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とてもではないけれど、

例えば、

数十キロの負荷を背負い40㌔の行軍を耐えて貫徹することは不可能のようにみえました。


「最前線「砲弾足りない」」(2024.4.30日本海)では、

写真「27日夜、ウクライナ・チャソヤールの前線に車両でドローンを送り届けたウクライナ兵」

として、

運転手のウクライナ兵さんが映っていました。


良くも悪くも、

太平洋戦争時の陸軍の死の行軍のようなありさまは できない 今日の軍隊の現状。

良くも悪くも?

戦争遂行に良いことなんてあるのかい。

悪いことばっかりではないのですか。

そんなことを言っていても、

現実には終結させられない人類の力量。

そこで、自らの意思がどうであれ、働き、命を落とす可能性に高い立場、それを 兵としている。

その兵たちは、非戦争状態からの寄せ集めの部分もあり、

参加以前の生活が反映された姿かたち。

そこは、

平和であったのか。

争いがなかったのか。

そう思っても、それも良くも悪くも。


ともかく、

「わが軍が1発発射するたび、ロシア軍は10発以上撃ち込んでくる。砲弾が足りない。」

そんなところで補給車両を運行されている運転手さんでした。

現地の27日夜といえば、今からたったの2日ほど前の現実。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「金高騰、世界の転換点映す」(2024.4.26日経)では、

ウクライナでの戦争勃発を受け、ロシアをドル決済網から締め出すといった「ドルの武器化」を図ったことで多くの国々、特に中国は米国が握る基軸通貨という金融面の力に対するヘッジとして米国債を売り、金を買う動きを加速させてきた。

人々は新たな世界に対してヘッジしている

米国の公的債務と財政赤字 いずれも急速に持続不能な状態に陥りつつある

などとありました。


買ってください。

どんどんと。

そして、どんどんとその値を釣り上げてあげてくださりませ。

ご自由にどうぞ。


モノの値段が上がっている。

その象徴が金なのかもしれない。

紙幣をいくら積み上げてもあがなえない そんなことになっていくのでしょう。


人間社会では、富を腐らせないよう腐心されている。

別の置き方で(ヘッジして)減価を防ぎ、なんとか増加させようとする。

富が保存できるからこんなことに心が持っていかれる。

人の心はどこへやら。


人の心の在り様もヘッジしておきたい。

一カ所だけではなく、

複数の居場所を持つことができれば、

そこにいるときはその幸せ。少しきつくてもね。


ん?

金だって、

何も語らず光を反射しているけれど、

静かに幸せを噛み締めている?

先代の太陽の爆発などで生成された元素にとって、

ヒトが精製し塊にしようがそれを右に左に売買しようが、

ご自由にどうぞ。

伝導率がよく伸ばすことが簡易で腐食しない物質としての働きも、

金にとっては働き方のヘッジ。

う~ん。

金にとってはどうでもいい周囲の評価の話。


やっぱり、その価値を人間が認めているとしている以上、

僕も、やっぱり未練がましいなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


きょう投開票。暮らしに関わる道路や交通の在り方も、この地域の大きなテーマ

(2024.4.28日本海の海潮音)の最後にありました。


そんなことは、そのとおりなんだけれども、

それでは、

そのようなテーマとなっているその地域にとって、

どういった人をその地域は選択されてきたのか。

政権政党に所属し国権の最高機関の長にまでその地位を高められた。

そのような位置にありながらも、

今日そのようなテーマを論じなくてはならない。


そうなんです。

関係ないのですし、そんな力もないのです。

なににって、

権力側に所属していようが、

できなかったし、解決の見通しだって示せれなかった。

できていない責任だってとらない。

(どんな責任も取りませんよ。)


この地域に限ったことではなく、全国的な問題で、

責任を取らせる理由はない。

地域においては、それもそのとおり。

でも、全国ではどうなんですか。

全国の舵取りを行っている政権政党なんではないのですか。

責任は取ってもらいましょうよ。


円安のむなしさと政治と呼ばれる行為のむなしさ・虚構とは

どちらが?

・・・・・・。


あ~あ。

また、つまらないことを書いてしまった。

読まれた方には申し訳ありません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


ずいぶん前から、スルメイカは遠くになりにけり。


もう大衆魚とは言えない

もはや高級魚

スルメイカはクロマグロの好物

全国イカ釣り漁業協会によると23年6月時点で44隻が所属 10年前は120隻

などと、

「スルメイカ 漁獲減り高騰」(2024.4.25日経)にありました。


在京していた学生時代に、

(40年以上前のお話し)

田舎のお土産として喜ばれていたのが、

スルメイカの一夜干し。

けっこうな肉厚ながらも、駅前で、5枚で千円だった。

そんな販売していた光景もあったなあ。

     がおいしいと言って食べてくれたのになあ。


44隻しかない?

イカ釣りの光も今は見えないのかも。

あんなに横一に並んでいるように見えていた光の列。

獲れないのなら致し方なし。

人様の口に入るよりはマグロさんが食したほうがなにかいいような感じもする。


円が捨てられているような円安がますます進み、

(今朝は、158円を突破して、昨日より3円以上安くなっています。)

どこかで漁獲しているスルメイカを輸入するのならば、

5枚で1万円(?)になるのかなあ。

高級すぎて考えられない。


物価は上がり続ける。

勿論、賃金はそれについていけないし、裏金責任は明確にしないし。

水平線の光が見えなくなったように、日本の希望もどこへいったやら。

・・・・。

僕は、今日も風を切って進むしかない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


明日のことはわかりません。

けれども、

たまには書かないと忘れてしまいますので。


多様な生物が登場した約5億年前からの歴史の中でも5回しかなかった

約4億4500万年前の「オルドビス期末の絶滅」 大規模な火山噴火が原因とみられ、7割を超す種が絶滅

約3億7200万年前の「後期デボン紀の絶滅」

約2億5200万年前の「ペルム紀の絶滅」 地球上に生物がほぼいなくなる壊滅的

約2億150万年前の「三畳紀末の絶滅」は大噴火が原因

「白亜紀末の絶滅」は約6600万年前 小惑星の衝突 恐竜などが滅ぶなど約7割の種が絶滅

などと、

「6回目の生物の大量絶滅?」(2024.4.21日経)にありました。


46億年と言われている地球の年齢の中で、

生物の誕生が35億年前であり、単細胞生物からの多細胞化には25億年近くを必要としたうえで、多様な生物が出現するようになってから約5億年。

その後のなかで環境の急変により大量の生物種の絶滅が5回、地質学的に証明されている。


多細胞のような複雑な機能を持つから特別(温暖で変化の少ない)な環境でしか生かされない。

とは、

単細胞生物たちの語りの代弁です。

(高温の温泉水の中から聴こえたような気がしています。)

単細胞の彼らにとっては、

5回の環境激変も、まあそんなこともあるさぐらいなのかも。


でもまあ、

今生きている生物たちにとっては、

環境の激変は避けたい。

それは、とても贅沢なことなのだろうか。

特にこの1万年ほどの間の間氷期の過ごしやすさのなかでは。


明日がいつもと同じように来てくれる。

いつもと?

