普段は飲まないのですが、
正月だからと言って、家人が、元旦の朝にお神酒ということで、1合瓶を開けました。
(朝のうちのバイク乗車の後です。関連:初日の出に禱る(おもしー174))
久方ぶりの日本酒で、おいしいと思いました。
知らなかった。
そうだったんですね。
「日本の酒 国際化1合目」(2023.1.8日経)のなかで、
日本酒は戦後70年、新規参入を認めずに来た。
日本の酒類が世界市場に占める割合は0.1%にすぎない。
と、ありました。
世間知らずで申し訳ありませんが、そんな世界だったのですね。
「獺祭」で有名な旭酒造さんも、その製品にたどり着くまで大変なご苦労があったと聞きます。
(たしか、酒造りの杜氏さんがおられなくなり、素人の皆さんで温度管理など試行錯誤されたとか。)
(獺祭は、高くて買ってまで飲んでみようとは思いませんし、地元の日本酒で充分の口ですので。)
また、
大学生の時に発売され始めたアサヒビールのスーパードライ。
麒麟のラガービールよりも少し(たしか0.5%)アルコール分が高く、
同じ価格なら、少しでもアルコールの量が多くて、酔えるものをと、
生来の貧乏人根性の貧乏な学生として飲んでいましたが、
のど越し爽快でいくらでも飲めるように思っていました。
24本の瓶(大瓶=633ml)が入っているケースを家人と供に一晩で空けてしまい、まだ足りなくて、2ケース目に向かった想い出があります。
(つまみはたらこでした。あの時、二人で、いったい何本飲んだのだろうか?)
このスーパードライの開発には、
アサヒビールの「風通しがよく、物事をあきらめない社風」を築き上げたことが成功の要因と遠越段さんは書かれていますし、
「歩道!できました?」のP128に
酔っ払いからの電話を丁寧に聞き、メモし、嫌な声を外さず、いい声も聞こえるようにした、当時の社長の樋口さんのことを書かせていただきました。
つまり、申し上げたいことは、
なにごとにおいても、
やりたいことを、やりたい人が、できるだけやりたいようにすることを、邪魔立てしてはならない。
時間的余裕を持たせるとか(段階的な緩和)を考慮しつつも、
日本のお酒をより良くしてゆき、
ほっておいても世界市場で求められるものにして行きたい。
そのためには、やりたい人の、新規参入は欠かせない。
門戸を広げるべきだ。
70年もの新規参入なしは、どんな業界でも、競争力を弱め続ける。
日本の市場規模が縮小していくときであっても、
いくらかのことは認めてくるべきであったと思います。
(たぶん、政治家が政治・まつりごとを行わず、業界の要望に応えてき続けているのでしょう。)
2022年の夏に、シングルモルトウイスキー「山崎55年」60万ドル(約7900万円)。
1本の落札価格です。
たぶん、獺祭もそれなりの相場価格になっておられるのでしょう。
有名な越乃寒梅は今どうなっているのだろう。
30年ほど前は一升瓶で1万円だったかな。
がんばってほしい。
高く買いたい人には、希望通りに買っていただければいい。
まったく、邪魔立ていたしません。
(僕は、日本酒で言えば、佳撰がいい。)
しかし、
思うに、
人は本音を言わずに、好ましくないと思えば、ただ去って行くのみ。
アサヒビールの本社の社長さんまでが苦情や応援や商品の感想の電話を受けることができるのは、
その姿勢が、当時の社長さんにあったとしても、
電話する側は、通常ではしない。考えられない。あったとしてもほんの少し。
夜になると酔っ払いから本社に電話がかかってくる。
お酒の力が本音を本社の社長さんまで届けたということ。
いいか悪いかは別にして、
そういう体制というか受け手の姿勢というか、
できる範囲は限られると防御の姿勢を、つい、言いたくなりますが、
なかなかできることじゃないけれど、
逆に言えば、アルコール飲料業界は、消費者の本音が、その商品の効用(高揚?)によって、受け取りやすくなる。そんな面を有利なこととして大事にできるかどうか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」