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28日の土曜日だったかな。

朝のTVで、虫秘茶(ちゅうひちゃ)なるものが紹介されていました。

紹介を受けていたアナウンサーも、腰が抜けましたというような表現で驚いていました。


なにって、

けむしの糞に、お湯をかけて、

(つまり、お茶の作り方で、)

飲む。

そんなことできるのですか。

その、糞の映像は、筋が入っていて、コロコロしていて、すこしかわいいような。


そもそも、

お茶とは、

例えば紅茶。

茶葉を粉砕し、発酵させて、作る。

蛾の幼虫であるけむしさんが、葉っぱをかじり取り、体内で消化するため発酵させていて、その結果の 排出物が、人の作るお茶のようになっている?

衛生的にも問題ないとの公的検査機関のお墨付きも受けているとされていました。

どうして、衛生的に問題ないのかも、とても不思議。


そして、芳香があり、味わい深いということのようです。

すぐさまに飲んでみたいかと言われても、

少し尻込みいたしますが、

お話を聞くと、納得するような?

桜の葉を食べたなんだかという蛾の幼虫の糞がおすすめとのことでありました。

仮に、試飲する、その場にいれば、

隣の人に、お先にどうぞと言いたくなるような。


40年以上前の学生の時、

食べるものがなく、

キャベツひと玉を手でちぎってむしゃむしゃ食べていましたが、

最初はおいしいものの、そのうち辛くなって、いくらおなかが減っていても、食べきれませんでした。

その時、思ったのは、青虫君は、モンシロチョウになる前は、このキャベツしか食べないなんて、僕にはできないなあ、と。


キャベツでも桜でも、その一種しか口にせず、体内の消化を助ける腸内細菌も固定されているのでしょう、そして、けむしと呼ばれる同種の幼虫の個体間の差もほとんどなく、どの個体から排出されるものも、同様、均一的な品質(?)になる。

そんな感じを受けます。

まるで、人がお茶の工場で作成している工程を、

小さな個体の中で行い、ほぼ同じ工程を行う個体が多く並行して存在して、

結果的に、人の工場のような作成物の量を確保できる可能性がある。


虫と呼ばれる生物に、

大型哺乳類であるヒトの食が、直接、助けてもらえるような。

ん?

間接的には、けむしさんは、鳥に食べられ、食物連鎖の過程を経て、

ヒトに食べられているんだなあ、と、あらためて、感じた次第。


機会を作って、尻込みせずに、

虫秘茶(ちゅうひちゃ)!

いただいてみましょうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「マイナ利用拡大に腐心」(2023.1.23日本海)で、

利便性向上は限定的

カード交付率は全人口の約6割に達した。

「今はポイントに頼らざるを得ない」

などとあり、

マイナンバーカードの普及に政府は取り組んでいます。


僕も、過去の立場上から、つくっているけれど、

ともかく嫌です。


6割の交付率ということのようですが、

なにかポイントがいただけるそう。

(こんな、餌で魚を釣るような、目の前のまやかしめいたことをして、誰が信用を増すのだろうか。)

交付率が、8割や9割になると、政府は強制的に付与しようとする。

(6割から8割へは、結構難しいのではと思っていますけれど。

もしかすると、ポイントの額増加、

若しくは、反対に、持たざるものへの新たな負担を考えている?)

皆が持っているのだから、持ちなさいと、言い出すに決まっている。

そう思っています。

今、ポイント目当てに交付を受けている人々が多数であればあるほど、

交付困難者に対する圧力を政府は持つことができる。


では、いったい、

最後まで持とうとなされない方々は、

どんな方々なのか。

それは、やはり、資産家の皆さんだと思っています。

金融資産などを丸裸にされる手段として使われる。

そして、何かあった時の

(つまりは、日本国債の信用がた落ちなど、金融崩壊の時に)

国民の資産を押さえて取り込む道具としてナンバーが威力を発する。

解りやすい話だと思っています。


資産額に応じた交付率が示されれば面白いのになあ。

ちなみに、国会議員の皆さんの交付率はどうなのかな。

特に、企業を背景に連続当選なされている先生たち。

あきらかになされるべきでしょう。


マイナンバーと呼ばれているものは、

現代の戸籍。

わかりやすく、単純な、人頭税であったものから、

個々の所得や資産により、徴することができる額を見積もれるものへ、

国が存続するための税を徴収するための道具。

(その時々の経済状況により、考えられないような税率もあったりして。)

受け取り口座もまやかし。

見せ金の受け取りを行わせても、

例えば、1千万円以上(1億円以上?)の金融資産は凍結して召し上げ。

そんなことがあったとしても、

一般の庶民(僕たちといいますが)は、日々の生活費に汲々としていて、そんな、いくらいくらなんて持っていないので、

大衆的には迎合できる政策と受け止められる厳しい経済状況だってあり得る。

そんな状況に陥らせてしまった責任よりも、

その状況の尻拭いは、国民に押し付ける。

厳しい経済状況の時に、日々の生活のために、そんな額は必要ないでしょうと言い出すでしょう。

だから、マイナンバー。

国民総背番号。

考えただけで、肩が凝る。

監視されているようで、不自由感極まりない。

以上、煮干しのたわ言のような、

少しの出し(そうかもねと思えること)が出れば良しとできるかな。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


なんてことですか。


「戦車を軸に領土奪回へ」(2023.1.26日経)のなかで、

ウクライナ軍は、 戦車や機動力の高い装甲車や歩兵戦闘車などを組み合わせて前進する作戦

ロシア軍はウクライナ東部で戦力増強を急いで

春以降の戦闘激化が予想される。

ウクライナが求める300両

欧州13カ国の軍が約2000両を保有するレオパルト2は、欧米からウクライナへの大量供給が可能な唯一の戦車

春には供与された戦車を軸とした部隊を前線に投入できる

などとあることを、

苦虫を噛みながら読みました。

春といえば、戦闘は2年目に突入してしまい、しかも、戦車をポーランド、フィンランド、ドイツが供与の意向という。

停戦を僕は望みながらも、戦闘激化というどなたかの見通しとは。

なんてことか。


「欧州天然ガス8割安 記録的暖冬 高い貯蔵率維持」(2023.1.25日経)とありますので、

ウクライナの方々も、少しは、寒さが凌げているのか。

それが少しの慰め。


「使い捨て、ごめんだ」(2023.1.24日本海)のなかで、

ロシアが昨年9月に部分動員令を発動したことを受け、多くの若者が軍の招集を回避するため母国を離れた。

「僕ら若者がもっと政治に興味を持っていれば、戦争を食い止められたかもしれない」

とありました。


国民として、その国の政治の方向を選択できる権利がある。

自分の思う方向に行かなくとも、その世代に生きてきたものとしては、

共同責任が免れないと、僕は、思っている。

だから、

日本国の政治の結果責任も、

あの時ダメだと言ったじゃないかといえたとしても、

やっぱり、良いも悪いも、全体で結果を担い、次世代に対して説明責任を負い、つなげなければならないと思う。

それはまた、

一国の話だけではないとも思っている。

ロシア国内で、戦争食い止めのできなかったことを出国した若者たちの責任にしてはダメ。

そう感じてくれる人々がいたとしても、

その責任は、大なり小なり、僕にもある。

そう、考えている。


ロシアの兵士。ウクライナの兵士。

ウクライナの兵士。ロシアの兵士。

どちらが先か後かなんて関係ない。

定員4名のレオパルト2。

どんな気持ちで、64トンの車体に乗車するのだろう。

誰だって、戦場へ向かうものに乗りたくない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


ゆるやかな円高。

そうかなあ。


「見えてきた「ゆる円高」」(2023.1.25日経)では、

極めて緩やかに円が買われる「ゆる円高」のシナリオ

FRB 利下げに転じるのは 来年前半と予想

日銀が大幅な利上げに動くとは考えづらく、

半年から1年ほどは金利差が開いたままで安定する時期が続く

金利差が開いたままで安定した状態は、円売り・ドル買いの絶好の機会

貿易赤字も次第に縮小に向かう可能性が高い。

金利差でも需給でも円買い圧力が強まらなければ、昨年の急激な円安の反動こそあっても、円高の加速は想像しづらい。

などとありました。


記事内容は、たぶんそのとおりだと思います。

数カ月から半年ほどの間での、長めの移動曲線では、たぶん、そう(ゆる円高に)なるのではと、僕も思う。

でも、

実際の値動きは、疑心暗鬼で、相当な上下動を繰り返す。

そうなってしまうような。

記事の「緩やかに」は、緩やかであってほしいとの願望の部分も含まれている感じがする。

なにごとも、一本調子に物事は進まない。

ある程度、終わってみてみれば、そうだったねと言えるけれど、

その時その時には、誰にもわからない。

ほんと、神様仏様に聞いてみたい。

為替相場って、いろんなところに影響を与えてしまいます。

あああ、人間社会で生きようとしながら、翻弄されている哀れなわたくしめでござりまする。

(具体的には申せません。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


駆動輪である前輪タイヤの空転が感じられ、

滑って、後方にずり下がるう~。

焦りました。

ブレーキを踏んで、止まってくれましたが、

(後輪が踏ん張ってくれた。)

タイヤのグリップがどの程度か、とても心もとない。

少し横滑りもあり、ひやひやもの。

1月25日の朝7時半ごろのことでした。


バイト先の駐車場所は立体駐車場。

朝7時ごろの通勤利用の道路路面は、ほぼすべて硬い圧雪。

途中の路面の温度表示はマイナスの2度や3度。

4輪駆動でも、慎重に運転し、駐車場まで到着。

前後の車両も、みんな慎重な運転でした。

立体駐車場は、半分室内であることと、生来の貧乏性から

(4輪駆動は連続する直角的な動き、特に、滑りのない舗装路面では、車軸に少し無理をかけさせるのではとも思っているので、)

2輪駆動にしたとたん、

2階から3階への登り斜面で、

冒頭のとおり、滑ってひやひや。

停車後、すぐさま4輪駆動に変更し、慎重に登り切りました。

車体が下がった時に、滑ったあたりを見てみると、

アスファルトが氷で覆われるブラックアイスバーンのように、

みため、黒光りしていて、とてもきれいでした。

(僕のタイヤの空転で磨かれた?)


