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百点近くの自画像(おもしー604)

皆さんは、

自分の像を、

残していますか。

現代なら、写真で、残そうと思えば残せます。


オランダの画家レンブラントは、若い頃から晩年まで百点近くの自画像を描いた。

一人の男の人生の変遷をその自画像群を通してみることができる。

富にも恵まれた。

「富よりも名誉」との言葉を残しているが、

さらに「名誉よりも自由」という心意気を絵から読み取る解釈もある。

自画像を描くことで、 自分の心のバランスを保ち モチベーションを維持していたのだな、と教えられた。

まるで夜中にトイレに起きて、ふと鏡を見たらそこに自分が映っていたという感じをそのまま描いたような自画像

などと、

(2024.3.5日経の画家の自画像十選)にありました。


芸能人さんなどのように、日常的にその像を画像として残される方々は知らず、

僕などは、その像を見てもどなたもどうとも思わない。

ただの頭の薄い、眉目秀麗の魔反対のじいさん。

写真を撮られることは、その現実を見せつけられ、受け入れろと迫られること。

せめて、肉眼で、朝、顔を洗う時に鏡を見る。

肉眼では、脳が修正してくれて、まんざらでもないと現実を捻じ曲げる。

プリクラさんは、その修正を目の当たりにしてくれる能力を高めているのでしょう。


画家が自画像を描く。

脳の受け止めに忠実に描くのだろうか、

それとも何とかありのままを描こうと、

彼(レンブラント)はしたのだろうか。

気取りや飾りのない、あるがままの、裸の心を持った男の姿 とも記されていた。

掲載されていた「自画像」は、小太りのじいさんのようながらも、


20代に熱海のMOA美術館に紅白梅図を観たくてお邪魔したことがあったけれど、

その時の、彼の自画像がとても印象的だった。

何歳の頃のものかも知らず。

見つめられた印象を未だに持っている。

掲載されている「自画像」と同じように。


63歳でお亡くなりということなので、

百点ということなら、1年に2枚以上は描いていた?

年2回なら、

正月と盆にでも、

あるいは、あまり気候的に厳しくない春分と秋分にでも、

いやいや、

思い立って、こんな時に描いておくべきだと。

そんな感じで、

自らの写真を撮って、リセットするのもいいことかもしれない。

そこには、半年なら半年の、自らの行状の現れを形にしてくれているものが映っているはずだ。

それも見たくないから、写真を撮られるのはやはり避けてしまうなあ。

避けないで描き続けた画家は、

心のバランス モチベーションの維持 のためとか。


どうせ、そのうちに、閻魔様に上げつられる行状の数々なので、

開き直って、仕方ないじゃん!

ちょっと前向きにやったことだってあったんだ。


そうか。

なんで印象に残っているかが少しわかったような。

見つめられているから。

見通されているように思えるから。

閻魔様にお会いする前の練習になるのかもしれないなあ。

自然な自画像を描いたり写真を撮ることは。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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