昨日、TVで、イタリアのポンペイが紹介されていました。
家人が年寄りに対して、
「一夜にして灰になった。」
と、言っていたので、
「灰になったのではなく、灰に埋もれたということ。」
と、補足説明すると
いただいたお言葉が、
タイトルにした「日本語警察」。
でも、
灰になった
と
灰に埋もれた
では、日本語として大違い。
灰になったでは、ポンペイの人たちもうかばれない。
灰になったは、
なにか、可燃性の建築物などの材料、木材などを燃やしてしまって、灰燼(かいじん)に 帰(き)してしまい、遺跡になったようで、そこでの生活者のその原因発生時に、なにか、咎があるような。そんなニュアンスがあります。
灰に埋もれたでは、
なにかの理由で灰に埋もれてしまい、しかも、まちが埋もれるのだから、相当な規模・量の灰が想像され、とてもではありませんが、人為の及ぶところではないことをうかがわせる。
俳句のいつき先生がいつも言ってくれているのも、そういう言葉の違いなのかと思っています。
(添削を拝見し、いつも、凡人や才能なしだと、自覚していますが。)
やはり、わかりやすい言い回し、できれば簡潔にを心掛けたい。
(読まれている方は、既に承知されています。どこが簡潔にだ?と。)
発音するときは、はっきりと、小さな声ではなく、早口でもなく。
そして、自信をもって。
しかしながら、
そもそも、人は、人の話を聞いていない。
直感でだいたい判断する。
だから、灰と言っているのだから、なったのか埋もれたのかでも、だいたいのことを言っておけばいい。
それもそうなのだろうし、
音として消えていく会話や声は、気体のように、どこかに行ってしまう。
でも、時々はあるでしょう。
あの時言われたあの言葉が忘れられない。
いいことも、そうでないことも。
いつまでも覚えている。それも、人の習性。
あ~あ。
それにしても、
(後世から見た見方で言ってしまいますが、)
ポンペイの方々よ。
どうして、活火山の近く、過去には噴火の被害もあったであろう付近にお住いなされていたのだろう。
日本の縄文遺跡の場所は何百年以上も居住されていた場所だったようです。
現在の僕の居住している場所。
ここは、なにかのそんな災害の被災する場所なのだろうか。
後世から見たときに、どうして、そこに住んでいたのと言われたくないなあ。
そんなふうに、ポンペイを見聞きするたびに、感じています。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」