その2時間後あたり、駐車場の係の方々が何人もかかられて、

そのあたりの氷を除去されていたのでしょう。

ガンガン、ゴンゴン。

近隣職場にお勤めの方のなかで、登り切れなかった車両もあったのではと思います。


ただ、

山陰の平野部では、マイナスの二桁まで行くことは

(ほんの半世紀ぐらいの)

僕の経験上では記憶がないので、

これぐらいの寒さが、通年のように思っています。


そして、

この度は、10年に1度という最強寒波と言われ、

1月24日から、警戒を、ご用心を、などと繰り返し報道されています。

それなりの根拠に立った予報をしていただいてありがたいと思っていますが、

なにか、

事後の検証を行えばもっと信頼性が湧いてくるような。

例えば、

10年に1度の寒波と予報しましたが、3年に1度程度の寒波でした。

(そういえば、昨日、長野県の諏訪湖が全面結氷し、御神渡りが3年ぶりに見られるかもというニュースがありました。)

などと言っていただければ、

ああ、あまり大事に至らずによかったね、といえますが、

10年に1度との言いっぱなしでは、

結局どうだったのよと、誰しも思うのではないかなあ。

気象庁には、

オオカミ少年ならぬオオカミ組織にはなっていただきたくない。

ますます信頼を高める組織となってほしい。

そのためにも、自らの予報に対する結果説明も、

特に、大きめな予報に対しては行うべきではなかろうかなあ。


今これを下書きしているのは、

翌日、1月26日の午前10時過ぎ。

今朝の早朝はマイナス4度だったようですが、

今は、南東からの日差しがまぶしい。

半纏の背中に太陽を背負いつつ、

半分、日向ぼっこで書いています。

背中ポカポカ。

自宅前の3ケタ国道を通行する車両も、雪解けで濡れた路面を、

シャーといわせながら走り去っています。

明日朝に、再確認して、ブログにアップいたしますが、

今は、すこし、うららかな気持ち。


このあたり、これから、1週間の内の予報では、マイナス気温はないようですけれど、

この冬の内には、

あと何回かのマイナス気温の経験をするのだろうなあ。

あの、登りで滑った個所は要注意。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


なにか、

おもしろい表現だなあ。


料理のアレンジが斜め上をゆくもの。

どんなものを指して斜め上をゆくと言っているかというと、

お味噌汁の具は羊羹と謎の木の実。

そういう、場面で、「斜め上をゆく」と表現なされている。


どなたかというと、

光浦靖子さん。

「自分流やめる=負けた感」(2023.1.15読売)では、

なんか、レシピに従うと負けた気がするんですよね。

なんか、メモすると負けた気がするんです。

時計見たら負けた気がするんです。

3大良いと分かっているけどやれないこと

などともありました。


まず、「斜め上をゆく」。

そんな言葉使いは知りませんでしたので、

ネット検索してみると、

ちゃんとありました。

「予想や常識を超える、または予想や常識から逸れるという意味のネット用語。」

ということのようです。

確かに、僕のような年配者でなくても、

みそ汁の具に、

羊羹やよくわからない木の実が入っていることは、

僕の予想や、僕の常識、そして僕の味覚を超えて、

栄養を補給するための食事から逸脱して、

口汚しと言ってはお菓子に失礼ながらも、

主たる栄養補給路線の横にある食であるお菓子になってしまったような。


それから、

「負けた気がする」

僕も歳をとったもので、

例えば、

車で追い越されても、お先にどうぞ。

当方は安全運転で行きます。

(若かりし頃は、やはり、負けた気がして、嫌な感じを持っていたのになあ。)

メモや時計も、手段や道具と割り切ればいいものをと感じるのは、

これも、僕が、お年寄りになったから。

自分で、自分の力で、

人生を、ストラグル、悪戦苦闘しながら取り組もうとなされている方々においては、

はた目から見れば、そんなことにこだわらなくてもと思われても、

当人からすれば、いたって真面目に真剣に取り組まれている証左のように思えてくる。

悪い面ばかりだとは思えない。

たぶん、根が真面目なんだろうと思う。


空手やバイク、山歩きやこのブログのような文章作りもどきは

楽しみながら大事にしつつも、

もっと、人生の、「斜め上をゆく」ことをできないかなあ。

他の人と比較するのではなくして、

自分のなかで、自分の予想や常識を超えること。

自分で自分が面白いことやってるなあとびっくりさせてみたい。

僕も、根が真面目なので、おもしろいことがなかなかできないのですが。

まずは、今まで知らなくて、おもしろい表現だと感じた

「斜め上をゆく」を

時々使ってみようか。

でも、そんなことじゃあ、「斜め下をゆく」程度だなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


え~。

そんなにですか。

気持ちよく使っているのに。


「温水洗浄便座 使い過ぎると? 便漏れ 湿疹の恐れ」(2023.1.15読売)では、

使い過ぎによって、肛門周辺の皮膚に湿疹やしみが出る、黒ずむ、ひび割れができる

かゆみや痛みを伴い、「温水洗浄便座症候群」と病名も付いています。

目の周りに水鉄砲を当てているようなものです。

①水圧は一番弱くする

②水温は低めにする

③5秒以内、1日1回

などとありました。


えーと。

トイレといえるものなら、上等です。

便所といわれるところでも、なんとかできる。

大きな穴に二本の板を渡して、そこで、いたしてきた少年時代。

夜は、とても怖かった。

まさしく、妖怪の世界。

職場の古い建物(だいぶ前に取り壊されています)の、2階より少し高いところに便所があり、職場の友だちにも信じてもらえませんでしたが、そこでいたしたときに、おつりをいただいた。

落下した音が聞こえて、少ししてから、ピっと、お尻に到達。

どなたさまも、様々なお話をお持ちだと思っています。

(あまり大きな声では言えないながらも、)


やはり、きれいに、すませることができれば、とてもうれしいもの。

だから、暖かい温水で、手についたインク汚れを落としてくれるように、

(最近こんな宣伝が無くなったなあ。)

洗っていただける装置が世に出たときは、発明だと思いました。

すばらしい。

快適に使用させていただいております。


でも、①から③までのことは、

だいたいそのようにしているなあ。

なんでだろう。

たぶん、きれいにし過ぎることはあまり良くないみたい。

と、思っているのかなあ。

あんまり真ん中に命中させたくないし。


10年以上前から、

皮膚の常在菌を大事にしたいとは、自分のポリシーでもあります。

皮膚だけでなく、腸内もそうです。

腸の終わりのあたりで、体外へ排出していただくあたりでも、

(正確には、口から肛門まで、ずっと体外なのでしょうけれど。

あまり考えない葦ですみません。)

生物(いきもの)の歴史としても、人間の考えるきれいというものにしたことがない。

とおもっています。

たしか、石鹸が普及してからアトピーが多くなったという話も時々読みます。


どなたさまも、たいせつなところを、ご自愛くださいませ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


そうなんだよなあ。

凡人の僕は特にそう思います。


「成功は成功のエネルギー」(2023.1.10日経のこころの健康学)のなかで、

成功することに越したことはない。

成功は成功のエネルギーになる。

うまくいけば、もっと工夫できないか考える元気が出てくる。

失敗するのはチャレンジしたからだ。

失敗したからといって、それですべて終わりではない。

などとされていました。


できると嬉しいし、

余裕が生まれてくる。

もう少しこうしてみようかとも考え始める。

失敗すると、気持ちが落ち込む時間がどうしてもできる。

それは、意味のあること。

でも、凡人の僕は、失敗ばかり連続してしまうと、

意欲が減退して、再チャレンジに至るかどうか、継続してやってみる元気を維持できないなあ。

人ってそんなもの。

だから、

やはり、成功はうれしい。

自信もつく。

(変な過信になりませんように。)


遠越段(とおごしだん)さんが、

孔子の教えの中核は、過ちを認める人、過ちを改める人こそが成長するというものである。

とされています。


僕は凡人。

だいたいは失敗する。

でも、時々うまくいく。

3歩進んで2歩下がる、くらいなら、とてもいい方。

失敗して、どうしてかなと、素直になること、とても大事。

そして、時々、成功してくれて、うれしいくなること、これも、とても大事で、次につながる意欲を増幅させてくれる。


過ちを認めないと、自分がそれに捕らわれてしまって、身動きできなくなる。

とても不自由。

面子(めんつ)が自分を卑屈にさせてしまう。

こんなこと、あんなこと、どんなことでも、自由をなるべく謳歌したい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


昨年から足裏に負担をかけています。


この前、17日の火曜日が、アルバイトのお休みで、

日差しもあり、

窓際で、になたぼっこのように、座布団に胡坐をかいて、ゆっくり新聞を読んでいたところ、

ふとみると、

足の裏に指紋が。

5本の指だけではなく、かかとにかけて、足裏全体(土踏まずには指紋ではなく皺がある)にあった。

両足裏ともに。

こんなにあったかなあ。


右にも左にも、薬指には内出血のようなものもあった。

けっこう床にたたきつけているし、

体を回す時や、

後ろ足をまっすぐにしてしっかり支える時に踏ん張る。

その時、たぶん、薬指や小指が頑張ってくれているようで、

この2本の指は、両足とも、太くなったように思うし、

以前にも書きましたが、爪の伸びが速くなったように感じています。

かかとにも指紋(?)がある。

こんなにあったかなあ。


お風呂に入った時は、足裏を軽石で擦り、垢を落としていたけれど、

そういえば、特に、指の付いているあたりはつるつるで、

軽石を当てることはやめているなあ。

手の指で軽くこするだけ。

軽石は、かかとや横のあたりを、少々擦るだけ。

以前は、足裏全体を、軽石で、ゴシゴシ擦っていたのに。


体育館の床に素足で立ち、すり足、回転、踏ん張りを行う。

いつぞやは、親指の付いているあたりの皮がむけて、テーピングテープのお世話になった。

面の皮はそれほど厚いわけではないと思っている僕ですが、

足裏の皮は、厚くなって来たことを、なぜか、就寝時によく感じる。

(この10年程、自宅では、1年中素足です。

外出時も、靴下をなるべく履きたくないので、下駄や雪駄をよく使っています。)


