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なんで、

報道日が今日なのかなあ。

他紙の1カ月ほど前報道と、記事内容はほぼ同じなのに。


コロナ明けとなり、年末恒例が復活し、連日、国内からの出国ニュースが報道されているし、

その出国した飛行機は、帰国時には、たぶん、

円安状況の日本国での買い物を楽しむ外国人の訪日の移動手段として利用されていると思う。

(出国者・訪日外国人、どちらが多くて、どちらが機体手配の主であるかはわかりませんが、)

その訪日する人の中には、日本国内の制度や運用の不備を利用して儲けを掴もうとする人が多くある。

そして、おとなしくて、有無を言わせないで日々徴税されている日本人は馬鹿をみている。


「免税品、税関所持2%」(2023.12.31日本海)がありましたが、

内容は、以下の関連の記事とほぼ同じ。

関連:検査した57人中55人滞納(おもしー511)

ただ、

業界の意見が加えられていました。

「「後払い」転換反発も 円安下好況の免税店業界」に

円安下の好況に沸く免税店業界からは反発の声

「客商売は性善説が前提。転売目的でないと言われればそれまで」

訪日客の購買意欲をそぐ

「チェックが不十分な店の免税許可を取り消すなど、規制が先だ」

などです。


いくら店側がチェックを十分にしようとしても、

笊の目が少しだけ小さくなるように見えるだけで、ほぼ効果無し。

言われているように、客を信用することが前提とは、納得できる。

だって、店側は買って欲しいんだから。

購買意欲をそぐ?

それは、脱税黙認の立場に立っているからこその意見。

円安下の好況?

日本が買い叩かれているなあ。


こんなことを、年末に書いてしまって、少し残念。

でも、

明日からは、

もっと良くなる。

そんな来年になる。

(と 信じるものは、救われます。)

今年の元日の日の出に禱ったことは実現しなかったものの、

明日の、初日の出は、今年よりもさらに、難しそうな予報だし、

今朝、外は雨模様ながら、

今日も、本年最後のアルバイトに行くぞ。

そんな日々が過ごせることに、感謝する。

繰り返します。

来年はもっと良くなる。

(と 信じるものは、救われます。

変な宗教みたいですなあ。

ただ、前向きに生きたいだけなのです。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「失われた30年」といわれて久しい。

日本は「衰退途上国」になった

衰退途上国は低い生産性の伸びを続けて為替レートが安くなり、インフレになっても所得がさほど伸びず先進国よりもはるかに低い所得になる。

発展途上国は高い生産性の伸びを続けて為替レートが高くなり、インフレになっても所得がそれ以上に伸びるので所得が先進国に追いついていく。

日本経済がこのまま低成長を続けた場合、心配なのは貧しくなる中で格差社会になっていくことだ。国全体が低成長を続けても、グローバル化した大企業や一部のベンチャー企業は生産性を向上させて社員の給与を引き上げていくことができる。だが、国内で生産性が低迷する大部分の中小企業の社員は、所得が伸び悩んだままとなるからだ。

などと

「「衰退途上国」からの脱却 「積極財政で成長」幻想 捨てよ」(2023.12.28日経)にありました。


格差社会・中小企業社員の所得伸び悩みは、

今に始まったことではなく、相当な期間進行しており、更に深く沈む。


日経平均が最高値を越えなければ、24年は「失った35年」になる。

老いた途上国という、惨めな姿

などと、

「株価「失った35年」阻止」(2023.12.29日経)にありました。


失われた、〇〇年。

それが、来年で35年ともいわれることとなる日本経済。

しかも、企業間の格差拡大。

それに伴う、それぞれの社員さんの所得の格差拡大。


経済の好循環を、この国のセントラルバンクは見極めたいとしているが、

それは表向き。

円安などでそれなりの値を出している仮の姿の決算に乗っかろうとしているだけ。

来春の春闘相場はその行程の一部としてどうしても折り込みたい規定値のようなもの。

たぶん、来年3月頃の政策変更はいい事にはならない。

全体を踏まえたことではないように思えるから。

しかし、これもまた、たぶん、そのように突き進む。

進むも後退するもこのままとしようとするも、すべて、八方塞がり。

縋りたい藁が、その春闘相場。


アメリカ合衆国は移民大国と言われている。

移民なされる人が多いということは、

地盤看板鞄のないところに目の前の生を生き延びさせるために居を移さざるを得ず、

低所得(移民前より多いものの)からのご努力をたくさんの挑戦者たちが行い、

そのうちのいくらかの方が成功者と呼ばれることとなり、

多くの方がそうは呼ばれていないこととなっていく社会。

だから、移民大国は格差大国。

そう思っている。


それぞれのお立場で、良い悪いはたくさんある。

35年だって、平和でいいんじゃないの。

格差がひどいからそれをエネルギーになされる方があるんじゃないの。


セイジカと呼ばれている人間どもの醜態が少しあからさまになっているけれど、

立場を死守しようとしているとしか感じられない。


人はおもいしることができない。

相当ひどくなければ。


僕の、相当ひどいことって何なのだろう。

たいしてない。

甘ちゃんだなあ。

だから、10年・・・・35年。

40年。50年。

その頃、僕の個体は、もう生きていないだろうなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そんな単語たちが出てくるだけで、

滅入っちゃうようですが、

生と死は裏表なので、

そんなことを知っていて自分の生に少し生かしたことになっていた。

結果的にそうなればいい。

(人間社会に住んでいるということは、めんどくさいなあ。)


死亡時の平均年齢61歳

孤独死の男女比

男性 83.1%、女性 16.9%

参考:一般社団法人日本少額短期保険協会「孤独死現状レポート」(2021年)

先日ご紹介した「自分で自分の介護をする本」

の中にありました。


そうか。

61歳が平均年齢なのか。

参考になされたのが、

初めて聞いた日本少額短期保険協会という組織。

そこが作成なされたレポート。

作成年から、ニュアンス的に、毎年作成ではないような。


「「ひとり死」5人に1人 後顧の憂いどう断つ」(2023.12.25日経)のなかに、

樹木葬が67万円、納骨堂は78万円で、墓石墓などの一般墓の4~5割だった。

とありました。


死して後の、

自分の体の腐敗すること。

それは、あまりに当然なこと。

それを、自分の死後にも生きていく人たちが、その悪影響(臭いや病原とならないよう)を避ける行いが、葬の式とも言える。

まして、それが長期間放置されるようなことは、人口が密集していればしているほど避けたい。

だから、孤独死やひとり死を問題にしようとする面もある。

町内会主催の葬儀を行った経験もあるけれど、

それに比べれば、

今のお葬式は、コロナウイルスの時期を経てますますコンビニエンス的になっている印象。

いいんじゃないですか。

僕も、なんとか、大げさにしたくないしされたくない。


飼い猫が、死期を悟りどこかに行ってしまう。

子どもの頃(半世紀以上前)に飼っていたハルと呼ばれていた猫。

あなたは何処へ行ったのですか。

生物の中の大型哺乳類に属し、それなりの大きさのある体を持つ僕も、そんなことができればとてもいい。

たぶん、自分の自由にはならないだろう。


生と死は裏表。

そんな あんな 死もあるとでもうそぶきながら、

今日も、何かいいことがある。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


知らなかったなあ。

そんな人もおられたんだ。


真如(高岳親王)

799(延暦18)年~865(貞観7)年ごろ

862(貞観4)年に64歳で唐に留学し、

さらに密教を研究するため天竺(インド)へと向かいましたが、以後の消息は途絶えています。

マレーシア南部のジョホールバル市には、真如の供養塔があります

などと、

昨日紹介の本にありました。


高岳親王(たかおか しんのう)と呼ばれる方。

失礼ながらも、

その想いの深さは、僕などの計り知れぬこと。

ご高齢でありながらも、思うところの行動をなされた人としては、

いつか書いた、

伊能忠敬さんを思い出す。


じゃあ、65歳の僕も、

アメリカでもヨーロッパでもアフリカでもウクライナでもロシアでもガザ地区でも、

留学でも、ボランティアでも、傭兵でも、したいならば行ってみようか。

役に立たないなあ。

いやいや、

やりたいならやればいい。

たぶん、

知らないだけで、

たくさんの方々が自らの社会的・生物的な限界を拡大しようとすることに挑まれてきたのだろうし ん?

