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乱世と泰平(おもしー363)

背後には乱世が。眼前には泰平が。


3日ぐらいで527頁の「幸村を討て」(今村翔吾さん、2022、3月初版)を、地元の図書館からお借りして、読ませていただきました。


最初の辺りはどうなるのかと感じつつも、読み熟(こな)せないままに、終わってしまいました。

少し時間を置いて、再読したい。

(古本屋さんで、探してみます。)


今村さんに興味を持ったのは、

現在進行形の朝日新聞の連載小説「人よ、花よ」からです。

そこには、

「命運を大きく左右するような気がしてならない。何もせずに悔いることとなるならば、動いて悔いたほうが余程いい。」

ともありました。


昨日、空手の練習中に、

よく近寄ってきてくれる少年が、

「汗が飛んできた。」と言っていました。

胴着の透明感が出るほど、こちとら、ずぶ濡れのような汗。

どうも、動きを早くしていたところ、どこかの端から近くの彼に飛んで行った模様。

「杉村さんも、水分取ってください。」と

それを聞いた、身近な、お母さんに心配をおかけした始末。

我に返って、コストコで購入したアミノバイタルの飲料を、ごくり。

ぬるくなっているけれど、そして、ごくり。


動けば何かが変わってくる。

それが、どのような動きであろうとも。

動けることをしていけば、どこかで何かが変わってくる。


個々の命においては、

いつだって、乱世のような。そんなところもあると思っている現世。

その個体において、眼前の泰平は、その時の夢幻しかもしれないけれど、

ひと時の安寧を求める。


そのためには、

やはり、

動くこと。

どうせ、いつだって悔いてしまうのだから。

阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」


下手でいい。

下手がいい。

自分でするところに意味がある。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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