• 記事検索
RSS

えー、そんなあ。

せっかく、日に当たるようにしていたのになあ。


ビタミンDは紫外線によって体内でも生成されるため日光浴が推奨されることも多い。

だが

「残念ながら日光浴が有効なのは若いうちだけ。

加齢に伴い紫外線によるビタミンD生成は減少するため、

50代以降ではあまり期待できない」

「骨粗しょう症 40代からの予防が重要」(2024.3.30日経のカラダづくり)にあるではありませんか。


なんということでしょう。

一般的にはとして、

ない頭を使ってその理由を考えてみると、

皮膚のカサカサなど、潤いが少なくなってきて、紫外線の透過率が下がるのでは。

皮膚表面を流れる静脈が脂肪層などに埋もれ光が到達しにくくなる。

光が到達する血管中で、ビタミンDの材料となるコレステロール量が減少するのでは。

うーん。

わからない。


それにしても、

「50代以降ではあまり期待できない」

ショック・・・・。



本当にそうなのかなあ。

まあ、いいや。

あまり期待しないでも、生成されることもあるでしょう。

腕を見られて、肌がきれいと言われることもあるし、

手足の静脈はぼこぼこに露出しているような感じだし、

コレステロール値は毎年それなりの数値だったし、

習い事のおかげだと思うけれど、

特に足の膝関節などはなにかごつごつしてきたし。


ともあれ、

女性なら40代後半から、男性なら60歳を越えたら骨粗しょう症健診を受けて

ともありましたが、

機会があれば、受診してみましょうか。

そういえば、

タニタさんのヘルスメーターに骨量があったなあ。

お風呂上がりで、たしか、3.0kg。

それが、多いのか少ないのかはわかりません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


いちいち数えたりしてめんどくさいので、

紙幣や硬貨を使いたくない。

(おつりなどを持ちたくないし、)

なるべく、古くさいなあと思いつつも、クレジットカードを使用しています。

いまどきの、ぺいぺい とか なになに とかの

重いスマートフォンを持ち出さなくてはならないことも嫌だし、なにか信用できないし。

(そう考えると、カードって、軽いなあ。)


「ビザ・マスター、米で決済手数料下げへ」(2024.3.28日経)では、

米クレジットカード大手のビザとマスターカードは 決済手数料を引き下げる

米国では決済額の2%程度

決済ネットワークを提供するビザやマスターカードなどの国際ブランド、

加盟店の管理会社、

カード発行会社で 分配している。

日本のカード会社は国際ブランドの決裁網がなければ事業が継続できない

「手数料は『言い値』が多い」と不満

日本で8割のシェアを持つビザとマスターカード

経済産業省のヒアリング結果によれば、カード会社は加盟店から手数料を3.25%取る。カード会社は国際ブランドに対し手数料の0.05%を支払っている

などとありました。


かなり高率の手数料率だなあ。

そう感じています。

こんな高率では、普及しない。

やっぱ、1%を下回らないと、お店は面白くないだろうなあ。


ただ、

プラスチックのカードそのものは数グラムと軽いけれど、

それを誰もが安心して使用できる環境の維持に相当な重たい費用を必要とすることも理解できる。

悪意の輩がこぞって狙い、いくらかの痛み分けで両者共存の現状のような受け止めもしている。


人体の消化管中のフローラときれいげに呼ばれている細菌叢たち。

共存共栄は、どこの世界でも、必須のお互い様。

現在において、悪意と位置付けられることとを根絶しようとすることは全くにおいて不可能だし、また、可能にしてはいけないのだとも思う。

死亡者が出る交通環境だって、必要悪のように是認されている現状だしね。


クレジットカードの将来ってどうなるのだろう。

単に、便利な道具として使用しているけれど、

やっぱり、手数料相場が3%台なのは、これからの社会では生き残りが困難なのでは。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


こういうやり方は、

局所的に拭い切れない恨みや不信感を植え付ける。


「中国、豪産ワイン関税撤廃」(2024.3.29日経)では、

中国は制裁前は無税で輸入していた豪州産ワインに最大で218%の関税をかけた。

豪州から中国へのワイン輸出額は19年に12億豪ドル(およそ1200億円)あったが、

23年は1000万豪ドルと99%減った。

などとありました。


豪州から中国への販路拡大や中国側の売り込み努力などを全く眼中にしていない。

中国のお国の政策の前にはそんなこと問題ですらないのだ。

そんなような印象を受けます。

そうなのだろうし、

そうしてきたのだろう。

一事が万事のように思う。

冒頭に、局所的と表現したけれど、

豪州ワインに関して中豪貿易は確かにほんの少ししか占めないのだろうけれど、

そのようなことが、諸々の面で行われていれば、

点が広がって面になるような受け止めになる。

それとも、ほんの少ししか占めないところだから、人身御供的扱いになったのか。


ともあれ、

関係者の皆さんには、

再度、販路拡大などに動けることとなるようで、商機を掴んでいただければ。

99%減って、

まるで、巨大隕石が落下し、恐竜様が絶滅し、哺乳類が伸長してくる前の地球上のようだといえば、大袈裟か。

再度の商機到来とはいえ、以前と同じ方々が再挑戦なされることもあるのだろうけれど、新しい方が進出なされることもあるのだろう。

それは、たぶん、新旧入り乱れるのであれば、その世界の活性は大きくなる。

ん?

そんなことが、中国為政の時代の中でよく起こるのであれば、

それは、中国社会にエネルギーを与えてきたということとなっているのかもしれない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


葬儀出席が続いていく。

近親の方などの生と死に近づく機会があると、やはり人生そのものの意味などを考えてしまう。


存在しない「正解」の幻影に魅入られ、立ち尽くすのは滑稽。

「こうする!」と一歩踏み出す、それ自体が救いになる局面もあるのではないでしょうか。

ゴールテープを切るように、ちょうどピッタリであの世へ旅立つ人はいません。

倒れるときは皆等しく道半ば。

人生など「中途半端」が相場です。

などと、

「人生、「中途半端」が相場」(2023.6.24日経のなやみのとびら)にありました。


先日、韓国で行われたアメリカ大リーグWBCの第2戦。

ドジャースの先発ピッチャーは山本由伸君。

日本で3年連続の沢村栄治賞・MVPを受賞し、

これ以上ないような成績を背景に、

大リーグで好待遇な処遇を受け、大きな期待を受けた先発だったけれど、1回5失点と残念な結果だった。

観戦させていただいたけれど、なにか伸びやかさがなかったなあ。


人生のどこにも正解は転がってはいない。

ただ、オンとオフを切り替えつつも、

今はオンの時と気を引き締めれば、

「こうする!」と踏み出し、

踏み出したからには、

(相手がいる場合、相手側だってその先の結果は知らないのだから、)