いつもってなに?

たかだか、65歳の僕にとっては、60年間ぐらいの間のこと。

明日ってなに?

個別の生命体に必ず明日が来るとは言えない。


そんなこんなを繰り返して、

地球では、何億年、何十億年。

宇宙では、百何十億年(138億2000万年)が経過 していると言われている。


生物の大量絶滅は地球上に必ず巡りくる。

(太陽系第三惑星にとっては、惑星の存否に関わらない付随の出来事)

それの直接の原因が何になるかは知れずとも。

たぶん、その原因を知らないままに、僕はご愁傷さまになるのだろう。

少し無責任ながらも致し方なし と 思わせてちょ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そうなんです。

使っているうちにペン先が欠けてしまい、

(どうして傷んだのかよくわからないまま)

欠けたペン先では、ガリガリ。

とてもではないけれど、文字を書こうという気になれない。

気持ちよく美しく書けていたのになあ。


「むらのない線に職人技」(2024.4.24日本海の書いてめでるガラスペン)では、

ガラスペンのペン先には、緩やかなカーブの溝が何本も刻まれている。

魔法のように文字を書ける

職人が細心の注意を払うのが、このペン先。

一点ずつ丹精を込めるのは、硬質ガラス(耐熱ガラス)のペン。

7日間かけ10本仕上げるのがやっと

ペン先の修理を無料で請け負う

などとありました。


たぶん相当なお値段なのでしょうし、

そして、書き味も相当いいのでしょう。


僕が持っている

(欠けてからどこに行ったのかよくわからないけれど、廃棄はしていない。)

ガラスペンは、たしか、沖縄だったか、お土産屋さんで購入したもの。

高価なものではありません。


でも、

インク壷にペン先を浸して表面張力でペン先に。

何かとても気持ちの良い得した気分になります。


そうか、

インク壷かもしれないなあ。

インクが少なくなれば、インクの水深も浅くなり、

ペン先と壷の底とが、同じガラス同士でぶつかってしまったのかも。

壷の底のガラスより、ペン先の方が弱いことはどうしようもない。

ガラスペン用のやさしいインク壷というようなものがあるのかもしりませんが。


それに、

職人技の金属製のペン先から、

産業革命により工業製品のペン先が製造され、

安価で誰もが使用できるようになったように、

ガラスペンにしても、取り換えできるペン先があればいいなあ。

ガラスペンの持ち手などの装飾や色付けなどにはあまり興味がありません。

気持ちよく書ければいい。

欠けたら取り換えできる。

そんな、安価なガラスペンが欲しい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


体のあちこちが痛い。

子どもたちに交じって、日曜日も習い事をやってしまった。

腰回りや膝など、数日たてば回復する?と思っているけれど。

まるで、お年寄りになったみたい。

こんな時に、年金のことを考えることは当事者意識が高まりいいんじゃないか。

体に重いものを付けて妊婦さんの気持ちを実感するようなものか?


「年金制度改正の影響試算」(2024.4.17読売)のなかで、

年金制度改正に向けて検証する主な項目 として

厚生年金の加入要件緩和

基礎年金加入期間の延長

在職老齢年金制度の見直し

「年収の壁」を巡る制度改革

とありました。


いつまでこんなことを厚生労働省さんは議論なされているのか。

さっさと改正方向を示しなさいな。


僕が思うに、

1番目は、速やかに進捗させること。

2番目は、一律にお国が定めるのではなく、希望者から進めること。

3番目は、(現役世代からの仕送りであるという)年金の趣旨・実態に照らして、現行制度維持。ただし、年金受給繰り下げを選択した場合は、受給開始時の減額はしない。

4番目は、第3号被保険者の段階的廃止。


こんなこと誰しもわかり切っているのにどうしてできない?

ただ、3番目だけは政策に矛盾があるけれど、年金財政健全性確保の観点から自己矛盾は当面のこととして。


なんて、勝手に書いているけれど、

年金の「財政検証」って、信用できないなあ。


自分のことは自分で守らなくては誰にも助けてもらえないような。

お年寄りのように(?)あちこちが痛いときには、

それにあったことを考えればいいような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「生産性停滞 脱却まだ遠く」(2024.4.19日経)のなかで、

最後のほうに、

日本経済が停滞した原因として3つ

第1に日本企業は女性の効率的な活用ができていない。労働人口の50%近くが重要な地位に就けないような経済は非効率

第2に明治や昭和期には盛んだった起業家精神を育む文化が圧迫されている。 中小企業は成長するか倒産し退場するもの

日本の中小企業は 潤沢な補助金を得ている

第3に長年にわたる大学の財源不足により、 高度な専門教育で大きく後れを取っている。

とあり、

明治期の工業化は、助成金による就業の奨励、工場での女性労働者の雇用、国営企業への補助金打ち切りを通じて推進された。

などともありました。


女性の就労は、日本の男どもに意識しないとするとに関わらず妨げられていて、

多くは低賃金を甘受させている。

まるで、白色人種(こんな表現は、今、あからさまにはしないのだろうけれど)と自らを自認する人たちの、他の肌の色に対する妨げと同じように。

その目的は、自らの高下駄の確保。


女性のライフサイクルも含めて、男性と平等な機会均等などがまったく充分ではないことが、停滞の第一だと思っている。

もっと、重要な立場にも就いていただきたい。

だって、世の中のお金の7割を消費するのは女性なんですから。

そう思うけれども、日本人の多数派は、現実化されたくないのだろうなあ。


中小企業は成長か倒産か。

わかりやすいなあ。

でも、現在の日本人の多くはそれも受け入れられないだろうなあ。


停滞とは何ぞや。

それでいいと思ってもいるのではなかろうか。

脱却?まだ遠く?

