(金種は1万円札が1枚、千円札が4枚でした。)

5枚ありましたので、100円ほどしか入っていないようなもの。

(そうか、こんなものに100円も費やしているのか。)

最近あまり利用していないなあ。

なにか、生活するにあたってのお守りのような感じ。

では、この1週間で、何に紙幣を使ったのだろう。

思い出せない。

紙幣の力も、仮の力、権りの力、で、泡沫のように思う。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


うーん。

日常英会話を学びたいなあと思っているけれど、

普段は使わないしなあ。

インバウンドのお客さんの時に使えるかもなあ。

などと、

腰が重いところに。

(つまりは、あまりやる気になっていない。)


「AIが「同時通訳」」(2023.11.9日経)では、

人工知能(AI)が同時通訳並みの速さで会話を訳すネットサービスを11月中に始める。

1台のタブレット末端を間において2人が会話を行うようなシーンを想定している。

などとありました。


ドラえもんの翻訳こんにゃくは、

たぶん、近未来のような、もう数年のような、

否、今月のうちには?

そんなことになる?

使ってみて、使い勝手は、まだまだだなあと感じると予想はするものの。


近いうちに、とてもいいものになって欲しい。

そんなところには、AIさんの能力を存分に発揮させてあげたい。

素晴らしいことです。


人間は、好きな言語を使っていればいい。

国が認めようが認めまいが、

インドのようにたくさんの公用語をもとうがもたまいが、

異なる言語、その間を取り持つのは、AIさんがいい。

そのうちには、間に、タブレットを置くようなめんどくさいこともなくなるでしょう。


方言と呼ばれるようなことも、使いたければ、どんどん使えばいい。

AIさんにも学んでもらいましょお。


もう少しはっきりと発音してください。

もう少し高い声でお話しください。

そんなことを、自動車に言われました。

最近の自動車は、僕の発音が聞き取れにくいと言います。

音声で、オーダーできる車があるのです。


ア、イ、ウ、エ、オ

口をもう少し開いて、

活舌をよくするために、少しばかり練習。


たぶん、AIさんの同時通訳にしても、

同じようなことを言われかねないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


配偶者の知人の旦那様が船上で待ちくたびれと聞いていました。

このことでした。

でも、まあ。優雅なことで。


「パナマ運河、水不足で渋滞」(2023.11.1日経)では、

深刻な水不足に陥り、通航できる船舶の数を絞り

待ち時間は船の種類によって2週間近くに

11月からは、さらに31隻に絞り

パナマ運河は 全長約80キロメートル

中央には海抜約26メートルの人造湖があり、

水位調整のため船は複数の水門を経て階段を上り下りするようにして通過する。

水不足対策 一方の水門室で使った水を反対側の水門室で再利用したり、同じ水域になるべく多くの船を詰め込んだり

などとありました。


人造湖から東側(大西洋)に対しても西側(太平洋)に向けても、湖水が流出する。

それは、水門を締め切り、その中にいる船を、何段階かを経て、海抜26メートルまで押し上げ、そして、逆に、海抜まで下げていき、通過してもらう。

その度に、人造湖の水が減少する。

水門で溜めた水を再利用する。揚水発電のように水の再利用。

そんな対策で追いつかないほどの赤道直下の降雨不足。

そんな感じでしょうか。

たしか、堰き止められている人造湖名は「ガトゥン湖」。

飲料水にも使用される大切な水がめ。


物流のためにパナマ地峡に在るとはいえ、

この、26メートルは、なかなか、改良できないだろうなあ。

より低くするとか。

世界物流の中の、ここでの需要と供給のバランスでは、そこまでの投資は、どなたも考えていないのでは。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


