25日の日曜日に、
ベトナム映画「草原に黄色い花を見つける」を視聴させていただきました。
冒頭に、当方の子供の頃、大八車と呼んでいた人力の荷車より、もう少し素人っぽい荷車を、
大人が引き、子どもが押し、
荷台にはもう少し小さい子供が乗っていました。
どうも、医者に診せに行くようでした。
小学生の時に、離れた田んぼから、刈った稲を、大八車と呼んでいた荷車に乗せ、
自宅に持ち帰り、自宅裏の畑に作っていた、稲木に掛けて稲を干していました。
何度も何度も往復し、何段もある稲木に木製の馬にのり、稲束を折って掛ける作業を、今の人は想像できないだろうなあ。
道だって、アスファルトで舗装されているわけではなく、でこぼこ。
両親とも、相当な労力をかけていたと思います。
日本でも、人力荷車の時代は、そんなに遠い過去ではない。
大八車(だいはちぐるま)は、江戸時代から昭和時代中期にかけての日本で荷物の輸送に使われていた総木製の人力荷車で、代八車とも書く、そうです。
ベトナムと言えば、やはり戦争。
1955年から75年までということで、20年間。
75年は、当方、17歳の多感な時期。
映画のあとがきに紹介されていた写真2枚。
「安全への逃避」と「戦争の恐怖~ベトナムの少女」は、
その当時、とても印象的で、よく記憶していますし、時折、報道されてもいます。
20年もの戦争。
長引かせてはいけません。
なにって、勿論、ロシアの侵攻です。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
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