脱却の方向にベクトルが向いているのなら、まだ遠くともいえるけれど、

その方向を向いていないと感じています。

単なる彷徨で、あたりをうろついているような。

高度な専門知識はないもので。


やっぱり、まずは、女性を大事にすることだと思うけれどなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そんなことにはならないだろうし、

なって欲しくない。

(なったとしても、

統一的に共に行動するとはとても思えない。

少なくとも半世紀は。)


「ウクライナ敗北なら欧州は」(2024.4.16日経)では、

ウクライナの領土割譲という形でロシアに勝利をもたらすのではないかという不安が最近では支配的

ウクライナを支援する民主主義諸国は、

ロシアを非難する国連決議を提案したり、

欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議で文言を巡り駆け引きしたりすることは得意でも、

それ以外は何もできない国々

ロシア軍が勝利すれば、プーチン氏は21世紀に領土を略奪すべく実戦で鍛えた戦闘スキルを持つ唯一の軍隊を指揮する最高司令官となる。同氏がウクライナを手中に収めれば、激しい戦闘を経験した軍隊を2つ抱えることになる。

などとありました。


人は、

明日の約束よりも、今日のパンを優先する。

言い換えれば、将来の自由な境遇よりも、現実の食料やエネルギー資源確保を優先する。

だから、資源保有は人間社会においてとても強い力を発揮できる。

これまでも、これからも。


それ以外は何もできない と 口ばっかりの能書き諸国のような言われ方をされているお国とはどこなのか。


鍛えられた軍隊?

そんな側面を強調したくない。

人は次々に死んでいる。

軍隊が戦場を経験するということは、そりゃあ、実践訓練に他ならないからそうでしょう。

しかし、人が互いを殺し合う戦争に関わる限り、その精神は崩壊の方向に進む。

その後の健全な(?)人間社会の発展・進展には、寄与しない。

この2年以上の戦闘においても、これから半世紀(以上)をかけてでもその病む期間が快方に向かってくれないかと祈る。


軍隊を2つ抱える?

僕の頭では、どう考えればいいのか混乱しています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


漸増年金(ぜんぞうねんきん)

こんな言葉はないとは思うのだけれども、

受給選択において、そんな選択肢があってもいいのではないか。

いや、なければならないのではないか。


なにかと、年金のことを気にさせるような年齢(65歳なので)です。

特に、なんでそんなことを気にするのかと思うことのひとつに、

いつから受給すれば得になるのか。

とのこと。

ネットでも紙でも年金においては欠かせない話題のようですが、

そんなことに関心を深くするから、

長生きできないようになるし、年金受給の本質を見誤らせる、

と思っています。


受給開始からお亡くなりになるまでの間で、

年金受給総額が多いのはいつから受給すればお得になるのか、

といった不毛で終わってみなければわからない結論を自らで予測してみようとするお考え。

あーあ。

そんなことわかりませんよ。

そして、それがいったい何の役に立つのだろうか。


それは、

65歳のときに受給する額(例えば、200万円)と、

同額を受給するとした75歳、

そして85歳、

さらに95歳 それぞれとでは、

同じ200万円でも、意味合いがまったく違う。

と語ったところ、

アルバイト先の(4つ下の)同僚さんが、本当にそうですね と 言ってくれました。

(同居のお母様の受給額のことも含めて言っておられました。)

高齢者として生きているのであれば、

心身の衰えに抗いつつも、その進行を受容していかなければならないことは誰もが認める事実。

今、65歳として、20代から考えると65%ほどの体力知力の能力とするならば、

20年後の85歳では、自ら行える行為はより小さくなり、社会的な力に頼る部分を得ようとするならば、その具体的な道具として お金(おかね) と呼ばれるものの価値がその方にとっては大きくならざるを得ない。

だから、体力知力年齢に応じて お金と呼ばれるものの必要性は変わってくる。


ですので、

年齢がいけばいくほど、労働収入は減っていくことに反比例するように、

漸次、年金額が増加していきますよという年金受給の選択肢があれば、

利用なされる方もあるのではないかなあ。

いや、

そうあって欲しいと誰しも思っているのではないか。

でも、現実はそうなっていないので、補足するための自らの貯えを確保しようとなされている。

その方向性は人々にとってとても大きなものだと感じる。

自営の方々が基礎年金のみの受給では生活できないとなされ、

営業を継続されているということをよく聞きますし。

年金に個人の将来の希望を含ませてほしい。


幾分緩和するのではないですか。

漸増ならば。

そして、長生きの精神的な支えにもなってくれるのではないですか。

この国の制度って、年齢画一で面白くない。

コンピューター(なにかとても古いイメージ)、

いや、AIさんの時代なんでしょお。

いろんな選択肢があっていい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


立派な異名です。

フォーエバー・マシン(永久に使える機械)


業務用洗濯機の山本製作所(広島県尾道市)

同社の洗濯機は耐久性に優れ、メンテナンス部品を永久に提供すると保証することから、米国で「フォーエバー・マシン(永久に使える機械)」の異名を持つ。

業務用洗濯機と乾燥機で国内トップのシェアを持ち

販売時の価格を中国製ほど安くはできないが、メンテナンスも含めた買い替えるまでの費用「ライフタイムコスト」で競うことにした。

耐久性や長期保証は部品を極限まで内製化していることで可能になる。

加工部品の内製率は98%に達する。

などと、

「「永久に使える」洗濯機 増産」(2024.4.17日経)にありました。


やはり、

いいもの、使い勝手がよく、気持ちよく使えるもの、

そんなものをなるべく長く使いたい。

気に入って手元に置き、よく使っていれば愛着もあり、大事に使う。

そして、結果的に、致し方なく買い替えるとしても、

その間の費用は、目新しいものを煩雑に買い替えるよりも安価になる。

僕は、そのタイプ。

だから、同社の姿勢にとても共感する。

内製化率がとても高く、どこかでは手に入らないから、同社にお願いする。

似たような一般的な部品よりも割高なのだろうけれども、

そこは、ライフタイムコスト全体を評価していただければ。


まあ、業務用洗濯機として、国内ではそんなに大きな市場ではないような気もする。

ただ、世界に打って出られているようで、

米国での高評価や、コスト面でも中国製にも負けていない?

