新しく聞く、と読めばいいのかな。
新聞のことです。
「若者が新聞に興味を持ってもらうには!?」(2022.12.20日本海の海潮音)のなかで、
新聞業界にとって切実なこの問題の解決策を
などとされて、現役高校生の発表などが記載されていました。
新聞紙の情報は、もはや、新しく聞く内容ではなくなっています。
紙面に印刷され各戸に投函されるまでに、
すでに、
ネットニュースなどで、大まかなところは流れている。
しかし、
当方は、新聞重視。
TVの情報は、映像と音声で、文字通り、「流されて」いる。
流されたあとは、気体のようにどこかへ行ってしまう。
(だから、某国営的放送局(NHK=日本放送協会)は、同じ内容を繰り返す。)
ネットニュースは、何度も読み込むことはできるけれども、
僕のおつむでは、どうにも、頭にあまり入らない。
なにか、観念的で、実態がないようで、どうにも、こうにも。
勿論、なるほど!そうだったのか!という記事もありますが、
どうしてか、頭に、あまり残らない。
思うに、その所在がよくわかっていないからだと思う。
どこにあったのかと言われて、いつ、どこに、と、僕が説明できないから、
TVのように、流れていくものに似ている。
それに、なにか、読んでいて、急かされるような感じがあって、落ち着いて読めない。
新聞は、紙なので、目の前にある。
新聞は、情報量(文字数)も相当にある。
記者による署名記事や、物事を深める記事はありがたいと思っている。
それに、
新聞を読むことは能動的。
隅から隅までは読まないけれど、自分が気になったところを読む。
TVは受動的。自分の興味には関係なく、流されている。
おもしろくない。
ネットニュースなどは、宣伝が多くて、最後までたどり着くのが煩わしい。
ただ、
新聞も、最近は、販売部数が減少しているようで、
当方の感受性のアンテナも低くなっているのか、
これは!とか、なるほど!とか、おもしろい!とかの記事が、
少なくなってきたような感じを持っていますが、
この(おもし≒おもってしまったこと)を通じて、新聞読者が増えていただければとも思っています。
やはり、要(かなめ)としては、読み応え。
だと、僕は思う。
そして、中高生に理解できるような文章起稿力。
僕の理解力が乏しいので、そう希望します。
なぜそうなるのか。
なんでそんなことをしたのか。
どんな見通しが正しそうなのか。
例えば、日銀の異次元緩和や日本国債の格付けなど、
難しそうなことをなるべくわかりやすく
(これが最も難しいと思いますが)
現状よりももっとそうしていかないと、新聞紙の生き残りは難しい。
社会を俯瞰するためには新聞社しか、頼りにできないと、僕は思っているのです。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」