3月生まれの生徒が入学した高校の偏差値は、同じ学年の4月生まれより4.5低い。
30~34歳の所得を比較した先行研究によると、早生まれのほうが約4%低い
どの学年、どの教科でも、先に生まれた子ほど成績が良い傾向
学力差そのものは学年が上がるごとに縮まっていた。
「感情をコントロールする力」や「他人と良い関係を築く力」といった非認知能力の差が、学年が上がっても縮まらないこともポイント
保護者が自分の子どもに何らかの遅れを感じて塾が優先され、非認知能力を伸ばすとされるスポーツや芸術系の習い事はしなくなる
中学3年生の早生まれの生徒は、学習や読書の時間、通塾率がいずれも高い
一方、スポーツや外遊び、美術や音楽に費やす時間は少なかった。
非認知能力を伸ばす活動の不足が、大人になってからの所得差につながっている可能性
などと、
「早生まれは損?」(2023.7.2朝日)にありました。
勿論、
記載中にあるとおり、
早生まれでも優秀な方もおられる といった 個別事例の話ではなく
統計学的事実 に 基づいての記載 ということだそうです。
そりゃあ、どう考えても、
同学年で、4月生まれと3月生まれでは、
体も、体の中にある神経細胞の塊である脳と呼ばれるところも、ある時を輪切りにしたときに、同じであるはずがない。
その差を、面白くないけれども、偏差値というものを用いて数値化すると4.5%の差と言われている。
これは相当ですよ。
僕にとって、遥か昔、受験生の頃、勝手に、偏差値5%の壁と言っていて、それだけ学力が向上してくれれば、希望の進路に行けるのに、などと、思い悩むも、大した努力を行わないままでありました。
学年が上がるごとに縮まる と書かれていますが、頑張られているのでしょう。
その頑張りの代償が、クラブ活動などの退部につながることもある
そして、その結果が、
成人してからの、所得に 統計学的事実として 表れている。
なにか、悲しいなあ。
どこかで線を引かねばならぬ。
集団的に何かをするためには、学年なり、年齢なり、体重なり。
線を引けば、その間際の辺りは、有利不利が、どうしてもできる。
すべて、個別で行うことは、この人間社会では無理。
学習だって、すべて、ヘレン・ケラーさんのサリバン先生のようにはできない。
僕が懸念するのは、
その子自身にとって、
学力などの差を、早生まれを理由にしたくない気持ちがあって、
そのことを、自身の努力の不足だと、あまり、自分を追い詰めることがあるのであれば、
それは、悲しいことだと思う。
仕方のない部分だってあるんだと、なんとか思ってもらえないか。
難しいなあ。
統計に基づき「不利と配慮」論じよう と 東京大学大学院の教授様は論じておられるけれど、
論じたって仕方ないから 得を感じた4月生まれに 妊娠時期を調整した とする 保護者の皆様。
僕は、11月後半生まれなので、早生まれではないながらも、
今考えると、体も、知能も、他者との関係も、いつも遅れ気味のような感覚を持っていたかもしれない。
早生まれの方は、もっと感じておられるのかも。
学生の時期を過ぎたとしても、そのような、負い目ではなくとも、
遅れ気味であった感覚があるならば、それは、大人になっても、続くことも多いのでは。
そんな、呪縛のようなことは、
何方様も、少しずつ、ときほどいておられるのでしょう。
そう思うようにしたい。心の呪縛は様々ある。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」