さて、

足相。

ネット検索すると、あることはあるのですが、指の形での相のようです。

手相のように、何々線とか、指紋の形によるものではないみたい。

でも、僕の足裏の指紋は、

渦状紋。

どうも、手の指紋は掌紋、足の指紋は足紋と呼ばれているようで、

手も足も、日本人の約5割と言われている渦状紋のよう。

なにか、普通で、あんまりおもしろくない。

ともあれ、足紋のおかげで、滑って転ばないということ。


そういえば、

35年ほど前の話。

職場に警察の方が来られて、あちこち指紋の採取を行われた。

なにか、白いような銀色のような粉末を、ポンポンされていたような。

(たしか、盗難事件があったような記憶(あいまいですが))


僕の足紋も体育館に残されているのだろうか。

(大丈夫です。練習の終わりには、モップ掛けを行っています。)

ポンポン。

なにか、梨の花粉付けみたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「世界の石油需要最高 今年1.9%増、IEA見通し」(2023.1.19日経)では、

国際エネルギー機関(IEA)は

18日に公表した1月の石油市場リポートで、

2023年の世界の石油需要は

前年比約190万バレル(1.9%)増の日量約1億170万バレルと

年間として過去最高となる見通しを出した。

とありました。


また、

「原油 中国回復期待で反転 1カ月半ぶり高値」(2023.1.20日経)では、

中国の新型コロナウイルス対策の緩和で、需要回復期待が高まった

とされています。


そんな中で、

「グレタさんが独で一時拘束」(2023.1.19日本海)では、

炭鉱の拡大で廃村となることが決まっていたが、反対する環境活動家らが村を占拠し、問題となっていた。

とありました。


地球環境と呼ばれることもあり、

人間が生活している地球の表面の、主に気温の変化に、

だれが、どのように、責任を持ち、対策を行おうとしているのか、

すかすかな僕のおつむでは理解できません。


簡単な問題じゃない。

スッキリした回答や対策なんか出せない。


それはそうなんでしょう。

人類の英知を振り絞っている上で、現在があるのだろうから。

そして、そうこうし続けて、いったい何十年になっているのだろう。


若者であるグレタさん

(2003年1月3日生まれだそうで、この前、二十歳になられたよう)も、

そうこうしているうちに、お年寄りになっていくのだろうか。

石油をじゃんじゃん消費し、

CO2をよく出す石炭の採掘のための炭鉱を拡大する。


人類の明日のためには、

どちらが、より良い影響を残そうとしているのだろうか。


「「失われた30年」前夜か 中国、人口減少 日本の二の舞警戒」(2023.1.19日本海)とありましたので、

中国には申し訳なくても、

中国に失われた時間と呼ばれるような、長い経済の低迷が生じることは、

世界全体に対して、

良い方向なのか、悪い方向なのか。

ちょっとよくわからない。


たぶん、

短期的には悪い。特に周辺の国々、日本も含めて。

中長期的には、人類の生活環境において、それほど良くはないが、とても悪いとも言えない。

100年程度しか生存しないヒトの個体的にはそんなことなのか。


僕たちは、なにを、子孫やその後に続く者たちに残そうとしているのか。

そして、それは、正なのか、負なのか。

それは、楽なのか、重荷なのか。

ちょっと待ってよ。

楽も重荷も、どちらも、続く者たちにとっては、残されてはいけないように思えてきたよ。

なんとか、ノーマルな立場で生まれ、生きていただきたい。

現実的な見通しとして、とても心苦しいけれど、僕が生きている間の人間たちの生き様の後始末をお願いしてしまうことになる。

それは、本当にダメだろう。


それなら、僕が、今、せめて、した方がいいことは何?

高校生の一時期行ったように(通学)、移動は自転車で、(通勤)を行う?

軟弱者には続かないなあ。

寒いし。

だから、対策しているとはあまり思えない現在がある。

これは、僕の問題。


「指導者や企業の強欲優先を批判」(2023.1.21日本海)で、

スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(20)は19日、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)開催中のスイス東部ダボスを訪れ、同会議に参加している各国指導者や大企業幹部が「自分たちや企業の強欲、目先の経済的な利益を、一般大衆や地球(環境)より優先させている」と批判し、

とありました。


強欲と言えばそれまでですが、

企業も政府もサスティナブルを目指す。

続かなければ、終わる。発言力はない。

1企業だけ、一国の政府だけ、地球環境優先を突出して行えば、

足をすくわれて、さようなら。

どの組織の責任者達もそう思っている。

人間は護送船団方式でしか生きられない。

ヒトであるときから、そう生きて、生き延びてきて、現在がある。

だから、ファーストペンギンが成し得たことがあっても、いつまでも導けることは困難。多くはその犠牲になってきている。

でも、ファーストペンギンはいつでもどこにでもいるんだ。

そう思いたいし、そうなん(だ。です。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


議会が決める。

否、議会しか決めれないんです。

だから、どのような議決であっても、

説明責任は議会にある。


そのわかりやすい事例があったので。

(せっかくの崇高?な「おもし」が横道にそれるようで、あまり気乗りはしませんが)


「倉吉の統合小「成徳」決着 協議2年「何だった」」(2023.1.18日本海)では、

「既存の校名は使わない」という前提ルールを覆し

とか、


「「成徳」で決着 倉吉「打吹至誠」から一転」(2023.1.18日本海)では、

提案された議員らに説明をお願いすることになるだろう

決断できる市長になっていかねばと改めて思う

などともありました。


どうも、

2つの小学校を統合するにあたり、

あくまで対等合併ということで、

お互いの学校名は入らないよう2年かけて統合準備委員会が新校名案を検討なされ、

成案を作成し、市長がそのまま議会に提案したものの、否決となり、

議員提案された2案のうちの一つが議決され、

それが一方の校名であることから、後味の悪いものになっているということのようです。

背景には、今後の更なる合併も見越せる中で、

今、決めないほうがいいのではとの判断があったような、問題棚上げみたいな感じです。

(それならそうと、最初からそう言ってくれればよかったのに、

なんのために2年間の苦労があったのかとの怨嗟の声が聞こえてくるような。)


ただ、

いいも、悪いも

(悪いと言っては大変失礼になりますが、新聞記事では相当嘆かれている方々があるようですし、

後味の悪さ残るとも記載されていましたので。)

決めるのは議会であり、議会でしか決定できません。

首長(市長)さんが、決断できる市長にと言っておられるようですが、

首長が良しと決断して、条例案を作成し議会に提出しても、

それを、本当に良しと決定できるのは、議会しかできませんので、

市長さんが決断云々と述べられることはどうかな。

たぶん、

市長さんの言われたいことは、

決断した内容を議員諸兄によく御理解いただく努力を行いたいという趣旨だとは思いますけれど。


行政は、日々まつりごとを行うので、

今までよりは、こうしたほうがいい、こう変えた方がいいと判断することだらけ。

だから、自治体の法律である条例の改正案を作成する。

予算にしても、こう使ってみたけれど、良かったので続けてやりたいとか、改善してみるとか、止めるとかを行政が検討し予算案を作成する。

それらの是非を判断するのは、

選挙で選ばれた首長一人を中心とする行政ではなく、

選挙で選ばれた議会議員の方が、複数人であることから、その多数意見によることは、

首長一人分よりも、より民意の立場に立った判断ができるという趣旨に立ち、

議会議決で自治体の判断が決定する。


この度の新しい小学校のお名前にしても、1月17日に議会議員の多数により決定しました。

説明責任は、議員にあります。

特に、議決された校名に賛成なされた議員は、住民から注目を受けている事案でもあり、積極的かつすみやかな住民説明を行うのが筋だと思っています。

否決された原案を提案した、行政には説明のしようがありません。


対等合併で、

今後の更なる合併を見越すとした問題先送りなら、

議決なされた学校名だけではなく、

両校名の4文字を用いたほうが良かったのかも。

(これは、あくまで、部外者の無責任なたわ言です。)


「腹が立つとしか言えない。」とまで語られた方もあるようで、

しっかりと、

(「しっかりと」とは、よく、選挙の時の演説で繰り返し聞きますが、)

こんな時こそ、

しっかりと、自ら行った議決の矢面に立たれることを望みます。


そして、そのような責任ある行為を住民に示すことこそが、

大事な仕事を担っているとして、

議員のなり手不足を、遠回りのようで、結局のところ、大事な近道であると思っています。

普段何をしているかよくわからないと言われているかどうかはわかりませんが、

注目を受けている、今、議会の存在している意義を、より浮揚させる、いいチャンスが到来している。

当該議会のみならず、どこの議会においても、けっして、ピンチではありません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


世界で最も寒い都市とされるロシア極東ヤクーツク

(人口は35万人のようで、鳥取市(18万人)の2倍ぐらい?)

