できるだけわかりにくく、知的リテラシーというピースがなければ読み解けないパズルのように発信してきた。
声にならない声を聴くことのできる人だけが読めるように書いた。
と
敬愛する中野信子先生の「脳の闇」のP17 はじめにに書いてあります。
知的リテラシーというようなピースは持ち合わせていない。
でも、
声にならない声を聞くことは、
とても大事、と言うよりも、何ごとも、そこに立脚すべきと考えている。
だから、
読み進めると、面白いし、先生自らを客観的に捉えられているし、
ある意味わかりやすいような気もするけれど、
それが、先生の罠のような。
簡単に読み進めることがもったいないように感じて、
間断に読ませていただいている。
図書館の借用期限がとうに越してしまったので、
一旦返却し、昨日、再度お借りしている最中。
幸いに、予約は入っていなかった。
P70
確信という安易な快楽に溺れて、愛が毒に変わってしまう前に、わからないを抱えておく知力を多くの人が持ち得る世界が訪れて欲しいと願う。
これは、人が判断するのみの世では無理。
AIに判断の多くを担ってもらえる世界で、初めて、そんな世界が訪れるような気もする。人がわからないを抱えておけばいい。
多くの人 といわれているのは 先生としては 多数ということではなく、一定のレベルというか 身の回りというか そんな感じがする。
確信というもの、それに溺れることは安易な快楽。
そうかもしれない。
溺れて苦しくなると、愛が毒に変わる。
それもそうだろう。
最後のあたりに
P266
ほとんどの人間は聞きたいことしか聞かない。
その上、自分の話したいことにしか関心を持たない。
ともあります。
ここらあたりは、誰しも日常体験していること。
そう。
その代表たる自覚保有者は、わたくしめでござりまする。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)