輝きは、
その、見た目の魅力は、どうなのか。
「合成ダイヤ、天然に迫る輝き」(2023.8.20日経)では、
正真正銘のダイヤでありながら安い。
炭素原料から作るため材料費が安く、
市場価格も天然の半分から7割程度となる。
掘削による自然破壊がないため「クリーンな宝石」という営業戦略もとられている。
天然ダイヤは微量の窒素が取り込まれて凝集しているが、無色の合成ダイヤは炭素原子のみからなる。
などとありました。
新聞記載タイトルでは、「天然に迫る輝き」とされていますが、
合成ダイヤは、無色の場合、窒素や空孔がなく、きれいな結晶。
それに対して、天然ダイヤは、ほとんどが窒素を含み、空孔もあるという。
合成ダイヤが開発されたころは、その逆で、
不純物による濁り、たしか黄色みがかっていて、宝飾用途には使えない、
そんなことをどこかで読んだ記憶があります。
だから、切削道具の刃にも使われていた。
身近なところでは、草刈り機の回転する刃にも使われていたような。
そんな合成ダイヤのほうが、最近では、不純物が無いそうな。
それなら、
記事のタイトルには疑問が生じる。
「天然に迫る輝き」ではなく、
「天然を超える輝き」とすべきでは?
そんな表現にすれば、
天然物の相場が揺らぐ感も。
でもいいんじゃないですか。
天然だろうが人造だろうが、
結晶となる環境は同じようなものだし、
特別なモノではなく、炭素(C)なんだし。
人だって自然の一部なんだしね。
出自の違いで、より純粋なものの評価を、低くしようとしている。
そんな意図を感じる。
相場が揺らぐ懸念があるなら、その相場のほうの根拠が薄弱となっている。
ダイヤに限らず、
より純粋であったり、より高度であったり、よりよいことが、
それまでの、モノやコトを凌駕することはよくあること。
それに抵抗しようとすることは、既存の組織や体制を守ること(つまり、変わりたくない自己防衛。)そのまま。
だから、専門家の方にお伺いしたい。
純粋な合成ダイヤは、天然のダイヤよりも、
輝きは、どうなのか。
専門機関の特殊な装置を使えば、取り込まれている窒素の有無が判断でき、天然か合成かの判別は付くと記されているけれど、
その輝きは、どちらが勝るのか。
ダイヤモンドという名前は、征服できない、屈しないという意味に由来するそうです。
どちらが、その真実に近いのか。
身近にないため、誰かに聞くしかありませんなあ。
でも、ダイヤモンドの専門家(それで生きている方々)は、絶対に、言わないだろうなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」