の気温がマイナス62.7度を記録したと、

今日のニュースでありました。

体感的に想像できない寒さですが、

この20年あまりで一番の冷え込みということだそうです。


自分的に体感した寒さは、

いつだったか(5年ぐらい前?)の

大山頂上での

マイナス10度(避難小屋の前の温度計、小さくてよく見えなかった。)くらいだったかな。

吹雪いていて、寒くて、後から考えると、気持ちが焦っていたのかもしれません。

(だいたいに風も強いので、体感温度もそれなりに下がり、こんなところに長居すると、死んでしまうと、感じていたのかな。)

さっさと下山してしまいました。

この前、1月11日の山頂温度はマイナス5度まで下がっていなかったような。

(快晴で、気持ちよかったので、温度は全然気になりませんでした。

手先足先は少し痛かったです。)


大山登山で、車を駐車するところ

(だいたいは、大山寺の南光河原駐車場、この前は第1駐車場。¥1000円)は、

標高800メートルくらい?で、

マイナス10度まで寒くなることは稀?だと思います。

でも、寒い中、車中泊(結構楽しい)をして、翌未明に登り始めると、アイゼンが心地よい。


さて、

タイトルにした軽油。

ディーゼルエンジンの愛車は、12年目に入っています。

燃料の軽油が寒さに弱く、シャーベット状になることは知っていましたけれど、

今までのところでは、支障がありませんでした。

でも、平地でマイナス5度と聞くと、少し心配です。

そんな天気予報もあったものですから。


軽油は、気温に合わせて、どうも5種類あるようでして、

季節によって、販売されている種類が異なり、

この、山陰で、石油連盟さんの「軽油使用ガイドライン」によると、

1~3月は、2号(流動点(液体が凝固する最低温度)がマイナス7.5度以下)

4.5月と10~12月は、1号(同マイナス2.5度以下)

6~9月は、特1号(同プラス5度以下)

ということのようです。

流動点が低い(凍りにくい)と、着火しにくくなるので、エンジン出力や燃費性能も低下するそうです。

つまり、燃料的には、凍りにくいものではないほうが出力は上ということ。

でも、使えなければ、元も子もありません。

軽油には潤滑のため添加材として、パラフィン

(炭素原子の数が20以上のアルカンで、鎖式飽和炭化水素)

が使われているようです。

蠟燭のロウです。

つまり、ロウが少ないものは凍りにくい。ロウが多いものは出力が出るということなのかな。

まあ、常温で固体のロウですから、それを溶かして入れているのだから、気温が下がれば流動性は下がるんだろうなあ。


今度、2月に、国道の峠越えをするかもしれません。

以前(2年前だったか)、その峠の道路標示で、マイナス8.5度とありました。

その時、異常は感じず、エンジンは普通に動いてくれていましたが、

車体には、多くの氷雪が付き、つららがぶら下がり、

麓のコンビニエンスストアで休憩すると、

何人かが、どこから来たのというような眼で見ておられました。

(麓は良く晴れていたので。)

その時の、軽油が、2号だったのか、それとも3号(同マイナス20度以下)だったのかは、わかりません。

ともかく、無事に、支障なく、峠越えができたらありがたい。

寒い時か、その日に、満タンにして、出発します。

本日17時30分に、大寒を迎えますね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


政府が野放図に国債を発行し、中央銀行がお札を刷って引き受ける。

それを続ければ通貨は信用を失い、やがて紙くずになる。

人びとはそう思っていなかった。


いつのどこのお話しかと言いますと、

「ハイパーインフレの教訓」(2023.1.13日経)で、

冒頭3行のような100年前、1923年のドイツのことが書かれていました。

そのうえで、

日銀は長期金利の上限を0.25%から0.5%に引き上げる事実上の利上げに追い込まれた。

円資産からお金が逃げるキャピタルフライト(資本逃避)への懸念もあったにちがいない。

とされています。


そうです。

キャピタルフライト(資本逃避)を恐れておられるのです。

なぜなら、日本人の金融資産が、日本の金融を支える最後の最後の支えに使えるから。

(国の権限で、接収できます。逃避されては接収できません。)


9月の記者会見で、変動幅の拡大は利上げに当たると述べた黒田さん。

12月に、0%程度に操作している長期金利の変動幅を0.25%から0.5%に拡大したことを、利上げではないと強弁する黒田さん。

いったいどっちだと思っているのか。

僕のようなものにも理解できる日本語を話してほしい。

(なまかじりで、一知半解にも至らない僕ですが、

国民の多くは僕と似たようなことだと思うし、その人たちが投票権を持っているので、

解りやすいことはとても重要なことだと思っています。)


資本の逃避を防ぐためなら、詭弁だろうが、その場しのぎだろうが、何でもやる。

何を言っているのか理解できないから、市場の信頼はなく、

何を突然行うのか、市場は疑心暗鬼。

そしてその説明は、意味不明で前言撤回。

そんな状況のような。


よく、自然災害などのニュースで聞くことになってしまう、

「今まで生きて来て、一度もなかったのに。」などと、数十年ぐらいの御経験からの感想が流れることがある。

そんなこと、なんの意味があるの、もっと大事なことがあるでしょうと、

そのたびに、苦々しく聞く。

流すマスコミにも、流したい意図があるような。

災害を考えた時に、個人の経験よりも、それが重なる歴史を踏まえたい。

たいがいは、

そもそも、そういった危険性がある場所であり、

過去には、何回も、同様な被害が発生してきた、

地形を見れば推測できる。

大事なことは、そこで、どこまで、自分の生を生かすのか。


そして、経済の災害は、まさに人災。

冒頭に書いた、100年前のことは、

本日の、日本国の現状そのまま。

そして、同じように、

人びとはそう思っていない。


そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「新総裁の決まり方」(2023.1.16日本海の炉辺解説)では、

「金融政策については新銀行法精神にのっとって運営したい」

「当然だ」

「新銀行法の精神」というのは政府からの独立

誰がなるにせよ、黒田総裁は「異次元緩和」と称する大規模な金融緩和を繰り出し、「中央銀行にはできない」とされていた長期金利のコントロールまで始めてしまった。

金利上昇は国家財政に直結する。

などとされていて、


読後の受けた印象は、

やってはならないことをやっていて取り返しのつかないところまで落とし込み、それでも任期満了まで居座るの?

そんな感じです。

もっと、はっきりと書くべきだと思います。

辞めるなら、さっさとお辞めなさいと。

4月まで居座るなら、尻拭いの覚悟を示さなければなりませんと。


そもそも、やってはいけないとされているのは、

世界各国の、過去の、戦争などに至らせてしまった、金融政策の反省から。

それを、

その場しのぎの大甘なお方と、自分は正しいと信ずる意固地なお方との共同で、

今日の、日本経済の泥船を糊塗してきた。

そう思っています。


本日、人前に出て来られて、なにを語るのか。

日銀政策金利の発表は、時間も未定のようですが、

世界の金融に携わる方々が注目されています。

僕なら、自己矛盾を突かれるので、出たくない。

穴を捲って逃げたいぐらいです。

だってそうでしょう。

12月20日に、嘘をついたとまで言われていて、

9月の発言と矛盾することを言っておきながら、

さらに、矛盾を拡大させるのですか?


「日銀新総裁を来月提示」(2023.1.18日経)では、

政府は日銀の黒田東彦総裁の後任人事案を2月に国会へ提示する検討に入った。

黒田氏は4月8日 略 に任期満了を迎える。

などとありました。


悠長だなあ。

そんな時間的余裕は日本国にはないんじゃないの。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「追悼」(2023.1.9産経の朝晴れエッセー)を読ませていただきました。

何度も繰り返し読みました。


内容は、

べた惚れされた娘様。

無口な婿様。

作業中の事故によるお亡くなり。

37歳。早すぎる。

残された娘様とお孫様。

70歳の方の投稿でした。


早すぎるも、早すぎないも、人の死は必ず訪れる。

何歳であろうが、事故だろうが、病気だろうが、昨日までは訪れてこなかっただけの話。

僕は、そんなふうに、達観みたいなところにはまだ至れていない。

だから、何度も繰り返し読ませていただいた。

大きな喪失感と深い悲しみ、娘様とお孫様への愛情を伝えてくれる大人のエッセー。


数日前、

交通事故現場に遭遇した。

右直事故のようで、相当な勢いの衝突のよう。

赤信号で停車した直後、前方で大きな音がして、見ると、2台の車両が道路上を跳ねていた。

クーラントの水蒸気なのか、揮発性の可燃物なのか、白い煙が上がった。

車から人が降りられない。

僕は見ていないけれど、大腿骨が折れて足から突き出ていたという。

地元紙に載っていなかったので、死亡事故には至っていないみたいですが、

くれぐれも、お大事になさってくださいませ。


バイクで転倒したら、僕は多分死亡する。

今のところ身体的には内臓なども支障がないことを感謝している64歳ですけれど、

明日のことはわからない。

生かされていると受け止め、いつもではなくても、誰にともなく、天にでも感謝することはいいことなのかもしれません。

今、動ける今日を、大事にしていく。

必要以上に慎重になる必要もない。

そして、たいがいは、上手くいくよ。

そんなにへんにはならないよ。

そんな気持ちで、今日も、どこかで過ごす。


なにごとも、時間が希釈してくれる。

心の痛みは無くならなくても。

時間を費やす。それ以外の何もできないことだってある。

何度も繰り返し読みました。

それぐらいしか僕にはできません。

見ず知らずの僕も、追悼させていただきます。

やっぱり、37歳は、早すぎる。


28年前の本日の先ほど、5時46分。

2階で就寝していた僕も、大きく揺れて、夫婦親子で柱の近くに身を寄せた。

6434人がお亡くなりになり、多くの方々の怪我や、資産の喪失があった。

まだ早すぎると言われる死も沢山あったと思う。

たくさんの追悼が、四半世紀を超えて今も行われているという。

希釈は、本当にできるのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


なんだか外は荒れてるなあ。

風も吹いているし、雨もそれなりに落ちている。

でも、北北東の風で、北西の風ではない。

つまり、今は、冬型の西高東低の気圧配置ではないようで、気温も低くない。

1月中旬なのに。

何か不穏なニュアンスのような。

週末あたりから、冬型で荒れてくる?

それは、お天気の範疇の話で収まるのかな。


本日、月曜日も、過去最高を更新し、3営業日連続となるのでしょうか。

日銀の国債購入のお話しです。

そして、本日も円高が一時的にさらに進むような。

(根っこのところでは、円安要因だと思っていますけれど。)


日本銀行と称していて日本の中央銀行の機能を背負っているとする機関が、断末魔の叫びをあげている。

助けてくれ。

これ以上は無理だ。

そんな悲鳴が聞こえてくるようです。


「日銀、必死の国債買い」(2023.1.14日経)では、

13日は5兆円もの国債を買い入れており、12日に続き2日連続で過去最大を更新した。

2日間の買い入れ額は10兆円ほどに達した。

むりやりおさえつけている長期金利の上限をさらに引き上げるか、外すしかない。

などとあります。

先週、木曜日、金曜日と大きく買い入れた。

(あれれ、国債購入額の上限があったような。

たしか、1カ月の国債購入予定額を9兆円に引き上げると12月20日に公表したのになあ。)


それほど必死になって国債を買い、

(何のためにそんなことをやっているのか、必死になってとまで書かれて、)

それにより、できたことは、

新発10年債の終値利回りを0.5%に抑えること。

13日金曜日の国債市場で、一時、0.545%まで上昇していたものを、

買いに買って、抑え切った。

でも、

本日16日も、そして、明日17日も、

投資家の皆さんは、国債の利回りを抑え込んでいる状況が長続きしないと見込み、

どんどん売って来られますよ。

日銀は、忌み嫌う投資家や海外勢に、また負けてしまうのだろうか。

先月20日に0.25%から0.5%に上限を上げさせた実績を彼らは当然だと捉えていると思います。

さらに、上限を引き上げさせる。

投資家たちだって、別に、日銀をやっつけようとしているわけではない。

当然で自然なお金の流れに沿って動こうとしているだけの話。

(無理に日銀が抑えているから、売って買い戻せば利益が出るそうです。)

そして、追い詰められて、

明日17日と明後日18日に、日銀さんは金融政策決定会合で政策金利の引き上げか撤廃か、

苦虫を噛みながら議論なされるのでしょう。

してはならないことを行っているから、自業自得。

関連:東洋の不思議な国(おもしー183)


そんなことを考えていたら、

新聞は、新しいことを聞く、

つまり、昨日までに新しく聞いたことを書いてくれる、

つまり、過去のこと、と、思っていたら

「日銀、きょうも国債購入 空売りに対抗」(2023.1.16日経)のなかで、

海外投資家らが巨額の国債を売り続ける公算が大きい。

国債売りが繰り返される恐れがある。

日銀は13日、16日も臨時の国債買い入れオペ(公開市場操作)を実施すると予告した。

臨時オペの事前予告は珍しい。

買い入れ金額などは公表していない。

(いくらでも買い入れるということ?)

