集団で生活することで身を守っています。
「所属する集団との同化」を大切にします。
とりあえず仲間と同じ行動をすることが安全につながる、という意識が身についています。
いつも家族の動向を気にしていて、
家族との「感情や動作の共有」を本当に幸せそうに表現してくれる
これらは、どのような生命の行動として書かれているのでしょう。
出典は、
「同じことをするのが好き」(2018.5.15日本海の小鳥はloveに生きている)からです。
野生下では捕食されやすく、弱い立場にある小鳥たち
物音に驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ様子を見た経験がある人は多いと思います。
このとき、ほとんどの鳥は実際には自分で音を聞いていなくても、仲間が飛び立つのを見て飛び立っているのです。
とも、書かれています。
なんだか、日本人の多くの人々の動向を書かれているようで、
日本人の多くは小鳥みたいと言われているような。
そんな感じをうけませんか。
そんなに、
日本列島に居住し続けてきたことは、
3万5千年前ともいわれている、
列島へのヒトの移住?・入植?開始以来、現在まで、
野生下では捕食されやすく、弱い立場にあるヒトたちだったのだろうか。
ニホンオオカミもいたでしょう。
クマも恐ろしい。
シーズンを外れた北アルプスのテン場(テントを張る場所)で、
独り、誰もいなかったことがありますが、
(もう、10年ほど前になってしまうなあ。)
確かに、薄っぺらいテント地1枚で外と遮るだけで、何かあったらどうしようとも思いながら、寝てしまいました。
氷ノ山の人のあまり訪れない稜線歩きで、強烈な獣臭があり、
(これは、5年ぐらい前だったかなあ。)
早々に退散したこともありました。
僕も、弱々しいヒトです。
でもなあ。
狼もいなくなり、熊にも通常なら簡単に出会えるような人間社会ではなくなっている。
物も、地球上のいたるところから調達している。
グローバルという表現で、世界的な規模であるさまが語られている。
ここに至ってしまい、この状況下で生きていくヒトが、
いつまでも、小鳥であっては、今後を憂う。
一昨日の新規参入のことにしても、
波風のない生活にできるだけしようとする、そんなバイアス。
同調圧力とも言われ続けていますが、
せめて、小鳥から、中鳥(?)ぐらいまで、
鳳や鴻、大きな鳥にはなれなくても、
気持ちだけでも、少し、大きくなれないかなあ。
誰の話でもなく、僕の話です。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」