「全国屈指の暗さ証明」(2022.12.10日本海)では、
世界的アマチュア天文家を顕彰されるなかで、
25日午前2時36分に少し西に傾いた冬の天の川ときらめく冬の星座を 略 撮影した。その後、スカイ・クオリティー・メーターと呼ばれる機器で星空の暗さを測ると、21.48等級の数値が出た。
世界最高レベル(ハワイ・マウナケア山頂の22等級)に近い星空であることが証明された。
などとありました。
夜空の暗さで思い付くことは、
まず、宇宙空間からの、闇夜に沈むような北朝鮮の映像。
最近は、電力供給に支障が出ているウクライナの写真。
もっとも、ウクライナの写真の場合は、南側にある黒海が真っ暗なので、最初はそちらに目が行った。
それから、
娘が高校生の時に、クラブ活動の友だちが宿泊してくれて、夏の星空に歓声を上げてくれたこと。
隣接市の夜空とは違っているのだろうなあ。
と、その時感じました。
記事にある場所の鳥取県八頭町は、
今年春に鳥取県(星取県)の東部の山間部もある町で、県星空保全条例に基づく星空保全地域に指定されているそうです。
確かに、天体観測に夜空が暗いことは有利だし、星たちも煌めいてくれる。
ただ、
ひねくれた僕としては、
「全国屈指の暗さ証明」が光の暗さだけではない、ほかの光明も暗いんだと示唆しているようで、
なんともやるせない。
そんな気持ちになってしまう。
しかも、世界最高レベルに近いという。
あんまり言わないで。
それはそうだろうけれども、あまり、深追いというか、強調しないで、
静かに、ミルキーウェイを眺めたい。
夜というものを、僕は、そうしたい。
有史以前のヒトたちも、
暗くなれば就寝していて、6・7時間おやすみになられたあとに目が覚めても、まだ暗い。
そんな時に、夜空を長い時間眺められていたと思う。
星空を見ていると、時を超えて、共有しているようで、少しうれしい。
空は、場所や時を超えて繋げてくれるように感じる。
昨日も、早々に就寝させていただきました。
今朝は、雨模様で、星たちは見えません。
そんな時に、このブログを書き込んでいます。
晴れた夜空は星を見て、雨が降ればもの書きをする。
これも一つの晴耕雨読 かな?
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」