日銀に不信感を抱く市場の攻勢はやむ気配がない。

などとありました。


あ~あ。

どんどん深みに落ちていくような。

日本国民に、大きなことが起こってしまう。

黒田さん、任期満了?いやいや、辞任ぐらいでは誰も納得しないと思いますよ。

杞憂で終わりますように。

(これも、その場しのぎなのかなあ。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


追記(2023.1.17)

「日銀、国債購入2.1兆円」(2023.1.17日経)で、

日銀は16日、2兆1148億円の国債を買い入れた。

とありましたので、

買い入れ額の3営業日連続の更新までは行きませんでした。

12,13,16日と3営業日連続となったのは、長期金利が一時、16日も0.505%と、日銀が上限とする0.5%を上回ったことでした。

ただ、

決済日を基準とした23年1月の国債購入額は17兆円に達し、過去最大規模となった。

現在の緩和策を維持しても政策の限界を見透かした国債売りが続く恐れがあり、日銀は厳しい対応を迫られている。

ともありましたので、

ナイフリッジを進まなければならないような状況は変わらないようです。


「重大な食糧不足」(2023.1.14日本海)のなかで、

農業を諦めて

食料の8割以上を輸入に頼る

とあります。


サスティナブル。

sustain(持続する)とable(〜できる)をくっつけて、

「持続可能な」「ずっと続けていける」という意味として、昨今よく使われている。

何を今さら感もあり、

言葉や語感を変えて、少し前から新鮮さをアピールしているようで、胡散臭さの感じを受けているところでありますが、

ともあれ、

まったく、サスティナブルとは思えない。


アフリカ地域の食糧問題のことです。


いくら、グローバル世界とはいえ、

人口を養うことは、その居住地近辺で、できればその国内で、食料の生産ができなければ、

とても大きな、つまり、地政学的不安定が、

その地域だけではなく、

現在の東欧の紛争地を大きく上回る懸念を、世界中に蔓延させる。

とても恐ろしい。


記載のなかの、

特に貧困層の多いサハラ砂漠以南のエリアでは食料の8割以上を輸入に頼る。


そんなことが、本当に現実ということなのか。

関連:アフリカ諸国にパン(おもしー13)


G7の議長国として、この1年間、張り切りたいのだろうけれども、

国内の諸問題をことごとく先送りしている姿勢から、

困難な国際問題の解決に対して、

いくら重要議題と提起しても、

具体的な能力も調整力もないことを、

諸外国から見透かされているようで、

どうせ、1年だけ、政府の姿勢として見せているぐらいのことに終わってしまうのでしょう。

そんな感じを受けてしまうのは、

僕のあまのじゃく。

だって、本当に問題視してきているのなら、

これまで国内世論にどれだけ訴えてきていたのか。

その実績が見えない。

G7であろうがどこであろうが、国際世論をリードするためには、

国内での支持が欠かせない。

日本国民のどれほどの方々が、

このアフリカ地域での食料不足を、とても大事な問題だと受け止めていると思っておられるのか。


今日も、今朝も、これから食事をさせていただきます。

とても、ありがたいことだと思っています。

記事に、

1億4千万人が重大な食糧不足。

新型コロナウイルス禍で財政状況の厳しさが増した各国政府には、必要な人への食糧配給のような対策を打つ余地がほとんど残っていない。

ともあります。


重大とまでは言えなくても、

差し迫っている食糧不足に絶望されている人々はいったい何億人なのか想像もできない。


2023年。

たぶん、激動の年になる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「「ロシア 33年までに崩壊」外交専門家ら予想」(2023.1.12日経)とあり、

外交の有力専門家の半数近くが2033年までにロシアが破綻または崩壊すると予想

と書かれていました。


専門家と呼ばれる人の言質を鵜呑みにすることをしてはならない。

どうせ、状況が変化した、などと、いつの日か、180度変わったことを言いだす。

しかし、

戦況は苦戦。

国家財政は赤字。

頼みの原油価格は低迷。

ロシア国民にとって、明るい明日を画いている人はどれほどあるのだろうか。

以前から、とても多いと聞くロシア国外への流出。

物事は、何事にしても、悪いことばかりではなく良い面もあると思っているけれど、

このロシアの現状において、どういったことを、良い面と言えることができるのだろう。

理解力に乏しい僕にはよくわからない。

どなたか、教えて欲しい。


同じ記載のなかで、専門家の予想として、

中国が武力で台湾統一に動く

中国人民解放軍の創設100年に当たる27年と予想

24年以前の侵攻もあり得る

ともありました。


表看板は、一つの中国。

内実は、台湾の半導体産業の包摂。

が、目的のように感じてならない。

台湾の半導体の大手は、米国に、日本に、逃避行動に出ている。

苦々しく思っておられるのでしょう。

その度合いが深ければ深いほど、早期の侵攻もあるやもしれない。

なにせ、半導体の技術は、産業の肝。

侵攻。そんなことになれば、

中国だって、衰退の道程をたどることになる。

上下動はありながらも、そうなっていくと思います。

一時の占領は、22世紀以降の世界で受け入れられるものではないと思いたい。

領土など現状そのままを良しとすることもどうかと思うけれど、

武力と呼ばれる実力行使を、何人が善と捉えることができるでしょうか。


でも、

他国のことを心配する余裕は僕にはありません。

より良い、もしくは、悪いとは言えない、そんな方向を見ながらも、

目の前、日々の、食、住を確保することは、いつも重なるわけではない。

いや、重なる部分の方が小さいとも思っている。

今日も、アルバイトに行ってきます。

世界のことは、いつもの通り横に置いといて、僕の当面の日常生活を確保するためです。

想いだけはあるのです。

ロシアの一般の人々も、希望の光が少しでもさす生活ができますように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


僕の家は寒い。

寒すぎると思います。

築97年目(大正15年建築)。

隙間風が当たり前。

吹雪く日は、改修していない部分の屋根の下あたりから、室内に粉雪が少しだけれども舞う。

近所の、僕の家より古い家にお住まいの方は、

夜寝る時、顔が外にあるようだと言われています。

室内で、息が白くなる。

もっとも、もっと寒さに耐えて住まわれている方もあるのでしょうけれど。


「日本の家は 寒すぎる」(2023.1.1朝日の気候危機と住まい 適温で暮らしたい)では、

WHO勧告「最低室温18度」9割が満たさず

「高血圧や循環器の病気は生活習慣病として広く知られていますが、住環境による『生活環境病』としても捉える必要があります」

「日本人の多くは、寒すぎる部屋で暮らしている」

18度は、世界保健機関(WHO)が推奨する冬の最低室温だ。

特に高齢者や女性では、室温の低下によって血圧が上昇する傾向が強い

断熱改修をすると、特に朝の最高血圧は有意に下がった。

「家の作りやうは、夏をむねとすべし」

その時代は人生50年。大多数の人は若くして死ぬので、寒さに耐えられた

今は「人生100年」と言われ、寒さに弱い高齢者が多い時代

などとありました。


そうか、うちだけじゃなかったのか。

でも、

日本は先進国。

(最近、自信をもって言いづらくなっていますが、)

それなのに、室温18度なんて、夢のまた夢のような。

(趣味の薪ストーブを焚くときはもっと上がりますが、

アルバイトで忙しくて、やっぱり趣味の範囲での焚く頻度です。)

そんな温度であれば、ポロシャツになって、身軽。

心も身軽になるようで、

自由な考えが浮かんでくる。

(そうか、だからいつもろくでもないことを言うのか、と、言わないでくださいませ。)

だからこそ、先進国はさらに先進する。

日本は、いろいろな面で、進んでいる進もうとしている国に追い越されているような、

まるで、降りているエレベーターに逆に立ち、

昇っているエレベーターに乗っている人を眺めているような。


寒い我が家では縮こまる。

つい、猫背になる。

今も、趣味の山歩きの冬用のシュラフ(寝袋)に足腰を入れている。

(これはとてもいいです。暖房がいりません。)

この家を改修して、気密性を高め、保温できるような室内にすることは、

たぶん、無理。

風を入れなければ、白アリなどの被害が入ってくる。

そう思います。


高齢者や女性が寒さに困るのは、筋肉量が相当影響していると思う。

人生100年なら、それに応じるように、

発熱する筋肉をできるだけ、何歳からでも、つくる、維持する。

(昨日までのことは健忘したので、今が一番若い、と考えて、)

そんなことを心掛けたい。

たぶん、気持ちも前向きになる。


それとも、冬だけ、南の島に行きますか。

(鉄砲玉のように、帰って来なくなる?)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


10日の朝、

バイト先の売り上げ入金と両替のため、金融機関に行きました。

寒い中歩いて行ったので(気温6度ぐらいで、曇り)、

少しもよおして、

トイレをお借りしようとすると、清掃中。

入金などを先に済ませて、

再度、行ってみると、

丁度、清掃中の看板をとろいていたところ。

「よろしいですか」

「お待たせいたしました。どうぞご利用ください。」

張りのある声で、お答えいただいた方は、

70代半ばぐらいだろうか、腰が相当曲がっておられた。

声の調子から、お元気にお仕事をなされているように感じました。


立派な方だなあと、

上から目線になってしまうのかもしれませんが、

少し、涙目になりました。

健気に動かれている方を見ると、

若い方でも、そうでなさそうな方でも、

涙腺が緩んでしまう。

(昔からそうでしたが、本年、年金受給年齢に到達する僕なので、ますますそうなってくる?)