すべて忘れて、目の前のことに集中したい。

そこでは、自らのあらゆる(特に心の)束縛を素通りして、

そことは、その自らの力をふるえるよう用意できたところ、

そんなところに立ち位置を持てたことに感謝しつつも、

伸びやかに動く。

どれだけ伸びやかに動けたかで結果は判明していくことが多いのではと思う。


「正解」が幻影ならば、

踏み出し動こうとすること、

そして心の束縛から解放させて自由に伸びやかに、

そんなことが、幻影なのだろうけれども「正解」のようなことに近づく。

そして、心残りはどうしてもでてくる。

でも、それは小さなことだ。

そんなあたりで、あの世に旅立てる人は、幸せな方なのだろう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「国産ウイスキー定義を厳格化」(2024.3.26日経)に、

国産ウイスキー製造の定義

▼原材料

 原材料に必ず麦芽を使用。麦芽の原産地は問わない

 仕込みには日本国内で採取された水のみを使用

▼製法

 国内蒸留所で糖化・発酵・蒸留し、700㍑以下の木桶に詰める

 アルコール度数40度以上の原酒を日本国内で3年以上貯蔵し、日本国内で瓶詰めする

日本ワインも18年に定義を明確にした。

などとありました。


なにかしらん、風味が好きで、ニッカウヰスキーをよく飲んでいた。

近年のウイスキー需要のなかで、ジャパニーズウィスキーの評価が高まり、

定義を厳格化することでより販売価値を高めようとされるのでしょう。

今までの先人の皆さんのご努力に感謝いたします。

とともに、

庶民が日常愉しむことができる価格帯の商品の確保も大事なことだと思います。

お高く止まりっぱなしにならないように、と願います。


ちょっと気になるのは、

麦芽の原産地(国)は問わないということ。

これは麦の生産が寒冷的な地方(国)に偏ることから致し方のないことなのですが、

たしか、日本ワインの定義では一定以上のブドウの地元産ということもあったはず。

それによって、地ワインの将来性を断たれそうな生産者もあったような。

それを思うと、ウイスキーは水だけかと思われる人もいるのでは。


日本列島は、四方を海に囲まれ、それなりの雨水に恵まれ、

山地もあり、雨水が土地によって磨かれて、湧出してくれる。

水害もあるけれど、清浄な湧水を見れば心も洗われるようで、

有難い列島だとしみじみ思う。

そう言う意味では、大陸の大河の水は見たくない。


国内の厳選された産地の水のみで、

醸し蒸かされ寝かされて馥郁とした風味となった液体をどなたにも味わっていただきたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そうですか。

そんなこともなされているのですか。


集中治療室に入った患者と口腔衛生の関係

意識がない人に歯磨きを施すことで、死亡率が有意に下がり、生死すら分ける

などと、

「口腔衛生と肺炎」(2024.3.24日本海の歳々元気)にありました。


集中治療室に運ばれることとなった前後不覚で意識のない方は、

体の免疫力が相当に低下しているケースが大半のように感じる。

体のあらゆるところに常在菌は存在しており、

普段は、ヒトの細胞と良好なお付き合いをしている(せざるを得ない)。

しかし、

ひとたび、一方の力が弱まるや否や、その隣人は豹変する。

お互い隣人同士、生き残ることに精一杯なのだ。

機を見て勢力を拡大しようとする。

口腔内。

この、身近でありながら、日々、食の行為を行わせてもらいながら、

自らでは覗き見ることが困難な場所。


先日、歯科医院に行って、

歯科医師に治療を施してもらっている、ふとした会話の中で、

「親知らずってあるのかなあ」

といったところ、

「見ればわかる」

と言われたことが、とてもおかしくて、笑ってしまった。

口腔内の専門家である歯科医師を目の前にして、

「見ればわかる」

そりゃそうでしょう。


つまり、

自分では見にくくてよく見えないところも、

知識もあまりないし、

先っちょに鏡のついているものを使ったりして、

腔内をまんべんなく見ることができる人。

そんな人でなければわからない場所。


そんな口腔は、外界の入口であり、

様々な常在菌が存在し、

外界からの侵入物のかす(歯間などにある食物の磨き残しなど)をエサにしたりして、

ヒトの生とともに生き続けている。


生の灯が少し弱ったとき(意識がない時)に、

歯磨きを行っていただける方は、その生死の行方が良方向へ向かうであろうことがよくわかる。

たぶん、とても有難いことだろう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


聞かれる側の考え方や立場だってあるんだ。


どこであったとしても、

どんなときをすごしていたとしても、

じぶんでできなかったのなら、

それはできなかったこと。

棚ぼたで与えられたとしても、それは幸運のおすそ分けであり持続可能ではない。


被告の妻に問いかけた。

夫が刑務所を出るまで待てますか?

被告の手紙

<自分が怖くてできなかった質問を聞いていただき、妻は待つと言ってくれた。感謝します。>

必ず立ち直ると感じた、

などと、

(2024.3.17読売の編集手帳)にありました。


一般的には、美しい話となるのでしょうけれど、

どうにも引っかかる。

そもそも、被告の妻の方がその場に足を運んだことで、

そのようなお互いのお気持ちがあり、

それを、その場に居合わせられている方々も含めて、

分かる形にする。

それが、その 質問 と 言ってくれたこと なので、

それ自体は、言ってくれた人も含めて、心に落ち着かせることとなったということ。

ただ、

どのケースも、お互いにそのようなお気持ちがあったとは言い切れない。

複雑な思いのまま、その場に行くこととしたことだってある。


冒頭に書いた如く、

聞かれる側の考えや立場は様々。

なにか、時代劇のような、

そして、裁かれる側が男性でその配偶する者は妻(女性)であることが、

そして、その、世間が求める対応は、記載されているかの如くなのか。

どうにも、違和感がぬぐえない。


そして、

じぶんができなかったのならば、

それは、やはり、他人事になってしまうのではないか。

本当に、必ず・・・と思っていいのかどうか。


まあ、

必ず・・・・・と思うことは誰しも自由。

それは、今はできていないけれど、将来にありたきことを願い現実にしようと、

今思っていること。

でも、明日のことは解らないよ。


ただ、

人が人と助け合って生きること。

そのこと自体も、この人間社会において否定しないし、人である証明ともいえる。

でもね、

繰り返すけれど、

明日のことだって、この1時間後のことだって、わからないんだよ。

それと敢えて同列だと思うけれど、何年の実刑が言い渡されるのか知れないけれど。

人には人それぞれの生き様がある。

なにか、型にはめられてしまうようなことに、違和感が。


さあ、年度末の最終週が始まります。

いろいろなものが乱高下するような、

いづれも、型にはめようとはならない荒波が押し寄せることだってあるのかも。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


突き付けられた。

そうか。

僕の血液の中にも含まれていることだろう。


「人の血液からプラ微粒子」(2024.3.21日本海)に、

国内で複数の人から採取された血液に「ナノプラスチィック」と呼ばれる直径千分の1ミリ以下の極めて小さなプラスチック粒子が含まれていることが、東京農工大の 分析で明らかになった。

