背後には乱世が。眼前には泰平が。
3日ぐらいで527頁の「幸村を討て」(今村翔吾さん、2022、3月初版)を、地元の図書館からお借りして、読ませていただきました。
最初の辺りはどうなるのかと感じつつも、読み熟(こな)せないままに、終わってしまいました。
少し時間を置いて、再読したい。
(古本屋さんで、探してみます。)
今村さんに興味を持ったのは、
現在進行形の朝日新聞の連載小説「人よ、花よ」からです。
そこには、
「命運を大きく左右するような気がしてならない。何もせずに悔いることとなるならば、動いて悔いたほうが余程いい。」
ともありました。
昨日、空手の練習中に、
よく近寄ってきてくれる少年が、
「汗が飛んできた。」と言っていました。
胴着の透明感が出るほど、こちとら、ずぶ濡れのような汗。
どうも、動きを早くしていたところ、どこかの端から近くの彼に飛んで行った模様。
「杉村さんも、水分取ってください。」と
それを聞いた、身近な、お母さんに心配をおかけした始末。
我に返って、コストコで購入したアミノバイタルの飲料を、ごくり。
ぬるくなっているけれど、そして、ごくり。
動けば何かが変わってくる。
それが、どのような動きであろうとも。
動けることをしていけば、どこかで何かが変わってくる。
個々の命においては、
いつだって、乱世のような。そんなところもあると思っている現世。
その個体において、眼前の泰平は、その時の夢幻しかもしれないけれど、
ひと時の安寧を求める。
そのためには、
やはり、
動くこと。
どうせ、いつだって悔いてしまうのだから。
阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」
下手でいい。
下手がいい。
自分でするところに意味がある。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」