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下顎呼吸(かがくこきゅう)(おもしー231)

ヒトの個体の死が近づくと呼吸が不規則になり、

最期は下顎呼吸(かがくこきゅう)といって、

口をパクパクさせ喘ぐような呼吸になるそうです。

たくさんの死に臨まれている方が言われています。


下顎呼吸は、

普段の呼吸には使っていない首やアゴの筋肉を使ってする呼吸のことだと、

説明されていますが、

たぶん、

普段、呼吸に使っている、胸腔と腹腔の間にある横隔膜や、胸筋には、

酸素がもう来ていないため、肺に新たな呼気を取り込む力が無くなっていて、

それらが機能しない。

この時点では、もう、下肢や内臓あたりにも、新鮮な血液は行っていないのでしょう。

そして、大脳・小脳、脊髄中枢の酸素不足が進んでいく。

どうにかしなければ。

普段使っていないけども、少しでも、大気から酸素の取り込みを行おうとして、

首周辺で、まだ動くことができる筋肉に、わずかしかない酸素を使ってもらって、

喘ぐように、呼吸のようなことを行おうとする。

その様子を指して、下顎による呼吸のようなこと、そのようなことかな。


誰しも、たぶん、1度きり、通る道なのでしょう。

1度きりというのは、

この世に、その個体の生命が残ることはほぼもうないことだと考えています。


この時に、医療行為として、酸素吸入を行うことが多いかもしれません。

ですが、

酸素不足になると脳からエンドルフィンと呼ばれる脳内麻薬がたくさん出て恍惚状態になる。

と言われています。

だから、死に顔と呼ばれる表情(?)が、おだやか。なのでしょう。

そんな時に、酸素吸入をしてしまうと、せっかくの恍惚状態が苦痛に戻る。

そんな記載を目にいたしました。

これも、たぶん、正しいことではないかと考えています。


臨死のヒトの脳は、

夢を見ているときや記憶を呼び起こしているときと同じガンマ波が増えていた。

とも、どこかにありました。


ヒトが死に逝くときに、医療行為と呼ばれる人の施しは、どうなのかな。

臨死状態にある人が、実際に夢で何を見ているのかは確認しようがありませんが、

死ぬ直前にそのヒトの体験・経験の画を見ていることは確かなようともありました。


できれば、穏やかに、逝きたい。

臨死に至っていない僕の個体としての今の状況では、そう思う。

どうせなら、おだやかに、往きたい。

臨死に至った時にどう思うかは、解らないし、思うかどうかも解らない。

ただ、

だれしも、そうでありますように。

等しく、人間から、人へ、そしてヒトへ、

訪れてくれます。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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