神々しい光はどうしても見入ってしまいます。
「天文現象のきほん」(著者:塚田健さん)を読ませていただきました。
そのなかの、
「薄明光線」のページには、
「光芒」や「レンブラント光線」「天使の梯子」「ヤコブの梯子」などともよばれます。
多くの場合は地上に光が降り注ぐように見えます
たいへん美しく、神々しさが感じられる光景です。
などと記されています。
夕刻などに、時折、西のほうに見ることができている。
どうしても、不思議なのは、その光が末広がりに見えること。
太陽からの光は遠いところからなので、実質平行な光が地上に降り注いでいる。
でも、薄明光線は雲の少し上にあたかも光源としての太陽があるように見えてしまう。
その雲に隠された光を発するものが地上にあまねくように降り注ごうとしているからこそ神々しく見えたりするのだろうか。
それは太陽とは別のもの。
だから、天使さんなどの名前も使いたくなる。
あまねく降り注ごうとしながらも、そこには雲のような抵抗勢力が必ずあり、全てには光が届かない そんな現実も見えているような気もする。
どうか、
天使の上り下りする梯子は
被災されたところや、
戦火が落ちてしまっているところなどに、
多くのご加護をなどと、無宗教的で無力な僕は祈ってしまう。
ただ、その遮蔽物となる雲がなければ、梯子は現れない。
人間の現実でも、あまねくは、そぐわないことになる。
久しぶりに聞いた、レンブラントさん。
学生の時に熱海の美術館で見た自画像は印象的だったなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
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