「過ち認め 自ら振り返る社会に」(2023.10.26朝日の論壇時評)では、

「知って」いたのに、

誰もがそれを公然と語ることも、

批判することもなかった。

それが今になって急に、

「問題にして良し!」の号令がかかったように

声高に論じ始める。

そのこと自体がまさに問題の核心であると思えてならない。

自らを「訂正」できない組織や社会は持続できない。

日本の社会と組織が問い直されていることを強く感じる。

ありました。

ジャニーズ性加害問題について政治学者の方の時評ですけれど、


なにが、思えてならない ですか。

なにが、問い直されている ですか。


では、

日本社会で、どれほどの組織が 過ちを認め 自ら振り返ることができていると捉えておられるのか。

今に始まったことではないからこそ、この問題の経緯がそのようにある。

自らを正当化しようとする。

誰しもそうしたいのだけれど、やはり、それではうまくいかないんだなあ。


過ちを認めることは 孔子先生が言われているとおり、とても難しい。

論語の核心ともいえる。

いまだに読み継がれているということは、

人間という生き物が、その社会を生きるにあたって、いかに、過ちを認めて来なかったか。

過ちて改めず、これを過ちという。


政治学者であるならばこそ、

タイトルになされた「過ち認め 自ら振り返る社会に」とされたのはどうか。

それができてこなかったのは前提ではないのですか。

「従来から 過ちを認めてきていない社会だから

自ら振り返らせることはできてこなかった。

だから、その社会の外からの強い働きかけがないと、

過ちは認められない。」

そのようなタイトルにすべきだったと感じています。


こんなことは、

日本の歴史の中で、そこら中にある。

明治維新だって、戦後の混乱だって、

それらに比べれば小さいのかもしれませんがジャニーズだって。

誤りを小さいうちに認め、改善しようとすると、それを良しとしない勢力のいかに大きいことか。

あー。めんどくさ。

僕は、日常生活で、過ちが多い恥ずかしい生活を送っている。

自分でできる小さなことは、できるだけさっさと直す。

少し面倒なら、人にも相談するけれど、解決方向へ。


AIさんなら、こんなめんどくさいことからは、少し距離がある?

ヒトは、人となり、人間となって、しがらみにがんじがらめで、自由から遠ざかる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


新聞紙は薄くてよく燃える。

だから、焚きつけに使っていた。

五右衛門風呂や薪ストーブで。

あくまで、順次、焚きものを大きくしていく端緒の位置付け。

マッチ一本でよく燃え上がってくれる。


その新聞紙だけで、あの固い米粒をご飯に炊き上げてくれるという。


「燃料は新聞紙 ご飯炊ける」(2023.10.28朝日)では、

新聞紙があれば米が炊ける炊飯器「魔法のかまどごはん」を発売した。

3合なら新聞紙1部(36ページ分)にライターやマッチで着火し、炊飯20分、村氏15分でできあがる。

とありました。


ちなみに、

本日の日経紙は40ページ、日本海紙は28ページ。

地元紙ではもう少し足りませんが、この田舎での全国紙の朝刊では十分。


炊き方はわかりませんが、

薄い新聞紙をぎゅうぎゅうにして、密度を上げ、いっぺんに燃えあげないようにするのではないかなと思う。

防災グッズとして、また、アウトドアに利用できるとされています。


新聞を宅配していただいているならば、大概の家庭では、新聞紙が廃品回収の主なものとなる。

つまり、余っている。

余分というか、廃棄物扱い。

リサイクルされているとはいえ、何か悲しいね。

簡単に読み捨てられているようで。

また、新聞宅配を止める家庭も多い。

新聞紙が毎日の日常生活の風景に当たり前にあることは、

ここ100年ぐらいのものなのかな。

いろいろなことの先を見込む中で、

新聞というシステムもだいぶ変わってきているし、

新聞が紙を介する時代も、次第に、薄くなりつつあるなあ。

販売も右肩下がりのようで、

内容も、なにか、次第に、薄くなりつつあるような。

薄っぺらい新聞が、硬い岩盤や、意固地な政界を、突き崩してくれていたのになあ。

薄くても、内容がぎゅうぎゅうになることを。

どうでもいいことが大きな紙面を占めている。

これでは、焚かれても、燃料にされても、あまり文句は言えないような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


