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車中泊(おもしー356)

車中泊を時々してきたし、

(中部地方への山歩きなどで。)

その自由な感じが好きな者として、

(出発・到着の時刻が受け入れ先のご都合に左右されることなく、全く自由なことなど)

そうなのだろうなあと思いました。

世の中には様々な人がいる。


車中泊の団体の方が出しておられたネット記事の中に、

男性は女性にとって、ゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。

「キモいし、得体が知れないし、変に行動力あるし、餓えてるし、力が強いし、距離取りたくても向こうから来るし。」

いうことを示しておられました。


車中泊の移動などで、自由な時間を過ごしていると、

自由度を満喫する分、普段の日常生活から離れていく。

勿論、そんな雰囲気を味わいたいのも、車中泊の魅力の一部なのでしょうけれど、

同様なことをしている人々が、何方様も、同じようなお考えで、その時を過ごされているなんてことは、考えないほうがいい。

そういうこともある と いった程度。


僕は、向うから、話し掛けられない限り、

こちらからは、話し掛けない。

例えば、早朝や朝方の、トイレでの、顔洗いや歯磨きでの少しの間の同じ空間にいるときなど。

また、ベンチがあった時に、夜風に当たっているときなど。


まして、

性別が異なる場合は、

(なるべく見ないようにしているので、わからないこともありますが、)

向う様も単独なのか複数なのかよくわからないし、

ほぼ、全くといっていいほど、すれ違っても声をかけない。

何か落とされたことがあったけれど、その時、落とされましたよ と言ったことだけだったかなあと思っている。


そんな僕でも、どうしても目に入ってくることもある。

なにか、人はそれぞれ。

愉しまれている方ばっかりではない。

奥村チヨさんの「終着駅」ではないけれど、

落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹き溜まり 

だから 今日も一人 明日も一人 涙を捨てに来る

過去から逃げてくる

(相当古いでしょう。1971年12月。半世紀前ですねえ。)

のような感じなのか と 勝手に 思ってみたくなるような方もあるような。

そんなふうに感じてしまうときは、僕が、過去に捕らわれている時だったりして。


そこまでいかなくとも、

少し、過去や、束縛から、一時的にでも逃げたい気持ちをお持ちの方は確実に居られる。

そんな時は、そっとしておいてほしいし、そっとしてさせあげたい。

自分の頭を、ボーとさせて、休息させる時間はとても大事。

それには、いつもの風景ではない時間・空間・場所が、いい時だってあるんです。


車中泊では、周囲にあまり干渉したくないし干渉されたくない。

(これは、そのまま、自分の人生観に繋がったりして?)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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