発泡スチロール原料などに使われるポリスチレンの超微粒子を検出した。量は血液1グラム当たり40~550ナノグラム(ナノは10億分の1)だった。

同時に検出された紫外線吸収剤は、プラスチックの劣化を防ぐための添加材。PCBは着色に使う顔料に含まれる不純物の可能性が高い。

などとありました。


人体の呼吸器や消化管内に入り込んでいても、高分子であるため吸収される小ささにはならないから、血液中には入り込めないなどとたかをくくっていたけれど。

考えてみれば、

どこかに小さくても血管の破れは必ずあるのだろう。

虫歯や歯ぐきからの出血があったとして、血管から出血することがあるならば、その口腔内の傷口から血管内に進入するものがある。だから、歯科衛生は全身疾患に及ぶことがいつも懸念されている。

消化管のどこかで、健康体であったとしても、100%まったく破れが無いとは言い切れない。ましてや、慢性疾患を持病と称して当たり前のように付き合っている場合は相当多くの破れがあるのではないか。

人体において、血液中に必要とされる糖の総量は、角砂糖1個分と言われている。

ブドウ糖はそれぐらいの量で、脳や心臓を動かしてくれている。

不足すれば、糖新生を体が行うのでヒトの頭が心配する必要はない。

なんで、1個だけのような、そんなに少ないのか。

糖が血管壁を傷めるから。

傷められた血管の壁から異物が侵入している。

毛細と言われる血管であれば痛みも受けやすい。

眼や腎や・・・・。


いつも思っていることに帰結させようとしているわけではないものの。

そうですか、

入ってきていますか。

そうゆう前提で、ヒトの健康を考えていかなくてはならないこの時代なんだろうなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


ネットの中に(2024.3.21に見たのですが、)ありました。

「人口参照局によると、人類誕生以来、約1170億人が亡くなっています。」

へー。そうなんですか。

それならば、現在地球上のホモサピエンス人口80億人、

この現在人口の15世代(1世代20年とするならば、たったの300年)ぐらいで

それを上回る死亡者数となってしまいますね。

人類と記載されているので、20万年前あたりからのホモサピエンスに限らないのでしょうけれど、それにしても、700万年前あたりからの人類の痕跡たちは、ほんの少ししか残っていない。

よく解らないけれども、概算的に、そんなに間違ってもいない感じを受けます。


「統計によれば、飛行機事故よりも空港に向かう途中の交通事故で亡くなる確率の方が高い。」

これには笑っちゃいましたね。


「クラゲは老衰で死なない唯一の動物です。」

そもそも、老衰って何なんだろうと考えてしまいます。


人の死はありふれています。

先日も葬儀に参加いたしました。

80億人と言われている今の地球惑星上の社会であればこそそう強く言える。

そして、ただ、

そう感じている自分の存在そのものがそのありふれた事象の表現でありその過程を踏む。

必ず。

遠からず。


そう思うと、

なにか、不思議に、早く来ないかなとも思ったりもする。

それは、

空港に向かう時なのだろうか、

老衰と呼ばれる心身状態なのだろうか、

でも、

そんなことはどうでもいい。


習い事のお師匠様が、

昇級審査の期間を選抜されて短くできるようにしてくれた。

期待にお応えするよう、自主練も、なかなか納得するまではできないけれども、こつこつと。

前向きに生きていればいいこともあるだろうかな。


なにか、焼却してしまうのはもったいないような気がしてきた。

化石になって誰かに掘り起こしていただければ何かの役に立つのかもしれないなあ。

そのためには、人間社会の中での死亡では望みが薄い。

どこかで野垂れ死ぬほうがいいのかも。

その時は、なんとか、前を向いて倒れようか。

五体投地もそんな姿勢なのかもね。

1170億人から数えて1200億人目?だったりして。

あなたもわたしもその一人の候補。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


それはすごい。

それならばこそ、朝食ではなく夕食に納豆としようか。


レム睡眠中の脳の血流量は、起床時に比べて2倍近くある

「レム睡眠時の脳内」(2024.3.20日本海の歳々元気)にありました。


睡眠中は起床時の様々な疲労を回復させている。

体の疲れた日は、熱を帯びて、汗をかいたりするし、

(先日も、寒い日でしたけれど、汗をかいて、寒くて起きてしまいました。)

脳も、いつか書いたけれど、脳細胞が縮小して、廃棄物を細胞外に出して、新鮮な体液を補充する。

レム睡眠とノンレム睡眠が約90分周期で交互に行われるのは、

その縮小と復元が交互に行われるからではないかと勝手に思っている。

その脳細胞縮小時には、その周辺の血管は拡張し、廃棄物の受け取りと新たな体液の補充を行いやすくしているのでは。

それならば、血流量が2倍になっていると言われても、納得できる。

たぶん、1回だけの縮小復元では廃棄物の排除は所期の目的を果たせないので、

睡眠中に、何度かの、レムとノンレムの睡眠を繰り返す。

まるで、スポンジを絞り汚れを出して、清浄水の中できれいな水を含ませることを繰り返すように。

台所のシンクでやっていますよね。

スポンジを何度も握ったり離したり。


納豆を格別好きというわけでもないけれど、毎朝ルーティーンのように口に運んでいます。

どこかで読んだけれど、食する機会は夕食がいいと。

それは、脳のためにもそうなのかもしれません。

夕食後に血液サラサラになるならば、

睡眠中の体内の清掃活動はよりスムーズになる。

今日はそうしてみようか。

そうなれば、明日は、もっとすっきりとした目覚めになるかもしれないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


なんとか、死に土産としても、観に行きたいのです。

4月13日から5月26日まで、京都国立博物館でだそうです。

拝観したことが無いし、

そんなに遠くでもないし。


日本美術史上もっとも重要な画家の一人とされる室町時代の画僧、雪舟(1420~1506?)。

6件もの作品が国宝に指定され、狩野永徳の4件を上回って個人の画家としては最多を誇る。

雪舟筆「四季山水図巻(山水長巻)」 国宝、室町時代・1486年、毛利博物館蔵、

は長さ16メートルにも及ぶ畢生(ひっせい)の大作

などと、

「畢生の大作、後世の手本に」(2024.3.19日経)にありました。


雪舟さんの図は、切手で見たのが最初かもしれません。

(いやいや、美術の教科書だったか?)

