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騙(かた)ること(おもしー360)

語(かた)ることは、所詮(しょせん)、騙(かた)ること。

(2023.7.1朝日の連載小説「暦のしずく」)の中にありました。


僕のアンテナが低いためなのでしょうけれども、

最近、新聞を読んでも、

へー、そうなのか、といった記載になかなか出会えない。

だいたいは、

それでどうなの?

なんでそうなの?

だからなに?

(理解力・洞察力・知識の無さを笑ってくださいませ。)


そんな時でも、

小説には、

自分にできない言い回しや自由に使い廻せない語彙があり、

作者の日本語能力にも敬服するところ大。

件の小説は沢木耕太郎さんの作であります。


さて、

「騙る」とは、もっともらしく、巧みに話しかけるというような意味であり、

僕の、この「おもし」だって、騙っていることと大差ない。

自分としては、もっともなことだと思っているけれども、

そう思っている僕は、あらゆる面で、底が知れている。

(どちら様も、信用なさらないように。)

ただ、

そのように思っている、そのように解釈している、

そんな人間は確実に居て、

(少なくとも一人は、)

それが多いか少ないかで、世間様の流れが造られている。

そんな部分が大きいのではないかと感じています。

何方様も、申し訳ありませんが、大概は、底が知れているのです。

だから、誰も先のことが解からないで、右往左往してしまう。

真(まこと)の実(みのり)には、なかなかたどり着けないなあ。


本日、七夕。

1年前の7月7日に、この「おもし」を始めさせていただいて、

自分の言葉で、自分の思ってしまったことを、自分の解釈で、自分の頭で整理して

(整理できていないとのご批判もおありでしょうけれど、)

ともかく、

ここに、公にしてきました。

今日が、360で、昨日が359ですので、

始めて少しばかりは、毎日ではなかったなあ。

この間、書いていないことで、紆余曲折も有り、

内職も、プラス、マイナスそれなりにあり、

総じて、実利も含めて、自分のためにはなっている と 思っています。

自分の頭で考え、頭の中で時間を置いでも整理したりすることは、とても大事だと実感します。

そのために一部現わしているものが、この「おもし」でもあり、

当面も続けたい。

ここは、あくまでも、僕の「騙り」でありますが、

これが、僕にとっての、真実に向かおうとしている段取りの一部のようなもの。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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