(ちょっとニュアンスが違うような)

他人から見ればそう見えても、ただしたいからやろうとなされたのではないか。

そして、

そのほとんどは誰も知らないいうちにその生涯を終えられている。

それぞれのヒストリーはそれぞれのうち。

生物の拡散とはそんなもの。


それでは、

習い事の胴衣を友として、

どこかで行路人として行き倒れようか。

人ひとりの一生って、形はどうあれ、そんなものではないかと思っています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


本年最後の満月が朝(午前9時33分)のうちに訪れますけれど、

満月と言えば、

「望月の歌」が

どうしても連想されます。


「一冊でわかる平安時代」(大石学さん監修)のなかで、

威子(いし、藤原道長の三女)が、

後一条天皇の中宮となった祝いの席において道長は

「この世をば わが世とぞ思う 望月(もちづき)の

かけたることも なしと思えば」

という和歌を詠んだといいます。

一般的には

「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、全てが満足にそろっている」

近年は

「今夜は心から楽しい。空の月は欠けていても私の月である后となった娘たちを混じえた宴席でみなと交わす盃(杯/つき)は欠けていない(みながそろっている)のだから」

という別の解釈も提唱されています。

と紹介されていました。


満月の状態であることはほんのひと時ながら、

ヒトにはよくわからないので、その日は満月の日としている。

わからないながらも、新月に向かい、そしてまた巡りくる。


道長さんは、62歳でその生涯を閉じ、

晩年は、糖尿病からくるさまざまな合併症に悩まれていたとか。


同書の終わりのほうには、

清盛は熱病で倒れ、 64年の生涯を終えました。

ともありました。

栄枯盛衰、諸常無常を琵琶法師が語ってきたとされる平家物語ですが、


『平家物語』によれば、平家の絶頂期、清盛の義弟の時忠(ときただ)は

「この一門(平家)にあらざむ人は、みな人非人(にんぴにん)なるべし」

(平家でない者は人でない)

と語ったと言われますが、

「宮中では平家以外は出世できない」

といった趣旨だったようです。

とも紹介されています。


僕の あなたの 望月は いつ訪れてくれたのかなあ。

いやいや。

平穏に今日の月を眺められるのであれば、

今日も望月の日。

世界中の人に、等しく訪れてくれている満月。

曇りができるだけありませんように。

今までも、これからも。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうなのかもしれないなあ。

以前、

顔は脳のラジエーターと書きました。

発熱する脳を冷ます能力に限界が来るほどの暑さがあるのならば、

致し方ない、

発熱元の縮小も選択肢となった?


「気候変動は心身も変える?」(2023.12.24日経)のなかで、

約1万5千年前の氷期の終わりに、人類の脳は急速に縮んだ

熱を外気へ逃すため?

認知能力は下がる?

温暖化が進んだ未来では、脳は小さくなる?

などともありました。


頭を冷やし脚は温める。

頭を使うと発熱するので、そんな時は適度な冷却が必要でありながらも、

ヒトは頭だけで生命を維持しているわけではなく、

体全体の6割から7割を占める足腰の筋肉などを発熱元として、

免疫の活性化を保つためにも体温36.5度以上を保とうとする。

普段は、そんな感じで受け止めている。

免疫システムが働いてくれることはとても大事。


さて、

ネアンデルと呼ばれる谷(タール)で発見された現生人類の亜種という位置づけの、

(どちらが亜種なのかは置いといて、)

(亜種としたのは、交配の証拠が示されているため)

ネアンデルタール人の脳は、現生人類よりも大きかったと従来から読んでいる。

絶滅されたのは、4万年ほど前とのことなので、

記載の氷期の終わりの時期とは異なるけれども、

そんなことも、絶滅の理由に在ったのかもしれません。


そんな、彼ら、

(どうも、多い時でも4万人ほどの人口であったとか。)

ネアンデルタール人のDNAの20~40%が、

今の人類にも残っている と。

そうなのですか。


そんななかで、

サハラ以南のアフリカの住民は、

ネアンデルタール人の遺伝子を持っていないか、

わずかに約0.3%(しか)ネアンデルタール人の遺伝子を持っていない。

そうです。

えー。

これは、もっと、そうなんですか。


確かに、

これからも進むであろう地球表面の温暖化に適した人達は、

サハラ以南の方々のほうが、

気候変動への身体的な耐性が大きいような。


習い事で身近に接している肌のとても黒い大人や子供たち。

組手で肌の接することもよくある。

これから、生き残る可能性が高いのは彼らなのかも。

僕にはどれほどのネアンデルタール人のDNAさんが存在しているのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうか。

わかったぞ。

タンパク質の変性なんだ。

加齢などと、

雲を掴むような自らの行いではどうしようもないことのようにごまかして、

わかりにくく表現していてもダメだなあ。


「目の濁り 50代も約半数 白内障の予防と治療」(2023.12.23日経のカラダづくり)では、

加齢などに伴い構成成分のタンパク質が変性して濁ってくる。

50代の約半数に濁りが見られる。

80代以上はほぼ全員が白内障になっている。

アトピー性皮膚炎や糖尿病の人は年齢を問わず発症しやすい

白内障の根治治療は今のところ手術のみ。

手術は国内で年間160万件行われ 20分程度で終わり日帰り可能。

多焦点レンズは遠く・中間・近くにピントが合う3焦点など

見え方の質(鮮明度)は短焦点レンズに劣る。

などとありました。


なぜ、

透明な水晶体が濁るのか。

読んでいて、それの原因のひとつにはメイラード反応があると直感した。

試しに、

「白内障 メイラード反応」で検索すると

日本白内障学会のページに直行した。

詳しくは同HPの水晶体の基礎研究などを参照願います。

その一部ですが。

「メイラード反応による修飾物および架橋産物が、加齢に伴い生体内の蛋白質中で蓄積することが知られています。」

とありました。


白内障になってしまう大きな要因として、

加齢によるというのではなく、

長年の糖とアミノ酸の反応物の摂取が大きな原因のひとつであると何故に言わない。

そりゃあ言えないわなあ。

糖や加熱食品を摂取することは現生人類にとってあまりにも日常そのもの。

糖尿病の人は発症しやすい?

そんな不充分な表現は不適切。

80代以上はほぼ全員が白内障になっているといっておられるではありませんか。

そういう日常生活を行っているのだから、

それまで生きていれば確実に発症しますよと現実を書かれればいい。


マイヤール(英語読みではメイラード)さんが

アミノ酸と糖の反応を分析したところ、タンパク質を含む食品は140度程度になると、複雑な反応が始まることがわかった

「料理の科学大図鑑」(発行所河出書房新社)のなかの

加熱した食品は、なぜおいしい?