印象深いその水墨画。

大きめのサイズの切手でした。


畢生(ひっせい)とは、一生を終わるまでの期間、一生涯、終生、とのことで。

記載されている図が代表作ということなのでしょう。

雪舟さんの代表作ならば、日本の水墨画の代表作ともいえるのだろう。


生から畢(おわ)るまでで、一生を終わるまでの期間ということで、畢生。

ちなみに、

僕の生まれの日の、古宝二十七宿も畢(ひつ)。

おわる や おえる の他に ことごとく や すべて も意味する文字だそうで、

なにやら、親近感がありまする。


畢生の大作ならば、雪舟さんの此の世への置き土産。

後世の人・人が、その境地を物理的な短さに接することができることは、有難き事。

勿論、人々にまみれて、

ほんの少し見た という程度になってしまうのだろうけれど、

(以前の、鳥獣戯画のように。)

その程度で、僕は満足する。

そして、なにかしらの写しを購入する。

それで、いいのです。

ともかく、気に入っている、どうも気になる、

それがなにかの最高峰を身近に感じたんだと自己満足することも、

まあ、いいじゃないですか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


句読点の歴史はそれほど古くない。

例えば「源氏物語」には句読点がない。

かつては係り結びの法則や「候」などの文字が文章の切れ目を示す句読点的な意味合いで使われた。

現在の形式に近い句読点が整備されたのは明治期以降。

句読点はまさに記号なので、意味が伝わるなら、なくても問題ない。

最近の傾向なのかハラスメントという言葉が出るのが少し怖い

スタンプでのやりとりが普通になり、句読点どころか文字を打つのがハラスメントといわれてしまいかねない。

などと、

「「。」(まる)は冷たい?句点に感情深読み」(2024.3.4朝日)にありました。


そうなんですか。

そう言われれば、

今年、放送されているNHK大河ドラマに映されてくる書には、句読点がないなあ。

明治期以降ということなら、そんなに古くない。

いったい、「、」や「。」はいつからあったのだろう。

古くからあったものを一般的に使うようになったことなのか、

整備されたという明治期に発明されたものなのか。

発明されたのならば、立派な業績だ。


英語のピリオドも昔はなかったのかもと連想してしまう。


ラインなどでは、

よくできた、だいたいのものはかわいい、そんなスタンプをいただく。

文字はないことも多くある。

そんな時は、当然に句読点はないし、

文字を入れる時でも、

   空間で区切りを表したりすることもある。


そのとおり。

意味が伝わるなら、

スタンプの方が、より的確に近い表現となると判断するならば、

それだけでいい。


そして、

記載で懸念されている、文字打ちがハラスメントになる気配も漂う。

読まれている方に伺候すると、この「おもし」も、ハラスメントの塊になっているのかも。

(おそるおそる、絵文字スタンプをひとつ入れてみました。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


鶏の味付き の 天ぷら

なのか

鶏の 味付きの天ぷら

なのかと

ひねくれた頭は一瞬逡巡する。


「鶏の味付き天ぷら」(2024.3.15朝日)で、

料理研究家の方が紹介されていました。

鶏肉は 酒、しょうゆ、しょうが汁をもみこむ

とありましたので、

冒頭の、変な逡巡は、当然の如く、後者が正しいこととなる。

それを正しいとする現在の人間社会。


そもそもの味を大事にしたい。

鶏肉を使うならば、鶏肉の味がわかるような調理。

味つけとされる、酒ならば、酒単独で、

醤油ならば、醤油の味を、

ショウガもそのままで、

そんなようなことを、バイト先の昼食で行っている。

買ってくる唐揚げのお供は、玉ねぎそのままだったり、青ネギを少し洗って切らないで根の方からかみ砕いたり、春は菜の花もおいしい。

それならば、唐揚げそのものが、味つけされているから、おかしいんじゃない?

そのとおり。

ただ、昼食に出来合いのもの以外を食べる時間はない。

野菜なら、少し洗うぐらいでいいので、そうしているということ。

おいしいよ。

唐揚げのお供に、生のタマネギ。

サクサクして、ジューシーで。


言葉や単語は意味を割愛している。

鶏の味付き天ぷらは

鶏肉に味を付け天ぷらにしたもの

使われていくうちにだんだん短くなる。

鶏天 と呼ばれてもいるだろう。

短ければ短いほど日常的、

長ければ長いほど説明的で非日常。

鶏天は、どこかの大衆ご飯屋さん。

長ったらしくて何をどうしたといった料理名は、行ったこともないフランス料理屋さんだったりして。


アルバイト先の上司の方々も、車の配車先を短く言っていて、3文字まで。

4文字以上用いると少し危険な雰囲気。

サッサとして!のんびりできないんだから!(口にはされませんけどね。)

コンビニを、コンビニエンスストアと呼びたい当方としては、

逡巡する機会が出てくる。


鶏の味つけ天ぷら。

おいしそうな写真が、野菜のてんぷらと共に掲載されていました。

野菜は生のままなら、それもいいように思えるけどなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


人間が自然の時間を止めて文明をつくった

道具は変化する時間を止めて、人間の行為を固定した

7万~10万年前に言葉が登場したことで時間の流れが一気に変わった。重さがない言葉はどこにでも持ち運べる。

言葉は「自ら体験する」時間を止めて、物や出来事を抽象化し再現してくれる。

言葉のない時代は日々変わりゆく自然に直感的に対処することにより人間は暮らしていた。

未来に現在の時間を奪われている

天気を見て日々の行動を決める余裕

自然の時間に寄り添える場所に身を置く機会を持つべきだ。

など など など

ほんの一部を切り取らせていただいても何のことかよくわからないことになりますが、

「自然の時間を無視した文明」(2024.3.14朝日の科学季評)で、

敬愛する山極寿一先生がわかりやすく文明構築がヒトに対しての害悪になってしまう面を諭していただいています。


少し前に、娘に、なんでバイクに乗っているのか と問われました。

上司に聞かれたからとのことでしたが、

いろいろ忘れられるからね と 返答しておきましたが、

直感的に対処する 刻々と変わりゆく自然に対して 天気を見て行動を決める

僕の趣味という位置付けで語ることもある

大型二輪 空手 山歩き などは、

そういった状況が共通しているような。

大型二輪の運転は楽しい。

なぜ楽しいのか。

ひとりで瞬間瞬間変化する路面状況などに対処する時間を、日常の晴れた日の通勤時間に取り込んで、それ以外のことは、あまり考えていない。

3年目となっている習い事の空手にしても、

どんな突きや蹴りが相手から来るのかわからないし、個々にする基本の練習にしても足腰のきつさに耐えながら、集中せざるを得なくて、それら以外のことは、あまり考えていない。

最近、バイトが忙しくて、明日は晴れそうだから登山日和だなどと、ひょいと行っていた大山登山に少し距離ができたものの、山行中は、天候を常に注視しつつも、目の前の登り坂にヒ―ヒ―言いつつも、えびの尻尾などの氷の造形の美しさに心を奪われ、それら以外のことは、あまり考えない。


文明の恩恵を享受させていただきながらも、

ひとりで自然に向きあう時をそれなりに確保しないと、

人間の都合に振り回されているヒトの心をリセットできない。

文明構築は、たかだか数万年のことで、

ヒトは まだ、そんな状況に慣れきることはできていない。

言葉には確かに重さがないけれど、

その言葉を発するためのおつむはとても重たい。

その重い頭部を維持発展させてきた人間は、先生が言われるように予定と呼ばれている未来に縛られている。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


この広告は成功だと思います。

頑張って、全てを見ました。

(斜め読みですが。)