65歳になる前など、年金受給をどうするかを考えなくてはなりません。

誕生日の月の3カ月前ぐらいには、書類が送付されるそうです。

正月に、どうするかなあと考えていました。

でも。


清掃なされていた方が、

この人間社会の中で、どのような生活環境に居られるのかはわかりません。

お元気そうに働かれていることだけは、声の張りから感じました。

僕も、年金がどうのこうのということは、少し横において、

あの方のように、動けるうちは、何らかの社会参加をしていきたい。

それが、人があまりしたくないようなことであっても、それもとても立派なことだ。

(そんな方に限って、何かの資産家だったりして。)

その上で、年金のことは考えればいい。

直前まで、考えることは、おいて置こう。

年金受給なんて、捕らぬ狸の皮算用みたい。

そもそも、いつまで生きているのか、僕の健康寿命はどのくらいなのかは、

まったくわかりません。


昨日、アルバイトがお休みの日で、快晴予報だったので、

大山登山をしてきました。

(写真などは、インスタグラムに挙げています。)

行ってよかった。

行けれてありがたかった。

晴れていて「大山ブルー」と、どなたか何度も言っていました。

良き山行でした。

寿命が1日延びたと思いたい。

そんな1日1日の繰り返しの延長線上に、僕の死があるのでしょう。

たぶん、立派な人にはなれないだろうなあ。

いろいろ理由があると思います。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


集団で生活することで身を守っています。

「所属する集団との同化」を大切にします。

とりあえず仲間と同じ行動をすることが安全につながる、という意識が身についています。

いつも家族の動向を気にしていて、

家族との「感情や動作の共有」を本当に幸せそうに表現してくれる


これらは、どのような生命の行動として書かれているのでしょう。

出典は、

「同じことをするのが好き」(2018.5.15日本海の小鳥はloveに生きている)からです。

野生下では捕食されやすく、弱い立場にある小鳥たち

物音に驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ様子を見た経験がある人は多いと思います。

このとき、ほとんどの鳥は実際には自分で音を聞いていなくても、仲間が飛び立つのを見て飛び立っているのです。

とも、書かれています。


なんだか、日本人の多くの人々の動向を書かれているようで、

日本人の多くは小鳥みたいと言われているような。

そんな感じをうけませんか。


そんなに、

日本列島に居住し続けてきたことは、

3万5千年前ともいわれている、

列島へのヒトの移住?・入植?開始以来、現在まで、

野生下では捕食されやすく、弱い立場にあるヒトたちだったのだろうか。

ニホンオオカミもいたでしょう。

クマも恐ろしい。

シーズンを外れた北アルプスのテン場(テントを張る場所)で、

独り、誰もいなかったことがありますが、

(もう、10年ほど前になってしまうなあ。)

確かに、薄っぺらいテント地1枚で外と遮るだけで、何かあったらどうしようとも思いながら、寝てしまいました。

氷ノ山の人のあまり訪れない稜線歩きで、強烈な獣臭があり、

(これは、5年ぐらい前だったかなあ。)

早々に退散したこともありました。

僕も、弱々しいヒトです。


でもなあ。

狼もいなくなり、熊にも通常なら簡単に出会えるような人間社会ではなくなっている。

物も、地球上のいたるところから調達している。

グローバルという表現で、世界的な規模であるさまが語られている。

ここに至ってしまい、この状況下で生きていくヒトが、

いつまでも、小鳥であっては、今後を憂う。


一昨日の新規参入のことにしても、

70年新規参入なし(おもしー182)

波風のない生活にできるだけしようとする、そんなバイアス。

同調圧力とも言われ続けていますが、

せめて、小鳥から、中鳥(?)ぐらいまで、

鳳や鴻、大きな鳥にはなれなくても、

気持ちだけでも、少し、大きくなれないかなあ。

誰の話でもなく、僕の話です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


日本はオリエンタルランド。

本当に、日本は、東洋(オリエント)の、不思議な国なのか。

そうではないと思っています。

最初から、やってはいけない「財政ファイナンス」を行っている異次元緩和の終焉は近い。

そうなってしまうと思っています。

その時はいつか。

たぶん、日銀総裁が尻絡げして逃げ出す時だろうなあ。

もう面倒見切れませんという解釈と見立てます。

3月?4月?1年後?


「財政への信認 失うのは一瞬」(2023.1.6日経)の最後のところで、

日本の財政の持続可能性の問題は再三指摘されたが、日本の国債市場は大きな混乱を避けてきた。

ここから、日本は違うのだという指摘が生まれる。

日本はギリシャとは違うのだと。

そうかもしれない。

しかし、英国もイタリアとは違っていた。ごく最近までは。

と、書かれていました。


本当に、日本の国債市場は、これからも混乱しないのだろうか。

そんなことはあり得ない。

ほとんど唯一の買い手であると日銀は言われている。

小出しに国債金利を上げていくことは、この前(12月20日)示したけれど、

そこ(0.5%)までしかできないのではなかろうか。

だって、日本国の財政が持ちますか。

予算が組めますか。

国債金利1%上昇で、プラス3.7兆円が必要となるようです。

関連:利上げはできない。(おもしー169)


「財政ファイナンス」は、

中央銀行が通貨を発行して国債を直接引き受けることと言われていますが、

直接や間接なんて、問題の本質にはあまり関係ないと思っています。

ともかく、

日本では、亡くなった人が言っていたように、いくらでも日銀が引き受けている。

最近は、発行日のその日に買い取っている。

関連:1日で、1.5兆円の0.1銭の利ざや(おもしー177)

新聞各紙は、限りなく「財政ファイナンス」に近いなどと遠慮気味に書いているけれど、

僕は、あきらかに、実質的な「財政ファイナンス」だと思っている。


そんな見方をする人は、

1ドル200円とか500円とか言って、大幅な円安を見込みます。

反対に、

日本が金利のある時代になっていくと思っている人は、

1ドル120円などと、今より円高の見込みをします。


どうなっていくと、

世界の投資家の、

より多くの人は考えて、

より多くの投資をどこにしようとするのかで、

方向が決まっていくように感じています。

なにせ、世界中の投資資金の総額は21兆ドルとどこかにありました。

少し動いただけで、流れが、奔流のようになってしまうのか、激流のようなのか、

(21兆ドル≒2751兆円(今朝の相場の1ドル131円として))

人々はその大きな流れに翻弄されてしまう。

どうか、その嵐が、小さくて、短い期間で終わり、

生活者が、その間耐え得ることができたと言えますように、と、願います。


僕は、冒頭にも書いたとおり、前者。

後者や前者のような相場間を小さく揺れ動きながら、前者のような結末に落ちていく。

大きすぎる日本国債残高を償還できる能力は日本国にはないと思っているからです。

仕舞い方があるとすれば、国民の財産召し上げ。

それしかない。

僕には大した財産がありませんので、

それはいいことかもしれません。

早期に起こることは、かえって、多くの国民のためにはなるかもしれませんよ。

だって、

「富の集中、大衆の怒り」(2023.1.8日経)のなかで、

所得格差は過去40年でみると先進国を中心に拡大傾向にある。

2021年の富の集中度は、米国の46%を筆頭に日本が44%、中国が43%、欧州が36%に達する。

ロシア革命前夜の水準(48%)に近い。

などとありましたよ。


私有財産を奪うことが、格差社会の解消になるなら、

それはいいことだと思ってしまう人だって出てきてしまう。

だから、ロシア革命が起こってしまった。

だけど、共産の考えは、嫌です。

発展性がない。自由がない。

そういった実績があると思っています。


なんとかして、

国民の財産召し上げをどうにか回避できないものか。

(せめて、半分ぐらいで、落ち着けられないだろうか。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


普段は飲まないのですが、

正月だからと言って、家人が、元旦の朝にお神酒ということで、1合瓶を開けました。

(朝のうちのバイク乗車の後です。関連:初日の出に禱る(おもしー174)

久方ぶりの日本酒で、おいしいと思いました。


知らなかった。

そうだったんですね。

「日本の酒 国際化1合目」(2023.1.8日経)のなかで、

日本酒は戦後70年、新規参入を認めずに来た。

日本の酒類が世界市場に占める割合は0.1%にすぎない。

と、ありました。

世間知らずで申し訳ありませんが、そんな世界だったのですね。


「獺祭」で有名な旭酒造さんも、その製品にたどり着くまで大変なご苦労があったと聞きます。

(たしか、酒造りの杜氏さんがおられなくなり、素人の皆さんで温度管理など試行錯誤されたとか。)

(獺祭は、高くて買ってまで飲んでみようとは思いませんし、地元の日本酒で充分の口ですので。)


また、

大学生の時に発売され始めたアサヒビールのスーパードライ。

麒麟のラガービールよりも少し(たしか0.5%)アルコール分が高く、

同じ価格なら、少しでもアルコールの量が多くて、酔えるものをと、

生来の貧乏人根性の貧乏な学生として飲んでいましたが、

のど越し爽快でいくらでも飲めるように思っていました。

24本の瓶(大瓶=633ml)が入っているケースを家人と供に一晩で空けてしまい、まだ足りなくて、2ケース目に向かった想い出があります。

(つまみはたらこでした。あの時、二人で、いったい何本飲んだのだろうか?)

