有名な新潟県長岡市の花火大会は、
戦後の名を昭和22年8月「長岡市戦災復興祭」として復活されている。
辛い出来事を束の間でも忘れたい。
花火を上げる。
人々は、個人ではできない大きな火花に、
その爆発音に、その光の強さに、そのあでやかさに、
何を求めて、花火大会と称する混雑を知りながらのイベントに向かおうとされるのだろうか。
簡単に言えば、元気がもらえる。から。
自分にはできない、その力を体感できるから。
そう感じています。
だから、そのようなことが求められている時こそ、
開催意義は大きい。
「市民納涼花火大会中止」(2023.8.18日本海)では、
20日に延期していた鳥取市の「第70回市民納涼花火大会」は、
台風7号による被害で打ち上げ会場の復旧が困難な状況となったため、
中止といたします。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
主催 鳥取しゃんしゃん祭振興会 新日本海新聞社
(全文)
とありました。
残念です。
このお知らせは、確実に、市民の皆さんを落胆させた。
打ち上げ会場の復旧困難とされているが、
橄欖場所の制限を行ってもよかったのではないか。
台風により荒らされた河川敷に多くの方に入っていただくのは、たしかにどうかと思う。
しかし、花火師のみなさんの作業スペース確保だけなら、何とかできなかったのか。
ましてや、大会主催者の居場所確保は、この際、後回し。
そう思います。
本日の、お天気の予報は晴れで、夜8時は27度、東北東の風1メートル。
絶好の花火日和と言っていい。
あーあ。ため息が出る。
開催意義が大きい時の中止判断は、がっくりさせる。
目的が、大会名にあるとおり「納涼」だから?
主催名は、責任者を特定しずらい名前となっているけれど、確実に中心者はおられるはず。
常のご判断もそんなところなのでしょう。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」