(2023.7.4日経の春秋)に、
脳は使わなくなれば、しだいに機能が低下する。
狩猟採集時代が終わって農耕社会に移った後、ヒトの平均的な脳のサイズは小さくなった。約3000年前のことだ。
大勢がひとところに住み、分業の仕組みを整えることで、私たちは一人一人が高度な知識や技能を持つ必要がなくなった。
狩りのようなマルチタスクをこなしていた頃に発達した脳の機能はやがて失われ、縮んでいった
と
ありました。
へー。
3000年ほど前でも、そのようなことがあったのですか。
理由を読むと、理解できますが、
他人ごととはあまり思えず、身につまされるような。
この社会、この世の中、自分にできないことばっかり。
できないけれど、
流通している、価値を示しているようなモノである貨幣を使って、
その、自分にできないことのいいとこどりをさせてもらっている。
ますます、僕の脳は、縮小している部分があるのかもしれない。
例えば、
バイク(自分で製造できない。)で、楽しみながら通勤する。
空手(自分で創設できない。)の練習を先生に教えていただきながら、体を動かす。
目前の紙・新聞紙(こんなに均等で薄い紙自体をつくれないし、そこに記されている旬の情報を提供できない。)を見て、ここに、思ってしまったことを記している。
自分のレベルから考えると、ブラックボックス的な、膨大過ぎ、高度過ぎる、人々の分業のうえに日々の生活というものを送らせていただいている。
?
そんなことから、少しでも、先祖返りと言うか、自分でする部分の復活と言うか、
そんな抗いの具体的な行動のひとつが車中泊であったり山歩きのような気もする。
関連:車中泊(おもしー356)
昨日の昼食に、玉ねぎの茶色の皮を剝き、上と下を小型ナイフで切り落とし、剥いて食べていたところ、
近くのお姉さんが、サバイバルみたいと言っていた。
申し訳ない気持ちもありますが、
この社会のなかの、いいとこどりをさせていただきながらも、
自分で何でもしたいという気持ちも大事にしていきたい。
だから、たぶん、今日も、玉ねぎを剥いたり、ピーマンを齧ると思います。
そして、山歩きも、車中泊も、バイクも、したい時にしていく。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」