岡山の人が、
はっとうじ と言っていました。
由来は、古刹の僧侶が托鉢をされていたからだそうです。
思うに、托鉢は僧の修行であり、
いただいたもので、食を賄う。
それだけで僧の食を賄うことが、本当の托鉢修行なのかもしれません。
インドでは、いろいろな修行を行っている人がいるように聞いています。
そんな修行中であれば、
古刹で修行なされていた時と比べれば、
現代の托鉢は、年末などに見かける寒中で厳しくもあるけれど、まだ、スマートで身ぎれいなものに思えてしまいます。
何のことでしょう。
はっとうじ?
クサギカメムシのことを岡山の人はそう呼ぶそうです。
八塔寺(はっとうじ)の僧侶が托鉢に来ると臭いので、
カメさんのことをそう呼んでいるということでした。
子どもの目線では、
臭い八塔寺の僧が来た。
ということになるのかもしれませんが、
身ぎれいに出来かねる修行を行っておられたのではないかとも思いますし、
当時の大人たちは、臭い中でも、そんな状況に耐え、自分達より厳しい環境に身を置く僧に対して、尊敬の念をお持ちになられた人もおられたのではとも感じます。
アルバイトがお休みの日で、寒い時には、薪を燃やすストーブの炎が揺らぎというか、悪魔の舌のようでもあり、渦巻き翻弄される熱い気体の動きをロケットストーブよろしく音を上げて勢いよく吸い込まれていく炎の風として眺めています。
室外に積んでおく生木から燃料となる薪になってくれる木材たち。
寒い季節を耐えるため、
虫たちも、木材の隙間に身を寄せ合う。
ストーブの近くに運ぶときには、
虫たちには薪から降りてもらうようにするものの、
どうしても、付いてきてしまう彼らもいる。
室内が温かくなると、時折、歩き出したり、飛翔したりする。
以前は、かわいそうなことをしていたけれど、
(臭いを出さないうちに、急いで、炉内に入ってもらっていた。)
最近は、なるべく室外への移動をお願いし誘導し、寒い外に出てもらっている。
冷たい地面に落とされてしまう虫には悪いことをしている気分にもなるけれど。
八塔寺の僧も、そんな冷たい地面に耐え、寒さに震えながら托鉢なされていたのかもしれません。
なにか、
クサギカメムシと呼ばれている彼らをあまり憎めない。
身を寄せ合って寒さを凌ごうとしている場所を取り上げて出ていけとの行いをしているのは僕。
生き物としての僕も、薪から得られる熱が温かいのです。
カメさんやヤモリさんたち、申し訳ないけど、
退いてくれるようにしようとすることが、今の僕にできる限界なのです。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」