エンジンの鼓動は、どうして、ヒトを惹きつけるのか。

それを利用したひとつの製品が現れました。


「NSXエンジンが母の音?」(2023.10.28読売)では、

「NSX」のエンジン音が流れる自動車形のぬいぐるみを28日に発売

「スポーツカーに乗ると赤ちゃんが泣きやむ」

ホンダの社員が30以上の車のエンジン音を検証し、

NSXの独特の重低音が、胎内音の周波数に最も近いことを突き止めた。

実験では、赤ちゃん12人のうち11人が泣きやんだという。

などとありました。


NSXのエンジンならば、V型6気筒で約3000ccのことだろうか。

正直、どのような重低音なのかよくわからない。

身近に存在していたこともないし。

ただ、

それにしても、

実験なされたのだから、たぶんその意図するところは達成されているような。


オートバイエンジンでも、

例えば、

僕の愛車だって、V型4気筒約800ccなので、

何か似たようなところもあるような。

低速時のドコドコ感や、トンネル内の共鳴やパルス感も心地よい。

人様に迷惑ないろいろなバイクの排気音も、

運転されている人にとっては、母の胎内の記憶を思い出させるものがあったりして。

それぞれのヒトの、それぞれの母の胎内が、似たようでありながらも違っているであろうように。

現在までのヒトは、たぶんすべてが、胎内での経験を持つと思っている。

スポーツカーやオートバイのエンジン音に魅せられる人は、

なにか、僕も含めて、幼児性も感じられる部分があったりして、

そこもまた、いいという人もいたりする中で、

何を求めて、そんな音に引きつけられるのだろうか。

EVが普及することの妨げとまでは言えなくとも、

内燃機関搭載車両は、しぶとく生き残るように思うなあ。

4輪にしても2輪にしても、

次の僕の車両購入までは、まだまだ、期間が多く残っていると思いたいけれども、

その時、どんな車両を選ぶのだろう。

(いつまでも運転していると思っているのだろうね。)

それとも、そのNSXのぬいぐるみを買ってもらって、安眠(永眠?)しているのだろうか。

税込み8250円だそうです。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


そりゃあ。すごいことだ。

あの広い中国で、ネット通販は当日配送サービスが利用できるなんて。

そこまででなくてもとも思うけれども。


「気づけば「後進国」の危機」(2023.11.2日経)では、

年間に宅配される小包の数が1000億個超と日本の20倍以上に達する中国。

内陸部にある新疆ウイグル自治区の田舎であっても、住民はネット通販の当日配送サービスを利用できる。

米小売り大手ウォールマートは入社1年目の運転手に最大11万ドル(約1600万円)の給与を支払う

日本のトラック運転手の賃金は400万~500万円程度

多重下請け構造の物流業界は中抜きが多く、運賃を上げても運転手の賃上げに寄与しない

カギとなるのは働き手の多様化だ。

日本のトラック運転手の女性比率はわずか数%だ。10%を超える米国と比べ少ない。

などとありました。


日本において、

運転手の雇用条件を改善するための対策で人員不足が見込まれ2024年問題と呼ばれ、

(もう来年のことです。)

主に、小手先の手段で、車両の改良や、物流倉庫の在り方などで、なんとか現員で、大きな賃上げをしないまま、仕事を回していきたい業界のお悩みが示されています。

本丸に言及しないから、お悩みになるわけで、

さっさと、賃金を上昇させてあげれば、人は寄ってくる。

なにが、カギは働き手の多様化ですか。

それをカギにしようとしていることは、賃金アップに及び腰のままであるということ。

個々の企業努力では困難ということであり、

業界全体の認識であるならば、物流関係者の、最低賃金を大幅に毎年 up up!

400万円を、どうすれば、1600万円まで、

(そこまででなくとも、大台の1000万円が見通せるなら)

近いうちに持ち上げることができるのか。

そんな見通しがあれば来てくれる人たちは必ずある。

たとえ、AIによる自動運転が普及し、10年後20年後には縮小が見込まれる人間の運転業務であっても、僕のような滅びゆく世代あたりの人々は、考えたくなる。

賃上げの大きな壁が、物流業界の多重下請け構造ならば、

どうですか、

どちらが大切ですか。

多重下請け構造温存と個々の運転手の賃金確保と。

つまり、2024年問題とは、

物流業界の在り方が問われているということ。

なにか、責任は何処なのか、押し付け合っている印象。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


すいません。

1日置いて、少し頭を冷やして、

昨日の続きです。


諸外国に同種の仕組みはない?

