「温暖化対策はこの10年が勝負」(2022.11.4日経の私見卓見)のなかで、
どんなに急いでも30年に温暖化ガスを13年比で46%減らす目標には間に合わない。
地球を守るにはこの10年をどう費やすかが勝負となる。
などとされていました。
この、地球を?守る?
このあたりが、申し訳ありませんが、いつもひっかかる。
地球という惑星にとって、
人間どもが、気温上昇を1.5度に抑える努力をしていることは、
ああ、そうですか。
勝手にどうぞの世界。
地球は、
極地から氷が無くなったことも、
反対に、全球が凍結しアイスボールになったこともあり、
1.5度?上昇に抑える? それが、地球を守る?
ちゃんちゃら、おかしい。
そう、地球さまは、蚊に刺されたほどにも感じていない。
そう思います。
もっと、はっきりと、正直に、表現しないと人々は理解できない。
人が築いてきた文明の拠点が危ういと。
多くの都市が水没します。
穀倉地が安定して穀物を産出できない。
食べ物が不足します。
地球を守るのではなく、
地球の歴史から見れば、200年程の刹那のような期間の、人の暮らしを守りたいのだと。
砂浜が消滅しつつある。
島が水没しつつある。
都市の0メートル地帯が拡がろうとしている。
この1万年程の間氷期
(氷河時代のうち、氷期と氷期の間に挟まれた、気候が比較的温暖な時期で、現在の完新世間氷期は、約11,700年前に更新世の最後の氷期が終わり始まっている。)
の間に、人は、温暖な気候の上で文明を築いてきた。
その中で、
過去の太陽の恵みが化石として地下にあったものを、掘り出して燃料として利用し始めた。
200年前からですか。
その結果として、植物が光合成で二酸化炭素を消費する量以上のCO2などが排出され続けている。
人は、自らの人力を超えたエネルギーの力に酔っていて、
それが当たり前の世界なのだと納得しようとしている。
まるで、エネルギー中毒。
(大型バイクを少しの登り坂で押せませんでした。
エンジンがかかっていれば、急な坂道でも、おかまいなく、あんなに力強く、加速できるのに。
これも、中毒症状の一部。)
地球を守るのではない。
砂上の楼閣の如くの、危うい均衡の上に建つ、現代の人の暮らしを維持したい。
そういうことでしょう?
しかも、原因物質大量排出国の国民は中毒症状がひどく抜け出そうとはあまり思っていない。
そして、環境変化を大きく受ける国の国民は原因物質をあまり排出してきていない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」