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「余計なこと」没原稿

 以下は、1カ月前に新聞投稿し、本日現在のところ掲載がありませんので、没になったと思われるものです。


題「余計なこと」

 余計なことを始めてくれたものだ。おかげで、不急の投資をせざるを得なくなった。そんな受け止めです。

 ロシアのウクライナ侵攻で、欧米の石油商人たちはロシアからの調達をしないようにしている。ロシアは買ってくれるアジア諸国に割安で売り、侵攻以前より輸出額は増加しているという。では、割高だけれどもロシア以外の産油国から調達しようとする欧州はどうなるか。割高であればあるほど、今でも脱炭素の先頭に立っている欧州で、今まで以上にその機運が向上してしまう。現に、風力発電は活気に満ちているようだ。さらに極東の島国へも風力の風をさらに吹かそうと伺う者たちもいる。太陽光発電も国際エネルギー機関(IEA)の予測では大幅に伸びる。少しでも長く化石燃料を購入してもらおうと考えている産油国にとって、それらはまだ飲めない展望だ。

 それでは、増産体制を拡大させ、生産調整し割高を弱める。この程度の価格なら、脱炭素もそんなに急がなくてもいいかと考えてもらえる程度に落ち着かせたい。その生産調整に投資する役をどこがするのか。生産コストが世界最低水準の世界第2の産油国が担うしかない。不急と考えていたが、この情勢では致し方ない。大事な国営会社の株式売却益も投入して国造りを進めている。なかなか改革が進まない中で、余計なことを急いでしてくれたものだ。

 石油の産出国・消費国ともに脱炭素のソフトランディングへの舵取りに各国の為政者は腐心する。その程度では許さないとの意見が若者からも出ている。脱炭素とは人類が未経験の理解できないくらいの富の移転であり、そのひずみによる人の殺し合いを、今、私は目にしている。どうすれば良き祖先になり得るか。

(文字数は、698文字です。)


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