繰り返し修理しながら使い続ける。

そんなイメージが、発展途上の地域でよく聞く。

世界中で、

ヤマモトはフォーエバー・マシン(永久に使える機械) だ。

と言われているのかもしれないし、そうなっていって欲しい。

こんど、近くのコインランドリーをのぞいてみよおーと。

こんな企業がその分野での唯一の企業に成長なされていく となってほしい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


でも、待っている人がいるのだろうなあ。

その2分を。

どんな人なのだろう。

僕としては考えられないのですが。


「開かずの踏切 解決の道険し」(2024.4.16日経)のなかで、

開かずの踏切=1時間のうち40分以上閉まっている(ピーク時)

全国539カ所

(東京都)京急線・品川駅 58分

(大阪府)JR阪和線・鳳駅 52分

(愛知県)近鉄名古屋線・蟹江駅 51分

というような表がありました。


いくらピーク時とはいえ、もはや、踏切とは呼べないのでは。

だって、

その品川駅のところでは、

1時間のうちにたったの2分しか開かないんですよ。

本当に、その2分を待っている人はいるのだろうか。

その2分って、何回開いての2分なのだろう。

それに、

カンカン カンカン

ご近所の方も、よく我慢なされていることだ。


いっそ、そのピーク時なるものが、どのような時間帯なのか知らないけれど、

その時間帯は通行止めにしてしまった方が精神的に安定するのではないか。

その間、信号機の音も無音にしてしまえば、環境改善著しいのにね。


僕の、

近くの駅には跨線橋がある。

せめて、そんな施設をとも、素人的に考えるけれど、できていないということは難しいんだろうなあ。


ん?

そうか。

ここいらへんのような列車は1~2時間に1本ぐらいなので、時刻表を見て間に合うように駅に向かう。

都会では、時刻表なんて見ないでも、すぐ次の列車がきてくれる。

つまり、

開かずの踏切を利用なされている方は、

開く時刻を承知しているのではないか。

その前になると、踏切に集まられる。

もしかすると、開く時刻の時刻表が踏切に貼ってあるのかもしれません。

何時何分何十秒から20秒間 などとね。

うーん。

そうなると、運行なされる列車の運転手さんには結構な重圧だなあ。

本当にダイヤ通り運行しなければ。

少しでも早く若しくは遅くなると、その2分だって、どこかに飛んで行ってしまうのかも。

開かなくての苦情があったりして。

きついなあ。

あ~あ。考えるだけで、肩が凝る。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


自動車って重たいなあ。

MT車なので、1、2メートルほどなら、エンジン始動させずに、押して動かします。

重い。

それに、タイヤ交換。

遅ればせながら、

(今年7月車検の時に、ノーマルタイヤの溝の深さが心もとないので、スタッドレスタイヤ使用を伸ばしていた。)

昨日の、アルバイト休日の朝、いたしました。

タイヤも重い。

持ち上げて、タイヤホイールの穴を車側のボルトに入れようとするけれども、

一回ではなかなかすっと入らない。

重いなあ。

(225-55R18)


自動車って、こんなに重いタイヤを、時速100kmなどでぶん回す。

よく飛んでいかないものだ。

あらためて感心する。


ぶん回したり、動かしたり、

人力ではとてもとても。

少し動かすだけで、ふうふう。

あんな重たいものを動かしてくれる化石エネルギーのありがたさを、

あの この 重さが体感・実感させてくれる。


人間様は、直接の作業にもっとかかわるようにしたほうがいい。

そうしなければ、化石燃料の使用を少なくしようとするようなことだって、

どこか他人事、空中戦、地に足が着いていない、観念的。


(やっぱり、ノーマルタイヤは転がり抵抗が少ない感じで気持ちいい。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


洋の東西を問わず、従業員が挑戦より社内評価を意識すると、企業は成長への歩みを止めてしまう。

「社内より社会の評価」(2024.4.5日経1面)にありました。


取締役候補は社員の投票で決める。

社長らの経営会議も全社員が視聴でき、意見や賛否を伝えられる。

「社員の意欲 業績動かす」(2024.4.3日経1面)にありました。


なんのために働いているのか、

そこにはよろこびがあるのか、

あなたの居場所はあるのか。


成長する組織の構成員は外を見ている。

具体的には、客の反応を直に感じて喜びや改善の意欲が増す。

組織内の評価をほけとけるよう待遇に信頼を置ける。

逆に言えば、

停滞(すなわち、下りのエレベーターに乗っていて動いていない状態)する組織の構成員は内を見ている。

具体的には、上司などの動向が気になって仕方ない。

自分の評価が適切になされているとはとても思えないので、待遇に不満のマグマがいつも溜まっている。


そんなに気になるならば、みて頂こうではありませんか。

そう。

中枢の経営会議です。

意見を言ってもらおうではありませんか。

勿論、顕名し社内公開をさせていただいたうえで。

それができれば、取り締まり候補の顕名投票も行える。


できないんだろうなあ。

そんなこと。

だから、いつまでも、利益率や生産性の低い下請け体質から抜け出せない。


組織内でならばこそいろいろ言われたっていいじゃないですか。

責任を持って組織の舵取りを担っているとする矜持があれば。

それが責任者にないだけの話。

だから、パートタイマーやアルバイターの支持も得られていない。

なにか、身近な話の様。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」

組織の中で自分のやりたい仕事は1%もない。まずは残りの99%を立派にやり遂げよ。

英語でも、数学でも、学生時代に楽しかった勉強を社会人になっても続けよう。

「他人はどう評価しようと、自分自身では40点以下の落第点」

などと

(2024.4.5日経の春秋)で、

亡くなられた鈴木さん(95歳)をあらためて紹介していただいています。


社会に出た新人の心得とのことですが、

人間社会で生きていくのであれば、いつでも似たようなことだと思っている。

とくに、リタイア後というような状況であればなおさら。

人生のしがらみの中で自分のやりたくてできることはX(エックス)%もない。

この日々の生活の中でまずは残りの(100ーX=Y)%をこなしていこう。

子どものころやりたかったことをいくつになっていても遅くはないやってみようよ。

そうしてゆけば、X%は、確実に1%から増えていってくれる。

つまり、こなさなければならないとした残りのY%は着実に減ってきてくれる。


ご自分におかれては厳しい評価を付けられている様ながらも、

40点を、やりたいこと40%、残りが60% と 読ませていただければ、

相当お幸せな日々ではなかったか。


それでは僕はどうなのか。

うーん。

自己評価と周囲の評価に乖離があるような。

でも、「他人はどう評価しようと」ともあるのでそこは置いときますが、

どうも、鈴木さんの場合と、僕の場合では、「」書きの意味が正反対のような。

だからこそとしても、そこは置いておきましょう。

たぶん、どなた様の多くも、そのようなお立場なのかな。

僕のX%も、どこにある?そんなにはない?それなりにある?相当ある?