どうなのだろう?

そうであっても、年金の制度なんて、特に骨子の部分はそんなに煩雑に変更されてはいないのではないか。

境界あたりの数値の変更などはあったとしても。

そもそも、

現在の在職老齢年金の制度制定時はどのような議論があって現在に至っているのだろう。

受給することとなる年金額の算定は、

支給された報酬に見合った額の保険料を労使折半で負担した結果なので、

それに見合った給付を受けることとする原則はそのとおり。

その原則に反し、報酬比例部分を半額とするとした判断があって現在があるならば、

世代を超えるほどの、一般に大きく認められる相当な理由がなければなりません。


制度制定時と、現在がどのように、

年金制度の大きなところを変更するほど、

大きな環境の変化が生じていて、さらに、今後どう見込まれるのか。

たぶん、自民党さんは、制度制定時のことをあまり語りたくないように感じる。


最も大事なことは、

将来世代の年金制度への信頼を低下させてはならないということ。

そこのところに軸足を置きつつ、議論していただきたい。

その場所は、

厚生労働省の社会保障審議会の部会であるとか。

10月24日より議論を始められた由。


自民党さんや政権与党のみなさんも、

選挙の時などに口癖のように申されるとおり「しっかり」と、自らの主張を、国民に示してください。

同じことの繰り返しをもって、丁寧な説明などと、意味ないことの時間つぶしは止めなさい。


主権者のみなさん。

「65歳以上に ついて は変更を断念していた。」

ということは、

65歳未満についてはいくらか自民党さんの望む方向に変更した。ということ?

そうです。

なされているんです。

60歳から64歳の方の支給停止基準額は28万円から、65歳以上と同じ48万円に改正されています。

知っておられる方は少数。

だから昨日の冒頭にも言っているんです。

議員先生、お得意の、知らぬ間に既成事実にしてしまう作戦。


ここで、

ぶつぶつ 時々、述べるぐらいが、僕の限界ですなあ。

以前にも同趣旨のことをどこかで書いたけれど、

たぶんまた書き連ねてしまうだろうなあ。

少しでも、皆さんの意見の参考になってくれればありがたいなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


こんなことこそ、

議員先生たちは声を大にすべきなのになあ。

しないからこそ、先生などと、蔑称も含められてしまう。

聴かないのは、お得意の、知らぬ間に既成事実にしてしまう作戦だからです。


「在職老齢年金を議論」(2023.10,25朝日)では、

在職老齢年金制度は、

給与と厚生年金(報酬比例部分のみ、基礎年金は対象外)の合計額が、

月48万円を超えた分の半額を年金から差し引く仕組み。

減額分は、受給を遅らせて年金を増やす「繰り下げ制度」の対象にもならない。

現在、働いて給与を得ている65歳以上の年金受給権者の17%にあたる49万人について、年4500億円の年金が減らされている。

廃止すれば今の年金給付が増える分、将来世代の給付が減る

自民党は選挙の公約に「廃止・縮小」を盛り込んだが、

国会などで野党から「高所得者優遇」と批判を浴び、

65歳以上については変更を断念していた。

などとありました。


全国の地方議員約2万3千人。

その多くは高年齢の男性。

一般的な重複よりもより高い割合で重なりませんか、

なにって、記事の49万人さんと。


現状は、

高齢者の就労意欲を阻害する?

65歳を超えて勤労なされその報酬を得られていることそのものにはとても敬意を表します。

しかし、月48万円。

(×12月=年収576万円。

しかも、年収70万円ほどの基礎年金含めずだから、

それを加えて年収650万ほど。)

を上回るところの年金部分を半額にする制度が在職老齢年金と名付けられている。

在職していて相当な額の報酬を得ているのだから、年金を半額に減額するという制度。

その、半額にするということが、

年収650万以上ある方の、就労意欲を阻害する?

それは確かにそれなりに阻害するかもしれませんが、

それよりも、

それほどまでの収入に到達することが困難な中、

子育てに住宅確保に頑張られている若年者達の就労意欲を、より大きく阻害する。

そう思う。

全体にとってどちらが、気持ちよく就労していただける?

