経済規模ランキングの図があり
26年後の2050年の順位は
1位 中国、2位 米国、3位 インド、4位 インドネシア、5位 ドイツ、6位 日本、7位 英国、8位 ブラジル、9位 フランス、10位 ロシア
でありまして、
その25年後(今から約半世紀先)の2075年は、
1位 中国、2位 インド、3位 米国、4位 インドネシア、5位 ナイジェリア、6位 パキスタン、7位 エジプト、8位 ブラジル、9位 ドイツ、10位 英国
と
「グローバルサウス GDP、50年にかけ米中越え」(2024.1.22日経)で、
米ゴールドマン・サックスの予測が紹介されていました。
日本は何処に行ったのかなあ。
現在日本よりも人口の少ないドイツや英国の名前は残っているのにね。
批判も批評もなされる予測なのでしょうけれども、
それなりの根拠はお持ちなのでしょう。
経済規模が一定程度なければ絶対にダメだとまではおもっていませんが、
でも、生活水準と言うか、個々の生活の質を保つためには多くのサービス享受が必要。
いろいろ矛盾するけどね。
(2023.9.7日経の連載小説「陥穽(かんせい)」)のなかに、
幕府・幕藩体制という最早手の施しようもなく腐り切った体制(アンシャン・レジーム)を西郷が見限った
との一節がありました。
日本に住むところの有権者たちは、
見聞きもしたくない昨今の政党と呼べるのかどうかよくわからない集団の闇の中で動かしてきた(そしてこれからも目立たないように動かしていこう使おうとしようとするのだろう)おかねの流れを、結果的にも是認していくのだろうか。
腐り切った体制 もはや手の施しようもない体制 ではありませんか。
その証明が彼らの顔面に出ている。
言っていることと本当に思っていることが違うので、どうしても顔が歪んでしまう。
そう思えてならない。
そういう意味で、TVを見ることは、害悪を受けること多し。
そればっかりではないのでしょうけれど、
それも含んだところの結果の予測が、
最初の、経済規模ランキングに収斂していくような。
健やかで、明るい表情は、もはや子供たちに求めるしかないのだろうか。
いやいや、
現在の状況に至っている説明責任を負う高齢者や責任ある大人たちが、
それでも、前向きにもがいている処には、
腐り切る淀みや暇はない。
そんなことを経過として持つ2050年、2075年に日本や世界になって欲しい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」