メエェェー。
そんな感じの啼きかただったかな。
近所の家の方が、近くの空き地の柿の木にひもでヤギを繋げていて、
2メートルほどのひもの長さよりも遠いところの草の葉っぱを手でちぎって持ってきて食べさせていた。
ヤギにも好き嫌いがあるようで、
よく食べる葉っぱもあるけれど、嫌がる葉っぱもあった。
今、思うに、
草にも、自己防衛で、食べられないための毒を含むものなどがあったのかも。
半世紀以上前、小学生の頃の話です。
何故、ヤギなのか。
母は、ヤギの乳で育った。
あごのあたりに長くなる髭のようなものがあると自慢していた。
そして、というか、だから、というか、私にも髭のようなものがある。
そんなことをうれしそうに話す知人がいた。
ヤギのミルクからチーズをつくりたい
ヤギのチーズづくりは「農業を改革したい」と話していた父、忠雄の意思を継いだ事業
と
「家族の念願 三女がかなえる」(2023.4.30日経の私の履歴書)にありました。
何故、ヤギなのか。
たぶん、ヤギに、助けられた。命を救っていただけた。
そんな重い想いが、確実に、あった、ある、と、僕は思っている。
端的に言えば、
母親の母乳の代替乳をヤギに求め、多くの、人の乳児の命をつなげてくれてきたのではないか。
そんな感謝するような想いを、記憶のどこかに大事にしまっておられる人々が、ヤギにこだわりたく、大事にしたい、そんなこともあるように思っている。
田舎でなくとも、どこにでも、
子安神社とか、「飴買い女房」など、
お子様、特に、乳児に対して、その母親が授乳させることが当たり前のようにみられる中で、
(今では、粉ミルクがあるので、失われた単語かもしれないですが)
貰い乳と言われたりするけれど、それは、けっして簡単なことではなかったと思っている。
苦労なされた母親の方々は、とても多かったのではと。
ヤギの乳質はウシに近く、乳量はヒツジよりも多い。
明治以降、日本でも数多くのヤギが飼われ、「貧農の乳牛」とも呼ばれた
そうです。
ヤギはウシよりも小さく、与える草もウシほど多くない。
空き地の草でも育ってくれる。
体重も、ウシに比べれば、ヒトに近く、ヤギの乳はウシの乳よりヒトにあっているのかもしれません。
(でも、僕は、以前、ヤギのチーズを買いましたが、結局、全部は食べきれませんでした。ヤギさん、ごめんなさい。)
明治から昭和の中頃あたりまで、
人口増(出生数の大幅な増)のなかで、
悲しすぎる物語になることを救ってくれたヤギ様が多くいてくれたのではないか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」