このスーパードライの開発には、

アサヒビールの「風通しがよく、物事をあきらめない社風」を築き上げたことが成功の要因と遠越段さんは書かれていますし、

「歩道!できました?」のP128に

酔っ払いからの電話を丁寧に聞き、メモし、嫌な声を外さず、いい声も聞こえるようにした、当時の社長の樋口さんのことを書かせていただきました。


つまり、申し上げたいことは、

なにごとにおいても、

やりたいことを、やりたい人が、できるだけやりたいようにすることを、邪魔立てしてはならない。

時間的余裕を持たせるとか(段階的な緩和)を考慮しつつも、

日本のお酒をより良くしてゆき、

ほっておいても世界市場で求められるものにして行きたい。

そのためには、やりたい人の、新規参入は欠かせない。

門戸を広げるべきだ。

70年もの新規参入なしは、どんな業界でも、競争力を弱め続ける。

日本の市場規模が縮小していくときであっても、

いくらかのことは認めてくるべきであったと思います。

(たぶん、政治家が政治・まつりごとを行わず、業界の要望に応えてき続けているのでしょう。)


2022年の夏に、シングルモルトウイスキー「山崎55年」60万ドル(約7900万円)。

1本の落札価格です。

たぶん、獺祭もそれなりの相場価格になっておられるのでしょう。

有名な越乃寒梅は今どうなっているのだろう。

30年ほど前は一升瓶で1万円だったかな。

がんばってほしい。

高く買いたい人には、希望通りに買っていただければいい。

まったく、邪魔立ていたしません。

(僕は、日本酒で言えば、佳撰がいい。)


しかし、

思うに、

人は本音を言わずに、好ましくないと思えば、ただ去って行くのみ。

アサヒビールの本社の社長さんまでが苦情や応援や商品の感想の電話を受けることができるのは、

その姿勢が、当時の社長さんにあったとしても、

電話する側は、通常ではしない。考えられない。あったとしてもほんの少し。

夜になると酔っ払いから本社に電話がかかってくる。

お酒の力が本音を本社の社長さんまで届けたということ。

いいか悪いかは別にして、

そういう体制というか受け手の姿勢というか、

できる範囲は限られると防御の姿勢を、つい、言いたくなりますが、

なかなかできることじゃないけれど、

逆に言えば、アルコール飲料業界は、消費者の本音が、その商品の効用(高揚?)によって、受け取りやすくなる。そんな面を有利なこととして大事にできるかどうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


戦争反対。

の、大前提で。


戦争に負けないためには、国際世論が味方になることと、国内参戦意識の高揚が、欠かせない。

と、思っています。

その二つがあれば、

仮に、

侵略国が、短期間に占領し、終了させようとしても、

簡単には終わらせられなくなる。


米国民は、たぶん、忘れないでしょう。

Remember Pearl Harbor(リメンバーパールハーバー)

日本人だって、たぶん、ほとんどの人が知っていると思っています。

真珠湾攻撃が、米国民の参戦意識を作り上げたと言っても過言ではないと。

日本、許し難し。

国際世論も敵に回した。

先制側に、そうせざるを得ない事情があったとしても、

それが、先制した理由として理解されることは、国際的に、たぶん、とても、少数派。

それは、国内にあっても懐疑を生み、国内参戦意識を盛り上がりに欠けるものにしてしまう。


そして、端緒の局地的戦略成功は、最終的な全体の戦勝に寄与できにくい。

それは、不利な立場からの、立ち向かいであることを証明するようなもので、サスティナブルではなく、継続できない。

それを、真珠湾は教えている。

だから、

相手の領域内を直接攻撃する敵基地攻撃能力(反撃能力)保有は、

その使用が、どうしても、先制攻撃になってしまう。

と、僕は、思っているのです。

だから、賛成できない。

僕が、戦争遂行の当事者であるならば、理由を付けて、効果が見込める先制的な攻撃をしてしまう。

だって、目前の敵には、先手必勝ですし、今、攻撃すれば大きな戦果が得られるのです、勝つためです、と、言うでしょう。


ただ、

「敵基地攻撃能力「賛成」56%」(2022.12.20朝日)にあるとおり、

僕の意見は反対となるので、少数派。


そんな、のんきなこと言っていると、攻撃されて、死んでしまいますよ。

と、言われるのでしょうが、

日本全体の安全保障のために、自分の死があるのであれば、

少しだけでも政治に関与した経験のある者として、

もう、高齢者にならんとする僕ですし、

そんなに惜しくないかな。

特段、したいことも、食べたいものも、行きたいところも、ないし。


ともかく、戦争において、先に手を出してはダメだと思っています。

日本こそ、決して、先制攻撃は、絶対にしない。

そう、国際社会が認めていれば、

どこの国も、たやすく、否、たやすくなくどうしてもの必然があったとしても、

日本に手出しはできにくい。

そのような、日本の印象を強固に造成していくことが、日本の国防を盤石なものにする。

そうすれば、G7だろうが、G20だろうが、世界の隅々まで、平和については日本がリーダーシップを取り、世界をリードできる立場になっていく。

日本は攻撃してこない国。決して先制攻撃はしないし、相手国内への攻撃もない。

そうなれば、こうなる。

そう思っています。


甘いなあ。甘すぎる。

侵略国は、わずか数日で、征服してしまいますよ。

あなたはすぐに殺されるだけの犬死です。

どこの国も、すぐさまの援軍はできません。

国防の軍事力は必須であり、そのための相手領域内の敵基地攻撃能力のどこが悪いのですか。


だいぶ前ですが、

「人命の犠牲を少なく」(2018.5.19日本海)では、

衛星利用測位システム(GPS)などを利用した精密誘導の実現で巡航ミサイルの命中精度は誤差±10メートルにまで達した。

これだけ正確になると、「面」から「点」への攻撃に変わる。

第2次大戦中のじゅうたん爆撃は、命中精度の悪さをカバーするための攻撃で、軍事施設の外にいる民間人も犠牲になった。

現在は、ピンポイントで特定の目標だけを狙え、民間人の被害を減らした。

一人を狙い撃ちにできるまで命中精度が上がると、戦争のやり方が根本的に変わる。

などとあります。


まるで、ゴルゴ13のような命中精度で一人を狙い撃ちにできる。

そんな戦争が可能になりつつあるのでしょうか。

それって、戦争と言えるのかな。

遠隔地への狙撃みたい。

まあ、それは、それぞれの国の国民が、地球の民が、その生活を奪われるのでなければ、

戦闘が存在する現実の前では、まだましとしなければならないのだろうか。


ウクライナでは、電力施設などへの爆撃による停電頻発でウクライナ国民の戦意を喪失させる作戦をロシアは行っているように窺えます。

この冬のヨーロッパは、少し暖冬のようで、気持ちがほんの少し救われます。


ともかく、先制攻撃反対の、

僕の意見は少数派。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


致し方のない部分も認めつつ、

一律に年齢で制限することに、賛成できません。


例えば、

「後期高齢者医療費」(2022.12.28産経)では、

75歳以上の後期高齢者は、後期高齢者医療費の制度に全員が加入することとなり、

その方や世帯の課税所得に応じて窓口支払いの負担割合や保険料が計算されるようです。

令和7年には「団塊の世代」が後期高齢者の年齢に到達する高齢社会になる

とも

紹介されています。


これに対して、

概ね賛成ですが、

お元気で勤労を継続なされておられる方は、74歳までご加入されている健康保険があるならば、そのまま継続加入を認めるべきだと思っています。

お年を召せば召すほど、個体間の相違が何事においても顕著になってくる。

勤務継続なされている方の医療負担を後期高齢者医療費に負担させることはどうか。

少しでも、その負担を軽くしてはどうか、と思ってみたりします。

それとも、高齢でも健康な方の軽い医療費負担で、健康とは言い難い後期高齢者の重い医療費負担を賄おうとしているのだろうか。


また、例えば、

年金受給は75歳まで繰り下げできる。

これも、いらぬお節介。

何歳から年金を受給したいかは、ひとそれぞれ。

一律に、75歳まではと線引きすることに、とても違和感がある。

その人が、繰り上げて60歳から受給するか、

繰り下げて、何歳から受給したいかも、75歳までは選択できるなどと言わず、その人が希望するなら、何歳まででも繰り下げできるとすればいい。

先にも書いたように、

ご高齢でも、勤労所得や資産所得があり、生活にお困りなされていない方々も居られると思っている。

希望なされるなら、いつまででも厚生年金の掛け金を負担されてもいいのではないか。

なかには、年金収入が有ることに、違和感を感じておられる人も居られるのでは。

(請求しなければいいことなのかもしれませんが)

僕は、できないし、現に一部支給(63歳から2年間)を受けているけれど、

気持ちのなかでは年金受給を受けたくない。

なにか、いやだ。

でも、生活のためには致し方ないなあ。

アルバイト収入だけでは生活できないもんなあ。


この前、元旦の朝、スポーツタイプの大型バイクで初日の出を見に行きましたが、

関連:初日の出に禱る(おもしー174)

あと5年余りで70歳。

フルフェイスヘルメットの後ろに、

高齢者マーク(もみじマーク・四つ葉マーク)を貼り付けてやる。

生きていれば、そんなことをやってみるかなあ。

明日のことはわかりませんが。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「おっとっと」(2022.11.22産経の朝晴れエッセー)のなかで、

娘様を亡くされて、穏やかな過ごしを願われている方が、

タイトルにした

「残されたものは生きなければならない。」

と、書かれていました。


残されたものは生きなければならない。

そのとおり。

生きているものは、生きようとしなくてはならない。

そう思います。

死にたい時もあるのでしょうが、

誰にも平等に100%死はやってきてくれますので。

急がないように。


近年、少し近くの方が、バイクで転倒しお亡くなりになっておられた。

日々何かの理由が付けられ、お亡くなりになられた方々の報道がある。

コロナや交通事故、土砂災害、そして戦闘もある。

死が、他人ごとのような、そうでもなさそうな。


理由や原因なんてどうでもいい。

自分以外の人のことも、どうにかできるものでもない。

でも、

やはり、願う。


「「戦前」に突入した世界」(2023.1.3日経)では、

世界が第3次世界大戦への道を進んでしまうのか、踏みとどまれるか、分かれ道

ひとつだけ明白なことがある。「戦後」が終わってしまった。

などとされています。


第3次世界大戦なんて、空想の世界だけでも十分すぎる。

あってはならない。

そういう願いなのです。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


建築家の安藤忠雄さん(1941年生まれ)は、内臓が5つない状態だそうです。


「生きるため、ただ食べる」(2022.12.24日経の食の履歴書)のなかで、

2009年 略 68歳の安藤さんは、がんを宣告された。

胆のう、胆管、十二指腸を全摘した。

試練は再び訪れ、今度は14年、72歳のときに 略

膵臓と脾臓を全摘し、

内臓が5つない状態になった。

と、ありました。


膵臓から出される膵液は、たしか、たんぱく質の消化酵素を含んでいたり、膵臓自体が、糖尿病で有名なインスリンを分泌したりしていると思っています。

また、脾臓は、そもそもどこにあるのかよく知っておりませんが、

(どうも、胃と腎臓の間のような。

それにしてもどのあたり?

