(2022.12.30日経の春秋)の冒頭で、
「おじさん、大学へ行くのは何のためだ。」
受験勉強中の満男が、ふと寅さんに尋ねる。
その答えがいい。
「長い間生きてりゃあ、いろんなことにぶつかるだろ。そんなとき、勉強したやつは自分の頭できちーんと筋道を立て、どうしたらいいか考えることができる」
と、「男はつらいよ」シリーズの名言とされる言葉を紹介されていました。
大学に、行った行かなかった、で、きちーんとした筋道が立てられるかどうかは、
また、別物とも思いますし、
物事の真実に近づくために、知識が邪魔をする面もあるかと思いますが、
人間が構成する一般社会を生きるものとして、
この人間社会で、なんで、こうなっているのだろうかを考える時、
やはり、知識は役に立つときが多い。
と、思っています。
ただ、現実の人間が構成する社会の動きは、
特に、政治や経済において、
正しいこと(=いちいち正しさを説明し納得させる必要がなく、心が自由なこと)が、
そのまま通用することは少ない印象を持っています。
人は感情(勘定?)で生きていますので。
そもそも、そのような場面において、何が正しいのかは不明で、
終わってしばらくして、ああだった、こうだったと、言ってはみても。
その時は、明日のことはわからないものです。
だから、やはり、理系のことの多くは、すっきりとしていて、とても好ましい。
その時の時流に流されることが少ない。
back numberさんの「水平線」のなかにも
正しさを別の正しさで 失くす悲しみにも出会うけれど
とあります。
だから、どうなのか?
言いたいことは、
あまりできないながらも、なるべく、筋道を立てて、自分で生きていきたい。
多くは、流されていく部分もあり、
きちーん、と、とはいかないけれども。
それが人生。
とてもでこぼこ。
さて、
本年は、
癸卯(みずのとう)
癸は、恵みの水で、 十干の最後。だから、生命の終わり、とともに、次の新たな生命が成長し始める。
そして、卯は、穏やかなうさぎの様子のように安全、温和。
今年は、新たな始まりのための、安全で平穏な年であってほしい。
そして、是非とも、ウクライナでの戦闘の終わりが早期に迎えられますように。
新たな時に向かって。
それは、きちーんとした筋道だ。
人類とは、それが正しいことだと、自信を持って言える人々だと思いたいし、
そのようなことを、今年は経験するだろう。
(昨年同様、根拠はありません。
けど、最近のニュースからは、それぞれ追い詰められていて、そう遠くないニュアンスを、少し、感じます。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」