それぞれの勝手な判断です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


物価の上昇に賃金が追い付かない日本の消費者にとっては、

中国の『デフレの輸出』は日本の金融政策よりもよっぽどありがたいことではないのですか。


「カメラ付きドローン2224円」「旅行用キャリーケース3952円」 一桁小さいと見間違うような価格がずらりと並ぶ。

不動産などの建設需要の鈍化で鋼材がだぶついた23年5月以降、輸出価格は大きく下落

「中国による『デフレの輸出』の懸念は一段と高まっている」

「中国の過剰生産能力は世界の価格と生産パターンをゆがめ、世界中の企業と労働者に損害を与えている」

中国から安価な原材料や製品が流入すれば、「インフレ退治」につながる

輸出単価の下落が目立った品目(の表では)鋼材 35%(の下落率、以下同じ)、肥料 32%、太陽電池 32%、自転車 27%、塩 21%、デジカメ 12%

などと

「過剰生産 ゆがむ世界」(2024.4.8読売)にありました。


日本以外でも、インフレに苦しんでいるお国は相当ある。

自国通貨が信用されていなくて使用できないような国もあるそうな。

日本だって、

TVをみれば、半額シールが貼り付けられる時刻にスーパーマーケットを訪れる人々が映されている。

もっと、中国製品を。

その日暮らしをなされている人々のために。

企業と労働者に損害?

そうなのかもしれないけれど、その前に、本日の食糧を求める人の立場に立ちなさいな。

もっとも、直接、食料品を中国から輸入することは???

表にあった、輸出単価の下落している品目で、間接的に、国内価格の上昇を抑えたい。

そんなことで、

だから太陽電池も安いのかな。

関連:需要予想の3倍(おもしー640)


人民元が対ドルで下落傾向にあるとのことですが、

日本円は対ドルで円安(下落)を突き進もうとしている。

円買い介入だってその効果を見通せば関係者に侮られて身動きできていない。

同じ下落通貨同士のお国で消費者目線でモノの価格を下げていきましょういな。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


誰もが平等に医療を受けられ長寿を誇る国なのに、いつからこんなに健康を求めるようになったのか。

高血圧や腰痛などの慢性疾患が増え、病気の自覚がない人たちを「半健康人」と呼んだ。

などと

(2024.4.13日経の春秋)にありました。


人生100年と言われてしまう今日、

健康と言うか、何々を補う とか 

健康的に生きたいとの願いがとても大きくなっているように思えている。

骨密度、コラーゲン、筋力、メタボ、ロコモ、フレイル。

一日のうちに、どれだけそんなようなお言葉を浴びせれば気がすまれるのか。

TVって、本当に見たくない。

勘弁してほしい。


ただ、

人々が(国内に限らず)より健康的での長寿を求めることは古今東西不変。

そんな中で、昨今は、長寿が現実的に身に降りかかるような実感・予感があり、

より、動きに支障を発生させたくない。

痛みを伴いたくない。

そんな心配をする期間を少しでも短くしたい。


家康さんの晩年のイメージは、生薬を煎じている、調合作業のような。

天下人のようなお悩みを持つ現在の年配者達と思えばいいか。

どこそこが少し悪くても、家康さんも同じだったのかも と思えば、

今の方が、医療にしても、薬事にしても、サプリにしても、

天下人の力の及ばないレベルを享受している と思えば、

少しは、痛くても、 まあ、なんとかするか?

鯛の揚げものには気をつけようかな。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「国民の違和感は9割正しい」著者:堤未果さん

が、(2024.4.13日本海)で紹介されていました。


なにごともそれぞれの専門性が深くなり、

素人にはうかがい知れない闇の中や

地を足で踏みしめた感が薄い砂上のような歩みを

進めざるを得ないような今日や明日の生活。

そんな感じで生きている。

だけれども、

それぞれ個々の感性は大方を感じているのだとも思う。

だから、

紹介された御本を読んでいないけれども、

その署名に共感するところ大。


9割が適切かどうかは知らず。

僕の場合は、7割ほどのような。

ともかく、違和感を抱えての日常。

違和感の解決はままならず、

内包したまま引きずりながらもどかしさが進もうとするエネルギーを阻害する。

それらを忘れようとして、

忘れられる行為に没頭する小一時間など。

そんなことも取り入れながら、その日暮らしをする。


御本の表には「裏金、新NISA、大増税」とも記載されている。

僕の考える当たり前がまったく通らない話題のようで、

近づきたくない。

なので、申し訳ありませんが、読ませていただく気にならない。

書名だけ使わせていただいて、

堤さん、申し訳ありません。


ほぼすべての人々は違和感を感じながら時代の波を造っていると思っています。

そんな波は、明日はどんな影響を僕に与えるのか。


円安に介入すると思っていた週末。

アメリカさん詣でをして理解を得られたか、得られなかったか。

そこも大きな違和感あり。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


先日、家人が言うには、

太陽光発電の勧誘の電話がとてもとても熱心だった と。

ご主人はいつお帰りですか などなど。


「太陽光パネル価格急落」(2024.4.11日経)では、

国際エネルギー機関(IEA)の推計では、2024年末までに世界の太陽光パネルの供給は発電容量で1100ギガ(ギガは10億)ワットと現在の需要予想の3倍に達する。

中国での生産過剰が主な理由

中国で旧正月の休暇は例年の1週間から3週間に延長したが、それでも売れ残りのパネルが港湾や倉庫にあふれている

メーカーが「底値競争」をしているため、価格はさらに下がるとみられる

2月に価格の「劇的な崩壊」

などとありました。


こんな国際環境であるならば、

いくら1ドル153円の34年ぶりの円安でも、国内での太陽光パネルの価格も「崩壊」し、さらに値下がりが期待できる?

そんな状況を、商機と捉えて、

今なら従来よりお安く設置できますよ とPRなされる方が出てきてもおかしくない。


それにしても、

需要予想の3倍の供給とは ちょっと多すぎ。

国外内の優良メーカーの生き残りが図られればいいのだけれど、

なかなかにうまくはいかないのだろう。

関連:昼がお得(おもしー636)

人が起きている時間に使われる時に造る1日のサイクルの太陽光発電。

伸長にブレーキがかからないことを祈ります。

ただ、

残念ながら、我が家の屋根は東と西を向いていて、南向きはほんのわずか。

一階の庇は雪が落ちてくるので、壊される。

設置は難しいですねえ。

安くなってもパネル購入に貢献できません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「リスクを冒した成功体験は中毒性がある」

向こう見ずな投資より、先行き不透明な将来を「透視」する知識を 身につけたいもの。

などと、

(2024.4.4朝日の青鉛筆)にありました。


例えば、

金(ゴールド、Au)

