墓の在る所に行く機会が、多いこの時節。
砂の丘にある村落の墓所。
子どもの頃にそこに在った大きな松の木は、だいぶん前からもう跡形もない。
樹木の表面に斜めに切られた幾筋もの跡。
きれいな切込みであったことを記憶している。
「松ヤニ採取 苦境の傷痕」(2023.8.11読売)では、
太平洋戦争末期、燃料不足に陥った旧日本軍は、松ヤニを全国で採取し、航空燃料に使おうとしたが、ほとんど精製されないまま終戦となった。
松から作る燃料は「松根油(しょうこんゆ)」と称した。
福山市の旧神村国民学校の学事報告書には、1945年に高学年の生徒が山林で松ヤニ採取に従事し、68日間で約165㌔を集めたと記されている。
などとありました。
じゃあ、
そこの、松のヤニも、燃料としての使用までには至らなかったのだろう。
やっぱり、
地元の国民学校の高学年の生徒が採取作業に従事されたのだろうか。
松は、ヤニを出す。
自宅(大正15年建築)の梁も松材で、
涙のように、ヤニが流れている。
もう硬くなっていて、手でさばってみると、
液体であった時のままの丸みが、なにか、いとおしい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
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