のページにありました。


そうなんです。

メイラード反応した物質は味と風味が増して美味しいんだなあ。

ヒトはその魔力に勝てない。

人類は、火を手に入れ、それを用いて調理をするとは、温かさや消化に良いとの効用もあるけれど、その反応物質を得るためと言っても大きな間違いはないと思う。

ヒト以外の生き物は、通常の食で、そんなものは食していない。

(もっとも、生殖可能体年齢を大きく越えて生き続けているわけではないものの)


65歳の今のところ、

本年の健診でも視力に異常はないようだし、

症状としての、

目のかすみ、二重三重に見えるということもよくわからない。

車の運転では、眩しさもあり、薄い色の偏光サングラスを常用していますが、

気付いていなくても、やはり、いくらかの白濁があるのかもしれません。


なるべく生に近い状態で食したいなあ。

糖やローストしたものが少し怖い。

悪いほうの影響を与えられるのは目だけじゃないと思っています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうか。

さいひんのちか。

漢字で書くと、最頻値。

最も頻度の多い値(あたい)。


そのなかで、

年齢が終わりになる最も多い値を死亡年齢最頻値と呼ぶそうです。

それは、平均寿命より男女とも5年以上年上のご年齢。


男女の寿命

女性 平均寿命 87.71歳、死亡年齢最頻値 93歳

男性 平均寿命 81.56歳、死亡年齢最頻値 88歳

「令和4年版 男女共同参画白書」からの出典として

「自分で自分の介護をする本」(小山朝子さん著)に

ありました。


そうですか、

僕のような、65歳に至ってしまった人間は、

若くして亡くなってしまった方も含めた平均寿命を考えるよりも、

死亡する年齢としての最頻値を参考にしたほうがいいかもね。

88歳なら65歳から23年もありますなあ。

そんな先は、まったく見通せない。

だから、体力的にも、

昨日よりも、今日は というような目先だけの日々。

よりも 今日は の意味は、

明日のためにも、

少し負荷を与えようかというような今日もあれば、

休養したほうがいいような今日もある、

というようなこと。

若かろうが年齢を重ねようが、それは一緒。

少し、足腰、手足、わき腹が痛い日がある方が、心地よい。

その回復感が、明るく可能性を秘めた明日を予感させる。


最頻地。

僕が最も多く居る場所は何処だろう。

就寝している処でしょうけれど、

それを除くと、

今は、バイト先になるかなあ。

何処においても、

否定する人や、マウントをとろうとする人からは距離を取りたい。

高齢者の仲間入りとして、年寄りになったのだから、

あからさまにはできないけれど、

少し、そんなわがまま的なことも含めて、言外に行動したりする。

(そんなストレス的なこともいくらかはあったほうがいい。)


そんなことで、

23年を、23年と1日に1カ月に、24年に、30年に、

結果的にそうなったなあと思えてしまうのなら、それも悪いことではないのかな。

令和4年(2022年)から30年経過して、

令和34年(2052年)の白書を目にすることができるなら、

(そんな時に、そんなことに配意できる状況なのか?)

男女それぞれの死亡年齢最頻値は伸びているのだろうか、

それともそうではなくなっているのだろうか。


他人ごとの最頻値は、そのうち自らに迫ってくる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ごまの風味はとても好き。

おそらく、嫌いな方は少数派では。


「ごま輸入価格 最高値」(2023.12.19日経)に、

ごま油 日本は原料のごまのほぼ全量を輸入に頼る。

日本は2022年時点で年間約18万トンのごまを食品や搾油用の原料として輸入している。

輸入価格は直近10月時点で1トンあたり29万円。

世界のごまの年間生産量およそ500万~600万トン程度のうち、輸出に回るのは200万~300万トン程度。

これまではそのうち150万トン程度をスーダンやナイジェリアなどのアフリカ諸国が輸出してきた。

アフリカではごまの自国消費はほとんどなく、専ら外貨獲得源として生産されている

より換金性が高い農作物が栽培可能であればシフトが起きやすい

中国の輸入量は100万トン程度と、日本の輸入量の約5倍まで膨らんだ。

などとありました。


自国消費がほとんどない?

そうなんですか。

アフリカの大陸の

有名なエジプトの南で、紅海を挟んでサウジアラビアの西側に位置するスーダン。

ナイル川の水脈を利用して耕作されているのかな。

南側が大西洋に接し大陸の西側とされるナイジェリア。

チョコレートを連想するガーナの東側。

ごまは太陽の恵みがある場所での栽培が適しているように思える。

自宅裏でも暑い夏に大きく育っていた。

着く虫の、丸々と大きく太っていて、いかにごまが栄養たっぷりかを示している様だった。

そんなごまの栽培を、アフリカの、たぶん女性の手が多くかかっているのではと思われますが、

(収穫・乾燥・種取、畑の後始末など、結構面倒。)

そうですか、

食されないのですか。

耕作なされている方々に、なにか、申し訳ないないような。

ほぼ全量を輸入に頼る?

これも、そうなんですか。

幼いころは、近所のどこのご家庭でも、収穫し、枝ごと乾燥させるために束ねが日光に当てるように軒先などに並べられていたのになあ。


1トンのごまは想像できないけれど、

それが、最高値として29万円であるとか。

1トンのごまを収穫するための労力は、ほとんどの日本人にとって相当計り知れない。

いったい、どれほどの耕作面積が必要で、水利や、労力、そして気象条件。

日本国内での栽培なら、

つまり、国産ごまなら、

どうだろう、10倍?100倍?の値段になる?


有難く、今日の朝も自前のでたらめどんぶりにかけて食しますが、

なにか、躊躇して、かける量を少なくしてしまいそうな。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


古いし古くさいし。

そんな僕ですが。


古いものが、古くさいわけではない。

昔ながらの桶や樽を、作ったり使ったりする人たちの言葉は不思議と未来を感じさせて、ニュースの現場にいるようだった。

「余さず生かす 木桶に見る知恵」(2023.12.12朝日の多事奏論)の冒頭にありました。


場面は全然異なるものの、

余さず生かす。

先日、懇親会で、出された料理の端にレモンの切りかけがあったので、

食べていると、

レモンが好きなのですかと隣の方から言われました。

いや、嫌いではないし、どうしてもそれでなければでもないけれど、

そのまま捨てられるのは忍びないので、と言って、

また、酸っぱい果汁をいただく。


樽桶は傷んだ板を交換すれば半永久的に使えて、

(以前のどこかで書いたけれど)

酒蔵からしょうゆやみその蔵に払い下げる桶のリユース

などとも記載されています。


たぶん、傷んだとされる板も、窯の燃料として灰になり、その灰も庭の野菜の肥料になりなどと、

余さず生かす、

そんな工夫があればあるほど、

古いものが、古くさいわけではない。

と言ってもらえるような気がする。


モノならば、わかりやすいものの、

目に見えない動きではどうなのだろう。

古いし古くさいし。

そんな僕の考えの及ばないところはとても多い。

多すぎる。

そしてその範囲やその影響を与える領域は、人間が操っていると錯覚している社会の中で大きく拡大している。

そして、本日昼過ぎ(12時27分)冬至に至ります。

この惑星は、平然と公転しているなあ。

ヒトから見れば、とてつもなく古いけれども、まったく、古くさくない。

まさに、出来事の最前線のようにも感じる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


あ~あ。

あほらし。


「10枚買い参加1人 企業側「断れない」」(2023.12.12朝日)のなかで、

大勢で上京して出席していたのでは旅費がかさむ。

会社として10人分を購入するものの、

10人が出席するつもりは初めからなく

「(出席しない)9人分は実質的に寄付だ」という

などとありました。


自由と民主主義を表明しているような集団があるけれど、

何の期待もしていないし、

せめて邪魔しないでと願うけれど、

それもままならず。


政治活動の一部のパーティーなるものは大いにおやりになればよろしい。

しっかり御自分達の主張をそのような場も使いながら公にしていかれればよい。

では、なぜ、

「パー券「社名は出さないから」」(同日同紙で右横の記事)

などと密やかな開催のように書かれなければならない。

晴れやかなご出席で、

当然に購入なされた社名は公表し、

その出席者も公にする。

当然に、10人分の購入で1人のみの参加があるならばそれも明らかにする。

なぜに、企業側は「断れない」のか。

それも明らかにしなさいな。

企業としては、出席させれば、それに取られる時間は本来の業務から離すわけでもあり、目に見えない労務費が支払われていることになっているのに。


抜本的な改革?

