「人は自分の死を予知できず、人生を尽きぬ泉だと思う。
あと何回、満月を眺めるか。
だが、人は、無限の機会があると思う。」
と、
(2023.9.12日経の春秋)で、紹介されていました。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
有名な言葉ですが、
原文の直訳は
『愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。』
だそうです。
愚者や賢者と言い放っていいとは素直には感じられないので、
少し距離を置いていた言葉ですが、
原文に接すると、発言者の配慮というか、自らのこととして語る姿勢を感じます。
まずやってみよう は 気持ちいいけれど、
だいたい、うまくいかない。
自分なりに こうではないかと納得したうえで、やってみる。
その上で、ああでもないこうでもないと2度3度やってみるけれど。
それでうまくいけば儲けもの。
やはり、困難そうなことは、どういう ものか ことか を事前に学習する。
自分の体験や経験だけではなく、他人が何回も行い試行錯誤なされてこうした方がいいのではということが、書いてある。
これを読めたり見えたりできることはありがたいこと。
遠回りのようであって、発言者の言う、自分の誤りを避けることができれば、
それは近道。
あと、何回、満月を眺めることができるだろうか。
自分の死を経験なされた方はいない。
一方で、人の死は、ありふれている。
自分の人生が有限であることを、
横において、
今日も、目の前の衣食住に向かう日常がある。
立派な方は、事前の知識を持ちつつも、事に当たって自分の目で見て判断なされる。
ことにあたって、行き当たりばったりの当方とは違う。
違うけれども、
無限とは言わないが、機会は必ずある。
満月の度に、学ぶ楽しさとともに、そう思いたい。
たぶん、思わせてくれる美しさがそこにはある。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)