「高齢単身女性の貧困 目を向けて」(2024.3.26朝日)では、
65歳以上の高齢で独り暮らしの女性の4割が、相対的貧困の状態
高齢単身の男性に比べ、14ポイント高い
これまで光が当たってこなかった
高齢期に1人暮らしの女性の生活が成り立ちにくいのは自明のこと
女性の場合、現役時代に非正規雇用で低賃金だったり、育児や介護で離職していたりして、低年金や無年金の人が多い
高齢単身女性の貧困は決して「自己責任」ではなく、社会の構造的な問題が連綿と続いてきた結果です。
などとありました。
政治って何なんだろう。
連綿として構造的な問題を解決する手段ではないような気がしている。
NHK大河ドラマを観ていて、
現代と結果的にそう変わらないのではと思えてくる。
昨日のドラマのセリフの中で、
政(まつりごと)の目的を問う主人公に対して、私的目標を述べた悪役がいた。
現在行われている政治の役者方も、そんなセリフは口にしなくても、行動が物語っている。
だから、どうしても、顔に捩じれが生じていますね。
彼らだって、正直なところ、知っているのです。
なにを?
政治と言われている行為の目的を。
それに自らの言動が沿っていないから、どうしても捩じれてしまう。
かわいそうな人たち。
連綿として不作為。
その結果のひとつが、高齢単身女性の貧困だ。
下駄を履かせてもらって生きてこれた男たち。
敢えてそう言いたい。
年金額1000万円以上と聞くこともある。
一定以上の年金額は、一律カットして、不公平の穴埋めに用いるべきだと、高齢男性は言わないのか。
そんな政治を温存し、同世代を生きてきたのなら、その責務が無いとは言わせない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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