まったく期待できません。

それは、彼ら、自分たちの存在否定につながっていくとの怖れがあるから。


「物事を白黒極端に判ずるのは止めていただきたい」

との記述が、主人公の声としてありました。

朝日新聞連載小説「人よ、花よ、」(2023.12.9今村省吾さん・作)からであります。


さて、

本日現在の日本人の意見の多数を占めるものは、

あきらかにする方向なのか、

そのまま尻すぼみでいいとする方向なのか、

あなたはどう感じておられますか。

僕は、いつもの少数派。

おのずと、僕の意見は通らない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


戦争というのはそんなことも当然に含む。


「「斬った」誇るおやじ 嫌で嫌で」(2023.12.10朝日の戦争トラウマ)のなかで、

渡河作戦中に流れ着いた戦友の遺体を踏んだそうです。

「靴がいぼる(埋まる)ったい、腹の中に」。

内臓が腐ってズブっと腹に入るんでしょうね。

その悪臭と無残さ。

子ども5人を抱えた月給1万円そこらの旋盤工なのに、給料をはたいてやけ酒をあおる。

などと、

武田鉄矢さんの語りが掲載されていました。


「ウクライナ、負けない条件」(2023.12.14日経)では、

停戦を求める声は聞かれなかった。

もちろん、

戦闘を続けたいわけではない。

ウクライナ側によれば、2014年以降、ロシアは20回、停戦合意を破った。

仮に停戦してもロシアは兵器を大増産し、すさまじい再侵略を仕掛けてくる。首都は落とされ、国民が抹殺されかねない・・・・。

ロシアの戦車、戦闘機・爆撃機は、それぞれウクライナの2倍強と約14倍にのぼる。

などとありました。


個々の生命体に対する戦争による無残さ。

戦争と呼ばれる国家という組織同士による個々の生命体に対する暴力・抹殺・存在の否定。


何のために、組織を組み、国家体制を整えようと、人類は するのだろうか。

大量の生命個体を殺める手法を、

いかに効果的に、行使するか。

そんなことを実践していて、

ロシアのウクライナのガザ地区の、そうあなたの、もとより僕の、未来は明るくなるのか。


誰しも踏みたくはないし、

踏まないようにしたいのはやまやまなれど、

そんな余裕もない緊迫した状況が、

気が付けばそんなことをしていたということにさせる。


いつか泥の深い工事現場に登山靴で踏み入ってしまったことがあった。

泥の粘度が高く、危うく、登山靴が脱げてしまうところだった。

少し、その泥が、登山用の靴下に付着した。

武田さんの語りの中の、

気付けば悪臭を放つ内臓の踏み付けであれば、

靴の中まで、その内臓の一部が踏み込んできたのかもしれない。

僕たちの住む世界には、そんな、拭っても拭い切れない現実があると思っている。


冷たい緑茶を一口、口にする。

平静にそんなことができることをつくづく有難いと思うが、

今日の緑茶の味は、いつもより少し苦い気がした。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


いくつになっても、後悔先に立たず。


センテナリアンと呼ぶよりも百寿者と言ったほうが、

日本人の僕ではしっくりくるような、

かといって、

身近に居られず、実感が薄いし、

御当人にとっては寿(ことぶき)と言われることに抵抗感があったりするのかもしれないので、

やっぱり、センテナリアン様と申し上げたほうがいいのかな。


制度の面で、高齢者のお仲間入りをしたといっても、

僕の65歳なんて、まだまだ洟垂れ。

そんなイメージになってしまう寿命百歳の存在。


そんな方々にも後悔があって、

それは何か。

家族ともっと一緒の時間を過ごしたかった。

(≒もっと多くの子どもを持ちたかった。)

働き過ぎた。

(≒家族と楽しく過ごす時間を十分にとれなかった。)

旅をしなかった。

どこかのネット記事にありました。


それらは、

自然や人間社会の環境を鑑みて、子どもの数を制限してきた。

そんなことを、自らの後悔とすることによるようだし、

生命個体の移動できる範囲(太陽系第3惑星の地表上)で、生命の拡散の可能性を拡げたかった。

僕は、そんなふうに読んでしまう。


それならば、

後悔先に立ちませんので、その反対を行いましょう。


でも、

それができにくいから、

自然や人間社会の環境を鑑みてしまうから、

動こうとしないのだなあ。

あーあ、誰しも雁字搦め。

そして、

センテナリアン様に至れなくても、似たような後悔を行うこととなる。

そう、後悔しているような。


(今のうちから)

ちょっとできないかなあ。

少しはみ出して。


かすみがかかって見通せないけれども、

百寿の時には、迷惑をおかけするにしてもそれなりに関係を持った見知った方々もほぼ居られないことだろうし。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ロシアはインドなど制裁に加わらない国向けに振り向けて輸出総量を維持するものの、制裁で国際価格から値引きされるようになった。

ロシア側は制裁を逃れ高値で原油を売りさばこうと、100隻以上の老朽タンカーをかき集め、「影の船団」を築いているとされる。

などと

「ロシア石油収入2割減 制裁1年、効果なお限定的」(2023.12.15日経)にありました。


それでは、

「影の船団」の行き先はどこ?

そこには制裁を免れて高値で買ってくれる相手がいる?


それらの商取引を強制的に停止させる手段は軍事力以外にはないのでしょう。

でも、

当面を凌ぐために、背に腹は替えられない国々や地域は、あまりに当然のように存在する。

だから、仮に、軍事力を行使したとしてもその場しのぎとなる。

そして、

始めることはたやすいものの、終結させることはいかに困難なことか。

なにごともそうだと、あらゆる方面から言われている。

戦争開始と終戦。公共事業の開始と中止。結婚と離婚。


それにしても、

何割か収入減になったとしても、

資源大国は動き続けるなあ。

人類にとって、本当の善は何なんだろう。

少なくとも、これから百年先を鑑みて、

より良いと思われることはどういうことなのだろう。


「影の船団」の行き先は人工衛星を使っている人々は知っているに違いない。

矛盾するかもしれませんが、

その乗組員さんに大洋の荒波が厳しさを増さないように願います。

なにせ、老朽しているとのことですので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


小学6年生の修学旅行先は、大阪万博。

月の石など、群衆の中で、人気の高いお目当てのものにはたどり着けず、

田舎の小学生たちは、引率の先生に連れられて、

相当マイナーな国(これも相当失礼な物言いですが、)のパビリオンと言っていいのかどうかの建物の展示を回らせてもらった。

(引率の先生もご苦労されたと思います。

今さらですが、ありがとうございました。)

そこらうちじゅうに外国人さんがいることが、

僕を含めた、少年少女の記憶にある。

群がって、外国語の名刺をもらったりしたなあ。

初めての洋式便器で、きばれなくて、とうとう出なかったなあ。

その後どうしたんだろうか。

そんな体験の記憶があります。


(2023.12.15日経の春秋)では、

万博開幕まであと500日。

海外パビリオンの着工はいまだにゼロだ。

ありました。


今でも、三波春夫さんの歌声が聞こえてくるような。

年寄りたちのそんなあんな記憶や、

年寄りでない方々の何かしらの期待などを背に、

運営費・建設費の跳ね上がりを乗り越えて、

過去の想い出がある者としては、

開催してよかったと言って欲しいけれど。


着工ゼロは、

なにか、日本国が受けている世界の評価の現状を示しているような感じを受けます。

どうなのかい?