最近、史上最高値を記録しているとよく記されているけれど、

先行きを透視すると、

僕は、1グラム1万円越えどころか、10年以内には10万円に達するのではと見込んでいる。

(前にも書いたけれど、金とは関係を持たないようにしています。)

理由は、制度(通貨・システム)不信頼及びそれを見込んで準備しているソブリンの姿勢・資源枯渇・違法採掘による事故多発など。

現生人類は、人口が増えて国を造るようになってから、

ずっと、黄金色中毒を患っている。そう感じています。

モノとして口にしても消化できないのにね。

所有して他との差別化を示そうとしているのです。

人がまばらにしか住んでいない地球であれば、ただの、ありふれた石ころのようなものなのに。


先行きを透視できないから将来は不透明なのです。

どんな成功体験もリスクを伴っていたはずです。

たぶん、言われんとすることは、

自分なりに積み上げていく過程で、

こうではないかとの方向確認ができるところが少しづつでもあって、

何度も、挫折し、失敗を繰り返しながらも、

自分なりの理屈を支えに継続や努力をしていくところにある成功体験を掴んで欲しいということだと思っている。


でも、

そんな成功体験は嬉しいことなので、

中毒性という表現は適切ではないのでしょうけれど、

再び経験したいと思うことは当然のこと。

どこからどこまでが、向こう見ずと言われるのかはよくわからない。

自分で納得して飛び込んでみるしかないのです。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


気持ちがいいことを読ませていただいた。


「この年齢になると若い頃ほど『チャンス』というバスは来なくなる。

それでも、たまにくる便に飛び乗れるように準備すれば次の扉は開ける」

「学び直し 憧れの職場に道」(2024.4.8日経)にありました。


似たような言い回しや表現は、

それぞれのお立場で異なるものの、

その度に勇気をいただいています。


僕が、このお言葉の中で大事なことだと思うところは 飛び乗る の 飛び。

単に乗るのではなく、飛んで乗るということ。

飛べば 両足が地から離れる。

勇気がいる。

その勇気を醸して支えてくれるのが、日頃の準備なのだと思う。

でも、それなりに、やってきたじゃん。

そう思えれば、飛び乗ることもできるのかも。


最近思うところは、

経済も政治もスポーツ観戦も、結局は他の人(同種の生きもの)との比較。

何か楽しくない。普遍性がなく、その時その場限りのようで面白くない。

しかし、ヒトの(僕の)体はいつも正直。

素直でない所業はその体に現れてくる。

病の元も自らの生活や思い込みに起因することが多いと感じている。

こんなはずでは とか なんで自分が とか よりによってこんな時に など。

正直な体が物申すことにはどこかにその理由はある。

いいもわるいもそこそこも、そうかと思う。


満74歳でお亡くなりになられた家康さんも、薬の処方を晩年などにも行っていたとか。

そんなあたりで、何か面白そうなことはないだろうか。

飛ぶことができるかどうかはいざ知らず、面白そうなことをやってみようか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


何か対照的だと思ったので。


「実質賃金減 最長に並ぶ」(2024.4.9日本海)では、

厚生労働省が8日公表した2月の毎月勤労統計調査 によると、

物価変動を考慮した一人当たりの実質賃金は前年同月から1.3%減った。

マイナスは23ヶ月連続となり、リーマン・ショックによる景気低迷期と並び最長。

名目賃金 26カ月連続のプラスだったが、物価上昇に追い付かず、家計は厳しさを増している。

などとありました。


「揺れる米利下げシナリオ」(2024.4.7日経)では、

米国に23年以降押し寄せている大量の移民

米議会予算局(CBO)は1月、121万人とみていた24年の流入数の推計を一気に330万人に引き上げた。

雇用者数は大きく伸びているが、賃金の伸びは弱まっているという最近の傾向も上手く説明できる。

移民の流入が続き、賃金上昇にブレーキがかかるならば、インフレも徐々に落ち着く

などとありました。


低賃金でも就労なされる移民の方々を背景にインフレの落ち着きが期待されている。

(移民と在民の格差を推奨し利用しているようなこと)

物価上昇の中、実質低下していく賃金で家計は厳しいが、利上げを模索している。

(海外との格差(円安)で物価の高騰を是認し、大企業以外就労者、特に非正規の方々との格差を拡大してきたように思えるこの20数ヶ月)


米国がいいとか、日本がどうとか、と言っていることではないのですが、

でも、

責任者はいるのではないか。

為政者と呼ばれる人はいたのかな。

聴きたいのは、現状説明と対処、将来の希望。

耳が悪いので、聴いたことがありません。

聞こえてくるのは、その場しのぎと、責任逃れ。


人に責任を持たせることの、むなしさも思うところ。

結局は、自分ができていない(その立場にないなどと逃げているだけ)。

他人のせいにしたって始まらない。


どこかにありました、

うつうつとする時には、庭の掃除を行うこと。

何も考えないで手足を動かしていると、そのうち、庭がきれいになっている。

少しは、心も晴れてくるのでは。


ああ、

でも、菜種梅雨ということなのでしょうか、昨日から雨模様です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


ある意味での転換点だなあ。

夜から昼へ。

原発から太陽へ。

そして、電気とは生産と消費が一体であるとする生活にすることが。


「電気「昼がお得」各社PR」(2024.4.1朝日)では、

「昼シフト」の取り組みが大手電力会社で相次いでいる。

「電気は夜が安い」をアピールしてきた姿勢を転換させつつある。

24時間一定出力で稼働する原発の電気を需要の減る夜間に使ってもらおうと、夜間割安の料金体系をPRしてきた。

太陽光の発電を一時的に止める「出力制御」が全国的に増加

家庭のエネルギー消費の約3割を占めるとされる給湯

昼の単価は、従来のオール電化プランの夜の単価より安い。

翌日の「でんき予報」が届く

市場価格は需給バランスで変わるので、電気が余れば下がり、逼迫すれば上がる。

年約168時間、小売り会社が仕入れる電気の原価が「実質ゼロ円」だった

欧州では電気が余ったときに市場価格がマイナスになるしくみを導入

などとありました。


貯めれない、若しくは、貯めることに困難や効率が悪いもの。

それが電気だと思っている。

だから、揚水発電のようなことも行ってきた。

貯めるものを電気ではなく、高所に移動させる重たいもの(水)として。


使用されていない夜間電力の活用とは、1日24時間の中で出力制御が困難な原子力発電を利用すること、温存すること、建設し続けること、好悪や主義に関係なく、そういうことです。

ヒトが電気を使いたいなら、ヒトが起きている時が主な時間。

太陽光による発電が出力制限を受けるほどならば、それを活用するのが、「昼シフト」。

当然、天候に左右されるから、天気予報に加えて「でんき予報」が必要となるけれど、

だいたい天気予報とでんき予報はおなじようなもの(だろう)。

明日は晴れ予報だから、畑を耕運するか。

といったように、

明日は晴れるから、電気でお湯をつくって置こうか。

EVに充電するのは明日にしようか。

といった具合。

晴耕雨読のような天候に合わせて人の行動で、電気使用も同じように。

いいんじゃない。

そもそも、ヒトだって、雨模様の時は気圧が低くて本調子ではない人もある。

晴れていれば、何かしようという人の方が多いように思っている。

電気をヒトの調子に合わせて造って使用するということ。

余ったときは電気がマイナス料金?

