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「なぜ公開しない。文通費」没原稿

 以下は、2カ月前に新聞投稿し、本日現在のところ掲載がありませんので、没となったものと思われるものです。


題「なぜ公開しない。文通費」

「そんなこと、初めて言われました。」個人事業者の方から頂いた言葉です。そこに居られたご家族の方とともに、少し涙ぐんでおられたように思います。

 30年ほど前の話ですが、役場の税務課で収税の仕事として、滞納されている方のお宅に定期的にお伺いし、納税をしていただくようお願いしていました。ある年末に、「集めるのも大変ですね。」と言われたので、「いろいろな方がおられますが、集める者よりも、払われる方のほうが大変です。」そのように、申し上げたところ、間があって、冒頭の言葉をいただいたところでした。よく覚えています。

 税制に、不公平や矛盾、厳しいところを感じられていても、払わなければいけないことは良くわかっている。しかし、目の前の生活がぎりぎりの連続、毎月、毎年なのだ。そのような方々が、いわゆる「滞納者」として、扱われてしまう。悪質的な滞納者のような方々ばかりではない。

 国会議員の方々が、自らの活動や主張を主権者に伝えるための費用が「文通費」と呼ばれ、その支出内容などの公開をしないとのことで、法改正ができないようです。

 私の主張は、どこでも通用しない。どうして、税金で賄われている支出の内容を公開することが行われないのか。支出は納税者の痛みがあってはじめて可能となるものだ。国の本年度の補正予算が成立し、歳出総額142兆円、新規国債発行額65兆円、現在の国民が負担する税金ではなく、将来につけを先送りする国債で賄っているから良しとしているのか。そのように言われても致し方のないような、無様なまつりごと。私は怒っているんです。なぜ、文通費を公開できないんですか。過去にさかのぼってでもするべきではないんですか。

(文字数は、700文字です。)


 公費を、文書作成や通信費のために支給され、その結果の公開の義務付けがあろうとなかろうと、支給目的のためだけに支出することは、公費を支給された公人として当たり前のことだ。支給目的以外に支出するかどうかにより、その公人の公人としての矜持が示される。

 生命を賭して明治の維新に向かわれた方々の心意気に思いをはせるとき、あまりにも小粒で、些末で、議論にならない。と感じるこの頃です。


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