ひのもと豊芦原瑞穂のお国、日本国さん?


特に、げに、下卑た(裏金まっしぐらの)政治家の者共たちさん。

国民と呼ばれる人が選択してきた人々ですなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


天井にもいろいろあるようで。

ガラスの天井という表現が、女性に対して使われている。

やはり今の人間社会も男性中心なのですね。

そう深く思います。


年齢という”鋼鉄の天井”を押し返せ!

とのくだりのなかに、

渦潮にまかれて海の底へ引きずり込まれていくような恐ろしさがある。

と示されていました。

「87歳ビジネスマン。人生を面白くする仕事の流儀 今が一番働き盛り」

(郡山史郎さんの御本です。)

を(近くの図書館からお借りして)読ませていただいたところです。


そうか、年齢は、鋼鉄の天井なのか。

そうかもしれないなあ。

それを押し返せとは、なんとも勇ましい。

実感するその多くは男性のような気がする。

それは、

配偶するケースの多くは女性のほうが、年若く、そして平均寿命も長い。

鋼鉄の天井が、いろんな立場や意味で近づき、実感を深めやすいのは、やはり、男性のように思うので。


そして、その天井を意識するのは、

本人もそうですが、周囲の方のほうがより強く意識するみたいに思います。

お元気ですね。

そのお言葉をいただいたとしても、

その前には、

言われないにしても、

(御年の割に)

が、必ずついている。

決して、お元気ですねと言ってくれた人と同じ実年齢、同レベル、同じ土俵で、生命個体としての比較や評価をしていない。

自分よりお年であり下位に見た(見ようとする)うえでの、

お誉め言葉。

そんなケースがとても多いと感じています。


実年齢は、プライバシーなんでしょうけれど、だいたい公になっている。

もし仮に、全く秘されることとなったら、どうなるだろう。

自分であろうが他人であろうが、それを人に示したりすれば、重罪に処される。

そんな社会的仕組みでなくても、

ヒトがその実年齢に興味を失っている社会。

そんなことは ?


つまり、

過ごしてきた年数よりも、これから健康で生きていけそうな年数が、

客観的根拠や、それを判断した実績の積み重ねで、

信用できることと社会に根付き、人々が思うこととなるならば、

(そんな時が来ることあるのかなあ)

誰しも、

過ごしてきた年数(年齢)よりも、

今後の健康年数のほうを、重要視するのかもしれない。

自分に対しても、他人に対しても。

社会も異性も、選ぶ選ばれることにあたって、相当変わってくるのでは。

けっこうおもしろい社会かもしれません。

例えば、首に健康余命年数の数字をぶら下げること とされたらどうします。

(それこそ、実年齢よりも、もっともっとプライバシー度は高いのですが、)

生命個体として、どうしようもない実年齢よりも、

何らかのことをするしないによって、

つまり、その個体の意思や行動により、

健康余命が増減し、それを社会が認知するようなことであるならば。


ともあれ、現在まで、そしてこれからも、

これからのことは誰にもわからないし、

わからないこととしてきた。

だから、人類共通の尺度である実年齢に頼ることとなる。

しかし、人生100歳時代などと、

個々の生命体によっては、その、わからなさが、その後半においてそうとう曖昧になってきた。

長寿であれば、個体間の差が大きく目立ってくるということ。

だから、それぞれの旅立ちの日が相当異なっている。


(もしかすると、高齢者の中では、あくまで感覚的に、すでにそんな受け止めもあったりして。

そしてまた、女性が実年齢を明らかにしようとしないことがあるのは、せっかく努力して実年齢を下回る成果が見える(ように思っている)のに、それを台無しにする目線になってしまうからで、実質的に余命の長さというか個体の能力を重視しているから。)

???

そうか、顔面などを曝して生きているヒト(女性も男性も)は、

感覚的な健康余命年数を公にしているということなのか。


勇ましく、押し返そうとは思いませんが、

人の目はどうしようもないものの、

自分としては、なるべく自由に好き勝手をすることで、

天井があるとしても、

日々、自然に押し上がっているみたいだからよくわかんないなあ。

そんなことを言ってみたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


国際指標となるニューヨーク先物(中心限月)は今月上旬、一時1トロイオンス2100ドルを突破し、史上最高値を更新した。

中国の個人は人民元に対する不信から、無国籍通貨ともいえる金を購入する動きがみられる

中国の人民元が海外で記録的な安値に向かうなか中銀は(人民元)下落を食い止めるため、輸入割り当てを絞って国内市場への金の出荷を制限した

金や国外の不動産などへの資金流出が続く現状は、中国の個人などが自国経済に対して悲観的なことを映している。

などと

「中国マネー、金に退避」(2023.12.13日経)にありました。


示されている今月上旬の史上最高値を更新した時のグラフを見ると特異的。

その日は、

前日、2075ドル付近まで上昇して終わり、

一旦、そのあたりから始まり、

それから急上昇で2150ドル付近まで(これが更新価格)大きく上昇したものの、

2025ドルを下回り(100ドル以上下落し)、少し戻して、

そのあたりで終わりとなった。

大きな乱高下でした。

高値での掴みでも、中長期展望がおありなのでしょう。

僕もそう感じています。

(なお、僕は、金の売買はやりませんしやりたくありません。)

関連:金不買運動(おもしー401)


また、

同日同紙の3面には

「中国「デフレ輸出」拡がる」で、

中国からの輸出品が値下がりしている。

鋼材や自動車など主要品目の7割で単価が下がった。

中国経済は内需がさえず、企業が過剰在庫を国外で安く売る動きが広がる。

とありました。


お隣の中国さんも大変ですねえ。

そんな悠長には構えておられない日本経済と思っていますけれど。


各国からのお金の流れは何処を見ればそれなりにつかめるのだろう。

この僕たちが生きている人間社会では、

有難いのもお金だけれど、怖いのもお金なんですねえ。

大きく溜まっているところからは、

どうしても溢れ出そうとする。

水も、運も、人も、やる気も。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


インドを大熱波

路上も湖も死体で埋め尽くされ、

その数は2000万人

(2023.11.30日経の春秋冒頭で紹介された近未来小説「未来省」)より


ヒトは、人は、人間は、人類は、

どんなことが生じれば、

その軌道を修正しようとするのだろうか。


その近未来小説「未来省」のなかで、

事態に立ち向かう国連組織、通称「未来省」の設立が決まるのはCOP29。

つまり、

昨日まで2週間を費やした国連の気候変動対策会議(COP28)の1年後。

現実となるならば、僅か1年後のこと。


他の人に頼ることは、しないほうがいい。

動かないので頼りにならないことが明確となればなるほど、

怒りなどで、自らのプラス志向を減退させる。

かといって、

自分自らがどれほど動いても、

たかが知れている。

それに、自らが動くといっても、どれほどとも言えない動きしか、結局のところようしない。

そんな自分に、他人の動かないことを非難する資格は薄い。


人類って、地上の悪なのか。

人類の存在そのものが、人類にとって、邪悪なのか。

よく、地球にやさしいなどと言われるけれど、

惑星地球にとっては、大したことではない。

全球凍結も極地の氷消滅も、何度も経験してきたことでもあるし。

ヒトにとって、暑かろうが寒かろうが。

一生物種の都合など、知ったこっちゃないよ。

そんな環境の変化があったからこそ、

本日までの生物たちの進化に恵まれてきたんだろう?

そもそも、生命達の進化とは、悲惨だからこそあり得たもの。

あんたたち矛盾していない?

