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震災ボランティアー1(東北)

 過日に、次のような「町民の声」を頂きました。10月分にも掲載いたします。

「役場職員の時からいろんな仕事で実行力があった。また、職員在職中に東北のボランティアに独自で行っている。そんな人がいいです。とても期待しています。」


 震災ボランティアで、平成23年に東北に一人で行かせていただき、その感想を地元紙に寄稿したものが掲載され、それを覚えていただいている方からのお言葉だと思います。


 新聞掲載も、もう何年の経過していることから、ここで、紹介させていただきます。

 なお、自家用車(来月の選挙運動用自動車として使用協議中です。)で行き、1泊は震災ボランティア用宿舎に泊まらせていただきましたが、あとは全て車中泊と自炊でした。

(自衛隊の準備したブルーシートの大きなお風呂に入らせていただきました。)


2011年(平成23年)10月9日(日)

「ボランティアで東北へ」

 春から仕事でバタバタし、やっといただけた9月末の休暇で東北に行ってきました。目的はボランティア参加と、地元の方には申し訳ないが千年後は生きていないので津波被害を見せていただければとの思いだった。

 ボラセン指示の土砂撤去作業は、天候に恵まれ、(三日間)心地よい汗をかかせていただき、持参した二十世紀梨はお寺や彼岸のお参りの方、網修繕中の猟師の方、市役所支所に受け取ってもらい、お礼の言葉までいただいた。理容室のご主人につい「ご家族やお客様で食べてください」と、ご家族の安否を知らずに行ってしまったことを反省した。

 岩手、宮城、福島、ほんの一部を垣間見ただけだが、廃棄物瓦礫のすさまじい山、どこか自然発火状態なのか、朝も晩も漂う臭気、廃車体や倒木の山、港の作業場や護岸は波うち破壊されている。そしていたるところにある広場のような、建物の基礎だけ残っている街の跡。

 岩手県宮古市田老地区。海抜10メートルで総延長2433メートルの大防潮堤。揶揄気味に日本の万里の長城と紹介されたこともあったが、以前から訪れてみたかった。20メートルの津波、遡上高37.9メートルだったという。朝早くから少年が二人、釣りに来た。この子たちはここに住み続けるのだろうか。どこの土地にも自然的、社会的な業が多かれ少なかれある。それに気付き嫌なら出ていくしかないが、彼らにも方策を工夫し住み続けて欲しい。車中泊では津波が恐ろしくて海の近くは寝られなかった。

 被災地の復興はいまだ後片付け状態で、興すことは見えていない。制度として復興を支えるために、私は彼らや自分自身のためにも復興増税は行うべきと考えた。8日間、6万円也。社会勉強させていただきありがとうございました。

 杉村宏 岩美町浦富、役場職員、52歳


資料

東北7泊8日

交通 行帰りとも一般道、燃料費:軽油22938円

食費 10347円(すべて自炊)

(記事中の6万円との差額は、休暇を頂き迷惑を掛けた職場への土産として田老地区の煮干しなどの代金)


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