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全肯定(おもしー462)

「のりちゃんはええ子だ ねんねしな」と

「ええ子だ ええ子だ」を繰り返す。

思えば歌のように父は私を全肯定して見守り続けてくれた。

3歳の孫

「ばあちゃんはええ子だ ええ子だよー」

眠ったふりの我慢は限界に。

「お盆の子守唄」(2023.10.9朝日のひととき)のなかの、

抜き書きです。

いい物語だと思いますので、

機会があれば、全文をお読みくださりませ。


全肯定していただいた経験を持つ方は強い。

いいもわるいも、幸せな方だと思う。

一生その想いは心の中に通底していて支えてくれる。

勿論、どなた様も、全肯定されるほど立派で完璧な人はいない。

いないけれども、

それは、愛情を籠めてくれる方があり、子守唄などを通しても伝わってくる。

それで、たぶん、脳がそのような作りになってしまう。


全肯定する対象があれば、

躊躇も、迷いも、そんなこと入る隙間がないうちに、全肯定してしまう。

あれ、ちょっとなあ、と いうような感触があったとしても、それもその内のような。

そんなことだろう。


全肯定してしまった経験をもつ方も強いと思う。

これもまた、いいもわるいも、幸せな方だと思う。

世の中には、甘やかせ過ぎとの批判を受ける方もあるようですが。


絆という言葉があるけれど、

安易に使われ過ぎのようにも思う。

お盆の子守唄のような、そんな時に受け止める頻度であっても、深い絆を感じる。


そして、

たぶん、

全肯定は再生産され、され続ける。

父から娘へ、そして祖母になり孫へ

その父は誰からか。

その方々は、人の世に生まれてきてよかったと思われると思う。

世の中に対する、弊害の部分よりも、暖かくなる部分の方が、より大きいのではと思いたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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