いいとこどりはできないものだよ。

そんな地球や宇宙のつぶやきが聞こえてくる。


そして、

COP28は悪玉・善玉・日和見の茶番劇で終わったのか。

(人により、どこが、どの立場なのかの見解は異なるのでしょうけれど。)

それとも、

人々に未来への希望を与えることが少しでもできたのか。


「化石燃料「廃止」消える」(2023.12.14日経)では、

当初案の「段階的廃止」は中東産油国の反対で見送られ、

妥協の色合いが濃い成果文書となった。

などとあります。


2000万人でも、人類と呼ばれている生物種は、腰を上げないだろう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ですので、

ここも、読まれないほうがいいと思います。


そもそも、

おもし なんて命名自体がふざけている。

おもってしまったから、おもしなのはわかるけれど、

そうおもってしまったそこに、どれほどの根拠や説得力がある?

大してないなあ。

でも、それでいいし、それがいいと思っている。


憶見(おっけん)という単語。

憶測に基ずく見解形成とでも表現すればいいのかな。

ドクサともいうそうです。

(臆見=根拠のない、推測に基づいた考え)

(真の知識(エピステーメー)に対し、当人にそう思われているにすぎないこと。臆見。思いなし。)


なぜ、

それでいい とか、

それがいい と 僕が思うのか。

そこが日常生活の限界だと思っているから。

そのようなあやふやな思い込みの中で、

(そうとは思っていないことが問題だとも思いますが)

日々の判断を下している。

そのような人のほうが多数だと思っているし、

そんなことで、世論も形成されてきたし、これからもそうだと思っている。

だから、

それでいい としか 言えないのではないか。

社会や経済だって、

先のことは、よく解らないから、

どうしたって、それぞれの臆見によって、流れていこうとする。


人の行動は感情に突き動かされる。


さてさて、

何が言いたいのかな。

来週18、19日には日銀会合が行われ、

動きがあるのではと、

ドルと円の相場が不安定に推移しています。

右往左往なされている。

僕の臆見は、大したことはできない。しれている範囲。ということ。

一時の円高も行き過ぎている。

関連:エンケ彗星接近はいつ?149年後に温暖化解消?(おもしー514)

人々も、それぞれの御見解で、動かれませ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


昨日の続きのような。


そうか。

そう思うことにすれば少し気持ちも軽くなる。


人生は糾(あざな)える縄の如し

と ことあるごとにつぶやいている。

いいこともあればそうでもないこともある。

運が良いような時もあれば、

運が悪いとしかいいようのないような時もある。

つまり、人々の平均で言えば均されるのですが、

個々を見れば、いい時の人、そうでもない時の人がある。

人間の社会で、人は、比較して生きていく動物であるからには、

全ての人がいいというわけにはならないし、

全ての人がわるいということにもならない。

だから、

自分がいいというような時に、

どこの誰かは知らなかったり、

近くで図らずも比較してしまう悪い時の方が居られるということもあるならば、

その誰かの犠牲の上にそのときの自分があるような、

そんな、

とても、居心地の悪い気持ちがずっとあった。


しかし、

運がいい時とは、

誰かがごみと思ったモノやことを 捨てて 落とし ているものを、

僕がそのモノやことを 救って 拾って供養する(適切に葬る) ことで、

そこに運の移動があり、

拾ったことで得てしまった運は、

誰かが自らいらないものとしていたものであるので、

それらを得て運がいいような時が来たとしても、

誰かを足蹴にした結果ではない。

そんなことも少しはあるのではないかと、

思いました。

いや、そう思うようにしようか。

だから、

そう思うことにすれば少し気持ちも軽くなる。


勿論、チャンスをつかむには、

近づいてくる事象を、

受け止める能力が必要で、

その能力の向上は、不断に努力なされている方とそうではない方との違いは歴然。


僕は、不断の努力とかからは、遠く離れた生活を送っている。

ただ、

運がいいような時に、

僕のように、変に、居心地が悪いなどと、心を閉ざすようなこともどうかなあ。

感謝の気持ちを持って、少し、解放してもいいようにおもいだします。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「あなたは幸せになって。だからしあわせの4つ」

と どこかで調達をしたチョコレートをあげて、

「その分、僕が代わりに不幸になるから、ふしあわせの2つ」

(人生は糾える縄の如し 自分がいい時に周りの人は必ずしもそうはあらず。)

と チョコレートを2つ手元に置くと、


一緒に幸せになりましょうと、

4つのうちのひとつを渡してくれようとして、お互い3つにしようとする。

(いいからと、そのままに と しましたが。)


小さなチョコレートのひとつ分を大きく超えて、

そんな気持ちがありがたい。

数日前の会話。


ちょうど、チョコレートが食べたいなあと思っていました。

そんな気を使ってくれる

娘以上に年の離れたアルバイト先のお嬢さん。

いろいろ苦労されてきたし のようなことを時折聞く。

だから、配慮がよくできるんだろうなあ。

こちとら、

もうこれから(も)は、良いも悪いも何でもござれの、高齢者。

たいていのことは、まあいいんじゃない と いなし かわしている。

ある程度、好き勝手していることのなかでの、

買い物したものを使った出来事。


そうか、

お互い様であるならば、

(人と人を均せば)

近くの人との二人では、3つは幸せの数字かもしれないなあ。

そうするかそうしないかは置いといて、

そうしようとする気持ちがお互いを幸せにする。

だから、

しあわせのよっつと、ふしあわせのふたつは、

寄り添って、お互い3っつにすれば、お互い幸せ。

小さなかけらと若い方に。

教えてくれてありがとう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


新聞に時々、富士山登山のツアー広告が載っていました。

本年、誕生日まで生きてしまい、満65歳に至り、

つまり、高齢者の仲間入りということです。

来年、いい機会と捉えて、具体的に考えてみようか。


10年ほど前だったか、

自家用車で車中泊をしながら移動し、

5合目の駐車場で高度順応を兼ねて車中で泊まり、

翌日、暗いうちから登山を開始し、

時計の記録を見ると、9月5日でしたが、

後に続かれる長い長いヘッドランプの列。

ご来光に歓声を上げられる多くの方々。

お鉢巡りはあまり皆さんされておられませんでしたが、

廻っていると、

途中の山小屋の前で、外国の方が、野外なのですが、寝袋に入ったままでした。

ちょっとびっくり。


ツアー参加は苦手。

やっぱり、個人で車中泊をしながら向かいたいけれど、

う~ん。

少し自信が無くなってきたんなあ。


天気予報をにらめっこしながら、

1週間ほどの期間をフリーにして、

その前には、毎月のように、大山で少し慣らして。

それじゃあ、今年に続いて、1月か2月に大山登山と行きますか。


富士のお山は、やっぱり、9月かなあ。


そんなことを、前向きにでも考えないと、

滅入ってしまいそうな今日この頃だったりして。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


先生から「今は何も考えずに休んだほうがいい」と言われた

瞬間に、地球の重力を一手に引き受けたかと思う

そんな記載をどこかで読みました。

呼吸もその刹那、止まったのではないだろうか。


呼吸をする。

つまり、息を吸ったり吐いたりする。

その時間は、

「息を吸う」(約1秒)

「息を吐く」(約1.5秒)

「休息期」(約1秒)という流れだそうです。

お釈迦様が人の一生は一呼吸と言われたとか。

死んでまた生き返る。

なにか、呼吸もその繰り返しの様。

息を吸って生まれ、

息を吐いて

休息期に過ごしそして死んでいくけれど、

また、息を吸って生まれ変わる。

その間、4秒ほど、人の一生はその生き死にの繰り返し。

刹那刹那に生きている。


一呼吸が4秒ならば、

86400秒の1日では、21600回の生き死に(呼吸)があるようなもの。

その一呼吸の貴重な積み重ねを、ありふれた一日としてぜいたくに過ごす。

それが、月や年を過ごし、世紀を超えることだってある。

そんな人々の人生。


時には、重圧から解き放たれて、貝のように海の底で静かにしていたい気持ちにもなる。

(貝の生存競争の厳しさを知らずに綴っていますが。)

