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内臓5つ全摘(おもしー178)

建築家の安藤忠雄さん(1941年生まれ)は、内臓が5つない状態だそうです。


「生きるため、ただ食べる」(2022.12.24日経の食の履歴書)のなかで、

2009年 略 68歳の安藤さんは、がんを宣告された。

胆のう、胆管、十二指腸を全摘した。

試練は再び訪れ、今度は14年、72歳のときに 略

膵臓と脾臓を全摘し、

内臓が5つない状態になった。

と、ありました。


膵臓から出される膵液は、たしか、たんぱく質の消化酵素を含んでいたり、膵臓自体が、糖尿病で有名なインスリンを分泌したりしていると思っています。

また、脾臓は、そもそもどこにあるのかよく知っておりませんが、

(どうも、胃と腎臓の間のような。

それにしてもどのあたり?

少し、斜め後ろのあたりを弄ってみても、当然に、よくわからない。)

免疫や、造血・血球の破壊など血液に対して働いてくれているようです。

胆のうは、熊の胆のうが有名ですが

(熊胆(ゆうたん)や熊の胆(くまのい)として苦い薬のようです。)

胆汁を一時貯蔵してくれるところだと思っています。

(これらは、素人の見解ですので、信用なされないように。)


ただ、それら5つの内臓の機能は必要があって体に存在するものだと思っていますが、

安藤さんには、それらが摘出されていて無いんだと書かれています。

紙面に書かれていないご苦労があるのではと拝察いたします。


さらに内容を紹介します。

本を読むのが知力の源のように、食は体力の源。

楽しみというよりは、生きるために食べるということをずっと考えている

シンプルに素材そのものを味わう。

目標があったら人生は何とかなる。覚悟を持って生きないと

とも記されていました。


そうだよなあ。

食べさせていただかなければ、命の灯をともし続けることはできない。

そして、

食べさせていただくものは、やっぱり、そのままに近くで食べたい。

シンプルに。

あまり、調理や味付けに近づかないで。

硬いものでも、できるだけ硬いまま。


読ませていただいて、

僕に足りないものは、

覚悟を持って生きる そういう姿勢なのだろう。

僕にとっての、覚悟を持って生きていく目標は何なのだろうか。

生き方に、自らに対する甘さが充満している。

生き方に、甘い調味料は、少しでいいのか、それとも、たっぷりがいいのか。

ほどほど、中庸であるとは、どのくらいなのだろう。

どこか、体の一部が欠けるようなことが無ければ、心も身構えられないのだろうか。

だけど、一般的な考え方からすると、僕の心は、どこか欠けている?

だから、それでいい?よろしくない?

いいとしておけばいいんだろうなあ。

望月がいいとは思っていませんので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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