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平等社会(おもしー347)

「モノと人の関係性読み解く」(2023.6.4日本海)のなかで、

誰しも地位や財力、人と違う自分を際立たせ、それを何らかの形で表現したいという欲望がある。

その欲望はかつては権力者にしか許されなかった。

だがお金さえあれば誰もがブランド品を買える現代を深井は

「過去になかった平等社会が実現したのかもしれない」と解釈

などとありました。


田舎者で、昭和生まれの男として、

社会的肩書も無く、大した財力も無いなかで、

持ちたいモノやこととして何があるのかと聞かれれば、

うーん。

でも、まあ、・・・高級車ぐらいかなあ。

そんなことしかようお答えできない。

物欲や権力欲が無いようで有るような、そうでもないような。もうすぐ65歳の僕。

そんなこと、どうでもいいじゃない?

たいしたことじゃない。


例えば、レクサスさんのLC500コンバーチブル 1500万円ほど?

そんなモノ(自動車)を乗り回していれば、

地域では 少し 良いも悪いも話題となる。

そんなことで自分を際立たせたい場合、

車の価格と維持費を何とか工面できない人ばっかりではない。

たしかに、

歴史の権力者の人民に対する割合よりも格段に高い割合で実現できる人は多い と 思っている。

というような意味で、平等社会の実現と言われているような。


車でなくても100万円ほどのバッグなら、

それに魅力を感じておられる方にとって、

もっとハードルは低く、より高い割合で実現できる人は多い。


人は、

目に見えるモノや社会的立場を使って自らを飾ろうとする。

目に見えない内面や、

あまり直接的に顕わにすると距離を置かれかねない 身体や財力などを。

暖かくなって、薄着となることで、殊更に薄着となり身体を見せようとする男女。

お金の力が使えるんだよと、さりげなくでも、こだわりのモノを身につける。


でも、醸し出ずる力に気づかれる方は、目からの情報を凌駕する。

関連:剃髪(おもしー344)


そう思うと、

なにか、モノは、うつろで悲しいような。

それなりの立場だって、その時限りのこと。

モノやことと人との関係においての平等社会って、

あんまり重きを置かないほうがいいような。

(まあ、でも、これも、持たざる者の、ごまめの歯ぎしりの範囲だなあ。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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