そう聞かれて、
今、寿命が尽きようとしていて、意識混濁になろうとする自覚がある時、
僕ならば、どう答えるだろう。
「はい」ですか。
「いいや」ですか。
「まあね」、「どうだろうね」、「どっちでもいいさ」、「まあまあさ」ですか。
それとも・・・・・。
「ずっと一人で生活 桐島名乗る男 一連の事件「後悔」」(2024.1.31読売)では、
公安部の捜査員から一連の事件について
「後悔しているのか」
と聞かれると、
「はい」
と答えたという。
などとありました。
本当だろうか。
本当だとしてもその趣旨はどうだろう。
捉える側からの問いかけに対して、
捉える側の期待する内容の返答がどうであれ、
捉える捉えられる立場を超越した生き死にの場ではないだろうか。
連続爆破事件と言われて、
社会的制裁を加えなくてはならない側と、
そんな人間社会のルール上のことはどうでもいいのではと思う、
もう、自らの生命が尽きようとする間際にあって、
言って欲しと感じる言葉をリップサービスする余裕はないとも思うけれど。
今 の 今 。
命が尽きようとするのであれば、
僕は何を言うのであろう。
たぶん、ことばなぞ、発することはできたとしても、発したくないのではないか。
手足などの五感も不明になっていく・・・・・。
下顎呼吸となり、酸素を取り込めなくなっていく・・・・・。
・・・・・・・。
その日はいつ?
今日なのかもね。
動けるうちに動いておきたい。
後悔?
申し訳ありませんが、いまのところ大したものはありません。
そう言えば、バイクバッテリーの充電を忘れていたかも。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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