そうか、
そういう見方というか、解釈というか、分析なのか。
(今さらながら、見識の乏しさに恥じ入ります。)
国際通貨であった銀を産出できていた国が、
その地下資源の先細りにより、
資源流出の出口を狭めた。
それを、経済的にも「鎖国」していたかのようにとらえられている。
そんな感じを受けました。
「打ち出の小づちがなくても」(2022.11.20日経の日曜に想う)では、
石見銀山 略 アジア随一の銀山
当時、銀は国際通貨であり、日本にとっては貴重な輸出品だった。
「貿易の面では、日本は銀のモノカルチャー経済のようなものだった。農産物でも繊維でも、海外に売れるものがほとんどなかった」
中国から高品位の生糸をはじめ、綿、茶、砂糖などを輸入できるのは銀のおかげだったが、立ちゆかなくなる。
「銀の不足は、鎖国を実質的なものにした」
幕府は当時、「鎖国」という言葉を使ってはいなかった。
象徴的なのが、1685年に長崎での輸入額を銀9千貫に制限したこと
輸入品を国産化したことが、明治以降に日本が発展する原動力になった。
などとされています。
モノカルチャー(英語: Monoculture)は、一本足打法。
(古いなあ。)
mono(単一)の産品や産業に依存した経済をモノカルチャー経済と言うそうです。
日本では、産出できる銀に頼っていた貿易の時期があった。
当時の国際通貨の銀があったから、
掘り出して、海外から買っていた。
生糸、綿、茶、砂糖は、日本で産出していたと思っていたけれど、
それは、先進国の産品の国産化だったということ。
先人の苦労を偲びたい。
(生糸生産の道具を30年ほど前に倉庫から出して、灰にいたしました。)
でも、銀という日本の地下資源は、有限でありました。
そして、現在の、各国の地下資源である、原油や貴金属も有限。
輸入品(国内に無く、人々が求めるもの)の国産化は、大変な苦労を伴う。
でも、それを、行ってこられた人々が日本に居られた。
デジタル社会の中で、
また、国境を越えて瞬時に決済できるフィンテックがさらに発展するであろう中で、
人々が求めるものやことは、なに。
そして、それを現実のこととする人はどんな人。
経済も大きくなりすぎてよくわからない。
ブラックボックスみたいで、先導(若しくは扇動)していくのは人なのか、それともAIになってしまうのか。
やはり、「打ち出の小槌」は、横に置いといて、
実感のある生活に根ざしたことが、大切のように、
64歳として、
(隠居の人のようで、今の社会には通用しないのかなあ。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」