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久方ぶりの「罵倒」

 本日夕刻、久方ぶりの「罵倒」を頂きました。

 曰く、「対等に話ができるもんだとでも思っているのか。」「人をバカにしているのか。」「どこのもんだ」「生意気だ。」近くの壁を足蹴にされ、靴底の跡が付いていました。怒りに至られた経緯については、双方ともに言い分があることですので、述べませんが、それらには答えず、被っていたものを取り、ひたすら、繰り返し、頭を下げ、「申し訳ございませんでした。」の一点張りで通しました。相手の目を見返すことは反抗的ととられかねないことから、ひたすら下を見ていました。バックヤードに移動した後も、頭を下げ続けていました。土下座したほうがよかったのかと、少し、反省しています。見ていたアルバイトの学生さんが「あんなに頭を下げなくても」と、後で言ってくれました。

 近くにいた先輩からは、後から、「杉村さんは決して悪くない。どの人も怒られている。」このように言っていただいて、日ごろからお世話になっている先輩たちに余計な災いを掛けたくない。その想いが強く、ひたすら頭を下げていました。

 一昨日、「おはようございます。今日も寒い中、頑張っとられますね。寒いけど、雪が無くてありがたいです。」と、早朝、隣の職場の清掃をなされている方に声をかけたところ、後で、それを聞いていた別の先輩から「杉さんは、マダムキラーだ。」と言われました。ともかく、特別扱いをすることが嫌いです。することもされることも嫌いです。目の前で、頑張られている方がおられたら、つい声をかけてしまいます。反対に、自分を特別扱いしろというような雰囲気があると、途端に、無表情になってしまいます。自分では無表情のつもりでも、相手には敏感に伝わるのでしょう。特に。人に貴賤があるなどと堂々と述べられれば、その対極に位置しようと心掛けているものにとって、戸惑い、心の中で反発してしまう。

 山本五十六海軍大将の「苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である。」この名言をせっかく、職場のロッカーに貼り付けているのに。また、「唾面自乾」(だめんじかん。たとえ顔に唾(つば)をかけられても、自然に乾くまで拭かないという意味。人生には、様々な屈辱を味わう場面がある。そんなときは、心を乱すことなく、ひたすら耐えることです。(鍵山秀三郎)) あーあ、人生修行がまだまだです。

 小規模なお客様あいての商業でご苦労されているなかで、その苦労を背負われている先輩方に余計な気苦労を掛けたくない。くだんの先輩は「それも仕事のうち」と言っていただけました。ありがたくて、涙が出ます。


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