「追悼」(2023.1.9産経の朝晴れエッセー)を読ませていただきました。
何度も繰り返し読みました。
内容は、
べた惚れされた娘様。
無口な婿様。
作業中の事故によるお亡くなり。
37歳。早すぎる。
残された娘様とお孫様。
70歳の方の投稿でした。
早すぎるも、早すぎないも、人の死は必ず訪れる。
何歳であろうが、事故だろうが、病気だろうが、昨日までは訪れてこなかっただけの話。
僕は、そんなふうに、達観みたいなところにはまだ至れていない。
だから、何度も繰り返し読ませていただいた。
大きな喪失感と深い悲しみ、娘様とお孫様への愛情を伝えてくれる大人のエッセー。
数日前、
交通事故現場に遭遇した。
右直事故のようで、相当な勢いの衝突のよう。
赤信号で停車した直後、前方で大きな音がして、見ると、2台の車両が道路上を跳ねていた。
クーラントの水蒸気なのか、揮発性の可燃物なのか、白い煙が上がった。
車から人が降りられない。
僕は見ていないけれど、大腿骨が折れて足から突き出ていたという。
地元紙に載っていなかったので、死亡事故には至っていないみたいですが、
くれぐれも、お大事になさってくださいませ。
バイクで転倒したら、僕は多分死亡する。
今のところ身体的には内臓なども支障がないことを感謝している64歳ですけれど、
明日のことはわからない。
生かされていると受け止め、いつもではなくても、誰にともなく、天にでも感謝することはいいことなのかもしれません。
今、動ける今日を、大事にしていく。
必要以上に慎重になる必要もない。
そして、たいがいは、上手くいくよ。
そんなにへんにはならないよ。
そんな気持ちで、今日も、どこかで過ごす。
なにごとも、時間が希釈してくれる。
心の痛みは無くならなくても。
時間を費やす。それ以外の何もできないことだってある。
何度も繰り返し読みました。
それぐらいしか僕にはできません。
見ず知らずの僕も、追悼させていただきます。
やっぱり、37歳は、早すぎる。
28年前の本日の先ほど、5時46分。
2階で就寝していた僕も、大きく揺れて、夫婦親子で柱の近くに身を寄せた。
6434人がお亡くなりになり、多くの方々の怪我や、資産の喪失があった。
まだ早すぎると言われる死も沢山あったと思う。
たくさんの追悼が、四半世紀を超えて今も行われているという。
希釈は、本当にできるのだろうか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」