少し、斜め後ろのあたりを弄ってみても、当然に、よくわからない。)

免疫や、造血・血球の破壊など血液に対して働いてくれているようです。

胆のうは、熊の胆のうが有名ですが

(熊胆(ゆうたん)や熊の胆(くまのい)として苦い薬のようです。)

胆汁を一時貯蔵してくれるところだと思っています。

(これらは、素人の見解ですので、信用なされないように。)


ただ、それら5つの内臓の機能は必要があって体に存在するものだと思っていますが、

安藤さんには、それらが摘出されていて無いんだと書かれています。

紙面に書かれていないご苦労があるのではと拝察いたします。


さらに内容を紹介します。

本を読むのが知力の源のように、食は体力の源。

楽しみというよりは、生きるために食べるということをずっと考えている

シンプルに素材そのものを味わう。

目標があったら人生は何とかなる。覚悟を持って生きないと

とも記されていました。


そうだよなあ。

食べさせていただかなければ、命の灯をともし続けることはできない。

そして、

食べさせていただくものは、やっぱり、そのままに近くで食べたい。

シンプルに。

あまり、調理や味付けに近づかないで。

硬いものでも、できるだけ硬いまま。


読ませていただいて、

僕に足りないものは、

覚悟を持って生きる そういう姿勢なのだろう。

僕にとっての、覚悟を持って生きていく目標は何なのだろうか。

生き方に、自らに対する甘さが充満している。

生き方に、甘い調味料は、少しでいいのか、それとも、たっぷりがいいのか。

ほどほど、中庸であるとは、どのくらいなのだろう。

どこか、体の一部が欠けるようなことが無ければ、心も身構えられないのだろうか。

だけど、一般的な考え方からすると、僕の心は、どこか欠けている?

だから、それでいい?よろしくない?

いいとしておけばいいんだろうなあ。

望月がいいとは思っていませんので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


「国債市場 無言の警鐘 同日オペ 財政に飛び火も」(2022.12.19日経)のなかで、

日銀が国債を買うと国債の一部増発につながり、財政規律の緩みを理由とした金利の上昇圧力が増大

債券市場の参加者が懸念する事態が12月1日に発生した。

この日実施された財務省の入札で発行された直後の新発10年物国債が日銀によって大量に吸収された

発行額2.8兆円のおよそ半分に当たる1.5兆円の10年債が1日たりとも市場に残らず日銀が買い取った計算になる。

これまで日銀が発行された国債をその日のうちに買い入れたことはなかった。

日銀が財務省から直接国債を買い入れることが禁止されている

直接引き受けに限りなく近づいてしまった。

なぜ、日銀は禁じ手とされる手段にまで追い込まれてしまったのか。

などとありました。


1日も市場に残ることなく日銀に買われていった国債は、

1.5兆円で、0.1銭の利ざやで即売却とありましたので、

国債入札で落札者となられた証券会社は、

24時間を要することなく、

1.5兆円×0.1銭=15億円の利益を得たこととなる。

日銀さん、ごっつぁんです。

と、証券会社の債権担当者は喜ばれているのでしょう。

たぶん、今までだって、

その日の内はなかったにしても、数日のうちの日銀への売却があり、

その度に、落札者は、相当な利益を得られてきていると思います。

だって、無制限に、確実に買ってくれる。

こんなありがたい購入者はいない。

こんなことは、商いや経済ではない。

でも、

結局、それらも国民の負担となるのだろうなあ。


ご承知の通り、

日銀は、報道の翌日(20日)には、いたしかたなく、

0.25%の上限を0.5%とし、

かつ、国債買い入れ額も増加させました。

追い詰められている。

日銀が、かわいそうで見ていられない。

もっと、かわいそうなのは、その政策に乗っからざるを得ない日本国民。


任期の終わり近くで晩節を汚しつつあると言われ、

早期辞任で花道を飾るともいわれているとも言われているけれど、

どの道が花道なのだろう。

後始末できない道に誰が導いていると思っているのだろうか。


金融緩和の出口のように語られていますが、

とても、そんなようには感じないのです。

日米の金利差縮小は望み薄。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


40年ほど前の話。

先輩が、はいじま駅の駅前に、おいしいラーメン屋さんがあるというので、行ってみました。

入ると、メニューがよくわかりません。

んん?

「大・中・小」?

値段は忘れましたが、味は一種のみで、大盛か普通か小盛りかの3種類のみ。

せっかくなので、大盛をお願いしましたが、レンゲがないので、お願いすると、

少し怪訝そうな感じがありながらも、持ってきてくれました。

(ラーメン素人のようで、申し訳ありません。)

スープの味は、たぶん、鶏ガラのような、醤油のような。

麺は、中太のちじれだったかなあ。

とてもおいしくて、もちろん、スープも全ていただきました。

(生活窮の学生は、ラーメン代はとても貴重で、残すなんて、考えられません。

そして、味など記憶違いなら申し訳ありません。でも、ともかくおいしかったです。)

でも、あれ以来、(本日現在のところ)二度と行っていません。

なにか、残念なような、でも、その時行っておいてよかったような。

お店の名前も忘れましたが、今でもやっておられるなら、とてもうれしい。

そのメニューにびっくりして、よく覚えています。


そのラーメン屋さんのことを知っているかどうかはわかりませんが、

「はいじま駅」のことを言いだした方の脳裏には、

JR青梅線の拝島駅(はいじまえき)が、固有名詞としてあったのではないだろうか、

と、思ってみたりして。


東京駅から、中央線で西に、特快(特別快速)で、新宿を過ぎて立川へ

青梅線に乗り換えて、さらに、西へ。

ジョルダンで検索すると、55分ぐらいで、

JR青梅線の拝島駅に到着するようです。


そんなことを考えたのは、

「「はいじま駅」とは何?」(2022.12.31日本海)のなかで、

鳥取県関連で昨年から検索頻度が最も上昇したキーワードは「はいじま駅」

TVで紹介、都市伝説

「鳥取の異世界駅」

旧青谷町と旧気高町との町境付近と紹介する動画も投稿されている。

JR中国統括本部に問い合わせたが「管内に『はいじま駅』という名前の駅はなく、トンネル内の駅も存在しない」との回答だった。

などとあったからです。


鳥取県関連で「都市」伝説と呼ばれることに少し苦笑しつつも、

青梅線の拝島駅だって、お住まいの方には申し訳ありませんが、とてもとても、目立つ駅でも、皆さんがよく知っている駅名でもありませんでしたし、現在でもそんなに変わっていないのでは。

西武拝島駅もあるようで、JRだけのこのあたりとは格段に街なのですが、

(JRも、山陰線は相当な赤字のようで、なにか迷惑かけているような気持ちの部分もあります。)

ともかく、はいじまと言われても知名度はあまりないと思います。

とくに、山陰線沿線の皆さんにおいても。


機会を作って、あのラーメン屋さんを探索してみるかなあ。

おしえてくれたあの先輩はどうしているのかなあ。

なにせ、アルバイトが忙しい。

せめて、もう少し、勤務日を減らしてもらえないかなあ。

(無理を言って休ませてもらったことがあるので、

人が少ない中、あまり大きな声で言えないのです。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


国の借金は、いったい、どこまで、いくらまで許容されるのか。

そして、それはどこが判断するのか。

米国さんは、連邦議会が決める。

米国の公的債務残高は、2021年12月に議会が引き上げた上限の31.4兆ドルに、

2023年8月頃に迫る見込みのようです。

日本国は、際限なく発行している。

そして、無制限に日本国の中央銀行が買い入れる。

民主主義であるならば、

やはり、日本も、国民の代表で構成される議会で上限を決めるべきだと思う。


僕は、毎日、円という通貨のみを、利用させてもらっています。

心配で心配で、まるで、

日本経済の、天地が崩れ落ちるんじゃないかと憂えています。

まさしく、杞憂。

心配する必要のないことを、あれこれ心配していたのだなあとなりますように。


「長期金利の上昇回避 国債買い むしろ増加」(2022.12.30日経)のなかで、

日銀は政策修正と同時に国債の月間買い入れ額を7.3兆円から9兆円に引き上げた。

来年春まで日銀が国債の新規発行量をほぼそのまま吸収できる

指定した利回りで無制限に買い入れる

「日銀は長期金利が上限に到達することを避けるのに必死だ」

買い入れを増やすのは長期金利の上限引き上げとは矛盾する行為で、持続性は限られる

矛盾を抱える行為が長続きしないことは日銀の政策修正自体が示している

来年も国債売りが続く

などとありました。


そして、

「国債買い入れ 過去最大」(2022.12.31日経)では、

日銀は指定した利回りで国債を無制限に買い入れる「指値オペ」に加え、残存10年以下の国債を中心に臨時の買い入れを実施。

金利上昇を抑え込もうとした結果、国債購入額が大幅に増えた。

などとあります。


日銀は、なぜ、金利上昇を抑え込もうとされているのか。

自らが、長期金利の許容変動幅を0.25%から0.5%に拡大しておきながら。

市場は金利上昇だと捉えているし、

大手行の住宅ローンの固定金利も上昇させる記事もどこかにあった。


そういえば、

「為替介入2か月連続ゼロ」(2022.12.31日経)とありますので、

2カ月以上前に、

1ドル150円ぐらいの時に、貴重な外貨のドルを売って円を買ったのだから、

今は、1ドル130円ぐらいの円高になっています。

静かに、ゆっくりドルを買い戻してもいいんじゃない。

外貨は、何かあった時に、手元にないと何もできなくなりますので。

何が起こるかわかりませんし。

なにか、お先、混沌。

明るい明日になってくれ~。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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