因業な忘八
人が大切にしなくてはならない仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の
八つの心を忘れ去り、捨て去らなくてはつとまらない阿漕な仕事
そんな一節が、
朝日新聞に連載されている、沢木耕太郎さんの「暦のしずく」にありました。
(2023.4.1)
阿漕とは、地名の阿漕ケ浦からきているようですが、
しつこく、ずうずうしいこと。また、あくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。
とされています。
世の中には、おてんとうさまの下で、人様の前で、言動できることばかりではありません。
ただ、先の八つの心も、社会のネジを回す役割のある方の心得のようなものであって、
例えば、
臨終となりそうな日の方に、八つの心を説く人は誰もいない。
いわゆる、隠居の身のようになれば、良くも悪くも、社会とのかかわりが薄くなる。
八つの心を、自他ともに、厳しく律することも、だんだん求められなくなる。
(勿論、自らを厳しく律して、最後まで、立派な振舞いの方もおられるのでしょうけれど。)
躍動している人間社会から、年齢が増すにつれ、少しづつ距離が大きくなる。
だから、
「人」が大切にしなくてはならないのではなくて、
社会で生きようとする、人と人との間が大事になっている「人間」が大切にしなくてはならないもの。
だんだん、
うすぼんやりしていくように、僕も、しれた程度の忘八になっていくのだろうなあ。
まるっきりのウソにもかかわらず、湯気さえ感じさせるリアルな口ぶり
「取り繕い反応」と呼ばれ、認知症診断の決め手
取り繕い反応とは、問診で質問された内容に対して答えることができない患者がその場限りの適当な言い訳や作話的な内容を述べる反応
と、
髙橋秀実さんの「おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日」のなかにありました。
あと、
「頭部振り返り現象」があれば、「認知症」が確定するらしい
とも、ありました。
年齢がいけばいくほど、
適当な言い訳をしないで、正直にありのままを受け入れそのまま開陳する。
ともかく、取り繕わない。
そうすれば、心が軽くなる。
そう思っています。
そして、
人間社会の大切にしなければならない心も、
そんなにまではと、少し距離を置いて、自由に好きなことを心掛ける。
そうすれば、
たぶん、認知症も遠のいてくれる。
生活の質は、そんなに落ちないのではないかなあ。
(でも、周囲の人々の生活の質は、反比例で落ちていく?)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」