夏至から半月ほど経っていますが、
朝夕の明るさが、有難いような、体に強いる部分があるような。
太陽が眩しい。
年配になってきた証左なのかなあ。
「近代の根幹 文明の進歩を刻む 時計と時間」(2023.6.24産経)のなかで、
時計によって規律された ライフスタイルは、人類の歴史の中では最近始まったもの
天体のリズムに基づいていた時間を、人工的な時間に変える大転換
朝日が昇ったら起きるのではなく、時計の針が7時を示したら起きる。
そもそも遅刻という概念すらなかった
などとありました。
朝日が昇ろうが、朝日の昇りを拝めようが拝めまいが、
人の作った時計の時刻で、起床しなければならない日々が多い人間の社会。
そう考えただけで、相当に、うんざり。
そこには、太陽も、月も、天候も、気圧も、こちとらの体調も、全く関係なく、
時計の秒針が、冷酷なのか、頼もしくなのか、刻んでくれている。
目覚まし時計を作動させなくなってから、どれほど経つのだろう。
時計に起こされるなんてことはとても嫌。
おそらく、30年ほどは使っていないのかもしれない。
使いたくないから、
(起こされたくないから、)
相当に早寝 で たぶん 30年間?経過?
暗くなったら眠くなる。
なにか、暗くなるような前から、眠たくなってくるような。
だから、
暗いうちに起きてしまう。
でも、
暗いうちが短い季節は調子がちょっと変。
やっぱり、
晩方に、明るさが残っていれば、寝にくいし、
(外の明かりが入って来ないよう、なるべく真っ暗にして寝ています。)
朝方に、早い日差しが入って来れば、どうしても、起きてしまう。
だから、
年配度が昂進しているわが身において、暗いうちが短い季節は、体に強いる部分があるような。
そんな僕でも、目覚ましを使わない生活も含めて、組織に勤めていた時期もありましたが、
おそらく、遅刻は無かったと思っている。
現在のバイトでもそう。
就業前のそれなりの時刻にその就業場所に到達して置く。これは、ほぼ絶対譲れないなあ。
遅刻という概念すらなかった?
譲れないなんて言う僕も、相当に、人間社会のライフスタイルに毒されているのか。
まあ、それは、時刻というよりも、それを使っている人同士の信頼を大事にしようとしている現れかな。
昨夜の就寝時刻は、20時ぐらいだったか?
今朝の起床時刻は、4時ごろでした。
時計なるものを見てみると、そんな時刻という表示をしていました。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」