歌にもあったなあ。

前川清さんが歌っていて、僕も以前カラオケで。

「貝になりたあ~い。」

ここでは、お釈迦様のお言葉を信じ、

何かあっても、一呼吸、二呼吸置いて、

(ひとつの生死、ふたつの生死を越えて)

地球の重力を一手に引き受けるように、お休みすることだって、それも是です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


約3年で太陽の周りを回る直径5キロほどのこの彗星について、

過去1万4千年間の軌道を、

惑星の重力などの影響を考慮して計算すると、

1万2800年前あたりで地球にかなり接近していたことがわかった。

この時期、同じような空中爆発の痕跡が、欧州や北米など北半球に50カ所以上残っている。

「崩壊した彗星の破片が同時多発的に地球に襲いかかった」

大気は大量のちりとすすで覆われて太陽光は遮られる。

「ヤンガードリアス期」と呼ばれる急激な寒冷期

温暖になった地球が「寒の戻り」に見舞われ、

気温低下が1千年以上続き、多くの大型哺乳類が死んだ

などと

「農耕の始まりは彗星の空中爆発?

急激な寒冷化→動物消え→狩猟から転換」(2023.12.1朝日)にありました。


天体由来の地球表面環境の激変は、

6500万年前の小惑星衝突による恐竜絶滅を誰しもが思い起こす。

それよりも、小規模ながら、

彗星接近により、その破片の落下は、当然にあるだろうし、

記載の、地球の歴史的には短期である千年ほどの急激な寒冷期となった「ヤンガードリアス期」の発生理由には、そのような小規模彗星の影響がちょうど説明しやすいように感じます。証拠もあるようですし。

それじゃあ、

約3年で太陽を回るとされるその彗星の、地球への接近時期は次はいつ頃が見込まれるのだろうか。


(エンケ彗星は地球に、2172年6月29日に0.165 au

(1au(天文単位)は、太陽と地球との距離。)

まで接近すると予測されているそうです。

0.165 auは、

149,597,871km × 0.165 = 24,683,648km

ちなみに、動かないように見える静止衛星の高度は、

赤道上空の高度約36,000kmの円軌道だそうですので、

その685倍の遠さまで、近づくということとなります。) 


これを影響のない遠さとみるか、危ういニアミスと考えるか。

見込まれているその距離は、

1万2800年前あたりで地球にかなり接近していたとされる時と比較して、

近いのか遠いのか。

2172年は、あと149年ですなあ。


温暖になった地球に「寒の戻り」が再び訪れることは、

多くの個々の生命体にとって、その生命の存続は難しい。

大型哺乳類であるヒトの存続も危うい。

だけれども、

それは、天体どうしが影響を与えながら、それぞれの表面環境が変化しているだけのこと。

宇宙の片隅に居を得ているものとしては、それに晒され続けること。


コップの小さな中で、

それなりの立場の多くの人々が集まり

実りのない議論をしているように感じているので、

天体に望みをかける方がよりまともなように思ってしまう。

なにが、石炭火力発電新規増設停止ですか。


犯人は、誰?

(とも思うけれども、主犯を誰かに求めることは空しいこと。)

まだ気づいていない?あなたですよ。

そう。僕です。

雨が降っても、暑くなっても寒くなっても、衛星のかけらが落ちてきたとしても。

昨日、7日の午後、1日で6円近くの急激な円高ドル安(円相場は一時1ドル=141円60銭近辺まで上伸)になっても、

何ごとも、僕が生きている間は、他人のせいにはできないなあ。

でも、149年後に、僕は生きていない。

これは確実。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


はなかみ。

花紙。

華神。

そんな発想をしてくれた外国人さんが居られたと聞いたことがあります。

「はなのかみ」から、そんなありがたいような、優雅な雰囲気。


鼻をかむ。

これもまた、有難いと思います。

鼻をかめる動物でいられることに感謝したいくらい。

家の猫(勘太君)なんか、鼻をかむことはできない。

(もっとも、彼らは、そもそも、鼻を詰まらせた僕のような軟弱な心身をしていない。時々、鼻水を垂らしているけれどもね。)


柔らかい紙を、鼻の出口あたりに両手で添えて、

うっとおしく溜まっている白血球達の闘いの結果のゲル状の塊が出てくれた時の爽快感は、その時限りとはいえ、とてもうれしい。

それを期待して、

いきおい、つい、鼻腔に入れる呼気を強くしたくなる。

でも、それはだめなんだよなあ。

鼻腔内の圧力急上昇で、

鼻腔と耳の中耳を繋ぎ、

鼓膜という膜で大気を遮断している外耳側との空気の圧力の調整をしてくれている耳管に、

そのゲル状のものの一部が押し込まれてしまう。

それはなるべく避けたい。

耳管は中耳に直結していて、中耳炎という炎症を起こすまでに至らなくても、耳管が詰まるような感じで、気持ち悪い。


正しくないとされる鼻の噛み方は、

左右両方一緒にかむ。強く1回でかみきろうとする。

ということのようなので、

その反対で、

左右片方ずつ、一方の鼻の穴の出口付近に指(僕の場合、大抵、中指)を添えて、

片方の出口を塞ぎ、

(勢いよく排出させたいところだけれども、)

心持ち弱めに呼気を押し出す。


どうも、気付いたときから耳の左右差があり、

左側の耳管に、排出物が押し込まれようとする。そんな音や感覚がある。

時折、閉塞感を感じることやなんとなく痒みがあるようなのも左側。

右側では、あまり感じたことが無い。

利き耳のように思っているのも、右側。


50歳代前半だったか早くに亡くなった叔父が、(亡)父の耳のことを言っていたことがある。

父や叔父たちが子どもの頃、近くの川の堤防のようなところで父は深く潜り、耳を悪くした。自分はそこまで潜れなかったと。

そんなことも理由のひとつなのかもしれないけれど、

たしか、僕と同じ左側のほうが聞こえが悪かったような。

そんな半世紀以上前の記憶たち。


はなをかむ。

特に、左側には、あまり力を籠めないようにしようーと。


ただまあ、

はなをかむのも、久しぶりのような。

なにか何年かぶりのような気もする。

杉さんが風邪をひくなんて。

と アルバイト先の人たちが言ってくれた。

でも、僕は、風邪をひいたとは言っていない。

熱もあまり出ていない。(たぶん37度台まで)

ただ、咳が出て、そのうち鼻水も出てきた。

たぶん、体内に進入してきた病原体をそのあたりで防御しているからだろう。

奥まで進入していないので、体全体の防御(発熱)までには至っていない。

そんな感じ。

だから、いつもと同じ素足に雪駄履き。

(年寄りの冷や水そのものだなあ。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


沖縄出身の芸能人の方は多いと思っています。

しかし、アイヌの方はあまり聞かないなあ。


「縄文直系の子孫 いない」(2023.11.26読売)のなかで、

縄文人 「彫りの深い顔立ち」

現代の日本人は、縄文人と、弥生時代に渡来してきた人が混血し、生まれたと考えられてきた。

「二重構造説」と呼ばれる仮説で、渡来人の影響が強い本州などに比べ、北海道のアイヌ民族と沖縄の人たちは比較的、縄文の要素を残すとされる。

縄文系の遺伝情報の割合 アイヌ・・7割 本州など・・1~2割 沖縄・・3割

などとありました。


本州などの人たちの多くは、

いわゆる 平たい顔族。

だから、彫りの深い顔立ちの方とは、遺伝的に少し距離がある。

しかし、

その距離感が人気形成を左右するような。

あまりに、彫りが深くては、敬遠の向きも出てくる。

だから、大きな割合的を持って芸能界的に支持を集めるのは、

7割よりも3割のほうに、平たい顔族は魅力を感じるのでは。


関係ないですが、

沖縄に住んでみたいとずっと思っています。

高齢者になってしまっているし、

なんとかいくらか実現したいなあ。

沖縄のどこがいいのだろう?

