105歳で大往生を遂げた医師・日野原重明さんの「命というのは、使える時間」という言葉に出会い、
と
(2024.5.5日本海のやまびこ)に72歳の方が投稿されていました。
今日と呼ばれるこの時間には、どんなことに、
僕やあなたは この その 命を使うのだろう。
僕は大したことには使えない。
でも、それでいいし、それがいい。
大したことであろうがどうだろうが、それこそしれたこと。
その時を考えてみようか。
ん?
何か、起き上がれないぞ。
手を伸ばせない。動かせれない。
そうか、そういう時なのか。
口がもどかしい。
夢の中のようで、言葉も発せられない。
呼吸が なにか 遠のく といった表現になるのか
途中までながら、そんな想像をする。
使える時間は限られている。
いつまでなのかは知らずとも。
人は大往生と言ってくれたとしても、それを良しとするかどうかも今では動かせない過去のこと。
だからどうなのとは、使える時間を持っていると思っている人が考えること。
でも、まあ、ともかく、今日の時間は使えると思っている。
今日の就寝までの十数時間ほど。
同日の新聞に同い年あたりの方のオートバイ事故でのお亡くなりが報道なされていました。どうも自損事故のような。
それには関係ないけれど、ゆえあって、今日は四輪車で移動します。
雨の一日のようですね。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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