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「お上の世話にはならん」(おもしー311)

かっこいい。

僕も、そう言いたい。


「お上の世話にはならん」(2023.5.7産経の朝晴れエッセー)のなかで、

99歳の主人の父が、義兄夫婦の元を出て突然わが家にやって来た。

わが家に来てたった5ヶ月で逝ってしまった。

最後まで新聞に目を通し、食事も自分でされた。

「お上の世話にはならん」と言っていた父は、その言葉通り99年を生きた。

などとされていました。


100歳を前にして、何の連絡もせず、突然に居所を別の親族のところに移す。

これって、相当なことが、その方にあったのだろうと、拝察させていただきます。

また、

出て行けとも言えず、

(とても困ったと思われたのでしょうけれど、)

介護生活を受け入れざるを得なかったお立場の女の方の喜怒が綴られていて、他人事ながら、感謝の念が沸き上がってきます。

最後に「短かったが一緒に過ごせて本当に良かった。今しみじみ思う。」

と 言っていただけて、

全く関係ない、こちらこそ、本当に、ありがとうございます。

そして、15年前のお話しを、今月、投稿なされたということでしたら、

書きつくせない様々な想いを心の中で均していく時間が、必要だったのではと、

こちらも、拝察させていただきます。

重ねて、ありがとうございます。


人が少なくて、

バイトの勤務時間数が、フルタイム以上。

でも、

体が動いていてできる間は、

求めていただけている間は、

無理をしない範囲で、勤労所得を得ることとして、

できるだけ、年金をもらいたくない。先延ばししたい。

それが、今の僕、64歳の僕にしてできる、「お上の世話にはならん」姿勢のひとつの現れ。

99歳の方には、遠く及ばないけれども、

それだって、それぞれの考え方ですが、すこし、かっこいいではないかと、誰も言ってくれないけれど、自認している。

結果的に、年金が受け取れない事態になったとしても、それまで、動けていたことに感謝したいし、

繰り下げによる割増額を受給せざるを得なくなっても、それはその時のこと。

今は、そんな先のことは、何もわからない。

僕の死に場所は、どこでもいい。場所など特にこだわらない。

どこであっても、宇宙のどこか。たぶん地球の地上のあたり。

それまで、自分なりに、少しかっこよく、生きるようにしたなあ。

あくまで、自分なりでいい。

なるべく自由に、少しばかり自分勝手に生きたい、逝きたい分、

姿勢としては「お上や、人の世話にはならん」

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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