そんな時にどうやって大量に使おうか。

太陽光発電が普及し、新たな商機が訪れているような予感がします。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


206個と350個だそうです。


「子どもは「軟骨人間」」(2024.4.7日本海のからだ×うんどう×けんこう)では、

人の体の中に骨はいくつ 大人で206個、赤ちゃんの時は約350個

男子で18歳ごろまでに、女子で16歳ごろまでに大人の骨に成熟

その間、 骨と骨の間にあるクッションのような軟骨が支え、動かしているといっても良く、「子どもは軟骨人間」なのです。

うで、あし、せきついの骨の一つ一つには、成長の源となる「成長軟骨」の部分があり、それが成長すると骨が長く伸び、太く、かたくなっていきます。

しかし、幼いころから走る、とぶ、投げる、ける、舞うなどの運動を休みなく、くり返し続けていると、軟骨をいため、身長が伸びにくい、関節を動かしにくい、その部位がはれて痛むといった成長のさまたげになってしまうのです。

運動はクスリと同じです。少なければ効果はないけれど、多すぎたり、あたえ方を間違えたりすると「リスク(危険)」になります。

などとありました。


子どもの体は柔らかい。

その理由はこんなことがあるからなのか。

そう、納得いたしました。

350÷206=1.6990・・・

7割近くも多い。

その多い分の軟骨さんたちが成長し伸びて太くて硬い骨になっていく。

なんとも頼もしいお話。

それでは、その妨げになってはいけませんねえ。

クスリは多すぎるとリスクになるとは、本当にそのとおりだなあ。


体を休ませることも大事なこと。

お子様もそうでしょうし、お年寄り(僕)も違った意味でもそうなのでしょう。

毎日重いことはしないほうがいい。

怠けているように思われても、そんなことは気にしない。

後から経過を踏まえて考えてみると、最大の効果はこうすればよかったのにと思ったってそんなことはその当時では神様にしかわからない。

その100分の1でも現実になっていれば御の字。

そうしぶしぶと自らを納得させている今日この頃。

(なかなかうまくいかないなあ)


ふと思うけれど、

人のこころも「軟骨人間」であることも必要なのかもしれないなあ。

柔軟に。

何かに向かって努力する。

そして、休みも入れて。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


日本企業は失われた30年間で守りの経営を続けてきた結果、財務は強固となった。

インフレ経済では、現金を眠らせると価値が減る。

などと

「140兆円、どう使いますか」(2024.4.4日経の1面)にありました。


さてさて、

大方の企業は、たぶんよう使わないだろうなあ。

だって、

貯める方が使うよりも考えなくて楽なので。

守りの経営の方が、打って出ていく姿勢よりも楽、といった方がわかりやすいのかな。

それが30年間とくれば、一世代以上といっていい。

使えるのだろうか。

金利支払いをしたくないので、負債削減でお茶を濁すぐらいなのか。

(それは既にやり尽くそうとしているか。)

それでは、法人設立は何の為だったのか。

ビジネスチャンスを求めて、融資を受け(負債を背負い)事業展開を行ってこられてきたのが企業法人の姿だと思っている。

そんなこと忘れてしまったと言われても納得してしまう期間の30年間。


この際、法人の財務に対する課税を少し重くするような姿勢を見せてもいいのでは。

尻を叩かれても動かないのだろうけれど。


インフレ経済下で、新しい企業が求められている。

そう思います。

人生100年と言われ、

何歳になっても、したいならすればいい。

若い方は失うものが少ないと言われることがあるけれど、

年配の方の方が、失ってもいいようなものを多くお持ちなのではないかなあ。

子育てなどの負担から解放されたりして、

自由に生きて、働いて、

年金なんか受け取らないで、

(現行制度上、75歳になって仕方なく受け取るようにすればいい)

どんどん儲けて(社会貢献して)、

そんなところに、

140兆円? 使わせていただきましょういな。

いい使われ方だと思うけどなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


読ませていただいて、

すぐ、頭に浮かんだのが、タイトルにした言葉です。


読ませていただいたのは、

「遠回りだって僕の道」(2024.3.30日経のこころの健康学)です。


遠回りと言ってしまうのは、

誰かと比較したり、

後になって考えてみると、

「遠回り」だったと思えるようなことから。

でも、

その時は、

進めなかったり、

時間を必要としていたり、

周囲の環境が壁になっていたり、・・・・・。

などと、

誤魔化しで後付けの理由は付けれるけれど。


でも、

今生きているのだから、あっぱれですよ。

よくぞ、生き残られています。

今、お立ちのそこが、あなた様の道であり、今、思うに最短の道です。

どこに行こうとされていても。

そう、誰に言うでもなく、自分に言っています。

そう、今、ここが僕の道。

遠回りのように言われても、(誰かでも自分自身でも)

そんなの関係ない。

ただ、

もう少し、うまく、若しくは、頑張って、できなかったかなあと思ってしまうのは、

僕の未熟な、心の健康学のせいですねえ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


あんまりにもおおいですねえ。

東高西低。

逆に、26%の方はどんな方、と思ってしまいます。


「今年の花粉は「東高西低」」(2024.4.2日経)では、

花粉症、東海・関東で多く として

花粉症の発症率が高い都道府県(2023年) 出所:第一三共ヘルスケア の図では、

①静岡県 74%、②山梨県 71%、③岐阜県 71%、④千葉県 70%、⑤神奈川県 69%、全国平均 55%

と ありました。


第一三共ヘルスケアさんから出所されたということですが、

同社さんは、製品の開発や製造量・販売重点地域選定のために、社業として分析なされているのでしょう。

それを公開されているから、同新聞社も利用できる。

公開されていることは立派なことです。

公益に資すると言っていいと思います。

同業他社も参考になされるでしょうにね。


それにしても、

100%から74%を控除すると、26%となりますが、

(僕の苗字に杉の文字が含まれているので、全くの無関係とは思えないところですが、)

