「家屋倒壊で死亡9割」(2024.1.28日本海)の
タイトルを見ただけで思い出す。
確か、阪神淡路大震災の時も、建物による圧死が8割だったと記憶している。
つまり、僕にとってはデジャヴでいつか見た事実。
この現実は、自動車保険のような必要悪の部分なのだと人々は捉えているのだろうか。
それとも。
建物倒壊による圧死や窒息死の原因は、
旧耐震基準での建物の多さや本年1月1日の前に度々あった予震のような揺らぎによる家屋の痛み。
と能登地震では言われている。
では、なぜ、そんな建物が多かったのかについても、
耐震化を進めるための個人支出が、補助金がいくばくかあっても、人口減・高齢化などで負担できない。
否、負担する気にならない。
このまま、この家屋と共に過ごし、終えようと考えている。
そんな方々が多いと思っている。
このことは、
能登に限らない。
僕だってそうだ。
西日本の太平洋側。南海トラフ地震は、だいたい百年周期で、21世紀半ばまでには津波を伴う現実になってしまうと思っている。
鳥取震災も、南から日本列島に押し付けられている地殻の力に由来し、トラフ地震の兄弟のようなもの。
では、僕の居住する築百年住宅(T15年(1926年)建築)を耐震化するのか。
づっとづっと先送りしてきたのが事実。
人のことは言えない。
81年前の1943年の鳥取震災に耐えてくれた家だから何とか持ってくれないか。
でも、
その時に受けた見えない損傷がこの家にもあるのかもしれない。
(専門家にみていただくことも、その現実を突きつけられそうで躊躇する。)
能登のように。
いまのところ、
僕の行動は、耐震進まず被害拡大 と書かれている新聞記事の発生前のようなもの。
何かが起こった時、誰かが言うのだろうなあ。
デジャブと言っていいと。
もう、その時には、僕は何も言えないのだろう。
昨日の、迅速果断からは程遠い。
だけども、こんなことは、経験で言っていること。
軽い軽い。
歴史を踏まえて、行いを正さないと?
今日。どうする。どうもしない。どうする。どうもしない。・・・・・・・。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」