やっぱり、ヤンバルかなあ。

とりあえずとして、

トラベルトレーラーで一ヶ月ほど、うろちょろしてみたい。

(持っていないけど。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ざる。

笊。

(そう呼ばれる笊が気の毒に思えるほど。笊には何の罪もなし。)

駄々洩れ。


「免税品、国内で転売か」(2023.11.29朝日)では、

免税販売手続きは21年10月に完全電子化された。

22年度に出国した人の免税品の購入額

100万~1千万円の人が5万1726人、

1千万~1億円が1838人、

1億円以上が374人だった。

1億円以上の人の合計購入額は1704億円にのぼり、1人平均4.5億円となる。

1億円以上の購入者のうち57人に検査を実施。

免税品の持ち出しが確認できたのは1人

不正があった56人に対しては、消費税を払わせる「賦課決定」をしたが、納付したのは1人のみ。残りの55人、計18.5億円分が滞納となっている。

などとありました。


こんなことなら、

もう、消費税なんて払わないぞ。

そう決意を固めるものの、

そうもいかない日常。

もう、免税など止めてしまえ。

そう考えるものの、少数派なのか。

こんなこと、今に始まったことじゃないだろうに、

「来年にかけて課題を洗い出して」?

ばっかじゃないの。

1億円以上の374人のうちで検査をしたのは57人?

15%強。

日本国は阿呆にされているなあ。


書かれていない100万円未満だって、

アルバイト感覚で国内転売の割合が高くない?

検査していない人もほとんどは不正を行っているとしか思えない。

示されている滞納金額なんて、実質のうちのほんの一部。


しかも、

滞納とされているけれど、

税務当局さん、徴収できないのでしょお?

不能欠損(あきらめる)となるのでしょう。

それでも税務当局さんに大きな罪はありません。

あるのは、制度不作為のお国様。


どうすれば、このばかばかしさの憂さを晴らすことができるのだろうか。

ふるさと納税の外国版はないし、

タックスヘイブン((Tax Haven)直訳で「税金(Tax)避難所(Haven)」)も、

そんなことできないか。

せめて、納付一時預かりでもできないかなあ。

動かないお国が、きちんと不作為を解消すれば納付します。

それまで供託しておきますなどと。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ひえー。

世界の皆様。

こんにちは。

昨日、当HPに訪問いただいたアクセス件数は、484で、

(本日のアクセスも朝6時時点で140件を超えていますし。あー。びっくり。)

しかも、TLD(トップレベルドメイン)が33もありました。

(インターネットのURLの最後の、日本は.jp、アメリカ合衆国は.us、の、あれです。

このTLDは世界中で250ほどとのことで、

国やヨーロッパのEUのような地域に割り当てられているようです。)

各国などのドメインをお持ちの方が、

何を勘違いなされて、ここまで彷徨いこまれたのか。

ご愁傷さまです。

さぞや、がっかりなされたことでしょう。

(がっくりする、そんな間もなく、移られたと思いますが、

昨日の平均の滞在時間は5分34秒とのことで、いくらかは読んでいただけた?)


しかし、

ともかくも、ようこそいらっしゃいました。

(250のうちの33は、13.2%)

このブログも含めて、

ヒトや人、人間たち、世の動きを自分なりに感じて、

自分の生き様や、趣味、〇〇などの判断材料とするために、

この軽いおつむのなかの整理を行っていることに利用しているものですから。

おもってしまったことは、否定できず、

致し方なきこととしております。

思い違い多数ながら、

僕の人生の終わりまで、そんなことで終わっていくのだろうなあと思っています。

まあ少し、趣味や実益と呼ばれることなどに生かされていると思い込んでいるところもあるので、

それなりにいいかな。

本年もあと一ヶ月を切り、

来年2月には所得などを計算して、確定申告いたします。

本年の申告のようにならないかなあとの希望もありながら、

難しいかな。

そんな中身にも、少し生かされていたりして。


でも、皆様、何もご鞭撻いただかないようにしてくださりませ。

人の言われることは、大概聞きませんので。

好きな人と好きなことをしていたいだけですし。

(思うようにできていないのでそうしたいと書いているだけ。)

皆様も、このHPの各種記載を、けっして、参考になさらないでくださりませ。

(もしかして、インスタに挙げている猫の、毅然とした、だらけた、動画から迷い込まれた?)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


私にいつか、はあるのか?

皮膚がんのステージ4と言われた方が投稿されていました。

「始めるなら今!」(2023.11.16朝日)


また、

「ホスピスで2500人みとった」(2023.11.19朝日)では、

ホスピスでよく聞く言葉は「矢先」だ。

がん発症は50代以降に多い。

忙しく働いてきて、時間ができたら家族で温泉に行こうと計画していた。

その矢先にがんが見つかった、というように。

などとありました。


誰にも、いつかは、ない。

そう言いきりたい。

あるのは今だけ。

そうも言いきりたい。


僕はいつも自分に言い訳をしている。

今は、咳が出て、体調不良だ。 とか。

(やっても万全の態勢で臨めない。)

周囲の賛成が見込めない。

(行っても周囲の反対でとても困難な道のり。)

天地人の時が満ちていない。 などなど。

どれも正しいのでしょう。

だから自分の行動に移さない。


そんな僕に明日は来るのかい。

来ても、何々しようとした矢先のような明日になるのではないかい。

万全の態勢で事に臨むことができるなんてことは、無いと知れ。

そもそも自分は何がしたくて、周囲を窺っているのか。

周囲の反対に屈するほどのことなら最初から望むな。


あ~あ。

つくづく、凡人だなあと実感する。

自分の死を覚悟なされた皆様とは雲泥の差。

それだけ、

余裕を持って、投稿や記事を読んでいるということ。

高みからの見物のように。

つくづく自分が嫌になってしまう。


まだ早いなどということは、

誰にもわからない。

いつだって、前向きなことも含めて終活を行っている。

そんな自分でありたい気分です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


思い出したなあ。

どうにでもなる との発言。


(1974年11月20日の天声人語が2023.11.20朝日)に掲載されていて、

そのなかで、

「国税庁が政治家の差しがねでどうにでもなる役所だとわかったら、

税金を払うヤツなんていなくなる」

とありました。


市長村長が自ら賦課する市町村税は、税法はどうであれ、どうにでもなる。

都道府県知事が 云々。

そんなことになれば、

払うヤツはいなくなるから、

あったとしても、

守秘義務などに阻まれて、闇の中。

でも、確実に耳にした。

やる気を一気に失わせる。


続く近くに配された記事では

ニクソン氏については11月1日、自分にたてつく国税庁の幹部らを追い出したが、自分の脱税に対する内部告発を抑えることはできなかった。

正当な内部告発を、公益通報とも呼びます。

内部の構造的な不正が外部からより見えにくくなっている現代、その意義はより大きくなっています。

などとあります。


そのとおりながら、

何かとてつもなくむなしい響き。

公益通報だってさ。

意義は大きくなっていても、

その現実は、どこにどんなことがあるのかよくわからない顕微鏡的世界ではないの?

自らを公にして、あってはならぬことだと、主張していながら、

芸能界の、いわゆるJ問題は、日本社会から無視し続けられていた。

公にしていたって、無視をする社会。

あらためて、正当な内部通報は、公益通報だってさ。

とてもむなしい。

当たり前のことがどこでも通らない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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