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なにをどうすることもできず(おもしー262)

「父親もおらず世間に蔑まれるような職業の母を持つ夕子が、非常に困難な状況にあることは容易に感じ取れたが、十四歳の俺達にはなにをどうすることもできず、自分たちの無力さに腹を立てるばかりだった。」

と、高知東生さんの小説「土竜(もぐら)」のなかにありました。


DJのGINTAさんの Way Back Home の歌い出しには、

「何も変わらないこの日々 また無駄にしてしまった1日

何もかも上手くいかない どうしていいかすら分からないから」

とあります。


よく、若者が生き急ぐような表現をされることがあります。

また、

よく、お年寄りは、気が短くなるような表現もあります。

どちらも、そうなのだろうと思う。


では、その間は、どうなのか。

単に、個の生命の働きの限界を、気にしないふりをして、

目の前の、いわゆる、人間社会の(たいがいは)どうでもいい付き合いが、

さも、重大なことのように、深刻ぶっている。

でも、それだって、日々の糧にありつくためには、しょうがないこと。


誰だって、

十四歳でなくても

「どうすることもできず」と感じることばかり。

若者でなくても

「どうしていいかすら分からない」ことばかり。


本日は、

日本社会の多くで、年度の末とされている日。


まあ、

今日までのことは今日まで。

何があっても、

明日が来るなら、みんなで明日を迎えたい。

隕石落下で、

明日が来ないなら、僕だけに来ないのではなく、みんなに来ないのだから。

それも、また、良しなのだろうか。


ともかく、

抗って生きたい。

抗う自由が欲しい。

自分を拘束・束縛するようなことから、若者も、お年寄りも、それらとは言われない方も、

誰しも、解放されて、

自分の無力さに腹を立てるばかりだったとしても、

やりたいことを、少しでも、やってみる。

そうすれば、

無力は無力でそのようでありながらも、

自分の、僅かにしか思えないようでも、無ではなく、ほんの微力に気が付くことだってある。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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