ともかく、

飛散量が増える樹齢のスギの多さが発症に影響しているのでは

ともありまして、

そんな中でも、発症なされない方々が居られるということなら、

そこのところの御研究をなされている方も居られるのではないか。


しかし、

地球に自転する力が源泉のため、風は西から東へ吹き流れる。

発症する県は、静岡県でも、その西側からのスギ花粉の飛来も多いのでは。

岐阜県も多いようだし。

西日本では減少のところばかりで、

広島県 82%減、大阪府 74%減、など・・・。

環境省は花粉症の予防や症状の抑制のため、花粉が大量に飛散する日はテレワークを活用するよう呼びかけている。

とのことですが、

なんか 温室閉じ込めの対処みたいで あんまり好きではない。

スギ林の中で育ってきたヒトだってあるのだろうに。

そういえば、静岡県は温暖で住み心地のよいところと聞いています。

日本列島の中では、温室のような気候なのかもしれないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


鉄冷えと合理化の繰り返しだった日本製鉄が変わった。

2兆円を投じる米USスチールの買収計画だけではない。

2024年春季労使交渉では業界横並びの慣習を捨て、組合要求を上回る14.2%の賃上げ率をしめした。

「経営者の執念 成長力に」(2024.4.2日経の1面)の冒頭にありました。


読ませていただいて、昨日書いたことを思い出しました。

なにか、業界横並び≒下請け体質 のような。

業界横並びでは、将来を切り開く利益は生み出せない そんな印象です。

関連:生産性というけれど(おもしー630)


加えて、

同社を率いられている橋本英二会長は

「投資と賃上げは経営者の責任。それができない経営者は自ら引くべきだ」と言い着る。

ということだそうです。


経済界だろうが、政界だろうが、

いかに、しがみつかれていることか。

どこに、自ら引く潔さがあるのだろう。

潔く引けば別の場面で役割を果たすこともあるのではないか。

目の前のことしか見えないので、しがみつくことしかできない。

それであればあるほど、全体の重しになる。

どうにかして振りほどきたいけれど、

無理矢理に放すと恨みを買う、自然に観念していただくしかないんだけれど。


来年の労使交渉でも、

業界どころか、日本をリードする賃上げで、後進(後退?)となっている現状から、先進国に追いつき追い越せ。

そんな期待をさせていただきます。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


中小企業の労働生産性の向上が課題

(従業員1人あたり付加価値額、出所は財務省)

(という題のグラフでは)

大企業(製造業・非製造業ともに)の2003年度から2021年度までで、

概ね、1300万円あたりを上下する折れ線が描かれていて、

同期間の、中小企業(こちらも、製造業・非製造業ともに)では、

概ね、600万円弱あたりを上下する折れ線が描かれています。

(記載には)

日本は他の先進国に比べて企業の新陳代謝が少ない。中小企業庁によると、2020年の日本の廃業率は3.3%で、英国の10.55(20年)、米国の8.5%(19年)よりも半分以下の水準

開業率も日本は5.1%にとどまり、英国の11.9%、米国の9.2%と2倍近い開き

などともありました。

「低い生産性、中小も自立意識を」(2024.4.1日経)のなかからでした。


大まかに言えば、

大企業は従業員一人で1300万円儲けており、中小企業はその半分以下ということ。

生産性向上が課題というけれど、どうですかねえ。


よく、

退職者がそれまでの経歴を信じて再就職に生かしたいなどとされることが、

思い通りに行かないと聞きます。

それなりに所属組織に利益をもたらしてきた貢献もあるのでしょうけれど、

その背景には、専門性が高かったり、高付加価値を付けることができる部分を包含できる組織体の大きさ、そんなところによりもたらされた貢献額の増大を自らの貢献だと見誤る所だってありやナシや。

低い生産性といわれても、

どうすれば、より付加価値を付けていくことができるのか。

積極的な廃業と開業は行われず、既存組織内の統廃合などで凌ごうとする。

中小も自立意識をとタイトルの中に織り込まれることは、いつも言われること。

それができれば簡単なのだ。

できていないから、いつまでも同じように言われ続けている。


春闘と呼ばれる賃金ベースなどの改定交渉。

中小に波及して欲しいとの願いは、藁を掴もうとするようなもの。

大企業従業員は労働なされている人数で言えばほんの一部。

前記のような生産性では、中小のベースアップなんて、語れる段階なのだろうか。


ましてや、

5%台とか、要求に対して満額、いや、それ以上の回答などとか言われていても、

円安や、物価高や、先進国と呼ばれていないお国の労働対価を見ても、

どうにも、

何を足踏みしているのだろうとの印象。

一歩の歩幅の5%ほどみたい。

5割増し、100%増としても、まだ追いつけない日本の現状なのになあ。

史上最高の利益を出したとかの大企業様は、倍増upで日本を揺らがして欲しかったのにね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「高齢単身女性の貧困 目を向けて」(2024.3.26朝日)では、

65歳以上の高齢で独り暮らしの女性の4割が、相対的貧困の状態

高齢単身の男性に比べ、14ポイント高い

これまで光が当たってこなかった

高齢期に1人暮らしの女性の生活が成り立ちにくいのは自明のこと

女性の場合、現役時代に非正規雇用で低賃金だったり、育児や介護で離職していたりして、低年金や無年金の人が多い

高齢単身女性の貧困は決して「自己責任」ではなく、社会の構造的な問題が連綿と続いてきた結果です。

などとありました。


政治って何なんだろう。

連綿として構造的な問題を解決する手段ではないような気がしている。

NHK大河ドラマを観ていて、

現代と結果的にそう変わらないのではと思えてくる。

昨日のドラマのセリフの中で、

政(まつりごと)の目的を問う主人公に対して、私的目標を述べた悪役がいた。

現在行われている政治の役者方も、そんなセリフは口にしなくても、行動が物語っている。

だから、どうしても、顔に捩じれが生じていますね。

彼らだって、正直なところ、知っているのです。

なにを?

政治と言われている行為の目的を。

それに自らの言動が沿っていないから、どうしても捩じれてしまう。

かわいそうな人たち。


連綿として不作為。

その結果のひとつが、高齢単身女性の貧困だ。

下駄を履かせてもらって生きてこれた男たち。

敢えてそう言いたい。

年金額1000万円以上と聞くこともある。

一定以上の年金額は、一律カットして、不公平の穴埋めに用いるべきだと、高齢男性は言わないのか。

そんな政治を温存し、同世代を生きてきたのなら、その責務が無いとは言わせない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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