「一曲どうぞ 第一興商」(2024.3.14日経の1面広告)で、

DAM30年間カラオケランキング

調査期間:1994年から2023年

が、

1面全体に小さな文字で、曲名・歌手が1000曲分記載されていました。

ちなみに、

栄えある1位は、一青窈さんの「ハナミズキ」

1000位は、優里さんの「ペテルギウス」

知らない曲がほぼながらも、聴けば、ああそうだと思える曲も相当あると思う。


同社にとって、企業秘密なのかもしれませんが、

この30年間でどれだけのデータが集められたのか。

ぜひ、

第一興商さん、

1001位から2000位までも、広告していただけないかなあ。

保存いたします。

まだまだ、掲載されていない曲があると思うので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


印象深いそのお姿。

10歳ぐらいの時(半世紀以上前)の記憶。

幼馴染とやっていた資材が置いてあった広場でのキャッチボール。

広場近くにある同級生の家のおじいさんが広場の端あたりに歩いて来られ体操を始められた。

そのお姿は、ふんどしいっちょう。

前は布が垂れ下がっていたから、いわゆる越中ふんどしというようなものだったか。

おいっちに、おいっちに と

からだを振ったり曲げたり伸ばしたり。

顎の長くて白いひげやふんどしの布が揺れていた。


いくらか距離があったものの、

無性におかしくて、

キャッチボールどころではなくなり、

声を上げて笑うのも憚られて、

おかしくておかしくて。

とても苦しかった。


先日、

そのおじいさまのその時のご年齢が判明した。

なんと、

今の僕の年齢と同じ65歳。

(その時、僕が10歳ならば。)

うう~ん。そうか。

今の僕が同じようなことを自宅の近くの人も目もあるところで行えば、

露出狂として通報される可能性大。

どうしてもしたいなら、海岸の砂浜まで出てやるならば、まだいい?


しかし、役者が違うなあ。

僕も、頭髪は薄くなっているものの、

黒いところも多く、あごひげも伸ばしていないしあまり白くもなっていない。

苦労の深みが浅いのか。


人にわざわざ見せるものでもないけれど、

褌自体は気持ちよくて好きだ。

関連:冷や水、なんだけれども(おもしー582)


体操の効果があったのか、

そのおじい様は、その後20年ほどお健やかで居られたそうです。


あれから半世紀ではなく、

それを越えて、

四半世紀×3 ぐらい時が経過しているときに、

僕が生きていて、白髭が似合うようになれば、

どこかでやってみようかなあ。

ふんどしいっちょうでのたいそうのようなこと。

それを見たどこかの小学生は笑ってくれるだろうか。

おかしくておなかの筋肉が痛いと言ってくれたら、これも一つの冥利に尽きること。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


記事を見て、

スーパーマーケットを探してみたけれど、

見つけることができませんでした。

ホワイトデーのお返し袋の中に加えてもいいなと思ったりもしたので。

(受け取った方が、好きかどうかは知らないけれど、来年は無理で、今しか手に入りそうもないので。)


「チェルシー販売終了」(2024.3.5読売)に、

明治は4日、ロングセラーのキャンディー「チェルシー」シリーズの販売を3月末で終了することを明らかにした。

販売開始から53年の歴史に幕を下ろし、キャンディー事業から撤退する。

チェルシーは英スコットランドの伝統菓子を参考に、1971年に「バタースカッチ」「ヨーグルトスカッチ」の2種類で販売を始めた。

などとありました。


覚えています。

そうでしたそうでした。

新発売の時、英国の味を真似たとかも、宣伝にありました。

小学6年生?の僕にとって、

カンロ飴、一里飴、ときおり純露(紅茶味の方が少なくて)、

そんなところへ、突然、異国風味の飴(?、キャンディー)

美味しかったなあ。

だけど、ここ30年以上は確実に口に入れていない。


たしか、箱に入っていたけれどお・・・、

スーパーの売り場には、袋入りのキャンディーばかり。

ん、

あらためて、記事の写真を眺めてみると、袋入り?

包装も変わってきたのかな。


食してなかった罪滅ぼしに、

少し余分目に購入できないか、

何処に行けばいいのか、

スーパー巡りをして、1店目2店目なし。

3店目に置き場はあったものの売り切れ。

しかも、味の種類は聞いたことのないものだった。

・・・どなたかも最後に近いと思われて購入なされたか。

どこかにないかなあ。

購入できないとなると、思いが募ります。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


本当に持続可能なのかなあ。

廃食油を精製しないで、ろ過する程度で、

そのまま、清掃工場の助燃剤などに利用する方が日本には合っているのではないか。

廃棄物の焼却処理を行っている日本なのだから。


SAF Sustainable Aviation Fuel (持続可能な航空燃料)

20年のSAF生産量は6.3万キロリットルで、従来のジェット燃料の0.03%にとどまる。

廃食油を、航空機を飛ばすSAFに生まれ変わらせているところがある。シンガポールに飛んだ。

SAFの価格は現在、従来のジェット燃料価格の3~5倍

などと、

「廃食油で航空機を飛ばせ」(2024.3.3朝日)にありました。


そもそも、

廃食油が生じることがとても残念。

揚げ物などをすると、どうしても劣化するので、生じるけれど、

炒め物ならば、食材としていただいてしまうことになる。

なにかの電化製品の宣伝で、

(レンジだったか)

揚げたのと同じような食感で美味しいと。

油を使わないで、

揚げ物が作れないか。

水よりも温度が高い状態になる熱した油。

そんな状態を食材に与え調理する。

できないかなあ。

でも、

それの方が、

廃食油を、回収・精製・配送して、航空燃料にするよりも効率的。

問題は、

廃食油の有効活用なのではなく、

人類の食の調理法の在り方が問われているように思ったりもする。


それに、

外国では廃棄物の処理に焼却をあまりしていないように聞いているけれど、

日本では、可燃物は焼却処理。

どっちみち、ジェット燃料だろうが、焼却の助燃剤だろうが、

燃やしてしまうのは一緒。

(水分が多いと、重油を助燃剤として用いている清掃工場が多いと思っています。)


SAFって、本当に、持続可能なのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


何のお話しかと言いますと、

ホタルイカのことです。

茹でて美味しくいただいてきましたが、今年は今のところまだですけれど。


「ホタルイカ 卸値4割超安」(2024.3.13日経)では、

記録的な不漁で値上がりした昨年から一転、水揚げが順調だ。

3月1日に漁が解禁された。5日までの水揚げは約780㌔と例年並み

昨年は解禁からの1週間で6㌔だった。

都内の小売店では生のホタルイカ(20匹程度)が1400円台、

ゆでたものは30~40匹で1300円台

価格は前年と同水準

などとありました。


時々いただいて、

どんぶりに一杯のゆでたてに、少しの醤油。

以前は、硬くなった眼球を取り除いていましたけれど、

めんどくさくなって、そのまま口の中に。

大半は飲み込んでしまうけれど、少し歯に引っかかったものは出して。

柔らかい骨は勿論そのままいただいています。

肝臓なのか、茹でられてはみ出したりしているけれど旨味が多い。

どうにも止まらないなあ。


アルバイト先の女の子が、お客さんからもらったということで、

茹でて、目と、骨を丁寧に取ってから食べたと言っていた。

なんとも、ご苦労様なことで。

そんなに多くはなかったのだろう。


はたして、

どんぶり一杯には何匹なのかよくわからない。

20匹で1400円なら、1匹が70円!