将来世代から、その内、特に女性から見れば、

長期間のジェンダーギャップの賜物の結果によること大の年金額であったり、就労の現実であったりする面を、羨ましく思われたりして。

それに、当該高齢者だって、生活給として困窮するわけでもなし、

そんなに就労意欲の阻害と厳しく受け止めていないのではないか。

今の給付が増加し、将来の給付が減る?

そんなことは、そもそも、あってはならぬこと。

年金制度そのものの存続にかかわる。


4500億円 ÷ 49万人 = 約92万円

越えている部分を半額とするというので、

年に半額分として減額となった額の平均が92万円という現実なら、

残りの半額が支給されているので、

在職老齢年金制度により減額されている方の平均像は、

92万 + 650万円 = 742万円

という年収であるということ。

本当に、阻害されているという意見は大きいのですか?


「在職老齢年金」を自民党さんの公約どおり廃止すると、

減額分の92万円が支給となり、

742万円 + 92万円 =834万円


どうですか。

制度変更して、半分に減額している年金を全額支給することに大きな意義を感じられますか。

自民党の公約どおりに変更して、若い方の保険料負担の意欲が増しますか。

とんでもない。


あ~あ。

止まらない。

どうして、僕とは真逆方向の考えの勢力が支持を得ているのだろう。

たぶん、視点が違う。

長くなるので、明日に続けます。


えーーえ。

そうなんですかー!

スマートフォンも、

パーソナルコンピューターも、

27年後(2050年)には普及率0%になるんですか?


今どき、

スマホのことを、スマートフォンと言ったり、

パソコンのことを、パーソナルコンピューターと呼ぶ人は、

たぶん絶滅危惧種的存在。

でも、

どうしても、略して言ってしまうことに抵抗感が。

コンビニも、どうしても、コンビニエンスストアと言ってしまう。

(買いたいものがないので、ほぼ行かないのにね。)


さて、37歳からパソコン保有してきたぼくとしては、

近いうちに、30年経過ということになるのかなあ。

(勿論、その機能を使い倒したことはありません。)

そんなうちに、無くなってしまうのですか。


「さよならスマホ 2050年普及率0%」(2023.10.30日経)では、

スマホ65%やパソコン50%の普及率が、2050年にいずれも0%

2050年の普及率は、

スマートグラスなるものが30%

スマートコンタクトが70%

ハプティクスというものが80%、

という図が示されています。


はー、

なにか、想像できないなあ。

それでは、

まあ、その時、僕が生きているとして、

(90過ぎのおじいさん?)

この文は、どうして稿を起こす?

どうやって、訂正や練り直しをする?

たぶん、簡単に行えるのだろうなあ。

(そんな時まで、「おもし」を続けることはできません。)

それらが、いいことになるかどうかは知らず。

まあ、その時はその時。

なんとかなる。ような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


「現実には難しいのでは」

「難しいとしか言わない人は、大体において現状を変えたくない人なんですよ」

「少数派の痛み 見ぬふりしない」(2023.10.15朝日の日曜に想う)にありました。


そうなんですよねえ。

僕も、使ってしまうなあ。

「現実的には難しい」

とか

「状況が変わるのを待つしかない」

たぶん、その時捉えられている問題が他人ごとなのだから、

問題解決ではなく、我慢せざるを得ない状況だよ などと、

上から目線で、言いているような。

おお、

悍(おぞ)ましい姿を、幾度、晒しだしたことか。

一緒に解決しようという姿勢が感じられない。


たとえ、聞いてくださいと言われても、

勿論聞きますが、

どこまで、踏み込んで、問題解決に関わるのか。

その度合いによっては、聞きっぱなしで、多くを語らないことも有り。

僕の本気度が試されてしまう時。


あ~あ。

多くの場合、僕も、現状を変えたくない側の人間なのか。

年金受給資格が与えられる年齢まで生き延びてしまっている。

まあ、前向きにとらえて、生活給が一定分保証されてくると捉えてもいい。

それなら、やはり、

自らの働きだけではないのなら、自分の考えも変えてきてもいいのでは。


現実には難しい。

生活に汲々とする世代と、

少し軽減される世代の、現実の捉え方は、

同じでないといけないわけではない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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