かざぐるま
と
くれば、風車の弥七(かざぐるまのやひち) とつい言ってしまう。
(水戸黄門さまを、よく観ていた証拠です。)
ふうしゃ
と
くれば、でも、オランダかなあ。
(2023.8.8日経の春秋)に、
水をくみあげる。小麦をひく。油を搾る。
と
風車(ふうしゃ)として、自然の力を利用した先人の知恵が書かれていました。
人力ではなかなか継続できない作業への自然エネルギー利用。
自宅裏の畑で、一昨日満89歳になられた母が作するものの中に、胡麻があります。
せっかくのゴマを、あまり食していないので、
もったいないと思い、ごま油を搾る小さな機械を3年ほど前に購入した。
これは、明らかに失敗でした。
なにせ、続かない。
なんで続かないかと言いますと、
搾取できることはできるものの、その量はわずか。
それ以上に、もったいないような、そう言いたくないほどの、搾りのかすが生まれる。
とてももったいないので、それは、そのまま、みそ汁に投入して食していたけれど。
そして、けっこうな力仕事。・・・搾るのです。
たしかに、搾りたてのゴマ油は、風味豊か(のように感じる)。
でも、ねえ。
風力で、油を搾る。
ネーデルランドでは、菜種からの油?なのかな?それとも?
ともかく、大量の搾りかすが発生していたのだろう。
近辺では、搾りかすを原料とした肥料が売られています。
使いきれていることを祈るような気持ち。
それとも、全体からみれば、小さなかざぐるま(風車)ほどの使用量なのだろうか。
そう言えば、沖縄の泡盛工場に行った時に、
搾りかすは廃棄物とされるようなお話しだった。
なにものも、なにかに、どうにかして、使いきれないかなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
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