なんと。

高級な価格ですね。

あの小さな体で。

イカなのに、1杯2杯ではなく、1匹2匹。

小さいからなあ。


昨年は不漁だったようで、

そう言われると、昨年食した記憶があやふや。

今年は、どうだろうと、期待します。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


アブラヤシの実だと思っていましたが、

デーツはナツメヤシの実でした。

アブラヤシは、その名の通り油(パーム油)が多く取れます。


インドネシアでは2023年のパーム油消費量の内訳は、

バイオディーゼル燃料向けが食用を初めて上回った。

約46%がバイオディーゼル、約44%が食用、約10%が手指消毒剤やせっけんなどの生産に使用される油脂化学用

パーム油はアブラヤシの果実から得られる植物油

インドネシアは世界最大のパーム油の生産国

などと、

「パーム油、世界供給に懸念」(2024.3.10日経)にありました。


天然ゴムからアブラヤシへの作物転換が進んでいるとどこかで聞いたことがありますが、

最近のタイヤの値段が高くなっていることの一因かもしれません。

それでも、

パーム油の供給に懸念があるということのようです。


気になるなあ。

なにって、油を絞られて残った滓の行き先。

相当多量の有機物。

精製されてパーム油となったものは半分近くがディーゼルエンジンで燃焼される。

滓は乾燥させて薪のように使用されていたら嬉しい。

記載の中の写真にはトラックに満載されているアブラヤシの果実のついたあたりの塊たち。

たぶん滓の方が大量に出ると思う。


そんなことを思いながら、

コストコで購入したデーツをいただきます。

干し柿のようなものと思っていただければ。

中にある種以外は全部いただけます。

デーツはオタフクソースの隠し味にも使われているようで、

美味しくて滋養のある食べ物だと思って、時々いただいています。

灼熱の太陽を恵みに換えてくれたものだと思って。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


たしか、

平安時代、

淡水を容易に準備できる河原で、薪をくべて湯をつくり、槽の中に入れてそのなかに浸かるお大尽の贅沢があったと小説で読んだ。


木賃宿という言葉も、

江戸時代まで、食料を調理する燃料代相当で雑魚寝で泊れる宿のことを意味していると思っている。

身を沈ませるほどの湯をつくれる燃料代なんて、とてもとても。


身近過ぎて意識しなかった

湯船に毎日つかる習慣が健康寿命を延ばす可能性が、最近の研究からわかってきた

多くの家に浴槽が備わっていて毎日のように湯船につかる習慣を持つ国は日本だけみたい。

毎日入浴する人は週2回以下しか入らない人に比べて、新たに要介護になるリスクが約3割も低い

などと、

「健康寿命を延ばす可能性」(2024.3.9朝日の知っ得納なっ得)にありました。


毎日当たり前のように温かい湯に身を沈めることができる、

そんなことは今の地球上で日本だけのようで、

日本だって、20世紀の後半になってからじゃないのかなあ。

当たり前だとは思っていない。

身近過ぎると記載されているけれど、

こんな生活がいつまでもいつまでもいつまでも?


一種の社会実験になるとも思う。

たしかに、効果(温熱・浮力・水圧)は実感し、

暖まり血流が良くなる、

関節や筋肉の緊張を浮力が和らげて身が空中浮揚に近いよう、

気圧の変化よりも大きな水圧で頭部以外は指圧の心のようにやさしく圧迫される?

よく眠れてしまいます。

(寝過ぎになるとも思いますが。)

だけど、

入浴と一緒にする行為が全てまったく100%良いとも思っていない。

清潔の御旗の元、

皮膚の常在菌を洗い流し尽くすようなことはどうかなあ。

毎日、血の通っていない頭髪を洗剤で汚れを落とすというのもどうだろう。

皮膚の様々な疾患もよく聞くので。


まあ、そうは思っても、今はここに生きているのだし、

それでは、

あらためまして、

週3回以上お風呂に入りましょうか。

日本人の入浴習慣の普遍的とも思われる広がり深さは、

地球史上始って以来、初めての、ひとつの桃源郷のようにも思えてしまいます。

昨日のお風呂も気持ちよかった。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


1929年の米ダウ工業株30種平均、

79年の金、

89年の日経平均株価。

20世紀の3大バブルという人もいる。

冷戦時代に持てる力を経済に注ぎ、米国の地位を脅かしだした日本。

米国が冷戦後に投資フロンティアと見定めた先は中国

低コストを売り物に世界の工場として飛躍した。米中経済は見事な相互補完の関係にあった。

外国資本は中国から逃げ出している。

などと、

「日経平均4万円、その先に」(2024.3.7日経の大機小機)にありました。


今後、四半世紀ほどの間、

米国が相互補完をうまくいかせようと選ぶ国は、

若い人口が多くあり、伸び盛りの国。

戦後の日本であったり、冷戦後の中国であったりしてきて、

これからは、インドかな。


そんな選定が米国に必要なのは、

米国内の格差社会の維持が、移民に支えられて継続しながらも、

国内問題が大きくならないために、

国同士の格差を利用してきた。

格差は人間の下剋上のエネルギーのマグマ。

そのエネルギーを、国内で稼働させながらも、

勢いのある低コストの国を利用してきた。

米国とはそんな利用に成功してきた国だと思っている。

国内での20世紀のバブルで痛みを受けたことから外国利用に舵を切っていたのだろう。


「25年に後退の可能性5割」(2024.3.9日経)では、

米国では 低所得層は生活費の上昇に苦しんでいる。

23年は高水準の財政出動のほか(コロナ禍で膨らんだ)超過貯蓄、移民の増加といった下支え要因があった。

99%の米世帯でコロナ禍前より貯蓄が減ると分析している。

市場が織り込んでいるほどの(利下げなどの)行動はとれないのではないか

などとありました。


米国内だけ見ていれば、経済の回転がスムーズにいかなくなる。

なるべく早く、

相互補完の役割を高くしてくれてないかなあ。


でも、挙げたインドはもう少し時間がいる。

それならば、踊り場的にでも、

低賃金の日本利用という場面もあったりして。

だから、日経平均4万円 そんな受け止めをしてしまう。

その先に をタイトルに入れられたのは、

どんな意味合いを込められたのか。


後の記事のように、

米国の利下げは市場が想定しているようには進まない。

そんな気がします。

だって、米国の多くは生活費に苦しんでいるとのことなので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「信用コストゼロ社会」が経済発展を後押しする

銀行を通さず、ブロックチェーンで与信する。1万3000キロ離れた見知らぬ同士の取引が、注文から10分で決済した。

この保険は支払いの判断から入金までをすべてアルゴリズムが自動処理している。ベースにあるのはブロックチェーン(分散型台帳)技術だ。

人間の恣意を排除することで、敏速で透明性の高い商取引を可能にするブロックチェーン。暗号資産(仮想通貨)の取引に使うイメージが強いが、いま経済活動の新たなインフラとして、急速に進化している。

その先進地がアフリカだ。

などと、

「信用コスト「0」で経済成長」(2024.3.7日経)にありました。


金融機関(お金を持っていて運用をどこにしようかと探している処)が、

最も心配するのは、

はたして、本当に返してくれるのだろうか、ということだと思っている。

だから、

運用先として選ぶには、自らを納得させる材料を求める。

担保があるとか、計画やその実行しようとする人間を信頼できるとか。

多くは、返済不能の芽が必ずあり、実際にそうなっていくケースに悩まされる。

判断するにあたって、単独では心配なので、上司など複数の人間を介そうとする。

だから、銀行さんにはたくさんの人がお勤めなのでしょう。


そんな、与信にかかるコストがゼロになっていくような社会が、

分散型台帳のブロックチェーンによりアフリカで進んでいるという。


人間の恣意性を極力排除しつつ信用できるものに到達できるならば、

そりゃあ、コストゼロに近づいて行くでしょう。

モノだって、生産者から消費者が直接取引できれば中間コストを排除できるように。

経済だって、与信の判断を任せることができるならば。

現在の人間の判断を上回る成績であれば、

不良債権となる額がより小さくなるのであれば、

それは使い物になる。


1万3000キロ離れた?

地球上であれば、日本からだって、アフリカでの機能を利用できるのでは。

仮想通貨が世界で流通しているように。

日本で与信を得ようとするよりは、

迅速でコストゼロに近い社会がもうすぐ来るのかもしれませんね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


株式市場が高値となっていて、

そこで利益を確定させた人たちが、より小さな市場に資金の一部を振り替えている。

そんな印象です。

違法金鉱山での死亡事故も報道されていたし。

資源枯渇が感じられ先高感をお持ちなのでしょう。

僕は、そんな世界に踏み込まないぞ。

知らない人とは言え、人の不幸を前提としているようなので。

関連:金不買運動(おもしー401)


「NY金高値」(2024.3.6日経)がありました。


ほぼ毎日、新聞を読んでいるけれど、

これはやらないほうがいいのかもしれないなあと思いました。

日々の、目先の、ちまちましたことに目を奪われて、

底流にある流れやマグマの溜まり具合に気づきにくくて、

そのほとばしりが表面に現れて気づいたときは、

時すでに遅しの面もあるような。

だから、

一週間ほっぽり出しておいて、

一ヶ月投げといて、

1年間触れずにいて。

まあ、そんなこともできないし、

それならば、購読しなければいい。


関連に記載したとおりに今のところ波に乗っているような。

資金流入は大波小波・引き潮を繰り返して、続いていくと思う。

現代の錬金術を夢見る方はご一考なされては。

勿論、僕は参加しません。

ただ、利益を確定なされた方は、既に別の市場を考えているのでしょうけれど。

そして、僕の金不買運動は全く支持されていかない。

世の中の動きにいつも逆行しています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


皆さんは、

自分の像を、

残していますか。

現代なら、写真で、残そうと思えば残せます。


オランダの画家レンブラントは、若い頃から晩年まで百点近くの自画像を描いた。

一人の男の人生の変遷をその自画像群を通してみることができる。

富にも恵まれた。

「富よりも名誉」との言葉を残しているが、

さらに「名誉よりも自由」という心意気を絵から読み取る解釈もある。

自画像を描くことで、 自分の心のバランスを保ち モチベーションを維持していたのだな、と教えられた。

まるで夜中にトイレに起きて、ふと鏡を見たらそこに自分が映っていたという感じをそのまま描いたような自画像

などと、

(2024.3.5日経の画家の自画像十選)にありました。


芸能人さんなどのように、日常的にその像を画像として残される方々は知らず、

僕などは、その像を見てもどなたもどうとも思わない。

ただの頭の薄い、眉目秀麗の魔反対のじいさん。

写真を撮られることは、その現実を見せつけられ、受け入れろと迫られること。

せめて、肉眼で、朝、顔を洗う時に鏡を見る。

肉眼では、脳が修正してくれて、まんざらでもないと現実を捻じ曲げる。

プリクラさんは、その修正を目の当たりにしてくれる能力を高めているのでしょう。


画家が自画像を描く。

脳の受け止めに忠実に描くのだろうか、

それとも何とかありのままを描こうと、

彼(レンブラント)はしたのだろうか。

気取りや飾りのない、あるがままの、裸の心を持った男の姿 とも記されていた。

掲載されていた「自画像」は、小太りのじいさんのようながらも、


20代に熱海のMOA美術館に紅白梅図を観たくてお邪魔したことがあったけれど、

その時の、彼の自画像がとても印象的だった。

何歳の頃のものかも知らず。

見つめられた印象を未だに持っている。

掲載されている「自画像」と同じように。


63歳でお亡くなりということなので、

百点ということなら、1年に2枚以上は描いていた?

年2回なら、

正月と盆にでも、

あるいは、あまり気候的に厳しくない春分と秋分にでも、

いやいや、

思い立って、こんな時に描いておくべきだと。

そんな感じで、

自らの写真を撮って、リセットするのもいいことかもしれない。

そこには、半年なら半年の、自らの行状の現れを形にしてくれているものが映っているはずだ。

それも見たくないから、写真を撮られるのはやはり避けてしまうなあ。

避けないで描き続けた画家は、

心のバランス モチベーションの維持 のためとか。


どうせ、そのうちに、閻魔様に上げつられる行状の数々なので、

開き直って、仕方ないじゃん!

ちょっと前向きにやったことだってあったんだ。


そうか。

なんで印象に残っているかが少しわかったような。

見つめられているから。

見通されているように思えるから。

閻魔様にお会いする前の練習になるのかもしれないなあ。

自然な自画像を描いたり写真を撮ることは。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


おもしろい表現だなあ。

責任 が 蒸発 だってさ。

連想するのは、

サラリーマンは 気楽な稼業・・・・

のフレーズ。

それならば、

「政治家は 気楽な稼業と きたもんだ 何かあったら 知らぬ存ぜぬ」


「政党のお金も自由?「責任」が蒸発」(2024.2.27朝日)に、

首相の発言からはその責任意識が蒸発している。

政治資金の使途をプライバシーのように扱うこと自体、致命的な範疇錯誤です。

などとありました。


あほらしくて、

あまり語りたくないけれど、

あまりに、

植木等さんの本意からも外れているようでして。


ただ、

その政治家さんを落選させられない選挙民こそが、

気楽な稼業 であって 責任 を 負わないで逃げている。

一蓮托生なんだね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


記載を読んで、

姻戚者の首の大きな腫れを思い出した。


首の右側が腫れ 中咽頭(いんとう)がんが首のリンパ節に転移したもの

HPV(ヒトパピローマウイルス)

中咽頭がんは1990年ごろに

酒やたばこが原因のものと、

HPVによるものの

2種類の存在が判明した。

HPVは感染しても多くの場合、自然に体外に排出されるが、数年から数十年にかけてがんを引き起こす例がまれにあり、早ければ20代で判明する子宮頸がんに比して中咽頭がんは早くとも40代からだという。

成人ならだれでも感染する可能性ががあるHPVが男性のがんの原因になることは、まだ広く知られていないが、近年米国では中咽頭がんの数が子宮頸がんの数を上回った

感染症自体を防げば、避けられるがんは多い。HPVはその筆頭格の一つで、性別を問わずワクチン接種が広がれば、救える命はたくさんあるはずだ

などと、

「HPVの影響 男性の自分にも」(2024.2.27朝日の多事奏論)にありました。


彼の首の腫れがこのことに当てはまるのかどうかはわからない。

ともかく、目を引く大きな腫れだった。

こぶしの大きさの3分の1ほど、いや半分ほどだったか、はあったと思う。


好きで行うことは止めないほうがいい。

酒にしても煙草にしても、それ 以外 でも。

好きなんだから、止める弊害の方が大きいと思っている。

何にしても前向きになりませんよ。止めるなんかしてしまえば。

ただ、

自分で思い知れば別。

歴史や知見からの知識として こんなことが起こる可能性が高いと知っていても、

自分の体の痛みなどの体験は そんな知識を吹き飛ばす力がある。

しばらくすると忘れてしまうこともあるけれど、

温故知新と言ったって、声にもできない「この痛み」「この〇〇」が今あれば、何も見えない。


個人的には、ワクチン接種が嫌いです。

なにか、温室内での生活を促されているようで、

室内に入る入場券が接種であるみたい。

でも、

人類がこれだけ多くの人口を擁し、普段行き来のない人とも、時には身近に接して生きていかざるを得ない社会を形成し、そこに暮らすことなど地球史始って以来なのだから、

致し方ないのかなあ。

悪さをする因子があったとして、

僕のどこかのリンパ節も膨らみを増してきているのだろうか。

習い事で汗をかき、血流を増やす時間を設けることで、洗い流せれないかなあ。

自然に体外に排出されるとも書いてあるし。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


どこへ亡命すれば、どこまで逃げれば。

どこへ亡命しても、どこまで逃げても。


「亡命の露操縦士 射殺体で発見」(2024.2.22読売)では、

昨年8月にウクライナに亡命した元ロシア軍ヘリコプター操縦士 がスペイン南部ビジャホソヤで射殺体で見つかった

犯人は見つかっておらず、地元当局が捜査を始めた。

露軍参謀本部情報総局の職員が昨年10月、国営テレビで「見つけ出して処罰する」と発言した。

などとありました。


そんな国が隣国にあり侵略を受けている。

歴史的にも現在進行形でも、これに該当する国はどれほどあるのだろうか。

ウクライナが安易な停戦に臨めない気持ちが少し理解できるような。


スペインの南部と言われれば、温暖な気候を想像する。

参謀本部とか情報総局などとのひびきからはスパイ映画の一部を連想させる。

そして、現実に、射殺体が発見されている。


とりあえず第3国の住民たちは眉を顰める程度のことか。

当事国の住民たちでは、自分たちのこと。

7面の下のほうであった記事の扱いは、もっと強く表現した欲しかった。


僕だって、何処かへ居を移す必要が出てくるかもしれない。

その時は、何も持っていけないだろう。

それこそ、着のみ着のまま。

そして、移すことができても、体調不良となり終わりを告げられることとなる。

だから、せめて、温暖な南国へと思ってしまうのかなあ。

なにか、終活みたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


1つの細胞内に、多い場合は数千個も存在する

エネルギーの供給源となるのはアデノシン三リン酸(ATP)

大部分がミトコンドリアで産生

ケトン体とは体脂肪を合成または分解する際に発生する中間代謝物

ケトン体は非常に効率がいい

ケトン体を生み出すには糖質の摂取量を減らすことが必要

などと、

「若さと健康 維持しやすく」(2024.3.2日経のカラダづくり)にありました。


そもそも、ヒトのミトコンドリアは何を主にして働いてくれていたのだろうか。

糖質は主ではないと思っている。

現代社会は、糖質マシマシどころか、糖質中毒社会だといっていい。

食にしても社会の動向にしても、距離を置いて生活したいけれど、

それは難儀なことで、実質無理。

何を食べても、注文しても、粉もんが含まれていないものは少ない。

(今の僕の頭の中では、唐揚げが浮かんでいます。)


効率がいいとされているケトン体は、

なぜ効率がいいのか。

もともとケトン体を原料としてアデノシン三リン酸(あでのしんさんりんさん・ATP)を生成していたと考えています。

後から、横から、糖質が幅を利かせる食生活になったものだから、効率は悪いけれど仕方なく使っている。

そんな感じ。

同じ質量の糖と脂では、カロリーが異なり、脂の方が大きいのは誰しも知っている事実。

同じエネルギーを持ちながら、軽くて、体に保管して、負荷を与えにくいのは糖ではなく脂質だから、体は脂質としてエネルギー源を保つ。

糖質を摂取しても脂質に変換して保管する。

よくできている。


ミトコンドリアの好物をより摂取して、あまり好きでもないものは与えないようにしたい。

彼らは、僕の細胞内にある別の細胞で、母方からの遺伝で受けついでいる。

そうですか、

ひとつの細胞内に、数件個もあるのですか。

民主主義的に言えば、彼らの好むようにすることが、体全体の調和を保つこととなったりして。

37兆個の数千倍の個数で、モノ言わず主張しているのかも。

わかりましたよお。

言われるように、糖質をなるべく取らないようにいたしますです。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


ロッキード・リクルートの落とし子である新自ク・新党さきがけも10年単位で見れば多くが元のさやにおさまり、自民党の延命装置の役割を担ったといえる。

今回、そうした芽どころか、派閥解消も一緒で、若手が先だって離脱する動きすら出なかった。

「自民党に明日はない」(2024.2.5日経の核心)にありました。


そうなんだよなあ。

結局は、飲み込まれて元のさや。

反逆のように見えても、体制の延命のために一役買っただけ。


地球温暖化を阻止するための、

SDBS?なるものも似たようなもの。

着実に平均気温は上昇している。

コロナ禍で、車の移動が極端に低下した時期があった。

その年は、CO2排出削減量の目標を達成していたという。

そして、毎年同様な量の削減をしていかなければ、1.5度までの上昇に抑えられないともあった。

禍と言われていた時期を収束に向かわせることと同時並行で、

車の移動は元も黙阿弥。


根本的な働きは行えない。

うさん臭さをどうしても感じる。

それでどうしたいのか。


冒頭の話題に戻ります。

お呼びでない人間が出て来て、時間を浪費したってただの無駄。

責任の所在をともかく明らかにしない。責任逃れの5人衆。

それでは起こっている事象の説明は誰ができるのか。

死人(しびと)に責めを負わせる 顛末を書き上げる シナリオライター。

人前で語れない人間は表舞台からさっさと退去すべし。

それをさせないのが、支えている同種の人間たち。


いろんな意味で、

相当に世紀末感があるんだけどなあ。

世紀末感は、単に、西暦の世紀の末のような数字によるものではないと思っています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


次のページ